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ゲーマー

 外に駆け出してすぐに気付いたのは、明るさと暖かさ。そして足元を覆った絨毯の様な草地の柔らかな感触の気持ちよさだった。何度も踏みしめて確かめたくなる心地よさだ。


「まあ、今はあんまり堪能する暇もないけどな!」


 そう言って、後ろを振り返るとアイシャが玄関に現れた所だった。

 んん? 思ってたより速くないかな? これは――少し挑発してみるか。

 完全に反転し、バック走の要領で身体を動かしながら、声をかける。


「ははは、いくら見たって追いつかれなけりゃ、ぶたれる事もないぜ!」


 そうして『豊かな実り』をわざとらしく凝視する。

 だが、この行動は完全に裏目に出た。


「ふふぅん? 甘いんだからぁ。そんな事いってていいのかな?」


 いうやいなやアイシャは急激に加速し、一瞬で眼前まで迫って来るのだった。

 えええ!? 速すぎる!? 普通の人間の身体能力じゃねえ!?

 慌てて身を翻し、前方へと全力で駆け出すが、まったく距離は開いておらず、余裕で並走される。『豊かな実り』は猛烈に揺れているが、見ている場合ではない。

 くそぉ! てか、そんな重そうなのぶら下げてそんなに速いとか反則だろ!?


「どうしたのかなぁ? お姉さん、まだまだぜんぜん本気なんて出してないんだけどなぁ?」


 挑発的なセリフを投げかけられるが、こちらにはそれに対応する余裕もない。


「くそぉ! こんな事で、そんな力を出して来るとかずるいぞ!」


 俺はもう限界だってのに!


「さっきの余裕はどうしたのかな? いくら見たって追いつかれなければ、いいんでしょ? それにカイトも男の子なら、ずるい、じゃなくていつか私より速くなってやるっ! って思わなきゃダメだよ?」


 どこか優しい調子の声で諭される。

 もう怒ってないのか!? いや、油断させる作戦に違いない! 今とまったらまた顔面がへこむくらい叩かれるに決まってるぞ!?


 そうこうしているうちに深い草地へと入り込んでいた。徐々に周囲の草の丈が高くなり、腰あたりまで覆われ、足元が見えなくなる。バッタらしき虫が草地から次々と飛び出して、逃げていく姿が見えた。

 ただでさえ走力で負けてるのに、この足場じゃ、まともに走れないぞ。そう考えていたら、突然ふかい草地は切れ、小さな広場に出た。


「うげっ!? 何だ今の感触!?」


 何か柔らかい物につまずき、前のめりに転んでしまう。咄嗟に両手を突いて地面との激突は避けたが、つまずいた何かをまたぐ形で倒れたために、右膝を強く打ち付けてしまった。不味いな。止まれば待っている未来は決まり切っている。

 つまずいた時に、何かの鳴き声の様なものが聞こえた気がしたが、構っていられない。


 何とか逃げようと試みるが、膝が痛み、すぐには立ち上がれそうになかった。


「いてて、這ってでも逃げないと!」


 すぐ後ろで声が響く。


「みんなぁ! その人を捕まえて!」


 確認しなくてもアイシャの声だこれ!? みんなって誰だよ!?

 腕に力を込めて身体を反転させたが、何か妙な生き物に囲まれているのに気付き絶句する。

 んなぁ!? 何だこいつら!?


 それは、十センチくらいの大きさのネズミの様な生き物だった。こちらを威嚇する様に開かれた口には鋭い前歯が見えた。


「へ? 齧歯類!? てか、それで噛むつもりか!? や、止めてくれぇぇぇ!」


 懇願する様に叫ぶが、身体の至る所に容赦なく歯が突き立てられるのだった。


「うぎゃあ!? ……あ、あれ? あんまり痛くない?」


 確認してみたが、血も出ている様子はなかった。甘噛みだったのか……?


「ふふぅん。止まっちゃったねぇ? カイトォ? 情けない声あげちゃってぇ」


 うおおお! やべぇ! 痛くなくても止められた時点でゲームオーバー寸前じゃねえか!?

 ネズミの一匹がアイシャの足元にすり寄り、抱き上げられた。


「ふふっ。良くやってくれたね。ご褒美にぎゅっとしてあげちゃう!」


 そう言ってアイシャはネズミを抱きしめる。


「ふふふっ。モフモフの毛並みが気持ちいいっ!」


 うああああ!? ゆ、『豊かな実り』に顔を埋めてぇぇぇ!? お、俺の夢が、希望がぁぁぁ――! あんのネズミ野郎!

