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魔都アヴセンスウトーケン

 帝都の南端、海にほど近い潮の香りが漂う人工の絶壁の上に、ひとりの老人が立ち、その眼下に広がり、明かりの散らばる混沌とした街並みを見下ろしていた。目立つ白い礼服は、茶色のコートで覆われ、はためく裾から僅かに覗くのみになっている。


「ふむ。ここまで来ると、潮の香りが……。北の新都とは大違いですな」


 振り返り、遠くに霞む新都を見やると、こちら側と隔てる多くの軍事区画の建造物が並んでいるのが見えた。松明を持った兵たちが忙しく行き来し、まるでこちら側を封じるかの様に、守っている。


 ふと、歴代の皇帝たちの権威について思いをはせる。

 どれほど強大で、完璧な権力を持っていても、いや……その表現はこの場合は適さない。例えるならば、無限の権力がこの世に存在し、その威光が、あまねく領土を照らしていたとしても、そこに限りはあるのだ。


 自慢の髭を撫でつけ、潮臭い風を頬に受ける。


 そうだ。人や物資には限りがある。絶大な権力により、構築された完璧な計画。それによって都が作られても、遂行する人々は、有限の存在で、金や物も同じだ。完璧を空想し、それを現実に成そうとすれば、必ずその空間は限られた範囲になってしまう。そうやって、理想のままではいられない、あぶれて、流れが滞り、淀み、出来上がる歪の全てを引き受けた様な吹き溜まり。


「それが、この先に広がる旧都ですな。いや、口の悪い面々には、『魔都』などと呼ばれていますが」


 完璧さを感じさせる程の秩序によって構築された新都と、秩序から見放された旧都。過去の繁栄の面影は今はなく、素性も知れぬ人々が集まり、日々、まるでアリの巣の様に、破壊と創造を繰り返し、複雑に形を変えていく。それは、混沌そのものに思えた。


 元々は、おおよそ三千年ほど前にあった大災害、その水害によって、旧都が破壊された事が契機となって新都は出来た。人の生命は短く、人々の記憶は儚い。今では、その災害の記録すらも、朽ち果てた碑によって知られる程度で、具体的に文字に記した歴史書すら、現代にはほとんど残っておらず、過去を知る術は、一部の賢者や好事家のモノで、一般市民に多く知れ渡る事はない。


「おい、そこのあんた、ここは、一般市民の来ていい場所じゃあないぞ。引き返したまえ!」


 絶壁をジグザグに辿る、大階段の守護兵のひとりが、こちらへ気づき、松明を掲げ、近づいてくる。一見すると、友好的な雰囲気を発している様に見えるが、その空いた手は、いつでも腰の剣を抜ける様にぬかりない。


 おや、気配は完全に断ったつもりでしたが、気付かれてしまいましたな。相手が、想定いじょうの手練れか。それともこちらに焼きが回ったか……。

 その時、密かな拍動が、胸の奥を震わせた。

 いや、これのせいでしょう。

 今日は何処か、胸が躍りだしそうに熱い。この拍動が、断ったつもりの気配を、簡単に察知される程に、他人に突き付けているのだ。


「ははは。実に面白い。どんなに年老いても、この興奮だけは、忘れられない」


 そう、狩り――と言えば、少々、品がない。戦い――と言うほど、戦好きでもない。適した言葉は……。


「そう、探索! それがおあつらえ向きですな! 古き騎士の物語にも、聖杯の探索の一節があるではないですか!」


 近づいて来る守護兵が不審がった様子で、声を荒げた。


「あんた! 何をひとりでブツブツと言っているんだ!」


 さて、怒らせてしまう前に、退散しますか。


 目の前の絶壁から乗り出し、その二百五十六リーブとも言われている、目もくらむ高さを覗き見る。遥か遠い地面で、酔っ払いが嘔吐している姿を鷹の様な目が捉えた。


「お、おい! あんた、早まるな――!」


 何かを勘違いした守護兵が、駆け足になった所で、一気に柵を乗り越え、飛び降りる。


「お――」


 もはや呼びかける声も聞こえず、風に包み込まれ、心地よい重力が迎え入れてくれる。その感覚に、胸はさらに激しく踊りだそうとしていた。真下では、まだ嘔吐が続いているが、それに構うことなくただ身を任せ、風を切る。


