荒れ狂う刃の嵐
高まる焦燥の理由を示すように、部屋を覆った不可視の力から、闇雲に刃が伸び始める。
身体を掠める刃は全て纏ったエネルギーの奔流で払われていくが、異常な嵐の如く荒れ狂う刃の波が、室内の全てを薙ぎ払う。
黒衣の男は完全に制御を失ったのか、その様子を呆然と見つめる。
「――どうやら、これは望まぬ結果だったようですな」
こちらを睨みつける鋭い目と視線が、交錯する。
「勘違いするな。力が暴走すれば、祭壇の状態も白紙に戻るが、もう一度お前の血を捧げりゃいいだけだ」
ふむ。この異常な事態を見る限り、捧げられた血の量が威力や、制御に関係しているのは間違いない。未だ謎の残る部分は、獣の血ではなく、ヒトに拘る理由だ。
仮にヒトの血が捧げられた場合、何が変わるのか? 黒衣の男が発した僅かな手掛かりから、謎の神は、獣よりヒトの血を好む。そして現状を見るに、獣の血が多く注がれても、機嫌を損ねるらしい。
ヒトの血であれば、その量に関わらず制御も可能で、威力も保たれ、この奇怪な透明の空間より伸びる刃も維持される? 今までに得られた情報から、ある程度の推測が可能となった。
では、相手の意図を覆し、こちらを利する条件で発動させる方法があるとしたら――?
それを狙わない手はない。
「は! また、何か思いついたか」
荒れ狂う刃の波の中で、再び冷静さを取り戻し、こちらを探るように威圧する。
「刃の撃ち出される間隔が……」
時間が経つほど、徐々に、間隔が長くなり、ほぼ間断なく続いていた嵐が、凪いでいく。
「止まった……」
暴走の終わりを告げる一本の刃が、あらぬ方向へ飛び、壁にぶつかって弾けた。それと共に、黒衣の男も動き、今までにない戦法を取る。蹴られた壁に足音が響き、それとは異なる無音の跳躍が交差した。
「どうしました? それ程あわてて動き回るとは、貴方らしくもない」
こちらの視線を切るように、周囲の空間を見えない力も利用し、跳び回る。ほとんど動く事のなかった先ほどまでとは、大違いだが、速さ自体はそれ程でもない。縦横無尽に跳ねる姿は、あくまで不可視の波に頼った結果に思える。
「その口ぶり――まるで昔馴染みじゃねぇか! 俺とお前は……違うだろ!?」
何が異なるのかは明言されず、また惑わすような不可思議な残響をもたらす。だが、私の周囲を覆うエネルギーの流れは、途切れてはいない。これがある限り、余程の事がなければこちらに刃は届かない。唯一の懸念は、あの研究者の命を奪った方法だ。
「あれが可能となる条件を探らねば」
もし、受ければ、反応も間に合わず大きな損害を被るだろう。しかし、可能ならば、既に実行しているはず、この男は、それを躊躇するような相手ではないだろう。短い時間の戦でも、欺き、効率よく力を使い追い詰める手腕から、無駄を嫌う性格が見て取れた。
先の昔話すらも、真偽が不明の情報を渡し、判断を誤らせる策略にも思える。無論、現状では確かめる手段はないが……。
「また妄想に耽ってんのか? 大した余裕だな――!」
見えない力を上手く操り、素早く背後へと回り込んだが、全ての動きを追えずとも、軌跡をある程度みれば、大体の移動先が見通せる。
「厄介な流れごと削り潰す!」
背後を振り向くより速く、肉迫した身体から、両手の指先、肋骨、膝の三点から同時に刃が伸び、こちらに噛みつく猛獣の顎のように大きく開かれた。
「単発じゃ、数を増やしても砕かれる、だがよ、これならどうだ!」
エネルギーの奔流が自動的に刃を砕くが、至近距離から覆い尽くすように伸び続ける刃が、徐々に壁の中に食い込み始め、流れを乱し、強引に隙間をこじ開けて行く。
「なんと……!」
刃の発動を継続し、広範囲を同時に削る事で、循環する流れを乱すとは……!
「完璧な防御手段なんざ、存在しねぇ!」
一見すると今の防御の弱みを突かれ、押されているように見える。
しかし、これは好機だ――!
まったくもって指摘の通りであるからこそ、この分厚い壁を崩した時に、最大の隙が訪れる!
