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まことのみあれ

デトマソ編、最終盤に入ります。もう少しお付き合いくださると嬉しいです。

 女性はしばし俯いていたが、顔を上げこちらの位置を声から探ったのか、顔のあたりの気配を追っているようだ。


「よくお気づきになられましたね……。確かに私には生まれた時から視力がありません」


 女性の過酷な運命に一時、思いをはせたが、それよりも気にかかる事柄を尋ねる。


「ここは、どうやら遥かな昔、この場が首都であった頃の名残の様ですな。こんな所で、夜中に一人で何を?」


 女性は少し明るい表情に変わり、周囲の気配を探るように首を振る。


「ええ。そうだと聞いています。……私にとっては、整然と引かれたこの広場へ続く道は、通りやすくて便利なのですが」


 そういえば、先のごろつきたちは何だったのか? 黙して答えを待つ。


「ある神の声に導かれ、この木を守る様にと、仰せつかったのです」


 そう言って左手に聳える巨木を見上げた。


「神……ですかな? それは、啓示、あるいは神託の類」


「ええ! そうです! ……不思議な方ですね。この話を聞いた人たちは、すぐに疑いの声音に変わり、私を虚言癖と罵りました」


 全てを言い終える前に、興奮した様子で言葉が重なり、遮られた。


「それと、あの男たちは、何の関係が?」


 その問いに、女性は再び不安そうに俯く。


「あの人たちは、この木を伐採しようと画策する商会の手の者らしいです。確認した訳ではありませんが、自らそう名乗っていました」


 ふむ。これほど巨大な木を安易に伐採しようとは、何らかの開発計画でも持ち上がったか。


「そして、私は毎日この場に立ち、神に祈りを捧げ、同時に身を挺して守っているのです」


 毎日……。帝国の厳しい冬も、暑熱の滾る真夏も、ここに居続けたと……?


「失礼。不躾な質問かもしれませんが、何故そこまでするのですかな? その、神は、貴女に一体なにを――」


 女性の表情は変わり、何処か恍惚とした雰囲気となる。


「その神――ウドーラ・クトークさまは、確かにこうおっしゃいました」


 ウドーラ・クトーク……? 初めて耳にする名だ。少なくとも現在の神学に、そのような神の名はない。或いは、もはやヒトには忘れられて久しい存在か……。


「ウドーラ・クトークさまは、私の夢に現れ、自らを草木の神と名乗られました。そして、この帝国の危機をお示しになられたのです」


 草木の神? 確か、全ての存在にそれに対応する神がいるのならば、現在の歴史に、草や樹木の宗主、つまりは植物の神の不在に疑問を呈し、探求にあたる教団があったはずだ。彼らによれば、現在、ヒトの中に痕跡すら残らぬその神の存在を明かすには、草木と対話する魔法の開発が急がれると、だが、それぞれの属性の魔法の根源は、即ち神々の力であるが故。草木に干渉する魔法も、その例に漏れず、後先が逆になってしまうとの見解が発表されていた。思惑むなしく、その手段は、今もなお未完のままであると。


 勿論、その他の神学の研究者たちの間でも幾度も議題に上がってはいるが、歴史上に痕跡すらない神を事象の空白から導き出し、探し出そうとは、判じ物で遊戯に興じるかのようであり、例え実在すると仮定しても、不敬に当たるのではないかと、否定的な論調も色濃い。


 我々の求むる所は、学問ではあるが、同時に信仰と祈りの要諦でもある。それに浮ついた気色で、遺跡を漁る盗掘者の如き態度で望もうとは、不届き千万と。そう猛々しく吠えた学者らしからぬ男の険のある顔が、脳裏に浮かんでいた。


 その名すら知られぬ空白の存在が、ヒトであるこの女性に啓示を与えたと? にわかには信じがたい。


「その、帝国の危機とは……?」


「大地震です」


 間髪を容れず只ならぬ単語が返る。


「地震、ですかな?」


 女性は無言で深く頷いた。


「それは、穏やかではありませんな」


 女性は使命感を顔に滲ませ、熱っぽく語りだす。


「具体的な時期は不明なのですが、数年後、早くて一年たらずで、この旧都を、そして北にある新都をも呑み込む大災害が生じ、それは地殻の変動による大地震であると!」


 ふむ。どう答えて良いものか……。

 女性は左手の巨木を大袈裟に仰いだ。


「その災害を防げるかもしれないのです! 私には見えませんが、この木は大層りっぱに、天を衝くように伸びているのでしょう? 朝の明るい光の中、この場に立つと、大きな影に覆われ、その存在の神々しさを感じるのです!」


