先天的な浮気癖
ああ、見えるな。これが、多分、水の力で励起された精霊素で、こっちが土なんだ。
水は微かに動き回り、その動きが土の配列に影響を与え、間接的に動かしている。そこで、試しに、泥を乗せた右手を逆さにし、落として左手で受け止めた。
激しい動きだ。水が一気に滝の様に動き、それに伴って土も配列が崩れるくらいに動いた。だけど、時間が経つと、また土は安定した状態になり、水は微かな動きに戻る。
「これ、これを、土だけの力でも再現するには――」
比較するために、右に泥を乗せ、左に鉄球を生み出した。
鉄球は美しさを感じる程に、均一に精霊素が並び、それを、硬質な膜の様な物が包んでいた。
「あれ? この膜、泥には――」
いや、あるな。でも、泥の方の膜は、柔らかそうでより薄い。そして、内部の力の変形に伴って形状を変える。
「試してみるか……」
鉄球の硬質な膜に集中し、その内側へマナを一点から注ぎ込んでいく。すると、鉄球の内部の精霊素の配列がにわかに乱れ、暴れ始める。そこで、隣からジジの声が聞こえた。
「危ない!」
硬質な破裂音と共に、目の前の鉄球は砕け散り、それをジジが魔力の波で抑え込んでいた。
「むう。おんし、何やら危険な実験を始めよったな?」
ジジは怪訝そうに話す。
「い、いや。破裂させるつもりはなかったんだ……」
あれ? 鉄球の内部の精霊素を動かす事は出来たけど、膜は硬いままだったのか。だから、内側へ過剰なエネルギーが注がれたのに、耐えられずに弾けた。
「うん? 膜を柔軟にするにはどうすればいい?」
もう一度、鉄球を生み。それを覆う膜に集中する。更に視点を拡大し、その内部にまで潜り込んでいく。
分厚いな。泥の薄くて今にも壊れそうな膜と比べると、鉄球の方は、分厚くて、いかにも硬そうだ。じゃあ、この分厚い膜を、薄くすると、どうなる? マナを纏った指先で、少しずつ撫でる様に、削っていく。
気が遠くなるほど削りだした時、見た目は泥とほぼ変わらない薄さに加工されていた。
「よし。じゃあ、さっきと同じ様に――」
内部の精霊素に影響を与え、その配列を乱す。すると、今度は膜の一部に穴が開き、鉄球の内部がまるで砂粒の様に、外へ流れ出した。
「おお! これは先にはなかった反応じゃぞ!」
そのジジの声を聞き流しながら、再び鉄球を生む。
「ただ――薄くしただけじゃ、ダメなんだ……」
今、膜は極限まで薄くなり、中身は砂の様になっていた。中身は、分解されて、それぞれが、より小さな塊に変化しただけかもしれない。やっぱり、ただ配列を変えるだけじゃ思った反応は得られないのか……?
もう一度、泥に集中し、その膜の形状を確かめた。極限まで拡大すると、泥ぜんたいを覆う膜いがいに、水の部分を覆う膜と、土の部分を覆う膜とのふたつが見えた。両者は混じり合う事はなく、それぞれに何段階かの大きさの異なる膜に包まれている様だ。これは、鉄球にはない構造だ。これを、似せて鉄球に移すにはどうすればいい?
