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ブロン帝の銅貨

 店主は一転して不機嫌そうな態度を見せたが、程なくして最初に見た時の明るい顔に戻る。


「違う違う。ここの港を――ああ、いやぁ」


 そこで言葉は切られ、調理の手も止まり、何かを考えている様だ。


「ああ、あんな連中を、まとめてるって言うのも何かなぁ……」


 口にした名前が関係あるのか、それともエルバドという男の事か。店主は話しづらそうに、口ごもる。


「ああ、あいつらぁよお。港の責任者とか、まとめって訳じゃなくて――こう、一言で言っちまうとだな。……やくざもん! ここの港を取り仕切ってるのぁ、漁師組合の長、イヨウガンの親方さ!」


 ふむ。また新しい名前ですな。しかし、要領を得ませんな。今のままではレバンが港の関係者の線まで浮上してしまう。……もう少し、黙って聞いているのが得策ですかな?


「ああ、でも。爺ちゃん。名前が違うぜ? レバンなんてのぁ知らねぇが、やくざもんの頭は、エルバドってんだ、確か」


 ふむ。レバンは外れでしたか。


「何が知りたいのか知んねぇけど、あいつらぁよお、港の近くの倉庫街を占領しててよう。水揚げのあった時にぁ、その場で仕分けしようにも連中が、やれ場所代だ、港を守ってやってる警備費用だと、何かにつけて金を巻き上げようとすんのさ」


 ここで店主は暗い顔になり、俯く。


「……あいつらぁ、事もあろうに、港だけじゃ飽きたらず、この辺りの商店街まで出張って来やがってよ。俺たちにもみかじめ料を払えとか言い出したのよ! 二年くれぇめえだったかな……。そん時ぁまだ、ここいら一帯は、皆じゆうにやってイイって場所でさ。誰も支配しようなんて思ってなかったのさ」


 話が長くなりそうだが、このまま傾聴する方がいいだろうか。裏社会の人間たちの動向を知る事は、探索の役に立つかもしれない。


「その暴挙を止めてくれたのが、今この商店街の暫定的なまとめのアールヴェーヌの大奥様って訳よう」


 店主は何処か誇らしそうに話すが、今までの話を追った限りでは、元々じゆうだったはずの場所に仮を装う支配者が出来た。その人物の人となりは不明だが、自らが支配する足がかりを作るいい口実だったのではないのか。守られているという安心感は心地よいが、それが首を絞める事もある。ましてや時間差でゆるゆると締め上げられれば、気付く事さえ出来ないかもしれないのだ。


 そこで、若き日のある少女との出会いが、稲妻の様に、鮮烈に蘇った。その美しい姿をより引き立てる柔らかな月光。血に塗れた自らの手。額の傷から流れ出た血が、右目に入り込むが、目を閉じる事も出来ず、その赤く染まった光景を微動だにせず見つめていた。


 息をするのも忘れて。


「ロゼさま――」


 無意識に呟かれた言葉にはっとなり、目の前を見ると、店主が不思議そうな顔でこちらを眺めていた。


「爺ちゃん。大丈夫かい? 何か言ってたみたいだけど、まだ聞きたい事があんのかい?」


 一度ひたいに手を当て、ゆっくりと若き日の幻を消し去る。


「いえ、先ほどのげその味を反芻していたのですよ。あまりの美味に離れがたくなりましてな」


 店主は大袈裟にのけぞり笑う。


「おいおい。まぁたそれかい!? そんなに気に入ったんなら、もう一本くってくかい?」


 店主が串焼きを突き出すが、ゆっくりと首を振り、確かめる。


「そのエルバドさん、でしたかな? やくざものとなると……。光る魚による漁。さぞや珍しい光景を見られるだろうと思ったのですが、ひとりで行くのは止めておいた方がいいのでしょうな?」


 店主は深く頷き、串焼きを戻した。


「そっだよ。今の時間、慣れてるし腕っぷしのつええ漁師連中ならともかく、他所もんがあそこに近づくのは全くおススメしねぇよ。……噂じゃあ、港を囲む様に広がる倉庫街の一帯に、あいつらの手下が潜んでて、通りがかる無防備な連中をふん縛って、どっかに連れて行ってるって言うのよ。爺ちゃんもけっこイイ身体してるみてぇだけど、相手ぁ、やくざもんだからなぁ。夜の漁を見たいってのぁ分かっけど、港の見物なら日が昇ってから行った方がいいぜ」


 これ以上、話を引っ張るのも不自然か。レバンの情報は得られず、新しい名前がふたつばかり……。だが、エルバドが港に潜むのは間違いないらしい。やはり、そこへ行ってみるしかないのか。


