死を映す鏡
あの二体が鏡だと仮定し、その力について考える。
「映っていることが条件で、前面こそが鏡」
お互いを映す様に動くのには、何らかの理由がある? 先ほど、若き似姿の背面に回った時、前方には捻じくれた似姿がいて、それに私は映り込んでいた。あの二体はそれぞれに映った情報を共有できるのだろうか?
「邪魔なんだよッ!」
イラついた声が響き、幻像が裂かれている様だが、驚くほどにもたついて、中々こちらへ到達しない。
「まさか、映し合った状態でなければ、高速で移動できないのでしょうか?」
その時、幻像を突き破り、捻じくれた似姿が投げ込まれた。頭部をこちらへ向けて飛んできたそれを前面を避けて躱し、幻像を残し移動する。
「もう、見えてんだよッ! その幻じたいが移動の方向を見せてんだろうがッ! アアッ!?」
ふふ、そんな事は織り込み済みですぞ。
若き似姿は、幻像が指し示す私のいるだろう方向へ突っ込んでいくが、やはり足を使うせいか、滑る床の対処に苦慮していた。
背後に吹き飛んだ捻じくれた似姿の位置を一瞥し、覆っている幻像が破壊されていないのを確かめる。
「あちらは動きが遅く、知性もない。恐らく抜け出すにはまだかかる」
この身体の状態で、力の範囲を広げて作用させるのは骨が折れるが、背に腹は代えられない。空間を覆う様に、周囲の光景を映し込んだ幻像のヴェールを落としていく。
「何処だぁッ! この臆病者がッ!」
都合の良い事に、気配を感じられない若き似姿が、叫びを上げ、その位置を主張する。
「ダメージがあるかは分からない。しかし、この一撃で、動きを止めなければ――」
私は負ける――!
幻像の陰の中から一気に飛び出し、若き似姿の背面へ突進する。
「は! 見えてんぞ」
その言葉に、驚き、横目で右を見やると、捻じくれた似姿が、音もなく移動していた。
「死ね」
こちらを捉えた二体の前面を避け、自分を中心に、円柱状の幻像を打ち立て、それの内部に若き似姿が入り込むのを確認し、再び幻像で塞ぐ。
「はは! 見えた! 終わりだッ!」
遠方への映り込みは完全に防いだ。
「ここだ――」
円柱のヴェールの中で、動き回り、その軌跡へ幻像を生み出すが、それは次々と裂かれて、消えていく。
「見えてるって言ってんだろうがッ! 俺の目なんてただの飾り何だよッ!」
知性を持っても、自ら力の秘密を話す。そして、不要と思われる感情と、高慢な性格。もし、二体とも何も話さず、人間性のない怪物であったなら、近づく事すら出来なかっただろう。
今、貴方の目の前を覆う、襲い掛かる私は――幻像ですぞ。
「死ねッ!」
動き回る姿の幻像の中に、ひとつだけ攻撃の動作を取るモノを忍ばせた。そして、背後からの接近の準備をする。
だが――。
「いるんだろ? 後ろによ、こっちの能力の正体が見えかけてる。なら、そうすると思ったぜ」
ぬう!? 馬鹿なッ! 欺けていなかった!?
振り向いた若き似姿の一撃が、鋭く伸びた!
「は――?」
しかし、その振り抜いた拳は、空を切った。この状況を想定した、驚愕の表情を取る幻像が貫かれ、崩れ落ちる。
「戦とは、常に何手も先を読み、備え、罠を張るものです」
「まさか――!」
攻撃の動作を取る幻像に重なり、全く同じ姿勢を取り、動き出していた。その変化に気付かず、こちらが偽物だと思い込んだ。
知性があるが故の失敗!
渾身の一打が、横顔を見せた若き似姿の左頬へ食い込み、力を発動できない角度から最大の威力へ達する。
「グアアアッ!」
小さな破片が、飛び散り、亀裂が入る鋭い音が響く。
今の感触、そして、殴打の音。身体の構成も鏡そのものなのか。
若き似姿は吹き飛んで行き、床へ身体を擦りつけながら止まった。その跡には、輝く破片が散りばめられる。
「今のうちに」
透過の異常を解かねば。
「はッ!? 既に――居ない!?」
いつの間にか前方には捻じくれた似姿が立ち尽くしていた。
また挟みこまれたのか!?
「くッ! 映り込みを防がねば――」
「無駄だよ」
身体が異様な捻じれを感じ、背後へ向かされようとしていた。それに逆らえば、捩じ切られ、肉片と化すだろう。それ程の死を予感させるパワー。それはこれまでに感じた事のないモノだった。
「あ~あ、いってぇ。いってぇなぁ。……殴られるのってさあ、こんなに痛かったんだなぁ」
「なあッ!?」
「ぬぐぅぅぅ!?」
その声と共に、腹が裂け、血が噴き出す。
「こ、これは――どうなって」
それに、全く動けない。何が起きている――!?
