邪神創造計画
謎の力で浮き上がった黒衣の男は、両の掌を上に向け、徐々に肘を曲げた。山の隣に並んだネズミたちがこの戦いを奇妙な合唱と共に見守る。
「さて――出血させねぇ事には、埒が明かねぇが、お前に下手な攻撃は通じねぇ。どうすっかな」
その時、足元が唐突にぐらつき、床に陥没が起きる。
「ぬう!? 何の予兆もなく、何故――!?」
ひび割れた窪みに嵌まった足が、動きを止めた瞬間を狙い、黒衣の男の両手の指先が、こちらを向く。
「ああ、終わりだ――ってよ。言いたいとこだが、それはさっき破られたな」
こちらを指す十本から刃が同時に伸びた。
「一回、失敗した。そん時に吐いた言葉は、二度は使わないようにしてる。まあ、やれりゃ何でもいいか」
刃の軌道を予測し、躱そうと足に力を込めた時、再び床が落ち窪み、穴が更に広がり、膝下まで嵌まり込んだ。
「念には念をって奴だ。一撃でもあたりゃ、それで終わる」
どういう意味だ――!? 血の一滴でも零れれば、それが終わりの引き金となると――? それとも、今の言葉すらもブラフなのか?
「ぬうッ――!? 足だけではない! 背後から――」
不可解な力の流れが――!
背中を押される異質な力で、微動だに出来ぬよう固められていく。
「そのザマじゃ、躱せねぇよな? まあ、もう一手ダメ押ししとくか」
回避不能を悟り、両腕で弾く準備をするが、構えを取ろうと動いた腕の脇から肘あたりまでに、奇妙な力を感じ、そのまま押し上げられていく。
「さあ――血を流せ、神さんに捧げな」
腕に力を入れるが、びくともせず、下方へは一切うごかせない。脇が開き、肩が上がり切った不自然な姿勢では、床を打つどころか、素早く振る事すら出来ない。更に腕は押し上げられ、拳の位置が頭より高くなる。これではこちらに伸びた刃を直接くだくのも不可能だ。
天井までは距離があり過ぎる、足の自由が奪われ、背中から感じる圧力。これらに挟みこまれた現状では、打開策が皆無に思える。
いや――力は入りにくいが、まだ手はある。そして、この動きの制限によって、ひとつ気付いた事がある。
「打つ対象がなけりゃ、どうにもならねぇか?」
拳が届かないように、押し上げられ、無防備となった体幹に向けて十本の刃が伸びる。しかし、その軌道は若干だが、不自然に思える。真っすぐに胴を狙わず、湾曲し、何かを避けるように、外側から襲い来る。
この姿勢では、腕にまともに力が入らない。だが、限界まで引き付ければ――。
「ふん――」
外側から脇腹を貫くように伸びた刃が、身体に触れる。その刹那、開かれた両腕を中心へ引き付け、両の拳を打ち合った。衝突によって生まれたエネルギーを体幹を覆うように放射し、その奔流が十本を同時に砕いていき、進行を抑え込む。
「――まさか、まだ抵抗するとはな――」
粉々になった破片が床へ落ちて行き、黒衣の男の冷めきった声音に、僅かな動揺が見えた。前後から挟み込まれていた身体が、拘束を解かれたように自由になるが、陥没した足元はそのままだ。
「成程な……。ひとつ、面白い昔話をしてやる。この力のヒントを知りたがってただろ?」
唐突な提案に、頷きすら返せず、周囲の状態を素早く確認する。何か裏があるかと思われたが、今の所は何の変化も現れていない。そんなこちらの様子に構わず、ゆっくりと落ち着いた語り口で続けられる。
「――確か、三千年ほど前、だったか? この魔都は、放棄された。こんな事を知ってる奴も、もうほとんどいねぇだろうが。だがな、帝国は、災害からの復興に追われ、遷都を進めつつも、その管理を完全に諦めた訳じゃなかったのさ」
私の知る事実と異なる……。確かに、旧都は完全に放棄されたはずだ。そんな記述は、当時の歴史書に一切なかった。――いや、彼らは裏社会の住人だ。何か、表には微塵も漏れ出す事のない、秘密を知る可能性もある。だが、それが何時の話だと……。先ほど確かに言及した。現代には、ほぼ知る者のいないはずの言葉について。男の沈着な口調からその内面を読み取る事は出来ないが、話される内容に触れる程、悪寒のような背筋を駆ける危機感が首をもたげる。
「計画じたいは、旧都が、まだ首都としての機能を保つ時代に始まった。大災害と呼ばれた洪水。それがなけりゃ、今も往時の成果を完璧に引き継いだまま研究は続いていただろう」
この実験所の……? それとも別の何か――。
「旧都中の地下まで水浸し……。当時の施設もみな水没し、そこで全ては終わるはずだった――」
旧都の地下に魔人信奉者の施設が……? そんな話は、噂ていどの流言ですら漏れ聞こえた覚えもない。
「だがよ、見つけちまったのさ。水害に襲われ、全部、台無しになったはずの地下からな。……何だと思う?」
静かな問いかけをただ無言で見送る。
「邪神創造計画。ヒトの知恵じゃあ、どれだけ試しても、形にはならなかったそれに、別の何かが混じり合った事で、奇跡が起きていた」
邪神創造計画だと――!?