「オエエェェェ――」


 堅く、複雑な形状を取った石畳が、目の前に迫る。そのままぶつかれば、潰れた醜い肉片となり果てるだろう。

 左胸に手を当て、その拍動を、より強く感じる。


 そして――。


「オエ――え!? ええええ!?」


 地面に、まるで水中に飛び込むように埋まった私を見た酔っ払いが、嘔吐を中断し、奇声を上げた。


「え――オグッ! ゲホッ!」


 地面から浮き上がった姿に、酔っ払いが文句をつける。


「おえっ! て、てめえのせいで、出したのをまた飲んじまったじゃねえか! おえ!」


 完全に酔いが回り、冷静な判断力が失われているらしい。平静であれば、一目散に逃げ出している所だろう。

 ゆっくりと浮き上がり、地面へ踵をつけ、しっかりと踏みしめ、歩き出す。背後からは、まだ酔っ払いの罵倒が続いていた。


「おや、あの花は……」


 壁面に沿う様に置かれていた、一輪の萎れた花に目をやる。


「恐らく、自殺者が……」


 そこには既に死体の跡すらも残っていないが、以前に聞いた噂を思い出していた。


「新都の防衛網をくぐり抜け、わざわざこの絶壁を飛び、投身自殺をする者が稀にいるらしいとは聞いていましたが……。実際に目にすると、何とも言えない気分になりますな」


 短く祈りの言葉を呟き、その魂の冥福を願う。


「はは。似合わぬ真似をしてしまいましたな」


 この場は、上とは隔絶されている、亡くなった者の親族でさえも、祈りを捧げに来る事すら出来ないだろう。そして、下で死んだ者は、この先の旧都の墓地へ埋葬される。そうまでして、上との関わりを断ちたかったのか、それとも何か他の理由があるのか、それは、誰にも分からない。


 そうして、巨大な絶壁を見上げ、片手をついた。


「この下には、古の遺構が……」


 先ほどの新都の建設の話には、続きがある。水害を逃れるためには、街を高い位置に築く必要があった。勿論、堅固である必要もある。そのために、既に文字も読めず、名も忘れ去られた古の国の遺構を、踏み台としたのだ。奇妙な事に、それらの遺構は遷都の折りには、いや。恐らくは現代であっても、変わらないだろう――優れた建築技術の賜物か、素材が遥かに優れいてたのか、後の時代では、再現できない強固さを誇っていた。


 土が何層にも積もり、草木が繁茂していたそれの上に、掘削した岩盤を敷き詰め、土を固め、水に強い素材を集め、頑強な土台を何年も、何十年も、気の遠くなる時間を費やし、築き上げた。そして、その上に、新都は発展していった。


 そうだ。我々は、名も知らぬ王の墓を、その臣下たち、愛すべき臣民たちの歴史を踏みつけ、足蹴にしているのだ。そうやって生を営んでいる事を、知る者はもはや片手の指で足るほどに少ないだろう。


「噂では、古にこの地にあったのは、王国だったと言われていますな。それも、聖なる王であったと言う」


 在りし日の幻か、その聖王の巨大な墳墓が、目の前の壁を突き抜け、遥か彼方にそびえ立つ姿を見た。いや、更に遡り、その栄えた時代が、荘厳な王城が、人々で賑わう街の通りが、流星の様に横切って行った。


「さて、ありもしない感傷にひたるのは、このくらいにしておきましょう」


 お嬢さまに託された任を、遂行せねば。


 振り向き、壁から離れ、旧都の、そのスラムの様な町へと踏み込んで行く。


「ふむ。空気が変わった――」


 濃い化粧の匂い、安っぽい酒の匂い、質の悪い香水、人々の吐息や、汗の匂い、そして、微かに漂う。血や病の匂い。それらが、旧都へ踏み込んだ瞬間に、湿り気を帯びた空気に乗って、鼻孔をついた。


「ほう。あれが――『魔城』ですか」


 建物の上部に見える夜空を背景とした、巨大な尖塔を幾つも立てた、城。それは、旧時代、ここがまだ帝都の中心であった時の、名残だ。だが、今は、ならず者や、得体の知れない輩、魔物までもが住みついた廃墟と化していると言う。

 旧時代の人々は、あれの管理を放棄し、この場に残したまま、新都へと移り住んでしまった。


 所々が崩れ落ち、木々の弦が垂れ下がり、まるで巨大な生物にも見えるそれを、瞳に焼き付ける。三千年いじょうの時を、ヒトの手から離れて存在するとは思えない、いまだにとてつもない威圧感を放ち、屹立していた。


「おい、あんた。いいコート着てんな。……なあ、この貧しい乞食に、コインを恵んじゃくれねえか?」


 そこで、建物の間に座り込み、こちらを覗き見ていた男に、声をかけられた。


「今は時節は春ですが、帝都の近辺は、まだまだ夜は冷え込みますからな。コートは欠かせませんな。ははっ」


 乞食らしき男は、その歯並びの悪い口内を見せつける様に、大口をあけて話す。


「あんた。世間話をしてぇんじゃねぇんだ。なあ。恵んでくれよ。銅貨いちまいでもいいよ。もう、三日も何も食ってねぇんだ」


 その乞食の身体を覆っている衣服へ着目し、言葉を返す。


「貴方は、ウィルスマイトのご出身ですかな?」


 乞食は驚いた様子で、目を丸くする。


「な、何いってんだ? あんた。俺は、生まれも育ちもこの魔都よ。へへっ」


 明らかに嘘を言っている。その衣服は、確かに擦り切れてはいるが、元は、こんなスラムで手に入る様な品質ではない。


「その細やかで密度の高い縫い目、極限まで細く編まれた二層の糸は、手触りもよく空気を含んで温かい。何より特筆すべきは、冬は暖かく、夏には涼しい、両面を備えた機能性。彼の国の紡績技術の高さが窺えますな。帝国の、ごわついた割りには、風通しも悪く、手触りも着心地もいまいちな繊維。それとは大違いです。長い平和の時が、軍事技術いがいを高度に発展させたのでしょうなあ」


