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魔都探訪

 怪しげに笑うバーテンダーを、気付かれぬ様に窺い、ここからどう対応するかを思慮する。


 ふむ。大変に期待されている様ですからな。全く薬が効かないのでは良い反応も引き出せないでしょう。ここはひとつ――効いたフリをして、成り行きを見守りますか。


「ん……? 何故ですかな? 急に眠気が……」


 隣の女は、わざとらしくこちらを気遣う。


「大丈夫かい? 兄さん?」


 自分は口をつけもせず、最初から答えを知っていたのだ、そのうえでこのセリフを吐ける精神性に一瞬、侮蔑の様な感情が沸き起こるが、それは文字通り瞬きもしない内に、消え失せていった。


 この魔都で生きていくには、狡賢く、時には手を汚す必要もあるのでしょう。今は、彼らの生業を責める時ではありませんな。その背後にあるかもしれない敵の姿を探らなければ。


 そして、そのまま目の前のテーブルへと派手に突っ伏した。勿論、置かれたグラスを避け、清掃の手間を減らす配慮も忘れない。


 グラスを叩き落して派手に割るのも一興ですが、それでは後で余計な請求が生じる可能性がありますしな。効果に違いがないのならば、演技は最低限で、過剰な演出は避け、物品やヒトへの損害は抑えるべきでしょう。


「兄さん?」


 隣の女が、こちらの様子を探る様な声を出した。それを無視してしばらく眠ったフリをしていると、店内に動きがあり、複数の足音と床板の軋みが聞こえてくる。


 奥で飲んでいた男たちも近づいて来たのか、酒臭い臭気が漂い、思わずむせ返りそうになる。


「クスリが効いたみてぇだなぁ。ヒヒ」


 誰かの無遠慮な手が、右肩から首筋あたりに触れた。


「おおすっげ、ホントにイイ身体してやがんな。人足には最適って訳だ」


 先ほどまでとは打って変わって、あの女の嘲る様な声が聞こえた。


「ねえ? この爺さん。老け顔の割りには若い男みたいな逞しさよね。もう五十くらい若かったら、間違いを起こす自信があるわ」


 そう言って楽しそうに笑う女に同調し、周囲の面々も声を上げた。


 成程、爺さん。やはりそれが本音でしょうな。ジジイや老いぼれなどと呼ばないのが、最低限のこされた品性といった所ですかな。


「港のエルバドの旦那んとこ。あそこは最近、奴隷が集団脱走を試みたとかで、何人かやっちまって、人手不足らしい。貴重な人材に手を出すなんて、自業自得だろって、笑いあったもんだが、この爺さんなら、喉から手が出る程、欲しがるんじゃねぇか?」


 ふむ。港ですか。港湾区域の働き手として、不当に集めた人々を奴隷として使役している。……一度、探ってみる必要がありそうですな。


「人材不足の所へ彗星のごとく現れた逸材。上手くやれば、言い値で買ってくれるんじゃないかい?」


 その場の面々は、それ以降、裏社会の世間話の様な話題を始め、有益な情報は得られそうにない。

 ふむ。ひと手間かけた割りには、得られた情報はごく僅かですな。あまり時を無駄にも出来ません。そろそろおいとましますかな。


 その時、店の外、入口の辺りから強い殺気を感じた。それは厚い木製の壁を越え、確かに私に突き付けられている。


 ほう……? これは――隠すのが下手と言うよりは、こちらへ通じるのが分かっていて、わざと全開にしている……?


 面白い。何者かは分かりませんが、ひとつ顔を拝見させてもらいましょうか。あまりグズグズしていて、立ち去られでもしたら、次はないかもしれません。急いだ方がいい。


 そう決心し、がばっと身体を起こすと、その場の空気が凍り付き、驚愕の眼差しが注がれる。


「に、兄さん? も、もう目が覚めたのかい……?」


 その言葉には反応せず、立ち上がる。


「ふう。何か、いい夢を見ていた気がしますな。……さて、あまり持ち合わせもないのですが、お会計は如何ほどですかな?」


 女は引きつった笑みを口の端に浮かべ、バーテンダーへ目を向けた、すると無言の頷きが返り、再びこちらを向く。


「い、いいよ、いいよ。最初に言ったでしょう? お代はあたしが持つって」


 女は何処か不安そうにこちらの目を覗き込んでくる。


「ふむ。ではお言葉に甘えて。実に良いひと時でした。また機会があれば――」


 立ち去る背中に、控えめに声がかけられる。


「つ、次は、もっとイイお酒を用意して待ってるわ……」


 そうして、店の扉へ手をかけた時、外側からも動きがあり、内側へと押し開けられる。それを素早く避け、その正体を探った。


「おっと、失礼」


 このセリフは、本来なら相手が言うべきだろう。だが、目の前の男は、無言で俯き、その場に立ち尽くす。


 茶色の頭髪は、鋭い刃の様に尖り、それを額に巻かれた青いバンダナが、無理やり押し上げ、まとめる。特筆すべきは、そのバンダナの中央に描かれた模様だろう。


「赤黒いひとつ目……」


 頭の中で、記憶を辿り、その模様と適合する情報があるかを探る。だが、これまでに見た中にはなかった。


 ふむ。以前つぶした魔人信奉者の組織は――確か、干からびた人差し指がシンボルだったはず。この男が何者かは分かりませんが、残党と言う訳ではないのでしょうか?


