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生命反転現象

「久しぶりだね、デトマソ。あれから、何年たったんだっけ? キミは、随分と老けちゃったね。まるでお爺ちゃんだ」


 気が付けば、目の前にあの方がいた。もう、何年お会いしていなかったのか、そんな事は私にも分からない。


「ロゼさま……」


 彼女は、こちらに優し気とも憐みとも取れる、複雑な表情を送る。


「また、死んじゃったんだね。……二回目の」


 夜の闇は、何故か晴れやかな青空の様に澄み渡り、眩しくさえ思えた。


「そして、ボクたち側へまた近づいた……。出来ればキミには、ヒトのまま生を終えて欲しかった。ふふ、……それは、ただの我儘かな? きっかけを作ってしまったのはボクなのに」


 その鮮血よりも濃い、深紅の瞳が、こちらを見据える。


「キミは、また立ち上がろうとしてる。でも、今のままじゃ、同じことの繰り返しだよね」


 その言葉の意味が、腑に落ちない。何処か、引っ掛かりを感じつつも、いつの間にか、自分の事を語り始めていた。


「私は、貴女と別れてより、これまで、様々な場所へ赴き、この世の不正を討つため、戦い続けて来ました。そして、魔人信奉者と出会った。……彼らを滅ぼす事を、天命とさえ感じ、幾度となく争い、その力を削ぎ、世界のため、その平和へと貢献したつもりでした。……しかし、今おもえばあれは、同類に対する憎悪だったのかも知れません」


 握りしめた右手が、軋み、皮膚が裂け、血が滲みだす。


「私は――私の血が、恐ろしかったのです」


 出血した右の掌を開き、赤く染まった筋を見つめる。


「この血が、本当は、赤などではなく、この世のものとは思えぬ、おぞましい色を帯びているのではないか……。平穏の中に身を置けば、常にその疑念に襲われ、駆り立てられるように敵を狩り、自らの血で濡れた肉体を目にする度に、何処か、心の中では安堵していた。私の血は、『まだ』赤いと……」


 彼女が近づいて来て、私の右手を両手で包み込んだ。透き通った白く美しい指先、夜の闇の中でまるで輝いているように光を放つ。だが、体温らしきものはほとんど感じられない。


「キミの血は、綺麗だよ。決してバケモノのそれなんかじゃない。それに――温かい」


 視界が霞み、両目から涙が流れ出していた。


「今でも、キミのおじいさん、お父さんを、恨んでいるのかい?」


 その問いに、ゆっくりと首を振る。


「そんな感情は、とうの昔に枯れ果てました……。いえ、こんな答えは、卑怯ですね」


 自分でも気づかぬうちに、若き日の口調に戻っていた。


「祖父はともかく、父は――穏やかに生を終えました。あの人の人生を、今更、否定したいとも思いません。……確かに、母への愛を抑えられず、私を生んでしまった。それ自体は、ヒトの理からすれば、過ちなのかもしれません。けれど、呪われた血を抱えながら、誰よりもヒトらしく生きた。……そうですね、今では、その事実が誇らしい」


 握られた手に力が入るのを感じた。何かを伝えようとするように。


「それは、キミも一緒だよ。デトマソ」


 ゆっくりと包んだ手が離れる。


「でも、キミは、まだ生きなければならない。例えそれが、更なる苦しみを呼び込む事であっても」


 優し気な瞳は、全てを射貫くように力強く変じていた。


「さて、湿っぽいのはここまでにしよっか。単刀直入に言うよ。キミの異能。環境統制は最強クラスの力だよ。普通のヒトだったら見た瞬間に、尻尾を巻いて逃げ出すくらいにね。逃げないのは――キミの今の主くらいのバケモノたちだけだろうね」


 「クスッ」と笑いが漏れるが、冗談とも本気ともつかないその言葉には、答えを返さなかった。


「でも、残念な事に、まだ赤ちゃんなんだ」


 それに目を丸くし、抗議する。


「赤ちゃん、ですか!? それは心外ですね。貴女と別れてより、これまで、どれだけの研鑽を積んだか! 死にかけた回数も星のように多い!」


 美しい人差し指が伸び、そっと唇を塞がれた。


「んッ!?」


 思いがけない行動に、まるで若返ったかのように、顔が熱くなる。


「言いたいことは分かってるよ。でも、しばらく黙って聞いてて欲しいな」


 彼女は一度、目をつむり、大きく息を吸った。再び開かれた瞳は、やはり力強く、私を見据えているようでいて、その先の何か、いや、世界そのものを見つめている。そんな気がした。


「キミの環境統制は、まだ、自己と他者、外界との区別がついていないんだ。だから、混ざっちゃった。自己と他者の境界が曖昧だからね。でも、混ざってしまった事は、むしろ好都合だと思うよ」


 混ざった? 一体、何と?