「んじゃ。クラーケンのげその串焼き一本な。値段は、銅貨はちまい。毎度ありっ!」


 ふむ。新都における一般的な庶民の月収が、銅貨で六千枚ほど、日給としては約二百枚。銀貨換算での月収は、六枚。子供のおやつ程度の少量の串焼きが銅貨はちまいとなると、平均的な食物の値段からするといくらか高価ですな……。今までに見せた店主の人柄から、よそ者と侮って吹っ掛けて来ているとも思えない。しかし、旧都の平均的な稼ぎが、新都を上回るはずもない。これは、何か問題が起きそうな予感が……。


 コートの内から、財布を取り出し、銅貨を収めた袋を開き、つまみながら数をかぞえ始めるが、そこで店主の声音が変わった。


「お、おいおい。爺ちゃん。冗談だよな? そんな金、ここじゃ使えないぜ?」


 なんと、やはり問題が……!


「この旧都じゃよぅ。ブロン帝の銅貨が主に流通してんのよ。それが何処の銅貨かは分っかんねぇけどよ! ここじゃ使えねえのははっきりしてんぜ! 爺ちゃん、まさかぁ、食い逃げでもやるつもりかい……?」


 む? ブロン帝とは確か、千年ほど前の皇帝の名だ。悪名高く、愚帝と罵られ、座した期間も歴代で二番目に短いと言われている。

 その悪行の中でも最も有名なのが、銅貨の質の改悪だったはず……。


 読めてきましたぞ……。ブロン帝は、主に庶民の使う銅貨の質など、国が保障する必要はないと、銅すらもほとんど混じっていない雑多な鉱物で成る劣悪な硬貨を大量に鋳造し、それをばらまいたと言われています……。その結果、市場は大混乱に陥り、恐慌に至る寸前だったと……。

 給与や収入としてまかれた悪貨を手にした庶民に対し、商人たちは新貨での買い物を拒んだ。……本来ならば、例え貨幣の質が下がっていようが、国の保障する硬貨の間に優劣などないはずだ。しかし、そうはならなかった。ブロン帝はその権威と言う名の信用をすり減らし、自らのとった愚策の責任を負う事になる。


 だが、この問題の本質は、さらに先帝の時にあったのだ。おおよそ千と五十年ほど前、帝国からエルフの地、精霊の森へと大規模な侵攻があった。その戦いによって、今よりもずっと広大だった穀倉地帯は、焼け、大半が失われた。そして、ヒトや物への損害。ブロンの先代であったアグリアティウスは、開戦を契機に軍需が拡大し、国は好景気に湧くと踏んだのだろうが、思惑は虚しく外れた。


 実際にはエルフ側の激しい抵抗にあい、領土の一部まで侵攻される事態となる。そうして失われた土地と現在の帝国領の境に、巨大な壁が築かれた。その戦の時には既に巨大な防壁を築き上げていたエルフ側の先代エーデルガルド。彼らを嘲り、臆病者と罵った報いを受け、アグリアティウスは心を病み、伏せりがちとなり、やがて悔恨と呪詛の中で非業の死を遂げる。

 失われた土地は、今では誰のモノでもなく、不毛平原などと呼ばれているが、変わらず肥沃な土地であり、南西のサフェヴィアが狙っていると噂されるが、精霊の森と帝国のいわば緩衝地帯ともなったあの地に、進出するのは現実的ではない。


 アグリアティウス家は帝国の大貴族であり、主要七派閥の一角であったが、皇帝の失態により衰退し、現在では完全に没落し、誰も顧みる事のない僻地へ飛ばされてしまった。風のうわさでは、かつてドワーフの王国であった西の大山脈の向こう、その芋やとうもろこしすらも育たない不毛の地で、魔物に脅かされながら細々と命をつないでいるという。


 そして、戦禍の傷痕がかろうじて隠された頃、七派閥とは全く関わりのない家より、輩出された皇帝。それがブロンだった。彼は落ち込んだ国力を一気に立て直そうと奇策を弄する。その結果うまれたのが、ブロン帝の銅貨と言う訳だ。選択と集中の考えに則れば、間違ってはいないのかもしれないが、最も大多数を占める庶民の力を侮り過ぎていた。あからさまな反感を買う政策は、国に嵐を起こし、皇帝を侮辱するビラが帝都で大々的にまかれ、その中心人物が不敬によって処されるなど、地獄の様相を呈した。


 それより千年。その爪痕は、旧都でひっそりと、新都から忘れ去られ息づいていた。


 ふむ。言い知れぬ因果の流れを感じますな……。


 恐らく余りにも大量にばらまかれたが故、新都からあらかた回収されても、あぶれた分が旧都にまで流れ込んでいたのでしょう。そして、都合よく数だけは多いため、通貨としての地位を勝ち取った。