 両目からは本日さいだい規模の血涙が溢れだしていただろう。


 アイシャは楽しそうに笑いながらこちらを見た。


「ふふぅん? 羨ましいのかな? 素直でよろしい、でもぉ。カイトには絶対! こんな事してあげないからねぇ! そこで指をくわえて見てなさいな!」


 アイシャは勝ち誇った様に笑った。そしてすぐに真顔になる。いや、まだ目は不気味に笑っている。


「それじゃあ。さっきからカウントしてた分とぉ。今の分をサクサクっといっちゃおうかなぁ?」


 わざとらしく間を持たせて、にじり寄って来る。

 くそぉ! 万事休すか!? せ、せめてもの抵抗だ! ぶたれる瞬間の『豊かな実り』の動きを脳のメモリーに克明に記録してやるぜ!


 アイシャは俺の側に立ち、屈み込んだと思ったら、右手が光速でブレ、俺の頬は往復ビンタの餌食になるのだった。は、速い!? 痛いぃぃぃ!? だがぁ、見えたぜ。光速で動く腕に沿う艶めかしい痴態のすべてをなぁ! 俺のぉぉ目は、とらえたぁ!

 たわむ頬の肉に瞼も押されて視界を邪魔されたが、執念が勝利を得たのだ。


「ふふぅん。ほんっとに懲りないんだからぁ。これ、今みてた分ね」


 一際はげしい一撃が加えられ、頬は痛みに震えていた。


 やべぇ。彼女はとことん本気だ……。まったく手を抜く気配もない。ま、まじで死ぬかも!? 先ほどから左頬は、他の感覚がなくなるくらいの熱感に支配されていた。この短期間に何発ぶたれたんだ!?


 くくく、だが今きづいたぜ……。ここで寝ていれば、何度もぶたれるが、そのたびに絶景を拝めるって事になあ!

 耐え抜けば俺の勝ちなのだ!


 だがアイシャは急速に興味が失せたかの様に、振り返り離れていく……。

 何故だ!? まさかこちらの意図を読まれて!?


「ふふぅん。そんな所にいつまでも転がってる人あいてじゃ面白くないもの。じゃあねっ! ずっとそうしてるといいよっ! みんなもまたね!」


 アイシャは最後に動物たちに挨拶すると、振り返りもせずに去っていった。


 ここに日付けが変わるまで寝ていれば、このまま穏便に終わらせられる……? まあ、この世界での一日の切り替わる時がいつかなんて分からないんだけど。ここに隠れていれば安全なのは間違いなかった。でも、本当にそれでいいのか?


 心の中には激しい葛藤が渦巻いていた。


 痛いのは嫌だ。それは確か、というか、当然だ。だが、だが――! 俺は男である以前に一人のゲーマーなんだ! 挑まれた勝負から顔を背けて逃げだしてもいいのか!? 俺が、人生をかけて積み上げて来たモノは、そんなに軽いモノだったのかよ!?


「は、ははは! そんなわけ、そんなわけねえよなあ!?」


 世界が違ったって変わる訳はない! 男だとか! 人間だとか! 関係ねえ! これは――。


「ゲーマーとしての俺の戦いだ!」


 勇んで立ち上がるが、打ち付けた右膝は悲鳴を上げていた。

 くそ! 結構いたいな。でも、走れない程じゃない!


 草地の中にアイシャの背中を見つけ、そこで閃いた。

 そうだ! 背後から動けない様に腕を押さえれば、直接『豊かな実り』を見る事もないし、ぶたれる事もないぞ! しばらくその状態を続けていれば彼女も諦めてくれるかも知れないしな。

 うん。まあ、腕をどけると背中側からも「見える」場合もあるんだけど、服きてるし、大丈夫かな? ……そうか。後ろに目はないんだし、例え見えても気付かれないぞ!