「当時からそう呼ばれてた、その計画の目指すところは、『人工の神』を生み出す事だった。まさに、ヒトが神を僭称する、不遜きわまりない計画だ。だが、帝国はそれに執着しつづけた。一説じゃあ、水害の原因はそれだったとも言われてる」
そこで言葉は切られ、にやついた笑みから犬歯が覗く。
「御伽噺はここまでだ。ガキを寝かしつけるにゃ、不向きだろうが、お前には、どう聞こえた? 年老いた好奇心を焚きつけるにゃ、おあつらえ向きだったろ? ――まあいいさ、ヒントを欲しがったんだ。今ので、俺の力の正体が少しでも見えたか……?」
人工の神を生み出す……!? この男の内にもそれが宿ると――!?
「おっと。余計な想像は隙を生み出す敵だよなあ?」
その時、山の隣に並び、奇妙な合唱を続けていたネズミの一匹が、悲鳴を上げて爆ぜた。
「本当なら、ヒトの血がいいんだがよ。この際、選り好みしてられねぇよな」
いつの間にか、足元には奇怪な紋様が表れていて、刻み込まれた実体かどうかも不確かな溝に、ネズミの血液が流れ込み、中心へとゆっくり移動していく。
「何だ――これは?」
部屋の中心で暗い光を放つ紋様が、微細に鳴動して見える。
「始めるか――」
黒衣の男が腕を動かしたが、その指先はもうこちらを向いてはいなかった。どういう事だ。もはや、狙う必要すらないと――?
足を拘束する窪みが、更に破砕し、床の陥没が広がり、動きの制限が解かれた。足場は破壊されたが、私にはこの程度の荒れた地面は問題ではない。
その時、目の前の何もない空間から刃が複数のびあがり、こちらを捉えた。
「ぬうッ――!?」
透明の刃を飛ばした!?
横に素早く移動し並んだ刃を避けたが、進路を妨害する何かに体側がぶち当たる。
「まただ!」
信じられない事だが、本当に見えない何かが部屋中の空間に存在するとでも言うのか!?
「先ほどの違和感を思い出せ――」
右側面に腕越しに感じる透明の壁。そこから鋭い刃が伸び、危うく刻まれそうになる。
「くッ――」
「ここまで来りゃ、もう躱そうとしても無駄だ。大人しく刻まれな」
冷酷な宣言が響く中、床に広がった陥没の一部が、また落ち窪み、それが足を捉え、その場に横転し、身体の制御を失う。
「は! 運良く転んで、側面の刃は躱したか。だがよ、その態勢じゃあ、次はねぇよな」
倒れ込んだ身体に向けて、また刃が襲い来るかと身構えたが、おかしな事に、追撃はなかった。
ふむ。やはり、この見えない何かには、高さに制限がある……? 先ほど、両腕を脇の下から肘にかけて感じた圧力で、押し上げられた。だが、完全に防御手段を奪うなら、腕が真っすぐに上を向くまで制限すればいい。それならば、先の抵抗は不可能だった。
何か――出来ない理由がある……?
「状況に呑まれるな、自らの強みを信じろ」
不可解な点は、もうひとつある。拘束された胴体に向かって、両手の先から伸びた刃だ。あれは、直進してこちらを狙わず、大きく湾曲させ、外側から挟むように脇腹を貫こうとした。
何か――真っすぐに伸ばせない理由があったのだ。現に今も、トドメを刺す絶好の機会であったのに、こちらが立ち上がる猶予を与えてしまった。
「その目……見透かしたって風だな。その想像が確かか、答え合わせに興じるか?」
私を囲む全周の空気が動き、それに伴って頭に向けて同時に刃が伸びる。それを屈みこんで避けると、頭上で刃がぶつかり合い、火花が散り、上部の空間を塞がれる。
ここからだ。想像が正しければ、次の一撃が来るとき――。
「外れ」
「ぬう!?」
脳内の想像に、答えを――!?
