傷つき倒れた者の行く末
整理のつかない情報に、混乱の渦へと呑まれていたが、アイシャが肩に手を置いて、こちらの注意を引いた。
「カイト。今わからないことに、時間を使いすぎるのは良くないよ? デム爺から奥義を教わったんでしょっ! そっち優先!」
あ、ああ。確かにそうだな。分からない事だらけなのは、ある意味とくなのかもしれないし、探求しがいのある課題が転がってるって事で、今は締めておくのがいいか。
「ありがとう。……とりあえず、奥義の方に集中して、この問題はおいおい考えるよ」
アイシャは嬉しそうに「うん。それがいいねっ」と答えたが、ジジは少し不満そうだ。
「むう。家に帰っても結局わからずじまいか。……何処かもやもやするのう」
好奇心旺盛なのは出会った時から変わらずだなあ。
そこで、今日の巨人との戦いを振り返り、ひとつの問題を感じていた事を話した。
「そういえばさ。これも、奥義とは別の話しなんだけど、そのままにはしておけないというか……」
アイシャは深刻そうな様子を見て、咎めずに答えを待つ。
「治癒魔法の事なんだ。君に、基礎の指導をしてもらってるけど、何かさ、あの聖女の手の怪我は、偶然だったのか、綺麗に治せたけど、今日の実戦じゃ、全然うまく行かなくてさ。……これからも戦いは避けられないだろうし、これは軽視できない気がするんだ」
それにアイシャは小さく唸った。
「ううぅん。カイトには、手にちっちゃな穴をあけて治す練習をしてもらってるけど、多分、それだけだとこれ以上の成果は出ないと思うんだ……。大きな怪我を治すには、小さな傷だけを治しててもダメだからねぇ。でも、練習のために、今よりも大きな傷を作って治すなんて、現実的じゃないでしょ?」
それはそうだよなあ。
あの針で穴をあけて治す練習、あれだって結構いたいし、毎日くりかえしていれば、精神を病む原因にすらなりかねない。それを、更に大きな傷をつけて行うのは確かに現実的ではない。
アイシャは何処か戸惑いながら、言葉をついだ。
「治癒魔法の上達は結局、危険と隣り合わせなんだよねぇ。実戦で仲間や自分の傷を治しているうちに、少しずつ大きな怪我も治せる様になるんだ……」
そこで、ひとつの可能性に思い当たった。
「そうだ。僧侶とか神官とか。そういう他人の怪我を治すのが仕事の職業は、最初はどうやって訓練を積むんだ?」
あ、しまった。ついゲーム目線で語っちまった。
だが、アイシャは特に不審がる様子も見せず、考える仕草を取る。
「あ、そうだね。あの人たちは、色んな人の病気とか、怪我を見るからねぇ。……見習いは、どんな訓練をしてるんだろ? 私は、この森で冒険してる内に、少しずつ上達したから、考えた事もなかったよ」
前に話してくれた幼い頃の仲間との冒険、だろうか? そこで基礎を身に着け、成長してからはハンターとしての日々の生活で、自然と会得できたのかもしれないな。
アイシャは何かを思いついたのか、一瞬、表情が明るくなったが、すぐに不満そうに目をそらし、頬を膨らませた。
「……あの、聖女さん。あの人も、神官さんでしょっ! 会いたくないけど、今度あったら、聞いてみてもいいかもねっ!」
怒気をはらんだ声の後に、いらついた様子で、食卓の端を指先で小突いた。
うむ。何故かは分からないが、アイシャとジジは、あの聖女に、俺いじょうに不満を持っている様だ。それも、釈然としないのが、自分が関係している場合に、苛立った様子を見せていると感じる点で、先ほど発せられた言葉にも、そういった感情が含まれているのかと思うと、ますます訳が分からなくなる。
また会うのはずっと先だと思うけど、あんまりあの聖女の話はしない方がいいのかもなあ。
「ふむ。アイシャよ。儂は腹が減って来たぞ」
治癒魔法の話題には、それほど興味がなかったのか、黙っていたジジが、空腹を訴える。
「あ、ゴメンね。晩御飯の用意、まだ途中だったよ。すぐ済ませちゃうから待っててねっ!」
一転して明るい顔に戻ったアイシャが、台所へいそいそと移動し、夕飯の準備を始める。
手持ち無沙汰な俺は、文字の勉強でもしようかと、ジジに尋ねた。
「なあ。お前は、ゼスパール共通語って、読み書き出来んの?」