「俺に一撃を入れた、その褒美にさ、俺たちの力について教えてやるよ。ずっと、知りたかっただろう?」
無言のまま目に見えない力に拘束され、立ち尽くす。
「君の背後にいる捻じれた奴。あいつはさぁ、いわば、未来の姿。その最後の時」
「つまり、死を映してんのさ」
死だと!?
「捻じれた身体は、そういう風に死ぬという暗示であると同時に、術式の一端でもある。殴りつけた時、不可解な場所に力が返っただろ? ありゃ、あいつの姿じたいが反映されてんのさ」
捻じれた身体どうしがそれぞれ繋がっている。殴ると力の返る場所は、あの図像が、繋いだ部位という事か……。
「そして、こうやって、俺たちが君を挟んで映し合っていたら、こんな事も出来る」
消えた――!?
「ぐあああッ!」
目の前に突然あらわれた若き似姿の右拳が腹に食い込み、それに続く様に、全身のあちこちに衝撃を感じ、骨が砕ける音がした。姿勢を維持する力のなくなった肉体を無理やり吊り上げられ、立ち尽くす。
「ああ、こりゃ、さっきの礼だ。ついでにこの移動は、移動とも呼べねぇ。お互いの映し合った空間への再配置。だから、妨害なんて出来ねぇし、向かい合う形に限定すんなら、位置も交換できんのさ」
そのまま目の前で言葉が続く。
「で、続きな。こんな風に、お互い映ってりゃ、こっちから殴っても、あいつが殴られた場合の反応を起こせる。それも、同時に複数の箇所にな」
嘲笑い、右の口角が醜くつり上がる。
「君さあ、これを躱そうとか、無効にしようとか考えたぁ? ああ、まあなあ、あいつひとりの時なら有効範囲も限られてんだが、こうなっちまうとさ。無理なんだよなぁ」
くっ! 不味い、話しを聞き流しながらなら、透過を解けるかと思ったが、拘束のせいで上手く行かない!
「この力よお。必中で、魔法や異能でも無効化も軽減もできねぇのよ。なんでか分かるか? さっき、あいつの姿は未来の姿。死そのものだと言ったよな。つまりよお。既にあった事実なんだよ、君がさあ。死んでるって、既成事実。それが前提で、この力はその未来を再現していってるだけ。鏡が向かい合った時、時間は跳躍し、ただ終点を再現するためだけに力が働く」
「どんな形であれ、負った傷は、全て未来の姿、その事実をなぞっているだけ、だからさあ。どう足掻いても当たっちまうのよ。ははは! 絶望的な顔してるぜ? ちゃあんと、俺の言った事、理解できたかぁ? 途中で考えんの止めたんじゃねぇかあ!?」
馬鹿な……! そんなモノにどう対処すれば……!
ここで、若き似姿が目の前から掻き消え。足元に何かが触れたのを感じた。
「ばぶぅ」
な……!? 赤子!? 一体どこから!?
だが、純真な瞳でこちらを見上げていた赤子は、豹変し、醜く顔を歪めた。
「はははは! なぁに驚いてんだよ! 君が、生まれた時の姿だろう!?」
「ああ! 流石に自分が赤ん坊の時の姿なんて覚えてねぇか」
また一瞬で距離があき、若き似姿に戻る。その暗い瞳は、勝利を確信したのか、もうこちらを睨みつける事もない。
「今ので分かった? あいつが未来で、死なら。俺の方は、何だと思う? 正解は~、君の過去の全て――」
未来と過去を映す鏡が向き合う事で、その人物の運命を掌握するという事か。
だが、そこで、若き似姿は不思議そうにこめかみの辺りに指先を当てた。
「うぅん? 妙だな。君の過去の情報が、不鮮明でほとんど検索できない。どうなってる? 全体に靄がかかったみてぇに、ノイズまみれだ」
暗い瞳が再びこちらを見据え、真実を探る様に目を覗き込んでくる。
「何だ? 君、どう見てもありふれた人間の姿だけど、実はエルフだったりすんのか? 何百年も生きてるとか? はは! そんな訳ねぇか」
突如として、若き似姿は別の形を取り、歪んだ笑みを見せた。
「あれは――風切り!?」
「ああ、遠い過去は見えねえからよぉ。直近の記憶を漁ってみた。はは!」
自分の姿を指さし、嘲るように話す。
「こいつ、ちょっと前にやり合ったんだろ? ん~、随分と苦労したみてえだな。しかも、殺し損ねて逃がした、か」
この能力の底が見えない、他に何が――。
「ええと? ほう、こいつぁ、すげえ力じゃねぇか」
その言葉と共に、風切りの姿の右手から何かが伸びた。その禍々しい刃には見覚えが、いや、忘れるはずもない鮮明な記憶だ。
「神薙ぎの刃……」
過去の記憶を参照しているのか、何処か上の空で、独り言らしきつぶやきが漏れる。
「んん? へえ、異能を消去する剣と、無敵の甲冑ねぇ。はは! おっもしれ! ……でもよお、こいつ、こんな力があって無惨に負けたのかよ!? 笑っちまうね、俺だったらもっと上手く」
まさか! 他者の異能を操れるのか……!?