 いや、そう決めつけるのも早計か。残った者が集まり、異なる組織を立ち上げる。それもこれまでに何度も目にしてきた。……それに、奇妙な事がひとつある。

 魔人信奉者。後ろ暗い思想に染められた、ならず者や、裏社会の住人と呼ぶのも憚られる様な、邪悪な本質を持つ彼ら。彼らはその目的からこのように大々的に組織のシンボルを記す事はせず、仲間内で分かる範囲にとどめてそれを使って来た。だが、この男はどうだ。これ見よがしに額を覆うバンダナに記されている。


「……邪魔」


 ん? 今、何か聞こえた様な。


 男はにわかに顔を上げ、鋭い瞳でこちらを射貫いた。


「邪魔だって、言ってんだよ」


「……失礼」


 険のあるがらついた声が、耳に不快な残響をこだまする中、道を開けると、店内から先ほどの客たちの声が聞こえた。


「あ、あんたは、レバンの旦那んとこの……。め、珍しいな、酒かい? 女かい? 欲しいもんは何でも揃ってるぜ?」


 男は悠々と歩を進め、誰に言うでもなく呟く。


「……何でもねぇ……」


 その呟きの続きが、幻聴の様に聞こえた気がした。


 欲しいのは、そこの老いぼれの命だ――と。


 背筋に電流が走るが、黙してその場を後にする。


 レバン……。新しい名ですな。

 その人物が組織の長、もしくはこの魔都での限定的な支配権を持つ管理官か。それは分からない。だが、あのように配下にシンボルを身に着けるよう指示しているのだろうか? 何故……? それともあれはあの男の一存なのか? いくら考えようとも、手持ちの情報では、答えは分かるはずもない。


 店の外に出てしばらく進んだ辺りで振り返り、閉じられた入口を見やる。


 中では何が行われているのだろうか、先ほどの殺気の正体は間違いなくあの男だ。店員や他の客たちと和やかに酌み交わす姿は想像も出来ない。何らかの目的があって店を訪れたのだとすれば、それを知る事は、探索の任に必要な事とも思える。


「ふむ。しかし、あれ以上、店内に残るのも不自然ですからな……」


 ここは大人しく場所を変え、レバンという人物について探るのが懸命かもしれない。


 半ば崩れ、風通しの良さそうな家屋の並ぶ道をしばらく進むと、辺りに良い匂いが漂い始め、にわかに明るくなる。


「ほう。ここは――」


 この広場は、飲食物を扱う屋台が集まった場所の様だ。幾つも並ぶ出店は、煌々と明かりを灯し、それぞれが、店の看板メニューの調理中なのか、食物が焼けた匂いと火を扱う賑やかな音が聞こえる。


「腹は空いてはいませんが……」


 飲食物を扱う店では、何か一品でも頼み、その流れでそれとなく目的の情報を聞き出す。それはこういった場合の常套手段だ。下手に飲食物いがいの店に立ち寄るよりも、安上りに済む可能性が高く、財布にも優しい。


 その中のひとつ、海鮮と大きく書かれたのぼりの出た店へと近づき、調理場を覗き込む様に目をやる。


「お、爺ちゃん。何か食ってくかい? 今やいてんのぁ、さっき獲れたばかりの奴よ! 素材は新鮮そのもんよ!」


 こちらへ気付いた店主が、調理を続けながら声をかけてくるが、ひとつ不審な点がある。


「さっき、というと、こんな夜中に漁が行われているのですかな?」


 店主はこちらが不審がっているのを気に留める素振りも見せず、事も無げに答える。


「そっだよ。ここいらの海じゃあ、発光する魚を生餌に漁をすんのさ。見た事あるかい? そりゃもう、すげえ明るさでな。日が暮れてからも真昼間みてえなもんよ」


 ふむ。衛生状態の不手際を隠すために嘘を言っている様にも見えない。……北の新都では、その様な漁の話を聞いたことはありませんが。


「爺ちゃん。他所もんかい? ま、ひとつ騙されたと思って食ってみな。上手さでまぁじ、頬が落ちっから」


 調理場の端には、刺身らしき怪しげなナマモノが並んでいたが、流石にそれに手を出す勇気はない。火を通していると思われる串焼きを指さした。


「お、早速くってみるかい? こいつぁな。クラーケンのげそ。焼いてもコリコリした歯ごたえがたまんねぇ、そんでもって噛めば噛むほど、ジワリと味が染み出る。天然の調味料込みの食材でなぁ。なんと、なぁんも味はつけてねぇのよ」