 頭の中でなぞっていると妙案に思えてくる。


 問題はどうやって実行するかだが……。まだ距離はそれほど開いていないが、この草地に踏み込めば、音がなってすぐに気付かれるだろう。痛む膝を押して突っ込むのだから速度が先ほどより落ちる可能性もある。

 気付かれずに背後に接近するのは不可能だとしても、何とか一瞬だけでも隙が作れたら――。


 その時、足元でのんきに草を食んでいるネズミが目に入った。群れていた中の一匹に狙いをつける。


 ほほう? こいつはさっきアイシャに抱かれてた奴じゃねえか? くくく、俺からもこいつに『ご褒美』をやらねえとなあ……。

 この世界にも動物愛護団体があったら目を付けられるかもな? まあ、見られていればの話だがなあ!? くくく。


 狙いをつけた一匹を背後から捕まえ、持ち上げる。だが、小さな悲鳴を上げて怯える姿を見ていると、少しずつ哀れになって来た……。

 ううむ。憎っくき『恋敵』とは言え、こんな無抵抗な動物を使うのは気が引けてくるな……。


「ちっ。見逃してやるよ」


 ネズミを地面に戻した時に、辺りに落ちていた石が目に入る。

 んん? よく考えると、投げるんなら石でいいじゃねえか。こっちの方が軽くて扱いやすいし、投げたって誰も傷つかない。


 手早く石を二つほど拾い上げた。

 大分じかんを無駄にしてしまったな。目をやればアイシャの背中は先ほどより遠くなっている。もう行動に移さないといけない。


 ええと、一個目は放物線を描く様に、出来るだけアイシャと俺から離れた位置に投げる、ああ、でもアイシャの位置より手前じゃないとダメだな。二個目は一個目の少し手前を狙って、斜めに草地に投げ入れて、途中から草に掠めてわざと音を立てる。

 一個目が落ちてから二個目を投げればいいのか? 投げるタイミングはいつがいいんだ? そもそも狙った場所に上手く飛ぶのか? ……いや、考えてる時間もないな。


 とにかくやってみるぞ!


 一個目の石を下から掬い上げる様に、草地に投げる。わずかな間の後に、石は草地に分け入り小さな音を立てた。落ちた場所を見失わない様に、位置を目に焼き付ける。


 アイシャはその音に反応して、そちらを向いた――!


 注意を引いてるな! 今だ――!


 ありったけの力で前へと飛び上がり、空中で身体を畳んで草への接触をわずかにでも伸ばす。

 そしてそのままの勢いで二個目の石を草地へと斜めに投げ入れる。


 上手く気を引いてくれよ――!


 二個目が音を立て始めたのとほぼ同時に着地したが、その衝撃で右膝が痛みに震えた! いって! この膝の状態じゃ無理があったか!? でも、止まれねえ! 行くぞ!

 石の飛んだ方向に注意を向けていたアイシャの側面を避け、背後へと回り込み、飛びかかる――!


 あれ?


 だが、彼女の背面を狙ったはずの両腕は空を切り、虚しく音を立てた。アイシャの居たはずの場所には、震える草だけが残されていた。


 消えた――!?


 右側面の離れた場所から微かに草が揺れる音が聞こえた。

 その音は風を切る様な響きに変わり、こちらへ迫って来る。


 まさか!? 一瞬で回り込まれたのか――!?


 バランスを崩した身体で、かろうじて首だけを動かし、そちらを見る。

 そこには金色の残像を映す何かがあった。


「ふふぅん。惜しかったねぇ! でも、もっと『速く』ないと成立しない作戦だったかな?」


 目にも止まらない速さの何かから話しかけられる、その声は溌剌とし、喜びに満ちている様だ。

 動体視力が一瞬だけとらえたアイシャの顔は、声を裏付ける様に、とても楽しそうに笑っていた。


 その姿に目を奪われる。


 ああ――、本当に美しいな――。


 アイシャは俺の目の前でブレーキをかけ、その勢いで周りにあった草が何本も弾ける様に宙を舞い、遅れて起きた風で飛ばされていく。片膝をつき、呆然とそれを見つめる事しか出来なかった。


「はいっ! それじゃ見せてあげるねっ!」


 そう言うと、アイシャは『豊かな実り』を両手で持ち上げて見せつけて来た!?

 そして向き直る暇もなく、彼女の右手が閃き、左頬を抉りこむ様に、強烈に張られるのだった。


「うぶぅ!?」


 今までの平手打ちとは質のまったく異なる力で、身体ごと回転しながら後方に吹き飛び、草地に軌跡を描く。


「ああ!? ゴ、ゴメンね? 気分が乗ってきてたから、『ちょっとだけ』力を入れすぎちゃった。えへへ」


 んなあ!? いってぇぇぇ!? なんて力だよ!? 今度こそほんとに首がもげるかと思ったぞ!? こ、殺す気かあ!?


