赤黒き慧眼
背筋を這いまわるような不快な感触に包まれたまま周囲の気配を探ると、ヒトらしき何者かの動きを察知した。山となり、積み上げられているのは明らかにヒトの死体だろう。その頂上で目を開き、見開いたまま絶命した者を装い、相手を観察する。
「毎日の検体のチェックにやって来てみれば……一体どうなってる? こんなに大量に運ばれて来るなんて……。今まで一度もなかっただろ!?」
眼下のくたびれた身なりの男は、死体の山を見て、混乱をきたしている。
どういう事だろうか? 彼らには、これが日常という訳ではないのか。いや、ここが何らかの人工の施設と仮定しても、床からの距離を見て、この山の高さは異常だ。旧都が危険な場所で、日々、人々の命が失われているとしても、秩序が全くない訳ではないだろう。それは、これまでに見て来たモノからも明らかだ。だが、この場の様相はどうだ。まるで流行り病か、戦の犠牲者を集めたかの如く、死臭に溢れている。
それに加えて男の反応から見て、毎日、運ばれた数を調べ、利用する算段をつけている。考えたくはないが、今宵のこの有様、それ自体が何らかの不確定要素で生み出された不測の事態であり、誰もあずかり知らぬ所で、何かが起きているのかもしれない証左となる。
この施設が魔人信奉者の旧都での本拠だとしても、組織ないぶのヒトすら予想できない何か、それが旧都を襲っているとしたら……。
男を観察する間にも、更に新たな死体が放り込まれ、落ちてくる。それに押されて私の身体も段差の激しい山を滑って行った。
「くそ! また降って来た! どうなってるんだ。こんな――こんな数が運ばれるなんて、聞いてない! 昨日までと全然ちがうじゃないか!?」
イレギュラーな要素に慄き、両肩を震わせながら、男は山の隅々まで視線を走らせる。
「それにしても、酷い匂いだ……。いや、待てよ……。おかしいじゃないか。今日、死んだはずなのに、何でもうこんなに腐敗が進んでる!?」
男は末端の構成員で、それ故に事情を知らぬだけなのか、それとも別の要因があるのか、思考を続けていたが、その発言は的を射ていた。腐敗の進行度が異様だ。既に死んでいて、打ち捨てられていた者を旧都中からかき集めた? いや、それでも辻褄が合わない。奇妙な死者たちは、皆、同程度の進行度で、全く同じ時刻に絶命したかのようだ。他殺であるとしても、複数の箇所に点在する人々を、どうやって同時に殺す? そんな事が、ヒトに出来るとは思えない。
「明らかに異常だが、仕事はやらなければ……。くそ! 気が狂いそうな匂いだ。一刻も早くここから離れたい!」
男は悪態をつきながらも、山を調べ始めた。両手にはめられた白い手袋が、薄暗がりの中で浮かび上がり、揺らめく。
「ああ! くそッ! 床にクッション敷いてるのに、異常な量が降ってきたせいで、下の方は潰れてやがる……!」
男は山の下部を探りながら「こんな状態じゃ、実験には使えない……」と呟いた。
実験……? 死体を用いて……? あの聖院が、生者を対象にしていたのとは違い、ここは死者を使うのか……? それで何を得ようとしている?
「ん……? 妙だな。この死体、服はボロボロだが、他の傷ひとつない……? 何が――」
男が中部の調査に移った時、観察を続けていた私と目が合い、こちらの不自然さに気付き、手を伸ばした――。
「むぐッ!?」
その瞬間に、素早く男の口を掴み、発声を妨害する。
「んんん。んんん――!?」
男が発声のままならない状態で、何事かを喚いている様子だが、それには構わず掴んだまま身体を起こし、山を降りた。先ほどの発言通り、床には緩衝材が含まれているのか、柔らかな弾力を感じた。
「大人しく聞きなさい。この施設の役割と、貴方の所属する組織について、知る限りの情報を話しなさい。さもなくば――」
鼻は塞いではいないが、荒い息が漏れ、男は苦痛に呻き、私の手首を両手で力なく掴む。
「どうしますかな? 答える気があるのならば、掴んだ手を離して意思表示を」
締め上げられ、顎の骨が軋む感触が伝わるが、男はその苦痛にしばらく耐えていた。
ただの研究者らしき風貌だが、中々に強情だ。
「んん――」
やがて、諦めたのか、手首から両手が離れ、糸が切れたように力なく垂れ下がる。
「解放しますが、おかしな気は起こさないように、その瞬間、貴方の魂は肉体を永遠に離れ、冥府へと旅立つ事になる」
「んん! んん――」
返答らしき呻きがあった所で、掴んでいた力を緩め、男を解放する。
「がは――!」
男は痛みに疼く両顎を手袋越しの指で確かめ、自身のその行動の誤ちに気付いたのか、小さく悪態をついた。
「くそ! 死体を探った手で顔を触っちまった!」
こちらの言葉を思い出したのか、ゆっくりと顔を上げた男の顎は歪み、黒い血の跡が残る。
「何なんだ! アンタ!」
「そんな質問を誰が許しましたか? 速やかに情報の提供を」
声を普段より一段ひくくし、凄んでみせると、目を泳がせながら話し始めた。
「こ、この施設は、『赤黒き慧眼』の魔都の実験所だよ――」
赤黒き慧眼……? それが、旧都の魔人信奉者の組織名……? ヒトを踏みにじり、尊厳も命も脅かし、何を見据える慧眼を持つと言うのだ……!