そうだ。薄くなった膜。それを幾重にも生み出して、中身の粒のそれぞれを覆うんだ。そのためには段階的に大きさの異なる膜を用意する必要が出てくる。イメージしろ、百個の粒を覆う膜。その中に、十個ずつ覆う膜を十個。ひとつずつ覆う膜を、百個。
「これは――骨が折れるな」
鉄球の薄くした膜を、拡大し、その精霊素の配置を、読み取り、中身の配列を乱した粒を幾つかの単位にまとめて、それをそれぞれ膜で包んでいく。それを何度も、何度も、飽きる程くりかえす。
そして、ゆっくりと目を開いた。
「ふむ? 出来たのかの? 見た目に変化は見られぬ様じゃが」
ジジの不思議そうな声は、途中で驚愕に変わった。
「い、いや――」
左手に乗っていた鉄球は、勝手に動き、その形が、泥の様に崩れた。だが、今回は中身が漏れ出す事はない。
「出来たのか……?」
右手をゆっくりと伸ばし、その硬さを確かめると、指で押しても潰れる事はなく、強く押し返して来る硬度。でありながら、左手を傾ければ、重力に従う様に、形を変え、揺れ動く。
「で、出来た!」
ジジも嬉しそうに頷いた。
「うむ。その様じゃの!」
後は、これをもっと効率よく出来る様に、何度も生み出して、練習だな。
それは、鉄球や粘糸を生む時にも、通った道だった。咄嗟に生み出せなければ、実戦ではとても使えない。
空を見上げ、太陽の位置を探る。
「まだまだ日は暮れなさそうだな。もう少し練習して行くか」
それから時間をかけ、何度も動く鋼を作り出した。それを日が暮れるまで繰り返していると、周囲の森の探索に出ていたジジが、そろそろ帰ろうと声をかけてくる。
「カイトよ。もう夕暮れじゃぞ、早う帰らねば、家へ着く頃には、辺りは真っ暗闇じゃ」
また空を見上げ、赤くなり始めた森を見回した。
「そうだな。今日はこれくらいにして、帰るか」
奥義の継承を行った森を出て、デルライラムの家のドアを一瞥し、小さく頭を下げる。師がそこにいた訳ではないが、そうしたい気分だった。
今日は、命を救われた上に、念願の奥義の継承、その実体を、包み隠さず話してくれた。自然と湧き上がる感謝と憧憬が、一瞬だけ、目をくらませて、その場で呆然と立ち尽くしていた。脳内には銀の騎士の姿がちらつく。
「ほれ、おんし。早う帰ろうぞ?」
ジジは俺の手を引き、そのまま仲良く帰路についた。
家に帰り着くと、もう辺りはすっかり暗くなっていて、窓からは明るい光が覗いていた。ドアに手をかけ、ゆっくりと開くと、台所に立っていたアイシャが振り返り、こちらへ輝く様な笑顔を向ける。
「おかえりっ! カイト、ジジちゃん!」
いつものように、駆け寄って来たアイシャは、何処か艶っぽく見え、髪や肌が、しっとりと湿気を帯びている様に感じた。
ん? 何だろう。この感じ。だけど、これから起こる事を考えると、少し気が重い。
食卓の周りに、三人で集まり、アイシャが昼からあった事を聞きたがったので、躊躇しつつも少しずつ話していく。すると、あの巨人に殺されかけたという所で、やはり表情が曇り、涙を浮かべた瞳になる。
「う、嘘。だよね? カイト、また死にそうになってたのっ――!?」
そのまま椅子から立ち上がり、身体に抱き着いてくる。強く締め付けて来る腕が、彼女の気持ちを痛いほど感じさせた。
「バカッ! バカ――! どうしてもっと早くにデム爺に頼らなかったの! ……死んじゃってたら、どうするつもりだったの!?」
強く抱きしめ返し、落ち着くまでそうしていたが、彼女の身体は、いつもよりも良い匂いがした。
「で、でもさ。今日は念願の奥義の継承が済んだし、明日からは、もっと強い自分になれると思う!」
それに上目遣いの罵倒じみた答えが返る。
「もう、また調子に乗ってるの? 奥義なんて、今までの修行より、ずっと難しくなるに決まってるんだからっ! そんなにソワソワしてちゃダメだよっ!」
う。それを言われると……。
隣で見守っていたジジに、視線を送るが、彼女も何とも言えない表情をした。
え。俺ってそんなに信用ない……?
そこでアイシャは、突然たちあがり、力強く右腕をあげてポーズを取った。
「決めた! もう、どんな用事も投げ出して、毎日、カイトの修行について行っちゃうんだからっ! それで、私が絶対まもるんだ!」
え? その気持ちは嬉しいけど、全部なげ出しちゃダメだと思う。
そう思いはするが、この状況ではとても言い出せない。
鼻息荒く「ふん! ふん!」と息まくアイシャに、昼の不思議な出来事について話し、精霊同化術や、固有精霊とのコミュニケーションについて尋ねた。
「うむ。儂もそれを聞きたかったのじゃ。アイシャなら詳しいだろうと思っての」
ジジは先ほどからずっと言い出せないでいたのか、目を輝かせて食いついてくる。
対してアイシャは何処か冷静に、こちらをとげとげしい目で見つめた。
「もう! デム爺に、奥義を教わったばっかりなのに、もう他の事を考えてるの!?」
い、いや。そんなに目移りしてる訳じゃ……。でも、疑問は解消しないと気持ち悪いじゃんか。
「いいけど、精霊同化術も、固有精霊とのお話しも、今のカイトには出来ないと思うよっ!」
「ふむ?」
ショックを受ける俺の代わりに、ジジが相槌を打った。
「まず固有精霊とのお話しだけど、これはねぇ。すっっごぉっくっ! 長い、固有精霊との触れ合いが必要なんだよ。もう、何十年たんいでねっ! 私だって、お話し出来る様になったのは、最近だし、ナイちゃんとネヌちゃんとしか話せなくて、ラブちゃんとはまだ無理なんだよっ!」
ええ、それって、人間には難しくないか……?