 ぶたれた左頬に手を伸ばし、もがく。

 強烈な力で張られた左頬は腫れて、顎の動きが悪くなっていた。

 関節にダメージを受けたのか!? 顎を動かそうとするだけで激痛が走る――!

 首筋にも痛みがある様だが、動かせない程ではない。


「でもぉ、勝敗ははっきりさせておかないと。カイトだって楽しくないでしょ?」


 そう言うとアイシャは目を細めて笑った。


「さ、起きて? 続きをしよっか?」


 くそぉ! 脳筋エルフ! くそぉ! 負けねぇ! 次は勝つ!


 痛みに打ち震えながらも、闘志は萎える所か反対に激しい炎の様に燃え上がってきた。

 そんな状態に自分でも驚きを隠せない。

 喧嘩なんてした事ないんだけどな……。だが、これがゲームなら間違いねぇ。


 これが――ゲーマーの性ってやつか。


 身体を起こすと、すぐさまアイシャが近寄って来る。

 くそぉ! もう最初から見た事にして叩く気だな!? だがなあ、いくら速かろうと、そう何度も同じ手は喰わないぞ――!


 アイシャは右手を振りかぶる――。何とかして攻撃を止めるんだ! 左手で防ぐのか!? いや、掴む――!


 思考を終える暇もなく、今度は逆の右頬を張られていた。あまりの勢いに身体が反転し、草地に渦を描く。


 くそぉ! 今のフェイントかあ!? てか、今の一撃――、身体はほとんど動いてないって事は、左腕の力だけでぶん回されたのか!?


「ふふぅん。右手ばっかり注意してちゃダメだよ? お姉さん、左手は使わないとは言ってないんだからね?」


 どうすんだこれ!? ただでさえ速くて反応が間に合わないのに、両側から攻められたら予測すら出来ねえ!? くっそぉ! だがこんな事で諦めねえぞ!


 アイシャから距離を取り、深い草地の出口へと駆け出す。


 この草地は足場としては、あまり良くない。草が脚に絡みついて動きが阻害されるからだ。だが、それは彼女にとっても同じはずだ! だったら!


「また追いかけっこかな? 私の方が速いって思い知らせてあげるよ!」


 草地が切れて、一歩ふみだした所で振り返り、アイシャを迎え撃つ。

 この境目で戦えば、彼女にだけ不利な条件を押し付けられるはずだ! それにもし回り込まれても一度だけチャンスがある――!


「ふぅん? 読めちゃったかも? まだまだ甘いよっ!」


 アイシャは俺の考えを読んだのか。草地にはとどまらず、後ろに回り込もうとしている様だ。


 速い!? 身体の動きが目で追えねえ! だが――!


 アイシャの姿は目の前から一瞬で消えた。左右の視界にも残っていない、後ろへ回り込んだのは間違いなかった。だが、左右どちら側に位置するかで結果が変わってくる。それを知る方法がひとつだけあった――!

 両目を見開き、眼前を見やる。残された草たちはその軌跡を描き、彼女がどちらに動いたかを教えてくれるのだった。


 右だ――!


 右側へ身体を軸ごと回転させるが、おおよそ九十度あたりで止まる。彼女の姿はまだ見えていないが、ここで止まる事が勝利へつながるという確信があった。


 勘とも言うけどな――!


 二択でも相手の動きが見えない以上は、予測なんて出来ない。しかし、この角度なら俺の右頬は叩けても、左に手を伸ばすのは、一動作では無理がある――! つまり左手の一撃が来る――!


 見えない一撃に向かって右手を伸ばし――!


 彼女の左手をとらえた!


 この感触! は、ははは。やったぞ! ついに掴んだ! 後は、右手も捕まえられれば――!


「すごい! すごい! ふふふっ! ついに捕まえられちゃったよ! でもぉ、女の子はもっとしっかり捕まえなきゃ、すぐ逃げられちゃうよ?」


 動きの止まったアイシャは心底うれしそうに笑っていたが、このまま勝たせてくれる気もなさそうだった。


 しまった!? 握りが甘すぎたか!?