まるで悪い冗談のような名称に、抑え込んでいた怒りが溢れだしそうになる。
「ひ! そ、そんな目で見ないでくれ! 知ってる事は全部はなす!」
男はこちらの怒りを感じ取ったのか、目を合わせるのを恐れ、逸らしながら続ける。
「この施設では、主に死体を使って、それを精霊と適合させる実験を進めてる――」
精霊……? 魔法の力を宿し、精霊素の励起によって顕現する彼らが、ヒトの死体とどう関わるのだ……?
「す、既に息絶えた者じゃ、普通なら精霊同化術も使えない……。だから――ここでは、死体に精霊を憑依させ、自由に操る技術を開発しようとしてる……。い、今までは、失敗つづきだったが、ごく最近、成功例が現れたらしい――」
成功……した? そんな常軌を逸した実験が、実を結んだと言うのか……!?
「それは、事実ですかな? だとするなら、その成功例とやらについて話してもらいましょうか」
男は泳ぐ目を揺らめかせながら、下を向いた。
「わ、分からないんだ……。俺は、確かに組織の一員だが、末端も末端! 毎日ここにどれだけの検体があるかを確認し、それの状態を記し、報告するのが役目なんだ! だから――職員どうしが集まる場所で噂話を聞いただけだ! 信じてくれ――」
男は俯きながら「腐敗が始まってる場合は、防腐処理も施すが」と呟いた。
この様子からして、嘘とは思えないが、それにしても、ある、それ、などと、ヒトを指す言葉ではない。意識的にそういった表現を用いる事で、罪悪感から逃れているのか。
「その、職員どうしが集まる場所とは?」
男は自らの衣服を掴み、はためかせた。
「地味な見た目だが、これは制服なんだ。このエリアに入るに当たって、別の区画の更衣室で着替え、皆この格好になる。……ここまで言えば分かるだろ? エリア外の更衣室に、休憩室、仮眠室、食堂。そこはアクセス権限の異なる職員たちが集う可能性のある場所だ。そこで、本来はエリア外では口外禁止なんだが、気がゆるんだら、その、ポロっと漏らしてしまう事があるだろ?」
ふむ。大体の概要が掴めて来ましたな。この施設の全貌が分かった訳ではないが、ここは恐らく死体の運搬、管理、何らかの処理の施し、そういった機能のみを集めた外郭のエリアなのだろう。そして、男の口ぶりから、より重要度の高い区画に入れる職員としてのランクがあり、それに合わせた権限が付与されねば入場不可となる。
ん……? しかし、その権限とやらはどうやって付与する?