ジジはこちらを見やり、即答する。
「出来るぞ。あの言葉は、古くより、ヒトの中に浸透しておる太陽神の信徒らが広めたモノよ。この森でもひと悶着ありはしたが、時が経つにつれ、徐々に受け入れられ、広まっていった……。そう書物に記されておった。まあ、儂はヒトから直接みききする内に覚えたくちじゃが。難解な表現も少ない言語じゃ、詩的に愛を語るには、物足りぬが、幼い者が、最初に目にするには適しておるじゃろうなあ」
ジジは特別な思い出でもあったのか、共通語に対しての見解を長々と語った。
「じゃあさ。夕食までの空き時間に、文字の勉強に付き合ってくれないか?」
ジジは考える様子もみせず、快諾してくれた。
「良いぞ。いつもはアイシャに任せきりであった。今宵は、儂が手ほどきしてやろう」
そうして、その日の夜は更けていき、朝と昼に大事があった事など忘れそうな程、平和に幕を下ろした。
※ ※ ※
密やかに隠れ住む人々が、暮らす頂きの集落。岩に囲まれた隠れ里の奥にある広場の、中央から正面側、そこには岩をくりぬいた洞窟があり、その中は、まるで寺院の様に、様々な装飾が施され、祭礼に使われるであろう道具が整然と並んでいる。壁に描かれた絵に目をやると、ヒトと巨大な龍の邂逅が記され、荘厳でいて厳粛な雰囲気を醸しだしている。人工の明かりも少なく、夜になり、日の光が入口より入る事もなくなった。そこは、薄明りと闇に支配されていた。
そして、その寺院の一番おくには、まるで生体が、そのまま石化した様な、精巧で巨大な龍の像が洞窟の壁面と半ば一体化し、祈りを捧げる場を、力強く、しかし、神聖な視線で、見据えていた。
そこに、跪き、祈りを捧げる暗闇でも仄かに明るい、白い装束に身を包んだ女が、何かに気付いた様子で、顔を上げた。
「古龍の巫女よ。我が声を聞きなさい」
その声は、辺りの空間を微かに震わせて見えたが、女にだけ聞こえている様子だ。
「はい。如何なる時も、そのお声を聞き逃す事などありません」
暗く静かな空間を、緊張が包んでいく。
「近頃、里に現れた。人間の娘。その者を、里に受け入れなさい」
それに女は驚き、疑問を発する。
「何故でしょう? あの娘には、龍神さまを傷付けた咎があります。その責めを負い、放逐されるべきです」
穏やかな声は、それを否定する。
「それは、あの娘の保護者とも呼べる立場の者が、やった事。娘じしんに責はありません」
女はあからさまに不満そうだが、それを隠す様に言葉を選ぶ。
「保護者とは……。ナミダ・ルイセンの事でしょうか? あの者は、これまでに里に多大な貢献をもたらしています。……長老たちも、ナミダを追放したいとは考えていない様です。その代わりに、来たばかりのよそ者を追い出す。その方が波風も立たず、穏便ではありませんか?」
謎の声は、その女の主張をまた穏やかに否定した。
「それは、一方的な見解に過ぎません。では、あの娘は、里を追われ、どうなりますか? ……古龍の巫女よ。貴女が里の総意を覆すのです。そうする事で、貴女が何を得るか、ここから先は、言葉にする必要はないでしょう?」
謎の声は、しばし沈黙し、女は逡巡し、答えを返すのに戸惑っている。
しばらくして、再び念を押す様に声が響き、それは脅迫じみた色合いを帯びる。
「良いですね? これは――命令と取ってもらって構いません。貴女のこれまでの立場や、生活。失いたくはないでしょう? まだ時間はあるはず、良く、考えて答えを出しなさい。古龍の巫女よ」
そうして、謎の声は聞こえなくなり、寺院は静寂に包まれた。
俯き、祈る女は、それ以上ことばを発することなく。自身の内面へと向き合っている様に見えた。
※ ※ ※
日が暮れても、家々の明かりによって、まるで町自体が息づいたかの様に見える。帝都の目抜き通りの一角。そこからひとつ路地へと入り込み、道幅が中心と比べると少し狭くなり、建物の派手さも落ち着き、民家が目立ち始める通り、そこに他と比べると一層、巨大な四角く立派な家屋が見える。