 何度もその動作を繰り返した経験があるのか、女性はつまずく様子も見せず、近づき、木の幹に手をつけた。


「大いなる生命の鼓動を感じます……。こうしていると、まるで母に抱かれているかのよう。……こんなにも神性に溢れた木を切ってしまうだなんて、ヒトとは何と愚かなのでしょう」


 女性は、啓示を純粋に信じ切っている様子で、どこか、陶酔を感じさせる。


「ウドーラ・クトークさまは、災害は神罰であると、しかし、この木を来る日まで守り、祈りを捧げ続けたなら、お許しくださると――。そう、確かにおっしゃったのです。ですから、私が身を挺しこの場に立つのは、帝国の未来のためなのですよ」


 言葉が止まり、長くゆっくりと息が吐き出された。


「あ、申し訳ありません。貴方に助けて頂いたのに、長々と一人で話してしまい、何もお礼をしていませんでした」


 我に返ったのか、女性は沈黙を守った私の気配を失い、探るように周囲を見回した。

 ふむ。この話、真の神秘であるのか、何かの錯覚か、判断がつきませんな。そうである以上は、今、私に出来る事はないかもしれません。残してきたミラの事も気がかりです。出来るだけ早急に目的を果たさねば。


「こちらです」


 声をかけ、自分の居場所を知らせる。それに反応した女性が明るい顔で応じる。


「こう言うと、まるで謝礼が目的で助けたように思われるかもしれませんが、出来れば食料を分けて頂きたいのです」


 その言葉を受け、女性は腰のポーチに手を伸ばし、中身を探り、何かを取り出した。


「これをどうぞ。近海で獲れた魚の干物です。日持ちしますから、品質には問題ないはずです」


 紐に通され幾つかの切り身がつながった、日干ししたと思しき乾物を受け取り、短く別れの言葉を交わす。そして、巨木の脇を回り込み、向こう側の道へ真っすぐ進む。


「ふむ。最初に旧都に入ってから、ほぼ方角を違えず南に進んで来たはず。広大な土地ではありますが、そろそろ南端に達する頃か……」


 両側に広がる家屋の並びに目をやりながら、干物を頬張り、咀嚼する。


「ふむ。歯ごたえがあって、良い味ですな。これだけ栄養を摂取すれば、目下の危機は脱したはず――」


 その時、ほぼ人気のない通りで、背後から足音が響いた。


 おや、誰か、つけて来たようですな。しかし、これ見よがしに足音を響かせるとは……。旧都に入った時と同じ、素人でしょうか?


 だが、その足音の不自然さが、聞き流すうちに明らかになり始める。


 これは――まるでひとつに聞こえるが、音の出所が複数ある。総数は三。それを気取られぬためか、完全に歩調を合わせ、恐らくは――背格好や体重。その装備に至るまで、全く同じ音を発するように調整されている。そのうえで踏み込むタイミングまで同調させ、人数を隠しているのだ。


「ほう。これは――」


 監視の目は、まだあったということか。聖院の地下より脱した時、見失ったと思い込んでいたが、相手には、私の警戒範囲を越えた距離を見通す者がいるようだ。

 にわかに拍動が早まり、徐々に、踊りだす。


 首筋に突き付けられる殺気。音を揃えて数を隠す割りには、これを隠蔽せず、全開にしている。そこからどのような意図が読み取れる?

 尾行を巻く事もなく、しばらく道なりに進むと、真っすぐに伸びた先が二股に分かれ、一方は暗く細い路地へと通じていた。気取られぬように、ごく自然な足取りで、路地へと踏み入る。


 何者かの吐瀉物らしき据えた匂い。酒瓶が割れでもしたか、甘ったるく鼻孔を突く果実の匂い。そして、また血や病の匂い。暗い路地をしばらく進むと、背後のみっつの気配は歩幅を広げたのか、その歩調の重なりが、ごく僅かにズレた。


 ここを機と見て動き出したか。しかし、焦りか高揚か。いずれにせよ、それが歩調を狂わせた。風切りほどの大物とは思えない。末端の構成員では、捕らえた所で、大した情報は聞き出せないだろう。


「ここはひとつ」


 ごく小さな呟き。それを残し、相手の出方を探り、気配に集中する。


 そうか、刺さるように突き付けられる殺気は、気配を隠すための森という事か。恐らくこちらが自分たちの数を把握しているとは思っていない。

 それにしても、不出来な森だ。それでは木を隠すにも丸見えで何の役にも立たない。

 数を隠したがる理由は、奇襲時の戦術に関わる可能性が高い、このまま待てば、何が起きるか。


 しばし歩みを止め、立ち尽くす、その時、再び歩調がズレ、僅かに外れた音が鼓膜を揺らす。


 来る――!