「――このまま大人しく餌食になる気はありませんぞ」
至近距離の刃の嵐を避け、背後へ小刻みなステップで下がる。当然、相手も追いかけてくるが、脚の移動を伴いながら膝から打ち出す事は出来ないようだ。そして、移動による視点のブレが、撃ちだされ続ける刃によって、幾つかの盲点を生み出していく。左右に振りながら、回避を続け、相手の視線が切れるパターンを探る。
「何のつもりだ! 逃げ続け、抗う気も失せたか!?」
軽い一撃でもいい。今までお互いに一度も有効打を加えていない。その拮抗を崩し、焦りを植え付ける! 現に今、刃を伸ばす攻撃に執着し、見えない力の操作を忘れてしまっている。この意識の変化が継続する内に、状況に一石を投じ、その波紋から逆に相手の隙をこじ開ける!
「ちッ! ちょこまかと――」
攻撃の継続に意識を取られ過ぎた黒衣の男の動きが、ごく僅かな焦りにより、こちらへ踏み込む足先を置く場所を狂わせていく。左右に振る回避を、ごく最小限のステップで続け、それに必死に追い縋り、距離を詰めようとする。徐々に、本当に徐々にだが、始めはしっかりと床を踏みしめた足が、身体を支える膝の角度が、僅かに崩れ始めていた。
最後の動きは、多少、大きく不安定に見せる――! こちらの焦燥感を映すように!
「は! どうした? 動きが精彩を欠いてるぜ!?」
今までの回避より二倍ほどの距離を一気に移動した。それによって相手が方向を察知し、追いつくまでの時間が、僅かに長くなる。当然その猶予を活用し、トドメに移ろうと躍起になる。だが、それが罠だ。
先の左へのステップから、今の右への二倍の距離のステップを繋ぐ時間を、ごく自然に、今までよりほんの僅かに速くした。移動の間隔が操作された事に気付かず、追撃の好機と、勇んで踏み込む。左右に身体が強く振られ、時間的なズレに無自覚で、自分に適したタイミングを外し、その瞬間、急激な切り返しにより、右膝が支える力を弱め、ぐらついたのが見えた。
「ぬ――!?」
わざとらしく、声を交え、こちらも二倍の距離の回避により、バランスを崩したように見せかけ、軸足を力なく、支えを失ったように深く曲げる。重心を保つ基点の踵は床へとつけたままで――。
「止まったな――!? 雑に動き、焦りを浮かべた時、お前の意識に、死神の幻影がちらついた――」
表面的には、お互いにバランスを崩しつつも、勝負が決しようとしていた。だが、私の軸足の踵だけは、その裏に潜み、敵の目を逃れた!
「――なん、だと――」
先の二倍の距離のステップは、相手を惑わすだけの限定的な効果を狙った訳ではなかった。先ほどから何度となく窮地を切り開いた。その動きを、重心の移動によって生まれる力じたいに応用する。
即ち――!
「まだ、動けんのかよッ――」
踏み込んだ身体を支える軸足に、体重を受け止めた強い力がかかる。本来ならば、それによって硬直が生まれ、すぐに次のステップに移るのは不可能だ。だが、加速する体重を受け、踏みしめた床と、踵との衝突で生まれた爆発的なエネルギー。すかさずそれ自体を空間に放出し、自らの体側を強烈な力で弾く――。
「くそッ! 速すぎる!」
右に強く踏み込んだ黒衣の男は、ぐらつく右膝を無理やり動かし、視線のみでこちらを追い、反転しようと足先に力を込めた。だが、既に支えを失いつつあった膝は、硬直し、悲鳴を上げ、更に傾き、倒れ込んでいく。
その瞬間、伸ばされ続けていた刃が、一瞬での重心の下方いどうにより、大きく縦にブレた。
丁度――視線に完璧に重なる形で――。
「今だ――!」
今の動きは、体側を弾いたエネルギーの波によって引き起こされた。しかし、その寸時で、体重を受け止め、硬直していた下肢が、制限を解かれ、再び力を生む。
一瞬で再び反対側に回り込んだ私を、視界を覆われた黒衣の男は、完全に見失っていた。
その無防備な脇腹へ向けて、刃の隙間を縫い、鋭い一撃を加える。
「グガアアアッ――!」
重心が崩れ、右前面へ傾いていた身体へ、正反対から重い一撃が入り、カウンターを生む。
脇腹を打たれ、ひしゃげるように内に折れた身体が、奥の壁へと向かって、吹き飛んだ。
「ふむ――やはり、そう来ますか」
壁との衝突音はなかった。
「――まさか、先に喰らうのが俺の方とはな」
「心底おどろいたぜ」
黒衣の男は、痛打を被る事で、再び冷静さを取り戻し、見えない力によって、壁面に沿う様に浮遊していた。
「だが、ありがとよ。今の痛みで、目が覚めた」
打たれた部位と、口からの出血が見られるが、その血が床に滴り落ちても、何も起きる気配はない。
ふむ。自らの血液では、効果がないのでしょうか?