 旧都の人々が自発的に硬貨を鋳造するにしても、その価値を一定に保つには多大な労力が必要だろうし、保障してくれる様な信用や権威もない。それでは一定の地域でありながら、常に外国と行き来している様な面倒な交渉が日常となってしまう。計算や査定の必要がない分、物々交換の方がいくらかマシだろう。

 同じ銅貨・銀貨・金貨と言っても、国によってその内部の金属の比率は異なり、形状や表層の仕上げすらも価値を左右する。面白い事に、自国であれば、人気のある支配者の時代に作られ、その人物のシンボルが記されたモノは、あくまで奢侈品としてだが、価値が高くなったりもする。


 他国においては、外国にまで勇名を馳せた者の名は良く通るモノだ。その時代の硬貨を持ち寄れば、両替に有利になる事すらある。伝説に残る古代ウィルスマイトの金貨クラウン。今や単位として浸透したそれが、現存していたならば、その価値は城を買える程になるだろう。そこまで行けば、もはや骨董品の域を超え、秘宝とでも呼ぶべきか。


「おい、爺ちゃん。聞いてんのかぁ?」


 おっと、綱渡りの最中なのを忘れていましたな。集中すると延々と思索にふけってしまう。私の悪い癖です。


 気が付けば、店主が呼びつけたのか、他の屋台からもヒトが集まって来ていた。無銭飲食の罪人を皆で袋叩きにする腹積もりか。


「どうなんだ? 爺ちゃん。金は、あったかい?」


 無言で首を振り、対処を考える。

 無辜の民を傷付けるなど、お嬢様の僕としては、失格でしょう。そうでなくとも、私の矜持にも反しますが。……で、あれば。


「お、おい!? 何やってんだぁ!?」


 素早く調理場に手を伸ばし、串焼きを更に二三本、頂戴する。そして、踵を返し、後ろ側を取り囲んでいた人々を飛び越える。


「おい! 食い逃げだぁぁぁ! 頼む! とっつかまえてくれ!」


 どうにもならないのならば、更に騒ぎを大きくし、目撃者を増やす。そして、その中に敵がいるのならば、誘い出し、こちらへ手を出し易い環境を構築する。


「ふふ。罪人などはどんな罪にせよ、叩きやすいものです」


 わざと速力を落とし、追い縋る者たちが諦めない様に、誘導する。騒ぎは周辺を巻き込み、どんどん大きくなっている。広場から出た先に広がる家々からも、聞きつけた人々が、飛び出し、こちらを捕らえようと試みる。


 ふむ。あまり増やし過ぎると、もつれあい、怪我をする者が出るかもしれません。ここは大元の叫びが聞こえない辺りまで一気に加速しますかな。


 速度を上げ、スローモーションに映る人々の隙間を風の様に縫う。通り過ぎる瞬間、驚愕の表情が見えたが、彼らが視線を移し終えた頃には、私はもう遥か遠くへ進んでいる。対象の既にいない空間を見つめた人々が、次々と混乱を含んだ奇声を上げた。


 しばらく進み、あの店主や、その周りの商店の人々の叫びが聞こえなくなった辺りで再び速度を落とすと、連鎖的に広がった「食い逃げを捕まえろ!」という空虚な声が響いてくる。


「ここまで来れば、もはや声は聞こえても状況を理解していないヒトばかりの様ですな――」


 いや――!


 風のように通り過ぎた建物の間の狭い通路から、確かに視線を感じた。それは、暗く鋭い目でこちらを射貫いた。


「ははは! これは――願ってもない!」


 やはり、この魔都に入った時から、誰かに監視されているのだ。拍動は早まり、期待が膨らんでいく。


 そこで立ち止まり、風にさらされ程よく冷めた串焼きを頬張る。


「むぐ。ふむ。やはり、良い味ですな。むぐ」


 食べ物を粗末にするのは、無銭飲食いじょうの重罪ですからな。


「ははは! そんな事をあの店主に言えば、頬を腫れ上がる程ぶたれますかな!」


 その時、背後の空間より、何かが飛来するのを感じた。首筋へ向けて飛ばされたそれの先端へ、串をぶつけて止める。


「ふむ。軽量だが、鋭く速い――投げナイフですかな?」


 細い串は、丁度まんなかから裂け、手元に刺さる直前で、ナイフは止まっていた。背後からは舌打ちが聞こえる。ゆっくりと振り返ると、そこには――。


「ほう。般若の面ですか。これは、珍しい。……して、私に用があるのでしょう?」


 西国の特徴的な文化である面を付け、その下には不釣り合いな真っ赤な帝国風の礼服に白い手袋。実に奇妙な出で立ちだった。


「……言葉はこれ以上は不要の様ですな」


 面の男は、無言で、その右手が素早く閃いた――。

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