 首筋へと向けて打ち込まれる何かの気配を感じつつ、力を取り戻しつつあった異能で防御する。それが同時に三方向から繰り出されるが、一様に首の急所を狙っていた。


「フッ――」


 衝突の瞬間、相手の短い息が聞こえ、衝撃が背後から襲う。それに合わせ、音の波を調整し、首筋に当たる殴打の感覚に合わせた打撃音を作り出し、そのまま背中を反り、ゆっくりと前のめりに倒れ込んでいき、接地の威力を殺して地面に伏す。後ろからは油断しきった声が響く。

 相手の傷の状態を確かめる事もせず、駄弁に興じるとは、刺客としてはいささか覚悟が足りぬようだ。


「は! 仮面野郎をやったって聞いてたが、大した事ねえな」

「やっぱあいつ、見せかけだけだったか。容易くて笑っちまう」

「おい、とっとと運ぶぞ」


 仮面野郎とは、風切りの事か。あの男の組織内での評判が透けて見えるが、実力のかけ離れた相手を見極める程の腕はないらしい。

 そのまま気絶したフリをし、男たちに引きずられていく。整地もされていない地面はあちこちが凹凸だらけで、それに引っ掛かり、何度も跳ね、窪みに嵌まり抜け出し、繰り返される動作を力任せに続行する。


 やれやれ。ここまで手荒に扱えば、昏倒していたとしても、痛みで目を覚ますか、もしくは引きずられた傷で命を失うか。何かしらの問題が発生するだろう。……いや、捕らえた者の生死について、明確な規定などないのかもしれない。それだけ大雑把に人命を扱うか。組織の倫理基準の地を這うような低さが露呈していく中、鼻が微かな腐臭を捉えた。


 この匂い――ヒトの、腐敗臭。考えている間にも、徐々に近くなっていく。


 そして、凸凹の道を車輪が横切る不快な音が響き、男たちは何者かと言葉を交わす。


「載せろ」


 ひときわ低く、しかし、不気味なほど明瞭な野太い声が聞こえ、身体に手がかけられ、乱雑に持ち上げられ、悪臭の大元へと放り込まれた。


「さ。終わったし、持ち場へ戻ろうぜ」


 肉体への衝撃は異能で殺すまでもない小さなモノだった。その原因は、恐らく――。

 そして、周囲には悪臭だけではなく、不快な虫と思しき飛び回る羽音。何が載せられているのか、容易に想像できる。


「さあ、お前たち、地獄へ、道案内。俺の、役目――」


 地獄? それは、何を表す?

 一度、寸時の力の停滞を感じ、車輪が回り始めたのか、軽微な振動と共に、何処かへ運ばれていく。時折、地面の凹凸を越えたのか、車体が音を立てて跳ねる。


 私を含む荷を運ぶのは、恐らくは手車か。しかし、感じる力の流れ、地面から受ける振動、かなり巨大な物に違いない。先頭で引く男いがいに気配は感じない。だが、先ほど頭を過った長距離からの監視の事を思うと、目を開けるのは得策ではないだろう。


 そうして、腐臭に包まれながら、大人しく運ばれていると、男が妙な詩を口ずさみ始めた。まるで鼻歌のように――。


「不死の王産声上げし時――」


「その骸より鮮血川となり」


「天満つる腐れし結び地を打ち」


「涓塵三界蓋う波濤とならん」


 何だ? この文面は……? 不死の王……?


「その血を受けよ――」


「其は常世の木漏れ日」


「まことの慶福齎せり」


「遍く身命寿ぐ光なり」


「その血を崇めたまえ――」


 その血? 先ほども表れたフレーズだ、一体なにを意味している……?


「受け入れよ――さすればまなこの曇り晴れ」


「現世の境塵となり」


「めしいた世に光条降らん」


「其は瑕疵なき現」


「まことの御生なり」


 そこで詩は終わり、無言のまま手車は引かれていく。しばらくして、それまでとは比較にならない程に大きく車体が跳ね上がり、周りに載せられたモノがズレて、その一部が胸に乗ったのを感じた。

 大きな段差を乗り越えたのか、車体は角度が変わり、傾斜を滑り降りていく。僅かな時間で底へ達したのか、強烈な衝撃と振動を経て、再び平らな地面についた様だ。


 男は、車体を突き放し、傾斜を滑らせたのか、後ろから重く鈍い足音が鳴り、徐々に迫りくる。


「着いた、ここが、お前たちの、楽園だ」


 胸に乗っていた何かが乱暴に払われ、胴体を両側から挟みこむように強烈な力で持ち上げられ、そのまま車体の外へと放り投げられた。予想と違い、そこは地面ではなく、暗く深い穴の底へと落下していく、一度、薄れた腐敗臭がにわかに強くなり、闇の中でその匂いに包まれ、不快な弾力を感じる場所へ叩きつけられた――。

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