視線を素早く動かし、黒衣の男が流した血が、床の紋様に重なっているのを確認する。
赤黒い紋様に変化はないが、やはり実体があるのか、血は溝を伝い流れた。
これは――使えますな。他の手段を講じようと、狙いを定めていましたが、これがあれば、より円滑に事が運ぶでしょう。
しかし、これは一度きりしか使えない。
失敗は許されない。
そのためには、もう一度、先ほどの猛攻を受ける必要がある。破られた攻撃を、再び選択するだろうか……? そこへ、僅かな不安が過る。
「俺の強みを、妄執で忘れちまってた」
「行くぜ。今度は、全ての力を使う――」
黒衣の男が、壁から押されたように弾けて加速する。その動きは、自らの足を頼みにした時よりも、遥かに速く。切り返しの速度も段違いだ。
「ぬうッ!?」
やはり、今の痛みが呼び水となり、忘れていた戦術が活性化している。
不可視の力によって、身体を押されるが、今までとは違い、小刻みに様々な方向から働きかけられ、態勢の維持が困難になる。
「その状態で、さっきみてぇに動き回れるか――!?」
確かに、背を押されたと思えば、腹。落ち着く暇もなく片足のみを押し上げ、即、力を解き、落下し、不安定な状態で、更に反対から体側を押される。それを全く無秩序に間断なく繰り返すのではなく、明らかにこちらの状態を確認しながら、作用させる場所を選定している。恐ろしく速く戦略的な力の展開だ。
戦の始まりの頃に、これを受けていれば、何も分からぬまま翻弄され、すぐさま絶命していただろう。
「ぬうう――姿勢の崩れを正す隙が、全くない――」
そこへ力に押され、弾け飛ぶように加速した黒衣の男が、一気に肉迫し、完全にバランスを失い、倒れつつある私へと刃の嵐を繰り出す。
「まだ、厄介な力の防壁は崩れてねぇな。だがよ、さっきと同じ攻撃に、今の状態で耐えられるか――?」
態勢を崩した所へ、次々と継続し、伸びる刃がぶち当たり、自動で守るエネルギーの奔流へと食い込み始める。
このままでは、一瞬で食い破られる……!
「さっきので、俺の背骨をへし折るんだったな。――あばよ!」
ほぼ完璧な力の展開。無欠にすら思える。だが、その緻密な力の操作こそが、隙を生む。完全に動きを制限される前に、わざと中央付近に移動し、その過程で床への意識を逸らすため、上体に大袈裟な身振りを加えながら視線を走らせ、黒衣の男を慌ただしく追う姿を見せた。
そして――私が、唯一まともに扱える魔法を仕込んだ。
ええ、全くの初心者ていどの拙い水準です。けれども、それで十分。
通常は、日常生活で使われる、ごく単純な魔法。それが、私の異能と混じり合う事で、この状況を覆す鍵となる――!
逃げ場を奪うように、倒れ行く身体の背後にも力の流れを感じた。ここで決着を狙うつもりだろう。
浮遊するように倒れ込む身体の眼前に、刃の嵐が迫り、防壁を削り取る中、崩れる身体が傾き、床へ向かう。それによって生み出された緩やかなエネルギーを捉え、それを解き放つ準備を秘密裡に進める。
猛烈な勢いで続く刃の嵐が、エネルギーの障壁をほぼ貫通し、その一本が間隙を縫い、無防備な身体を狙う――。
「届いた――!」
それが到達し、額を無慈悲に貫く、そう――確かに相手には見えたはずだ。
「ぬああああッ――」
悲鳴と共に、血しぶきを上げ、次々と障壁を突破した刃にぶち抜かれていく。飛び散る血が、床を満たし、溝へと溜まって行く。
「まだです――このまま死ぬ訳には――!」
「諦めろッ!」
そこで先ほど生んでいたエネルギーを使い、倒れ込む身体を弾けるように起こし、その勢いで背後へ跳び、そちら側に仕込まれていた不可視の壁へ背をつける。
「は――!? お前――まだ、動けんのかッ!?」
さあ、ここからだ! この状態、この絶好の機会に、最大の切り札を用いるか――!?
黒衣の男は、こちらの幻像が破られたのを目にし、状況を理解したようだが、追撃はせずに素早く床へと目をやった。
「驚きはしたがよ、行けるぜ。これなら――」
私の身体は、幻像によって欺き窮地を脱っするも、既に重症を負い、虫の息。少なくとも表向きはそう見えるだろう。ここからが、決するための最も重要な局面となる――。
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