 比較するかの様に、自分のコートを触り、わざとらしくはためかせる。乞食は目を白黒させ、唾を飛ばしながら、詰問する。


「あ、あんた。ナニモンだよッ!? チッ! もういい、行け! さっさと向こうへ行け!」


 そのやり取りを、陰から見ている者がいた、気配を隠す手段を知らないのか、それともこれだけ人がいれば、紛れて隠す必要もないと思っているのか。だが、こちらへは筒抜けだった。


「ふむ? 早速かかりましたかな?」


 小さく呟き、道を進み、目についた酒場らしき店の入口のドアに手をかけ、押し開く。すると、酒臭い匂いが充満し、嗅いだだけで酔いそうになる。そして、くすぶる白煙と煙草の匂い。カウンターの奥から現れた髭面の男が、イラついた様子で声を上げた。その制服らしき白黒の衣装から推察するに、バーテンダーかもしれない。


「あんた。店の看板が見えなかったのか? うちは紹介なしじゃ、客は取らないんだ。出てってくれ」


 その言葉に、奥へいた人相の悪い客たちが、一斉にこちらを向く。その隣には、例外なく女たちが座っていた。


「成程、そういう店でしたか」


 バーテンダーはこちらを追い出そうと声を荒げたが、二階から降りてきた豊満な赤いドレスに長い黒髪の女が、たしなめる。


「いいじゃないか。ちょっとくらい、あたしは、この兄さんが、一目みて気に入ったよ」


 そのあからさまなお世辞に思わず笑いが漏れる。バーテンダーは「しかし……」と押し黙るが、その瞬間に、女と目くばせし、すぐに目をそらしたのを見た。女のドレスは、貧相な店内の様子とは、不釣り合いに上質に見える。


「ははは。この老いぼれを掴まえて兄さんとは――」


 女は近づいてきて、こちらの身体に無遠慮に触れて、撫でまわした。


「かた……。すごい胸板ねぇ。兄さん、冒険者か何かかしら? 兵隊さんには、見えないものねぇ?」


 それに、ちょっとした脅しをかけてみる。


「狩人。でしたら、どうしますかな?」


 その冗談めかした言葉に、一瞬、店内の空気が凍ったのを感じた。


「あ、あはは。冗談が上手いねぇ! ますます気に入ったよ。ねえ、この兄さんに、何かイイのを出してあげなよ。お代はあたしが持つからさ」


 女の言葉に、バーテンダーは無言で応じ、一本の酒瓶を手にし、グラスへと注いでいく。黒く光る瓶には、ラベルが張られているが、その文字は、帝国の物ではなく、読み取れない。注がれた液体は、赤く、まるで鮮血の様だった。立ち昇る香りは、何か甘酸っぱい果実を想起させる。


「さあ、あっちの席へどうぞ」


 女が自分ようのグラスも用意し、ふたつを手に持ち、席へといざなう。それに無言のまま従い、着席した。


「ねえ? お酒も、強いんでしょ? 一気にいってよ」


 隣に座った女が、しなだれかかり、甘く誘うような声を上げる。


 誘いに乗ったフリをし、グラスを持ち、中身の匂いへ集中する。


 これは――。


 きつい果実の香りで、巧妙に隠されてはいるが、何らかの薬剤の匂いが混じっている。いきなり毒殺するとは考えにくい、恐らく眠り薬だろう。


「どうしたの? 早く――」


 グラスを傾け、中身に口をつけるが、その時、左手で心臓の位置を掴んだ。

 ごくりと、喉が鳴り、液体は、胃へと流し込まれた。熱く、焼けつくような感覚が喉の奥へ走る。


「ほう。これは、ただの安酒かと思いましたが……。口に含んだ時に、鼻に抜ける芳醇な果実の香り。そして、舌に含むと甘く濃い味でありながら、喉越しはしつこくなく、何処か清涼ですらある。……うむ。実に良い酒ですな」


 女が嬉しそうに頷き「でしょう? 兄さん分かってるねぇ」と褒めそやす中で、一気に残りを飲み干した。

 隣の女は、蕩ける様な目線を送るが、こちらを見守っていたバーテンダーが、怪しげな笑みを浮かべたのを、横目で捉え、逃さなかった――。

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