「ただ赤ちゃんなだけなら良かったのさ。でも、暴走しちゃった。主の肉体を食い荒らし、全ての境界を取り払おうとしている。……親であるはずのキミを喰らい、融合しようとしてる。それは、親を求める自然な感情なのかもしれないね」


「ま、待ってください! 異能が、自ら考え、動いているとでもおっしゃるのですか!?」


「うん。そうだよ。自律的にね。でも、その途中でアレに邪魔されちゃった。……そう、キミの肉体の死によってね……」


 彼女が何を伝えたいのかが分からなかった。


「そこで、見つけちゃったんだ。キミの中に眠る、もうひとつの力を――」


 それは、まさか――。


「そして、キミの血の力と、赤ちゃんがひとつになっちゃった」


 彼女は伏し目になり、艶やかな唇のみが視界に入る。


「これ以上は、ボクからは言えないよ。でも、アレを滅ぼすには物質透過が必ずいるよ。それも、大地に潜れるような、反則的な反応がね」


 それは――。


「……物質透過には、明確な欠点があります。大地に潜るどころか、薄い壁をすり抜ける事すら不可能です」


「今までのキミならね」


「……大地に潜る。それを成すには、心臓と、脳の機能停止を避けなければいけません。心臓は、ごく短時間なら可能ですが、脳はわずかな時間でも意識の喪失につながります。故に、そのまま死に直結する」


「はあ、察しが悪いよ? 若い頃のキミは、可愛くてお利口さんで、良かったのになぁ?」


 その言葉に羞恥と共に、憤りが湧く。だが、そんな感情にとらわれている場合ではない。


「さっき言ったでしょ。自己と他者、外界の区別がついていない。それは、キミのせいでもあるんだね。考えてごらんよ、キミの力は、自分にしかかけられなかったかな?」


 ある閃きが、脳天を稲妻の様に撃った。


「まさか――大地の側を、透過させるのですか!?」


 彼女は満面の笑みを浮かべ、頷いた。


「うんうん。せいっかい!」


「しかし、外界に影響を及ぼす、その中でも密度が高く、様々な物質の混ざりあった大地を対象とし、ヒトが潜れるほど大きく透過するのは、非常に高度な作用です。今の私には……」


「うん。だから、好都合なんだ。キミのふたつの力は、今、混ざりあってる。環境統制は、その弱々しい力を、本来ならば、直ぐにでも消え去ってしまう反応を、持続させる方法を学んだ。キミの血からね。そして、自動的に働く」


「これは、確証はないけど、多分、キミの肉体が二度目の死を経験したのに、環境統制の暴走は止まらなかったのも、血の力――生命反転の影響だと思うよ」


「もしかすると、ふたつはもっと前から、キミも気付かないうちに、少しずつ混ざりあっていたのかもしれないね」


 ここで彼女は、こちらを見上げ、少し寂しそうな顔をした。


「さて、最後の質問」


「死を遠ざけるのに、最も効率的なのは、何かな?」


 そのまま意識が薄れていくのを感じた。


「見てごらん。夜は、今日もとても綺麗だ。まるでボクたちを祝福しているみたいに。……キミが踏み出す先は、無限の闇夜かもしれない。けれど忘れないで、夜の闇は、ボクたちの敵じゃない。もしも、お節介な光に、飽き飽きしたら、闇の囁きに耳をすましてみるといい。きっとキミの力になってくれる」


「バイバイ! 少しの間だけど、久しぶりに話せて嬉しかったよ。頑張って、ボクのただひとりの眷属。……やっぱり、あの時、キミを助けたのは正解だった」


「今の質問、次に会う時までに考えておいてね、宿題だよ?」


「必ず答えてね」




※ ※ ※ 




 デトマソの血の力の発動は、間に合っていなかった。彼は確かに二度目の死を迎え、そのまま滅びるはずだった。だが、彼の中で暴走した異能が、それを拒絶した。そして、半ば混ざりあった血の力を強制的に起動した。死を拒み、世界の理を敵とする、忌むべき力を。


「生命反転だと……?」


 意識を失っていたのか? 何分? いや、何秒だろうか。瞳の焦点は再び合い、怪訝な表情を浮かべる若き似姿が目に入った。


「何だそりゃ。こっから何か出来るとでも……?」


「はは! 試してみるかぁ! 今すぐ捩じ切って、肉片に変えてやるよッ!」


 力の発動は、間に合ったのか? 少し前の記憶が失われている。そこだけが、すっぽりと抜け落ちたように。だが、先ほど受けた傷は修復されている。無意識のうちに何かが起きていた……?


