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異能『合わせ鏡の恐怖』

 二人の白衣の男が佇む一室に、ノックの音が響いた。

 男の一人がドアへ振り向き、ゆっくりと口を開く。


「入りなさい」


 ドアは素早く、しかし音もなく開かれた。そして、ひとりの黒衣の男が滑り込むように隙間から姿を現し、部屋の明かりに煌々と照らされる。その姿は黒を基調としているが、鎧兜で武装されていた。

 この場では、そういった礼儀作法は必要ないのか、黒衣の男は敬礼らしき所作もなく、淡々と告げた。


「ご報告があります」


 迎え入れた白衣の男は、それに対し、無言で頷き続きを促す。


「合わせ鏡の間に、何者かが入り込んだようです。如何いたしましょうか?」


 室内はにわかにざわつき、二人の白衣の男が、顔を見合わせたが、すぐさま落ち着き払った様子で言葉を返した。


「ふむ。この聖院の警戒網をすり抜け、深く入り込むとは……一体、何者でしょうか」


 噛みしめる様に声が漏れ出し、侵入者に対する感嘆とも取れる言が表れるが、その後に続いた言葉は、打って変わって冷たく、感情が全く読み取れない。


「まあ、捨て置きなさい。あそこには、いまだあの者が囚われたままです。侵入者は幾ばくも無く、死に果てるでしょう」


 そして、白衣の男は、室内に置かれた姿見に視線を送った。


「そう。まるで自らの死にゆく姿を鏡に映し、観察するように、何も出来ぬまま」


 黒衣の男は無言で頷き、再び部屋の外の暗がりへと音もなく抜け出していった。


「良いのですかな? 誰にも気取られる事なく、入り込んでいたのです。相当の手練れでは……?」


 不安そうに呟くもう一人には目もくれず、男は何かに陶酔するように目を細め、天井を見つめる。


「問題ありません。手練れであればあるほど、死が早まるだけです。あそこは、そういう場ですから」


「そうですな。そうでなければ、残している意味もなくなりますな」


 男は自らに言い聞かせる様に繰り返し呟き、胸の前で握りしめていた右手をゆっくりと下ろした。


「……もし。あの場の呪いを打ち破る事が出来るとするならば、それはこの世の者ではないでしょう」


 その言葉は、明るい室内から溢れ、いまだ戦いの音が響く夜空の下へと広がっていった。




※ ※ ※ 




 果ても見えぬ無限の暗がりがにわかに紅く明滅し、炎の色に染められていく中、悲鳴とも疑問とも取れない声が響く。


「ぬううう! この炎は一体どこから発したのか!?」


 激しく燃え上がるコートを身にまといながら、身体をくねらせ消火を試みる筋骨たくましい白髪の老人は、全身が炎に呑まれて行き、そのまま息絶えたかに見えた。


「ふん!」


 だが、奇妙な事に、燃え上がる炎に包まれたまま異様な声が漏れ聞こえる。


「まさか、何も出来ないまま、この力を使わされるとは……。少々、甘く見過ぎていましたな」


 炎は老人の肉体も、衣服も、その全てを舐め尽くそうと猛威を振るうが、声は平然と響き続ける。


「むう……。全くもって不可解。しかし、この状況、ひとつの仮説が成り立つ」


 驚いたことに、火だるまの老人は、何もない空間で跳ねた。

 猛烈な勢いで上昇し、その風圧でか、炎が揺らぎ、火勢が僅かに弱まったかに見える。


「やはり……。奇妙だが、想定通りの変化が……」


 老人は燃えながら、周囲を見回し、何かを探っている。


「熱の伝播? それにしては、いささか不自然な。だが、この無限の空間が、見せかけだけの可能性が浮かび上がりましたな」


 何が起きているのだろうか? 老人の周囲の黒塗りの闇が、至る所で爆ぜ、火の粉が舞ったかと思うと、すぐさま燃え上がり始める。


「燃え始めましたな。思うに、目に映る距離よりも、実際の空間は、遥かに小さく狭い……」


 老人は再び跳び、今度は奥に広がる無限の闇へと突っ込んでいく。


「そもそも可燃物など、私の身体だけのはず。しかし、実際はどうでしょう。まるで空間じたいが破綻する様に、あちらこちらが燃えている」


 何かに気づいたのか、老人は大声を上げた。


「そうか! 最初から思い込んでいました……! これは、私いがいの何者かの力であって、それが物質を操作しているのだと! 違った! これは、私の力を模倣していたのだ!」