 何か物騒な名が聞こえたが。


「クラーケン……というと。伝説にもうたわれる、巨大な海の魔物ですな。それが――これほど小さな姿に……?」


 店主はこちらにちらっと視線を送り、直ぐに調理に戻った。


「違う違う。そいつぁ幼体よ。もちろん成体は馬鹿デケェ奴さぁ。軍艦も沈めるっていうなぁ。おれのじっちゃんが、昔いちどだけ見た事があるって言ってたが――」


 幼体? それは、ただのイカなのでは……?

 店主は事実か嘘か見当もつかない昔話を上機嫌に語り、焼き上がったばかりの串焼きをこちらへ突き出した。それを落とさない様に、注意しながら受け取る。


「あっちぃから気ぃつけなよ」


 受け取ったげそは、高熱で焼かれたにも関わらず、まだうねうねと動いている。


「はは、まだ生きてるだろ? 喉やぶられない様に気ぃつけなよ」


 生きているというよりも、熱を加えられたタンパク質が変性し、筋組織が縮んでいるのだろう。本当に生きているとしたら、実験の手軽なサンプルとして、数多の魔法使い、錬金術師といった連中が、大挙して押し寄せ、価格は高騰し、この生物は庶民の食卓にはのぼらなくなるだろう。


 大昔、ただのトカゲが、精霊のサラマンダーの様な特質を持つと大騒ぎになり、彼らを捕らえ、熱を加えるという非道な実験が、一部の界隈で流行した事がある。……まあ、それはただの勘違いである事が、多くの無益な殺生により明らかになった訳だが。


 そんな思考を続けながら、串焼きに思い切って口を付けた。まだ動くそれの先端を含み、噛み切ろうと顎に力を込める。


「あつっ!」


 その瞬間、高温の汁が漏れ出し、舌を火傷してしまった。


「はは、だっから気ぃつけなって」


 ふむ。これは大失態ですな。お嬢様の僕たる者。何時いかなる時も堂々と、例え陰に潜もうと公明正大に、他者に弱みを見せてはならない。

 串を右手に持ち替え、左手で心臓の辺りを掴んだ。


「お、おいおい。そんなに一気にパクついたら口んなか大火事になるぜ!?」


 店主の心配もよそに、げそを一気に引き抜き、頬張る。

 ふむ。これでは味が分からなくなってしまいますが、背に腹は代えられませんな。


 店主は息をのんで、こちらがげそを平らげるのを見守っていた。


「ど、どうなってんだ? さっきまで熱がってたのによぅ」


 しばらくして咀嚼を終え、一気に呑み込む。味の感想などは、適当に言っておけばいいだろう。都合の良い事に、この手の料理なら以前に何度か食べた事がある。その時の記憶と大きく異なる事もあるまい。そもそも味の感じ方は個人の好みによる所が大きい。店主の機嫌を損なう恐れのない当たり障りのない言葉であれば、それが嘘か真実かなど問題にならない。

 これは、ある種の儀式であり、優先されるのは結果で、そこへ辿り着くための具体的な方法論よりも、様式美が重要な場合も多い。

 そして、往々にして、美しいものとは細部に宿るものだ。以前、感じたそれを、ただなぞるだけで、ほぼ正解に近い答えが得られるだろう。この店主が余程のへそ曲がりでもない限り。


「実に良い味でした。歯ごたえもそうですが、ひと噛みするごとに溢れだすうま味……! 舌の上で踊るそれが、失われたはずのげその生命力をも感じさせて、まるで大海でたゆたう命のひとつになったかの様で、眼前に青く透き通った世界の幻がちらつく……。他では経験できない一品でしたな」


 店主は破顔し、調理の手を止める。


「お、おいおい。ッントに大袈裟だな! 一言うめぇって言やいいんだぜ!? はは」


 機嫌良さそうに笑う姿を見て、切り出すならこのタイミングしかないと感じ、この海産物が獲れた港へ自然と興味を持った様に装い、そこへ少しばかりの間違いを混ぜる。


「そういえば、ここの港をまとめているという、レバンさん、でしたかな? その方をご存知ですかな? 少し聞きたい事があるのですが……?」


 店主は怪訝そうな顔つきとなり、「レバン……?」と小さく呟いた。答えを急ぎ過ぎたか。往々にして、逃がした獲物とは大きく感じるモノだ――。

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