「権限は何段階あるのですかな? そして、その付与の方法は?」
男はしばし逡巡し、片目を閉じて、こちらを見た。すると――。
「む。この瞳の変化は……」
男の左目が、組織名を表すように、赤黒く変じ、輝く。
「見ただろ? これを使う。血の魔法さ。こいつをそれぞれの生体情報と適合させて、門は一致するパターンを見つけて通行許可を出すのさ」
浮かんだ模様が気にかかり、思わず男の目を凝視する。それは手で遮られ、慌てた様子で言葉をついだ。
「ま、待った! 俺の眼球を取り出そうとか考えるなよ!? こ、この魔法の効果は、生きている者にしか効果がない! 勿論、無理やり抉ったって消失するから無駄だ!」
そんなつもりはなかったが、男は心の底からこちらを恐れているのか、危機感を覚え、僅かに声を震わせた。
男が落ち着くのを待ち、先の続きを促す。
「あ、ああ。権限が何段階あるか、だったな……。実は、俺には分からない」
こちらの怪訝な表情を読み取り、また声が震えた。
「ほ、本当だ! 自分より上の権限を持った職員が誰かなんて、区別がつかないんだ! だから、この外郭エリアと共有区画いがいにどれだけのエリアがあるかも分からない! は、判断するには、共有区画で聞こえてくる内密の話を拾って確かめるくらいしか出来ないが、保安担当の職員が絶えず巡回してる。じろじろ見て怪しい動きをしてたら、権限も剥奪されるかもしれない――!」
男は何かを恐れるように暗い顔で俯く。
「そ、それだけじゃ済まない可能性すらある……」
ふむ。中々に厄介ですな。この入口いがいに施設に通じる場があるかなど、想像もつきませんが、ここが最も重要度の低いエリアとすると、中を探るにはもっと他の手が……。いえ、よく考えてみれば、ある可能性が浮かび上がる。
「ここの遺体……。彼らを実験に使うのでしょう? では、何処から他のエリアへ搬入するのです?」
男はそれに答えずらそうにし、不安からか胸の前で指を合わせた。微かにその先端が震える。
何だ……? 何かを恐れている……?
「そ、それは――あ、アガッ!?」
む! 何事だ!?
一瞬で、男の左胸が何かで貫かれ、それは前に揃えた左腕もぶち抜いてこちらへ迫る。
「ふん!」
鋭く伸びた先端を避け、すこし奥を右手で掴み取る。
「は――?」
部屋の入口と思しき明かりの漏れる場所より、困惑の声が漏れる。
「何だ、お前、どうやって止めた――」
「問答無用!」
謎の刃らしき物体は、まるで人骨のようだった。それを掴んだまま右後方へと払い、投げ放すが、絶命した男の身体が動いただけで、予想とは違う結果となる。吹き飛んだ男の遺体は、後ろの山に突っ込み、それを震わせ、崩落を起こす。たかっていた虫たちの羽音がひときわ大きく聞こえる。
「はは! 今の攻撃が、俺の身体と繋がってると思ったか!?」
「読みが甘えッ!」
背後の空気が動いた!?
新たに視界に現れた黒衣の男、その手から武器が伸びたと反射的に感じたが、それは誤りであった。背後の空気の動きを察知し、流れを読み、伸びて来た刃を躱すと、その鋭い先端が、脇腹の間近を通り抜ける。
「これは――やはり、人骨?」
目視もせずに回避した私を見て、黒衣の男は、声を荒げるが、心なしか焦りが読み取れた。
「ちッ! 見もせずに躱すかよ――!?」
更に後ろから、複数の刃が伸びる気配を感じるが、同時に三本につけられた狙いを身体をくねらせながら、全てを空気の流れの感知のみで躱す。
「おしゃべり野郎ごと、侵入者をやろうかと思ったが、至近距離の奇襲を躱しただけじゃねえ! 今のも――! ナニモンだ、お前」
股の下、逸らした腰骨の上、首筋の近く。その三点を同時に回避し、その刃を更によく見るため目を凝らす。異能で暗がりを見通して確かめたそれは、人骨状の物体の先端を鋭く削ったような形体だが、僅かに金属の質感を漂わせる。
「これは、まるで人骨のようだが、金属……?」
私を遠目から観察する黒衣の男は、激昂した様子で吠える。
「ちんたら確認なんてしてんじゃねえぞッ!? 舐め腐りやがって――」
相手の情報を多く得る程に、戦は優位に進む!
「挟みつぶしてやるッ――」
入口で明かりの下で揺らめいた、黒衣の男のこちらへ向けた指先から同時に四本の刃が迫りくる。そして、背後からもまた複数の気配。
ふむ。自らだけではなく、他者の骨まで操り、刃と変えるか。しかし、この質感から刃の材質は、骨そのものではないだろう。
「ふんッ――!」
あの風切りとの一戦で、無影の鎧を破った時、それまでに試した事のない戦術を即席で用いた。それをきっかけに閃いた新たな力の運用法を試み、床を両拳で同時に強打する。
「なッ――」
床を打ち、生じたエネルギーの奔流が空気中に弾け飛び、私を中心に周囲の刃を全てへし折り、払い除けた。
「床を殴っただけで、刃が――」
黒衣の男は、隠せぬ動揺を滲ませ、へし折れ、床へとばらまかれた刃の破片を見つめた――。
評価・ブックマーク・レビュー・感想などいただけると励みになります。