 善戦も虚しく、少し力を込めて引かれただけで、アイシャの左手に逃げられてしまう。


「ふふっ! まだ続ける勇気は残ってるかな!?」


 また来るのか!? そうだ! 最初から左頬を腕でガードしとけば、空いてる右側しか狙えないんじゃ?

 すぐさま左腕を上げてガードを固めた。


「ふぅん? 両方ガードせずに片方だけ空けちゃうんだ? ほんとに面白いねカイトは」


 彼女は右手を振りかぶる――。


 またフェイントのつもりか!? だが、左で来ると分かっているなら!?


「でも、甘いよっ! ガードすれば攻撃できないって誰が決めたの!?」


 なんとそのまま右手で打ち込んで来て、固まっていた左腕を掴まれた! 抵抗も出来ずに無理やりガードを下げられる!


 しまった!? ガードを崩されるなんて予想してなかった!?


 そして右手を掴んだまま、今度は左に半歩ふみだし、左手の先端を右側に構え、甲で左頬へと打ち込んで来た――!


 今度こそ打つ手なしか――!?


 いや! この体勢は彼女にとっても無理があるはずだ。隙を突くならこれが最後のチャンスか!?


 相手の虚をつく行動。

 痛みに耐える覚悟。


 その二つが導き出す答えは――!?


 こうだ!


 左足を踏み出し、身体ぜんたいを使って、彼女の右腕を押し返す、そして――。

 左半身を限界まで突き出し、手の甲を左頬で受け止めた!


「え!?」


 アイシャの口から初めて驚愕の声音が漏れ出す。いってぇ! でも、ここが好機だあ! すかさず伸ばした右腕で彼女の左肘を掴み、動きを封じる。

 これは、やったか!?


「ほんとに驚いちゃったよ。勝つためなら痛いのも我慢しちゃうんだ? やっぱり男の子なんだね。……もう、負けてあげたいけど――、そうはいかないんだ!」


 アイシャはそう言うと、左腕に力を込めた。掴んでいる右腕ごと身体が振り回されそうになる!


 えええ!? 無茶苦茶だろそれえ!? ダメだ! また振りほどかれる!


 そうはさせるかあ――!


 両足を一気に宙に浮かせ、彼女の左腕に全体重をかけた――!

 彼女を引き込みながら、そのまま後ろに倒れ込む。

 気が付くと、アイシャは俺の上に重なり、お互いの視線が交錯し、震える吐息が混ざりあった。


「また……。倒されちゃったね? ……この体勢じゃいくら見られたって叩けないかも……」


 アイシャは吐息の様に、言葉を紡ぎ出した。


「私の……。負け、かな?」


 彼女はそう小さく呟いた。

 嬉しさを噛みしめながら勝利の雄叫びを上げる。


「や、やったぁぁぁ! 勝ったぞぉぉぉ――! って、痛て! 痛ててててっ!」


 顎を痛めてたの忘れてたぁぁぁ!?


 激痛で正気に戻った俺は、自分の状態を再認識して青くなる。

 右手の指がぁぁぁ!? 『豊かな実り』に食い込んでるぅぅぅ!?

 腫れている頬に髪の毛が垂れてきて、くすぐったい!? いや、痛い!? 状況と同じ様に、感覚も混乱していた。

 やべえ!? 怒らせた時よりもまずい状態じゃね? これぇぇぇ!?


「うわあ!? ご、ごめん、すぐ離れるから、どいてくれないか!?」


 アイシャは優しい調子で答えた。


「いいよ? 今だけは……。私に勝ったんだし。カイトがあんまり面白い事するものだから。ついつい本気になりそうだったしね?」


 そして楽しそうに笑う。


「でもぉ。次があったら負けないからねっ!」


 ああ、何か幸せ過ぎて死にそう……。いや、ずっとこうしてたら魂ぬけ出てまじで死ぬ――。

 でも、ひとつだけ訂正しておかないとな。


「さっき、君は俺が男だからって言ってたけど――、違うぜ? 男である以前に俺はゲーマーなんだ」


 アイシャは言葉の意味を理解できていない様だった。表情には疑問符が渦巻いている。


「げーまーって……。なぁに? カイトの職業なの?」


 一呼吸おいてこう答えた。


 それは――俺の人生の在り方そのものの名さ――。


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