既に明かりも見えず、並んだ大きな窓から中を窺い知る事は出来ない。正面にある入口には、「ゴドフリート流実戦武術本館」と書かれた看板がかかっているが、そこに石でもぶつけた者がいるのか、細かな傷に、へこんだ様な跡が見え、地面には、小さな石ころが幾つか転がっていた。そして、その周囲に散る、落書きの成された人相書きの数々。一目でただならぬ雰囲気を感じさせるが、暗い建物の中からは、何か風を切る様な音と、怒声が響いていた。
その男は、何事かを叫びながら、一心不乱に手足を振り、格闘技の訓練を積んでいる様だった。
「嘘だ! 嘘だッ! 総師範がッ――!」
砂の敷き詰められた床を踏み、徐々に、精巧に作られた人型の案山子へと近づいていき、その間にも踏み込み、手足を振るう。
「嘘だッ――!」
まるで爆発する様な咆哮が響き、様々な人体急所が記された案山子のみぞおちへと右手で一撃を加え、その鋭い打撃音で、我に返ったかの様に、動きが止まる。
「はっ! す、寸止めするつもりが――!」
思い切り打たれた案山子は、みぞおち部分がへこみ、包まれた袋の部分が破れ、中身が溢れだしていた。
「あ、あああ! ど、道場の備品に傷が……!」
慌てた様子で、傷の隠蔽を試みる男の後ろから、声が響いた。
「まだやってたのか。ゴート、精が出るな。だが、無茶は禁物だぜ?」
その声に驚いて振り向き、身体で案山子の傷を隠す。
「ガ、ガシオン先輩。どうしたんですか? こんな時間に……?」
先輩と呼ばれた男は、そこにいる理由を語った後に、一枚の紙切れを取り出し、ひらめかせた。
「俺は、ちょっと気になる事があってな。んで、道場に来てみりゃ、音が聞こえるからよ、こうやって様子を見に来たって訳よ。お前も……これ。見たんだろ? 外の様子も――だから、そんなに怒ってるんじゃねえのか?」
ゴートは、押し黙り、砂の上で何度も踏みつけられた跡のある、紙切れに目を向けた。
「やれやれ。民衆ってのは、容赦ないもんだよなあ。……知ってるか? 総師範の容体。お前、聞くのを怖がってたけど、そろそろ知っといた方がいい。……軍の重傷者せんようの病棟で、治療されちゃいるが、意識不明の状態が長く、時折みじかい覚醒を挟む、それの繰り返し。傷は深かったが、そっちは何とかなったらしいぜ。だが、急場しのぎに飲んだポーションの中毒症状が酷く、そっちの完治には大分かかるらしい。……そんでよお。意識がはっきりしてる時には、何かを思い出したかの様に、急に叫び出すんだとよ……まるで、戦いの続きみてえにな」
暗い声が続き、ゴートは目の端に涙を浮かべていた。
「多分、戦場の記憶にうなされてんだろ。何があったかなんて、分からねえが、あの、総師範がな……」
そこで、声は止まり、男は振り返り、出口へ向かう。
「ゴート。お前、あんま思い詰めんなよ……? いくら、実の父の事だと言ってもよ」
言葉の後半は、小さく呟かれ、沈んだ空気の中に消えていった。男は外へ出て、ひとりになったゴートは、床に落ちていた人相書きの一枚を拾い上げた。それには、黒髪の少年の人相と共に、大きく目立つ赤い字で、「ゴドフリートは負け犬」と書かれていた。そして、少年の顔の横には、小さくブイサインが記されている。
「嘘だ――」
その言葉と共に、人相書きを投げ上げ、ひらひらと宙を舞うそれに、鋭い突きを連打する。
「嘘だッ――嘘だッ!」
叫びながら続く連打が、紙切れを宙に留め、一向に落ちてくる気配がないが、弾ける様な音と共に、徐々に、剥片が舞い、面積が小さくなっていく。
「嘘だッ――!」
最後に、空間を震わせる鋭い上段蹴りが、紙切れに沿う様に、横切り、破裂音が響き、数えきれない剥片に寸断され、床へと舞い落ちる。
「総師範が、こんな軟弱そうな男に――、負ける訳がないッ! 何か、何かされたんだッ! きっと――!」
「ハメられたんだッ! そうじゃなきゃ、負ける訳ない……! さ、最強の、ゴドフリート流の、継承者が……」
ゴートは床に膝をつき、ついで肘もつけ、身体を丸め、涙を流しながら、悔しさに震える。
「こいつが、何者であっても、必ず暴いてやる――」
強く砂が掴まれ、指の隙間から、零れ落ちる。
「父さん――」
その言葉には、強い決意が見え、父を傷つけられた息子の悲壮な叫びが、暗い屋内に反響した。
評価・ブックマーク・レビュー・感想などいただけると励みになります。