「何もない空間が燃えているのは、私が力を使った余波が周囲に影響を与えているから。そして、この不可解な炎こそが、この闇を破る布石となる!」


 そう叫び、目の前の炎へと腕を伸ばす。


「これは――無が燃えている訳ではない。この場には、確かに可燃物が存在する! それは――」




※ ※ ※ 




 突然、重力を感じ、気が付けば臀部をしたたかに打ち付け座り込んでいる。だが、先ほどまで身体を焼いていた熱さはもう感じない。そして、奇妙な事に、右手は、自らの左足首を強く掴んでいた。


「やはり……。周囲に点在し、燃えていたのは、全てが私じしんの身体だったのですな」


 ゆっくりと手を離し、立ち上がると、眼前の闇の中に何か光を見た。


「むう? 何かに反射したかの様な輝き」


 それは、巨大な鏡だった。それには自分の全身が映り込んでいたが、表面に歪みでもあるのか、薄気味悪く捻じれ、頭部は渦を巻き、右肩に接し、両手などは、その末端がとぐろの様に巻き込まれ、伸びた指先らしき物が、身体の至る所に触れている。


「この鏡は一体……? まるで表面が歪んでいる様ですが、触れて見れば、滑らかで傷ひとつない」


 この奇妙な写し身は何らかの魔術か。捻じくれた肉体は、それ自体が術式の一部に感じられた。周囲を見回すと、天井の高さには不釣り合いの非常に狭い四角の部屋の様だった。触れずとも分かるその重厚な壁面は、階段を降りる前と同じく、その向こう側は虚無と思える。


 そのまま鏡に力を加えていき、状態を探る。


「ふむ。どれだけ圧力を増そうと、ヒビひとつ入りませんな……」


 しかし、この周囲に鏡いがいは何もない様だ。壁に囲まれたこの場を抜け出すにはこれに働きかけるしかない。


 映り込んだ姿を眺め、捻じれた自らの身体の隅々まで視線を走らせる。


「この異様な映り込みは……」


 腕や胴体、頭を動かしてみせて、鏡の中での変化を追う。


「確かにこちらの動きを映している。だが、捻じれた部分は他の部位に繋がったまま変わる事がありませんな」


 捻じれた頭部も、指先も、いくら動いてみても、その長さが変わったかの様に、身体の別の部位に触れたまま位置が変わらない。


「これは、一体なにを意味しているのか?」


 ふと思い立って、自らの身体を見つめる。端々まで目をやるが、鏡に映る姿の様に捻じれてはいない。


「面妖な……」


 鏡に映る姿を再現する? まさか。そんな事が出来るなら、とうの昔に、ヒトなど辞めている。


「鏡を使った術式であるとすれば、映る姿と実体に何らかの関連がありそうですが」


 しばし、思案し、ある方法に思い至った。


「そうですな。完全に再現とは行かないかもしれませんが、ひとつ。形を歪める方法がある」


 それは、自らの力を鍵とする、強引なやり方だった。


「これが無理なら、この場で途方に暮れ、朽ち果てる時を待つのみ」


 周囲をもう一度みまわし、闇の中へと歩みだし、取り出した紙片に着火し、隅に投げ込んだ。その微かな明かりが背後から照らす中、再び鏡へ向き直る。


「実像を記録し、その幻像を重ね合わせ、捻じれた肉体を再現する」


 身体と鏡を見比べ、次いで現した幻像を観察し、映り込む形状を調整していく。


「ふむ。これだけ似ていれば、何かが起きるやも……」


 最後に、現した幻像の後ろへ隠れ、もう一度、火をつけた紙片を背後に投げ捨てた。すると、仄かな明かりで照らされた幻像が捻じくれた奇妙な姿を鏡に映し出す。


 その瞬間――鏡の表面に亀裂が走り、鋭い高音が響いた。


「亀裂――いえ、完全に割れて砕け散った――」


 幻像の陰から様子を窺っていたが、突如、前方の空気が動き、流れが生まれた。


 何か来る!


 砕け散った鏡から何かが飛び出したのか、目の前で複雑に重なり合っていた幻像は、次々と破壊され、空を切った軌跡に暴風が起こる。


 凄まじい速度で何かが振り回されている!? 不可解なのは、幻像を破壊している事だ。これは私の姿を取ってはいるが、生き物に特有の気配は発していないはず。それを次々と壊すとは、外見に反応しているのか、索敵の未熟な相手か、知性を持たないものか。考えてもどれに該当するかは分からない。ただ、全ての幻像が破られ、正体が露になるまで待つしかない。


「むッ!?」


 私を覆い隠していた最後の幻像が裂かれ、何者かが飛び出して来るかと思われたが、背後で炎が掻き消されたのを感じた。


 唐突に背後に周った!? 何故!? いや、それよりも――!


