異能『武器庫の番人』
陰に潜み、面の男の左側面、脇腹あたりに狙いをつける。
ふむ。殺さずに動きを止めるには、多少の加減は必要ですかな。
そして、一気に陰から躍り出て、男を狙う。
こちらへ気付いた男は、慌てて向きを変え、腕を振るおうとするが、間に合っていなかった。
「これで――終わりですな!」
音速に近い勢いで突き出された右拳が、脇腹を捉えたかに見えた、だが、その瞬間、硬質な手応えを感じ、打撃の生んだエネルギーは全てが後方へ逸らされ、遠くに並ぶ家屋に風穴が空き、轟音が響き渡る。
「なんと!? 一体なにがッ!?」
事態を呑み込めない私に向かって、男の右腕が伸びる。
「くッ!」
それをかろうじて躱すが、おかしなことに、先ほどまで空間を切り払っていた現象は起きず、ただ腕が振り抜かれただけだった。
もし、あの術が発現していれば、今の一振りで死んでいた……。
その事実に、冷汗が一筋ながれおちる。
「驚いたぞ。気付かぬ内に、脇に回っていたとはな……」
今の打撃、確実に捉えたはずだった。それが、何か不可解な力によって、逸らされた。
「俺じしんの命も、常に死と隣り合わせと言う訳か。……貴様に対して、圧倒的な勝利を望むのは、行き過ぎた愚考らしいな」
全く底が見えない。戦いが長引くほどに、この男の手の内がひとつずつ曝け出されるが、その正体は掴めぬまま、攻略法も見えてはこない。後、どれだけの手札を隠し持っているのか……。
ははは、そうですな。それを――私は望んでいるのでした。
相手の全ての力を見て勝利する。その欲望を叶えるための賭け金は、常に自らの命だ。どんな苦境に立たされようと、賭けを惜しんだ事はない。一度たりとも。
だが、それは危険な綱渡りを続けるに等しい愚行だ。一歩、足を踏み外せば、奈落の底へ落ち、手を伸ばしても、掴めるモノなどない。
そして、また若き日の幻がちらついた。
思えば、あの時だけですな。私が伸ばした手が、掴まれたのは――。
「どうした? 俺に打撃が通らなかった事、その理由が、気になるか?」
男は落ち着いた様子で語る。
「武器庫とはいえ、そこに眠るのは、武器ばかりとは限らん。身を守り、勝利するために、反撃を許さぬ攻撃こそが正解の事もある。……だが、相手が想定を越える実力の持ち主で、単純な攻撃が通じぬ場合……」
話をつづける男の身体に、黒い靄とは別の何かが見えた。それは、見る角度によって僅かに顔をのぞかせ、見えたと思えば、直ぐに掻き消えてしまう。
「攻撃を犠牲にし、防御を取る事も、選択肢のひとつとなる」
そこで、言葉は途切れ、男は自らの胸部を左腕で殴りつけて見せた。
その瞬間、高い金属音と共に、目に見えぬ力が迸り、男の斜め前にあった建物が、破砕され、角が大きく球状に抉れる。
「無影の鎧。影すら落とさぬ。目にも映らない無敵の甲冑だ。これを身に着けた俺を脅かした者は誰もいない。皆が何も出来ぬまま果てた」
そして、こちらを一瞥し、冷たく言い放つ。
「諦めろ」
その言葉は、背筋を震わせ、ある種の衝動を呼び起こしていく。
これは――この衝動は。
渇望だ。
それを自覚し、笑いが沸き起こる。
「はは、ははは! 実に興味深い。無敵の鎧、今日、この瞬間に、それは、無敵ではなくなるでしょう……!」
そして言葉をつぐ。
「さあ、初めて土がつく、その記念すべき瞬間を――待ち焦がれなさい!」
「風切りッ!!」
その叫びと共に飛び出した私を見ても、男は微動だにしない。ただ、こちらを向き、構えすら取らない。
「面白い!」
先ほどの試技と、初めて殴りつけた瞬間の手応え。恐らく無影の鎧には、加えられた衝撃を増幅して反射、もしくは、偏向する様な力があるはず。まずは、殴りつけ、その法則を掴む!
「まずは中央――!」
男の胴の鳩尾あたりを狙い、鋭い一撃を加えるが、触れた瞬間に、拳が震え、弾かれるのを感じた。
この瞬間だ。恐らく強烈な反動が返り、普通に受ければ、先の建物の様に、粉砕されるだろう。
力を使い、瞬間的に防御を固める。
「ぬおおおおッ!」
凄まじい反動は、身体を後方へ押し返し、筋肉が波打つ様に撓み、骨が軋むのを感じた。だが、損害と呼べるモノはほとんどない。
「ほう。この鎧を真正面から殴りつけて、反動に耐えるとはな……」
男は感心した様子で、声を上げるが、相変わらず動きはなく、ただ立ち尽くす。
「その余裕が、いつまで続きますかな?」
次は、打撃の位置を変え、脇腹を掠める様に殴りつける。
すると、思った通り、拳は滑る様に逸らされ、背後の建物の一角が砕け散った。
ふむ。逸らした場合は、力がこちらへ返る事はない様ですな。
ならば――。
ただ全力で真正面から殴り続けるのみ!