くそっ! そもそも寿命が超長いなんて、なんてアドバンテージだよっ! チート種族エルフめっ! うおおお!?
そう考えていると、徐々に種族差が恨めしくなってくる。頭を抱えていると、アイシャが煽る様な言葉をぶつけてきた。
「ふふぅん。カイトったら、ショックを受けてるの? せっかく奥義を教わったのに、先天的な浮気癖を発揮しちゃうから、そうなるんだよっ? 悔い改めなさい」
最後のセリフは、何処か芝居がかって、浮いていたが、言われた内容には、強烈な違和感があった。右手を突き出し、訂正を求める。
「ちょおっと待ったぁ! その、先天的な浮気癖って、酷くね! そこまで言われる様な事を、俺、したかなぁっ!?」
そう反論すると、アイシャとジジは、仲良く並んでひそひそ話を始めた。ふたつのとげとげしい視線が、遠慮なく注がれる。
ええ!? またそれかよぉぉぉ!?
「カイトったら、やっぱり自覚ないんだね」
「うむ。その様じゃな。あの娘の事も、気付いておらなんだしな」
ちらっとそんな言葉が漏れ聞こえてきたが、すぐに更に小声になり、こちらには届かなくなる。
ぐ、ぐぬぬぬ。横暴だッ! 思えば、エルフも精霊も、寿命くそ長くねぇッ! 仲間外れかッ! 寿命差別なのかァァァッ!
「固有精霊との融合だッ! イシ! デイ! 来いッ! エレメンタルインストールッ!!」
その突然の叫びに、ひそひそ話は止まり、こちらへ奇異の視線が注がれる。勿論だが、イシもデイも身体に融合などしていなかった。
「も、もう! カイト、なに変な事いってるの!」
アイシャが憐みを帯びた視線をくれ、ジジは俺の叫んだ言葉の意味が、分からなかったのか、首を傾げた。
「いんすとーる、とは。何じゃ?」
その場の空気を無視して、言葉を続ける。
「さっきイシとデイに聞いたんだよ! ジジの力を借りてな! そしたら、俺の身体とイシとデイが融合して戦ってたって、確かに言ってたんだっ!」
今度はアイシャも首をかしげる。
「え? 固有精霊との融合……? そんなの聞いた事ないよ……?」
首をかしげていたジジが、助け舟を出す。
「うむ。カイトの固有精霊たちが、そう話しておったのは、紛れもない事実じゃ。じゃが、その様な技については、儂も知らぬでな。故に、アイシャ。そなたに尋ねようという話になった訳じゃ」
アイシャは俯き、顎に手を当てた。何かを考えているのだろうか?
「ああ、ダメっ! やっぱりそんなの聞いた事ないよ! イシちゃんも、デイちゃんも、ホントに融合したって言ってたの?」
それに力強く頷きを返す。
「ああ。間違いないぜ? 聞いたのは、ジジの力で間接的にだけど、二人が俺に嘘を言う訳ないからな」
そして、もうひとつの不思議について話す。
「二人は、俺の右手と融合してて、ずっとアーグロアを使ってたって言ってるんだ」
右手を掲げ、アイシャの作ってくれた手袋を示す。
「この手袋があるから、魔法は封印されてるはずなんだけどさ。まあ、何処に融合してたかでも、多少は変わるかもしれないけど……」
最後の疑問。それは、魔法の威力だ。
「でさ。イシとデイが言うには、その時、封印を無視して、魔法が発動してただけじゃなくて、アーグロアの威力が上がってたらしいんだ。……それが、どれくらいかは、良く分かんないんだけどさ」
アイシャはそれを全て聞き終え、再び俯く。
「どういう事なの……? 精霊同化術とは違うし、グノースタイトの妨害を無視してて、更に威力まで上がってた……?」
俺もジジも、その答えを興味津々で待ち続けたが、アイシャはため息を漏らし、諦めた様子で顔を上げた。
「うん。全然わからないね。私の知ってる事じゃ、ひとつも適合する部分がないよ……」
どういう事なのだろうか? 精霊同化術は、確かにアイシャも良く知っている様子だが、それとは違うと言う。思えばあのノームも、似たような事を言っていた。
アイシャの言葉と、ノームの言葉、そして、固有精霊たちの言葉。それらが、頭の中で渦を巻き、反響し、今までに感じた事のない混乱を生み出していた――。
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