この状況で、あの力まで使われたら――もはや、打つ手などあるはずもない……。
ここで、風切りの姿の視線がこちらを捉え、心底おもしろそうに笑った。
「ははは、はははは! 何て顔してんだよ! ウケるぅぅぅ! 俺がさ、こいつの異能を使えるのかと思って、驚いた――いいや、ビビったんだろ? はは! そうだよなぁ!? 言わなくても分かるぜ」
右手から伸びた神薙ぎの刃は粉々に砕け散った。その破片が床へまかれ、細かな光を放つ。
「絶望」
「君さ、まだ、俺たちに勝ち目があるとか思ってた? 今、絶望しかけてたよね? ははは、隠さなくても分かるぜ。もろに顔に出てたからなぁッ!」
大袈裟に両手を広げ、止まらない罵倒が始まる。
「過去の再現はさ、君の主観的な情報が元だから、見た目くれぇは似せられるが、相手の能力までは無理なんだよなあ! はは、これ聞いて安心した!? 薄っぺれぇなあ! ほ~んと、薄っぺれぇッ!」
床に崩れた神薙ぎの刃の破片を踏みつけ、怒りの籠った叫びを上げる。
「こんなもんなくてもなあ! お前を殺すのなんて簡単なんだよッ! アアッ!? 理解できてんのかッ!? 今、お前の喉元には刃が突き付けられてんだよッ! まだ生きてんのはなあ! 俺が、やってねえからだよ! なあ、もっと絶望しろよッ! さっきみてぇなイイ顔でよお。俺の力にひれ伏せよッ! お前らみてぇな雑種にぁ、それがお似合いだろうがよッ!?」
この高慢で、どこか破綻した性格。これは、術者のモノなのか、それとも――。
「あああ~。何かよ、もう、飽きて来た。勝ち確の状態でよ。自分の力のネタばらしすんのって、さいっこうに気分イイな! でも、今度こそサヨナラの時が来たみてぇだな」
「最後にイイもん見せてやるよ。これ見たら、君の力が、俺の百分の一の価値もない、下等なきわもんだって、身に染みて分かるだろうぜ」
何だ? また先ほどの打撃に伴う――。
いや、身体が――内側から弾け――!
「があああッ!」
目の前の若き似姿には、何の動きもなかった。だが、身体中で小規模な爆発が起きたかのように、内側から肉が弾け、削がれていく。そして、それは全く止まる様子がなく、次々と血しぶきを上げた。
「があああッ!」
「ははは、はははは! いてぇだろッ!? いてぇよなぁッ!? イイぜ、その顔ッんとに最高だッ! はははは――」
触れずとも、力は発動できたのか……。今までは、最初に言ったように、遊びでしかなかったと……。
「はは、俺たちのよ。間に立った時点で、時も空間も無視して、いつでも死へ近づけられんだよッ! いいや! 死がッ! お前を迎えに向こうからやって来てんだよッ! それを認めて、大人しく死ねよッ! 早い方が、苦痛も少なくなんぞ! はははは――」
もはや、何も出来ない。だが、このまま死ぬ訳には……。
「ああああッ!」
自らより優れた力、それがこの世に存在するだろう予感。そんなものは、当然のようにあった。だが、今までは運よく出会わなかっただけなのだろうか? いや、この考え自体が、私の傲慢さを象徴しているのか。
若き日のあの方との出会い、そして、時を経て、お嬢さまの僕となった。そんな自分は、誰よりも謙虚であらねば、そう、思い続けていたはずなのに……。
この血に流れる、もうひとつの力、それを呪わしく感じた事は何度もある。必要であるからこそ与えられたのだと、言い聞かせ、しかし、これがあるが故に、自身はヒトではないのではないかと。自らそう思う事、それよりも何よりも、他者にそう思われる事が、ただただ恐ろしかった。
「ロ、ゼ、さま――」
無意識に、初めて受け入れてくれたヒトの名を呼んでいた。
「ああ? 何か言ったか? つか、まだ息があんのかよ。もうちょいダメ押ししとくか」
肉体の内側から、ヒトとしての身体を、尊厳を食い破る様な、暗くおぞましい牙が伸びあがり、それが全てを喰らい尽くそうとしていた。
「生命反転」
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