「おおおおッ!」
殴りつけ、反動を受け、そしてまた殴り、反動を受けを繰り返す。
機械的で寸分たがわず同じタイミングで反動は返る。来るのが分かっている反撃など、反撃とは呼べない。一度つかんでしまえば、息をするよりも簡単に、その力を受け流せる。
「ひとつ、冥土の土産に教えてやろう。この鎧は、触れた部分の攻撃者の能力を消去する。つまり、貴様の透過で内部を破壊することは出来ん」
はは、それを知っても、知らずとも、やる事は変わりませんぞ。
いくら殴りつけても、力は返り、面の男の身体は、揺れもしない。だが、それは、あくまで打撃による、衝突の瞬間のエネルギーを返しているに過ぎない。
多少の広がりはあれど、拳による打撃は、点なのだ。だが、それが面に――ひいては空間を埋め尽くし、逃げ場のないエネルギーの奔流となったなら、どうなる? 力を逃す隙間がなくなった時、この鎧は、いかなる結果を引き起こす?
「おおおおッ!」
鎧を殴り続け、徐々に、徐々に、その反動のエネルギーを、身体の正面へ渦のように、溜め込んでいく。
風切り。相手の能力の全容が見えた訳でもないのに、自らの力を過信し、思考を放棄する。
それは、敗者の選択ですぞ。
「これで終わりですな――! 手加減は出来ませんが、恨まれますなよ!」
最後に、身体の前面に渦巻く力ごと前へ踏み出し、両手を広げ、体当たりをする。私の動きに伴って溜め込まれたエネルギーが面の男の身体を覆って行き、地面へと押し潰す様に倒していく。一度、圧力で押された身体は、バランスを崩し、自然と倒れ始める。
「バカなッ!? こんな事がッ!?」
前面は私の身体と、それに伴う力によって塞がれ、背面は大地。ゆっくりと倒れ込む身体を追いかけながら、右拳を振り上げた。
さて、何が起きますかな。無影の鎧は、大地にも打ち勝つ程の力を有しているのか、それが、明暗を分けますな。
「ガアアアアッ――!」
地面へ倒れ伏した男に、右拳に収束した力ごと叩きつけ、その様子を見守る。
ふむ。やはり――。
男は苦痛に呻き、鎧の背面がまるで爆発する様に、何度も身体を浮かせるが、それは前面からの力で塞がれ逃げ場はない。
武器になるのは反作用だ。鎧は叩きつけられた衝撃に反応し、大地に向けて強烈な反動を返すが、大地はびくともせず、その力で砕ける事もない。削がれるのは、あくまで表層のみだ。内部へ浸透した力は、それと等しい力を返す。それを鎧が受け、また爆発的な反動を出力する。まるで地獄の責め苦の様に続く、力の連鎖。
「アガッ! グハ――」
ふむ。本来この鎧は、この様な事態を想定して作られてはいないのでしょう。全身を逃げ場のないエネルギーが覆うなど、通常はあり得ぬ事でしょうからな。
男の般若の面は砕け、隠された素顔が明らかになる。黒く短い髪に、端正な顔つき、だが、右目に重なる様に、醜く抉れた一本の傷があった。
ふむ。年のころは、三十てまえと行った所ですかな。声の調子から若いだろうと予想はしていましたが……。
その時、血を吐き、苦しむ男の目が開かれ、右手がこちらへ突き出された。
「む!?」
直ぐに飛びのいたが、左胸を掠め、胸筋が裂け、血が溢れだして来る。
「ぬう。まさか、完全に包まれた状態で、動くとは……!」
私が蓄えた莫大なエネルギー、それが、前面を包んでいたはず。何故うごけた!?