 慌てて反転し、その姿を確かめようとする。


「気配がない!」


 暗がりより伸びた鋭い一撃が、左頬を掠め、強い痛みと共に、続く耳の側面までもが抉られたのを感じた。


「ぬううう!」


 突然あかりが消えた事による一時的な盲目。それに力を合わせる隙も無く、闇の中から次の一撃が迫りくる。


 感じる――真っすぐに、頭を潰そうと狙っている!


 これならば見えずともカウンターを合わせるのは容易!


 突き出した拳が、闇を押しのけ、相手よりも早く伸びる。


 だが――。


「ぬあああッ!?」


 突如として、右顎に強烈な衝撃を感じ、身体が回転しながら後方へと吹き飛び、割れた鏡の残骸へ叩きつけられた。


「ぬぐぅぅぅ!」


 何だ!? 何が起きた!? 相手の攻撃はまだ届いていなかったはずだ。ならば、今の打撃は何処から生じた!?


 血の味に染まる口内からは脈打つ痛みだけが、その存在を主張し、打撃の実体は感じられなかった。打たれたと思われる部位に触れても、そこには傷ひとつない。しかし、口内を切ったのは打撃が原因だろう。外側には跡もないのに、内側のみが傷ついたというのか?


「どうなっているのでしょうな……。いえ、悠長に考えている暇はない」


 闇の中で何かが躍り、眼前でちらつくが、これだけ激しく動いていれば聞こえるはずの物音もなく、依然として気配もない。だが、それは確実に迫り来て、こちらの命を断とうとしている。


 闇に再び慣れた目に力を順応させ、その正体を見据えた。


「こ、この姿は!?」


 闇より浮かび上がったそれは、驚いたことに、自身そのものの様だった。しかし、その姿は多少、奇妙で、関節があらぬ方向にねじ曲がっている。


「折れている……?」


 いえ、一見すると、捻じれ、折れ曲がって見えますが、長さがおかしい。あれの基本構造が、私の身体と同じだとするならば、首、腕、胴、脚、全てが長くなっている。より正確に表すと、元の長さが、異様で、捻じれ、折れ曲がっているからこそ、こちらと等しい長さに見えているのです。


「来る! 次の一撃が――!」


 相も変わらず攻撃は頭を狙い伸びてくる。


 ふむ。速さ自体はそれほどでもありません。ならば――。


 ひとつの思いつきを試すため、鏡を避け、素早く後ろへと下がる。


「む!?」


 その瞬間、捻じれ折れ曲がっていた腕は異様な動きを辿り、まっすぐに伸び切って、こちらの額をかすめた。


「やはり!」


 伸びきった状態の長さは、およそ二リーブ。ヒトの腕の長さとしては、かなり異質だ。

 そして、更に奇妙な過程をたどり、伸びた腕は巻き戻される様に、縮み、うねる指先が首を掻き切ろうとする。反射的にそれを弾こうと左腕が伸びた。だが。


「ぬぐぅぅぅ!」


 今度は腹部に強烈な衝撃を感じ、その力で床にぶち当たり、反動で天井へと跳ね上げられる。

 不可解な現象に思考が追いつかず、本能的に危険を感じ、反転し天井を蹴り、壁際まで退避する。


「何だ? 今の打撃は……。明らかに、何も見えず、音も聞こえませんでした。なのに」


 確かに腹を打たれた感触、そして鈍痛。だが、衣服には皺すら寄らず、跡は残っていない。


「何が起きているのか……」


 これも、戦術陣の力でしょうか?

 陣らしき場へ踏み込んで二度、空間の外へと飛び出した。陣は破壊されたのか、いまだ囚われたままなのか、その判別すらつかない。


 必死に思考を巡らせる間にも、相手の動きは止まらず、こちらへ激しく揺らめきながら突進してくる。


「ひとつ、確かめる必要が」


 そして、上手く行けば同時に動きも止められる。


「ふッ!」


 眼前の暗闇を切り裂くように、右腕を振り抜き、それに伴って起きた風を相手にぶつけ、力を使う。


「苦痛の呻きすら漏らさぬとは……」


 この奇妙な相手には、声を発する機能がないのか、常人ならば、痛みに叫びをあげるだろう力の拘束を受けても、ただその場で震えるのみだった。


「今ので確認できた事がひとつ」


 目の前の空間を振り抜いた腕は、異質な現象は引き起こさなかった。先ほどまでの経験のみでは、腕を動かすだけでこちらの肉体に何かが起きるのか、それとも他の原因があるのかが分からなかった。


「では、あの衝撃は、相手との距離が関係している?」


 ただ空を切っただけでは、何も起きない。いや、そう断定するには、まだ試行が足りない。


「ふむ。危険を伴いますが、何が起きたのか分からぬままでは、勝機も遠のきますな」


 目の前で震える捻じくれた似姿は、徐々に力を増しているのか、拘束が今にも解かれようとしていた――。

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