そのまま足元から浮き上がる力を感じ、頭上に並ぶ刃へと急上昇していく。
しまった――! 屈みこんだ反動で、四肢が硬直している! このままでは、結ばれた刃に無策で頭を突き立ててしまう――!
「ぬがあッ!!」
「ッ――正気か!?」
目前まで迫る刃に、今から腕を伸ばしても、間に合わない。
首を極限まで逸らし、大きく開け放った口を全力で噛み合わせ、そこで顎を伝うエネルギーを上部へと撃ちだし、結ばれた刃を撓ませ、通り抜けられる空間をこじ開ける。
「歯を噛んだだけの力だと!? そんなモノで、刃を弾くとは!」
一気に開けた上部へ跳び上がり、天井を目指す中、下方の見えない何かから、追撃の刃が次々と伸びる。
「悪運尽きたな。最後の悪あがきにしちゃ、上出来だが、逃げた場所が悪い」
刃は異常な速度で襲い来るが、それが身体に食い込むより、僅かに速く、両の拳が天井を打っていた。
「無駄だ。一時的に弾いた所で、この追撃は止まらねぇ。お前が串刺しになるまでな」
打撃で生じたエネルギーを下方へ放出し、刃を払うが、それをただ飛ばしただけでは、更なる追撃を防げない。
拳だけでは足りない――回転だ。直線的な放出ではなく、天井を掠めるように四肢を使い連続で打つ――!
「ぬおおおッ――」
跳び上がった勢いに乗ったまま、両脚を振り上げ、天井を抉るように打ち付け、動きを止める事無く、縦に回転し、生じたエネルギーを徐々に身体の周囲へ纏っていく。
「何だと……」
休むことなく串刺しを狙う刃が、身体の周りを覆ったエネルギーの奔流により、動きを止めた後にも関わらず、破砕され、剥片を周囲の空間へと散らす。自動で攻撃を払う不可視の力の流れが、その場に渦巻いた。
「はは! あの無影の鎧を破った経験が、ここまで活きるとは! 自身の力のみで、この反応を再現できるとは、思いもよらぬ僥倖であったと言えるでしょう!」
黒衣の男は苦々し気に舌打ちをした。
「ちッ! バケモンかよ、この状態の祭壇の力を、こんな方法で躱した奴は、初めてだ――」
再び聞いた、祭壇なる謎の言。それが、神と繋がるのは間違いないだろう。そして、血が鍵となる。それは出力の調整に使われるのか? それとも、切り替えるスイッチのような物だろうか? ごく僅かなネズミの血でも、それまでにない現象が起きた。捧げられた血の量が増えたなら、何が起きる……?
「ひとつ、試してみますかな」
あの口ぶりからして、ヒトの血が捧げられれば、大きな変化が起きるのだろう。だが、戦が始まる前の研究者の血は、床の紋様へは反映されていない。恐らく、舞台を整えるための何らかの条件があったのだ。
しかし――今の段階では、拭い去れない懸念が残る。
「それを確かめるためには、無益な殺生となるが……」
床に降り立ち、刃を砕き続ける力を纏い、右手に見える山の前に残ったネズミたちを横目で捉える。全て殺して、血を流させれば良かったはず。だが、実際に爆ぜたのは一匹のみ。ヒト以外の血では、不都合でもあるのか、想像の域を出ないが、隠された理由があるのだろう。
「その目、何か企みが――」
こちらの意図を読み取ったか、黒衣の男がネズミの群れに目を向けようと視線を移す。だが、それよりも速く山のそばに踏み込み、身体に纏ったエネルギーの奔流で、ネズミたちを薙ぎ払う。次々と弾け飛び、血をまき散らす中で、前方の床よりネズミの死体を押し上げる透明の波が起きる。
「――妨害が――」
全てが言語化されず、焦りを滲ませた呟きが漏れた。後には、間に合わなかったと続いたのだろうか? 祭壇と呼ばれた赤黒い床の紋様が追加の血を吸い、それが中央に流れ込んでいく。
「くそッ! 獣の血をこんなに捧げちまったら――」
輝きを強めた中央部の窪みが、何らかの力の強化を示唆するが、対称的に黒衣の男の焦りは増し始める。
「血の量が多すぎる――制御が」
その言葉は何を意味するのだろうか? 暗澹たる死臭ただよう闇の中で、何かが起きようとしていた――。
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