「ア、アガッ! ……こんな、こんな事が起きるとはな……。本当に、無影の鎧が破られるとは、俺は、貴様をまだ侮っていたのか……」
ゆっくりと上体を起こし、血を吐き絞った男は、己の信じた鎧の敗北に慄く。
そして立ち上がり、こちらを穿つ様な視線で捉えた。
「だが、この鎧は壊れる事はない。そして対となるもうひとつの武器……。出来ればこれは使いたくなかったが……」
男の右手の指先が血を垂らすが、私の左胸を切り裂いたのは、指ではないようだ。掌底より何かが伸びあがるのが見えた。
「むう。その、禍々しい刃は……!」
男の右手より、赤黒く禍々しい刃が伸び、またあのセリフが聞こえた。
「外法・影宿し極式――四重影」
その言葉と共に、黒い靄が、もはや燃え上がる様に男を包み、右手の刃はその鋭さと長さを増していく。
「この状態ならば、無影の鎧と、神薙ぎの刃、対となるふたつを同時に扱える」
「だが、それほど長くは持たん。手早く終わらせてもらうぞ」
言い終えた男は、弾ける様に加速し、私の懐へ一瞬で潜り込んでいた。
「む! この速さは!」
突き出された右の刃を、躱しきれぬと悟り、力を使うが、信じられない事に、左胸が、無惨に貫かれていた。
「ぬう!? ぐあはぁっ!」
かろうじて心の臓は避けた、だが、これは――!
男がそのまま刃を振り払おうとする前に、素早く刃の角度へ合わせた方向へ飛びのき、身体から無理やり抜く。その瞬間、多量の血液が噴き出した。
「うぐおおお……」
膝をつき、苦痛に耐える。
馬鹿な……。今の素早さは何だ? 身体の内部は、既にぼろぼろのはずだ。何処からあれほどの力が……!?
「この神薙ぎの刃は、あらゆる異能を切り裂き、消去する。貴様の透過もこの通りだ」
成程、知った所で、対処法など存在しないと……? しかし、まだ私の力を物質透過だと思い込んでいる様ですな。
「死ねッ!」
飛び掛かってくる男の一撃を躱し、再びそこでうずくまる。
うぐ、傷が深すぎますな……。出血は止まりましたが、こんな所であの力を使う訳には……!
「どうした? もう動くのもままならぬか? ならば、潔く死ねいッ!」
見物人は、とうに興味をなくし、退散した様だ。あれ以外の全ての力を見せてでも、この場を切り抜けなければ。
男が斬りかかり、私は脳天から裂かれ、完全に両断される。
「はは! やっと、やっと終わりかッ! ウガァッ!?」
無防備な背中に一撃を入れるが、相変わらず鎧が力を返す。だが、今回は同時に、男を足元の地面へと引きずり込んでいた。
地面をすり抜け、男が落下して、爪先が埋まった辺りで力を解き、転ばせ、大地に激突させる。鎧の力で跳ね飛ぶ様に浮き上がった男が、空中で驚愕の声を上げる。
「き、貴様の透過、他者にもかけられるのか!?」
ふふ。それでは、先ほど吐いた自らの言と矛盾していますぞ。
「いや! それよりも――確かに、脳天から切り裂いたはず! 何故! 生きている!?」
その問いには答えない。
「風切り。貴方の力は、本当に驚嘆に値する。しかし、ひとつ大事なモノを忘れている様だ」
「ほざけッ! 今すぐ物言わぬ骸に変えてくれるッ!」
落ちてきたはずの男の身体は、地面へ激突する事なく、その場に浮き上がっていた。
「なッ! 何だ、これは!?」
やはり、無影の鎧は、身体から離れた力の作用じたいを消去する事は出来ない様ですな。今は、これだけ分かれば十分です。
男は右手と一体化した刃を振るい、私の力を切り裂いた。その場に着地し、困惑の声を上げる。
「き、貴様の力なのかッ!? 物質透過いがいに、まだあると言うのかッ!?」
いいえ、そのふたつは、同源ですぞ。
さて、そろそろ曇った目を晴らして差し上げますかな。
「死ね! 死ね! 今すぐ俺の前から消えろッ!」
鋭く振り抜かれる刃は、また肉を裂き、骨を断ったかに見えるが、ただ空を切っただけだった。背後に回り込み、つまずかせ、地面へ叩きつける。
「ウグッ!」
そして、思い当たったひとつの手法を試す。
男の身体は、空中で回転し、再び大地へ叩きつけられた。
「グアッ!」
ふむ。無敵の鎧とは、名ばかりですな。反動を引き起こさぬ程、弱い力なら、触れても無害な様だ。
地面へ空中から叩きつけられた男が、再び跳ね上がり、力を切り裂き、態勢を整えようとするのを、すぐさま追加の働きかけで、執拗に妨害し、まるで跳躍器具の上にいるかの様に、跳ね上げ、叩きつけを繰り返し、少しずつ体力を削っていき、同時に自らの生命力の回復の時間を稼ぐ。
「ふ、ふざけるなッ! ふざけるなァァァッ! こんなくだらない小技で、俺を追い詰めたつもりかッ!?」
その時、突如として暴風が渦巻き、目も開けていられない中で、咆哮を聞いた。
「外法・影宿し終式――五重影ッ!!」
「貴様だけは、絶対に許さん。必ずこの手で息の根を止めてくれるッ!」
吹きすさぶ風の中で、怒りに満ちた咆哮が響き、周囲の空間も埋め尽くす様な、黒い靄が飛散した――。
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