「捻じれろッ!」


 困惑を裏に隠した激昂。若き似姿の叫びは、そんな風に感じられた。そして、困惑が内包するのは、不安や恐れだ。


 身体に強烈な力を感じ、肉が、骨が、無理やり捩じられていき、互い違いに螺旋の軌跡を取った肉体が、寸断される。


「は? 何が、起き、て――」


 一面に飛び散る真新しい血。しかし、絶命する事もなく、思考も明瞭だ。捻じれた首の上、片目に映った若き似姿は、確かに恐怖を表し始めていた。

 痛みも感じず、肉体は何事もなかったかのように、元の形に戻る。ただ、飛び散った鮮血だけが、致命傷を負った事実を示していた。


「――どうなって――」


 肉体の内側から迸る何かが、神経を焼き切った。だが、それも一瞬で修復される。


「今、何か奇妙な感覚が……?」


「ふざけるなッ! なんで、なんで生きてんだよッ!? そうか――再生能力だな!? それで、傷を治したんだろッ!?」


 それにゆっくりと首を振る。


「再生、とは、生きているからこそ行われる作用です。誇らしいでしょう? 先の貴方の力で、私は一撃で生命力の全てを失う程の傷を負ったのですよ。驚嘆に値する力だ」


 若き似姿は、引きつった笑みを浮かべ、私の言葉を否定する。


「ふざけるなッ! だったら、だったら! お前は、何だって言うんだよッ!? アアッ!? よえぇ癖に、虫けらみてぇに、弱っちい癖によッ! 騙されねぇぞ! そんなまやかしには――」


 恐怖を覆い隠すための笑み。この鏡の化身に、そんな感情を与えた術者は、どんな人物なのだろうか。


「先ほど、言っていましたな。勝利の確定した状態で、己の力の秘密を語るのは、最高に愉快だと」


「もう勝ったつもりでいんのかッ!」


 また肉体が捻じれ、先と同じ結果となる。そして、その後も同じ。一瞬で死んだはずの肉体は、何事もなく、元の形に戻る。


「ああッ!? アアアア――」


 若き似姿は、膝をつき、奇声を上げた。


「その最高の気分とやらを、私も味わいたくなりましてな」


 膝をついたまま、三度、力を振るい、こちらを寸断する。だが、結果は変わる事はない。残された血だけが、試行の無意味さを証明している。


「生命反転現象。私は、この血の力によって引き起こされるモノを、そう呼んでいます。何故、こうなるのか、分かりますかな?」


 答えは返らず、無言で震える姿が見えた。


「血の力を発動した私は、生命力の下限がゼロを突破し、マイナスを許容する不死性を手にするのです。しかし、元より不死者ではない私は、確かに生命力によって生きている。故に、この世界の理が、その矛盾を正そうと介入を始めるのです」


 荒い息が吐き出される音が、暗く静かな室内に反響する。


「即ち、本来の下限を越えた状態、死が、保留された異常事態を正す。そのために爆発的な生命力の回復が起きる。受けた傷が深く、致命的である程に、その爆発的な回復は強化され、余剰の生命力も、蓄積され、上限までもが、エラーを起こす」


「上限を越えた生命力は使われない限り維持され、どんな小さな傷であっても、出来れば瞬く間に治癒する。しかし、これは下限を越える損害を受けた場合には消費されず、また死の保留を正そうと、爆発的に回復し、残りが蓄えられる。分かりますかな? 相手の攻撃が、強ければ強いほどに、私は、不死に近づくのですよ」


 若き似姿は、完全に萎縮し、震えるばかりで答えを返さない。


 とはいえ、これはただ死なないだけで、他の能力が強化される訳ではない。このまま力の持続が切れてしまえば、不死性も霧散する。疑似的なバーサークは、風切りとの戦いで使ってしまった。あれを一日に二度、発動できない事は、過去の経験から明らかだ。


 どうすればいいのだろうか。今は恐怖に呑まれているかもしれないが、こちらに動きがなければ遠からず立ち直るだろう。攻め込む絶好の機会に、その手札がないとは――。


「これは――」


 その時、握りしめた拳を貫通するように、稲妻の如き迸りが起きた。

 それは全身を這う様に流れたのか、目で追えない速さの閃きが、その軌跡だけを宙に残し、身体の内側が焼け付いた感覚が起こる。


「これは、まさか――」

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