瀑剣のカモク
周囲に不審な声が響き渡る。それは、低く、地鳴りの様に辺りを震わすが、その芯には硬質な岩石の如き固さと分厚さを感じさせた。
「――頼もう。――頼もう」
漫然と何度も繰り返される大時代なセリフ。それが、にわかに途切れ、その巨大な影が、こちらの気配を捉えたのか、ゆっくりと振り向いた。
デケえ……! 五メートルはある! だけど、問題はそこじゃねぇな……。
大きさならば、あのレッサーデーモンの方が遥かに巨大だ。だが、それが、明瞭な人語を操る知性を持つ事。その意味は、大きさなど簡単に覆す、危険を秘めていた。なによりその影は、そう思わせる雰囲気を漂わせている。
「おお、其処いく人よ。ちと尋ねたい事があるのだが。良いかな?」
巨大な影は、前を大きくはだけた着物らしき緩やかな衣服を纏い、岩石の様にごつごつと張り出した太い右腕を繰り、顎に手を当ててみせた。
何だ? こいつ……。岩の――身体?
その巨人の身体は、確かにヒトの筋肉や骨らしき形状を取ってはいるが、それらが滑らかな部位が一切なく、粗く削り出した岩石がヒトの形をしている様に、錯覚させる。
その頭部には、短く黒い髪が生え、眉毛はなく、その代わりに深い皺を寄せた四角い筋肉が階段の様に盛り上がる。細く長い目は白目と黒目の区別がなく全体が白く、視線の出所が分からない。鼻は大きな岩の彫刻じみていて、今にも崩れて落ちてしまいそうに見えた。角ばった頬に挟まれた大きな口が、笑みらしき形を取っている。
その巨大な口が、おもむろに動き、不快そうに形が歪む。
「不躾な……! い、いや。失敬。そこもと、岩の巨人族を目にするは初めてと見えるな。なぁに。誰も彼もが、そういう反応をするでな。もはや慣れたものよ……ぬははは!」
巨人は笑い。その声量が、周囲を震わせる。
「さて、本題に入ろう。ちと、ヒトを、捜しておってな……。む? むむ? いや。それにしては――」
巨人は俯き、黙り込む。
い、今のうちに逃げた方がいい気がしてくる。でも――。
「んお! やはりそうか! いや、そこもともヒトが悪い。そうであれば、最初から言ってくれれば、のう?」
口元がニタリと邪悪な笑みを取り、右腕が一瞬で左腰へと伸びた。着物の裾がはためき、こちらから見えない様に隠された左半身で何かが光った。
「神殺し殿――?」
瞬間、喉元へ向けて何かが高速で迫る。
危ないッ!
反射的に飛びのき、それが喉の少し先を掠める様に通った事を、遅れた風圧で知る。数メートルの距離を取り、その振り抜かれた右手の先へ目をやり正体を探るが、こちらの視線を遮る様に、真っすぐに突き出された。
「ぬははは! 今の、良く躱した! それでこそよ!」
「刀……!?」
巨人は、感心した様子で呟くが、構えを崩す事はない。
「ほう。我が得物。その名を知るか。こちらでは、見かけぬ物だと心得るが」
今の、もう少し遅れていたら、喉を裂かれていた……。
危険を避けるために、本能的にそれの長さを知ろうとするが、巧妙に隠され捉える事が出来ない。
くそ! 一気に距離を取ったのは、失敗だったか! 相手の武器の長さが分からねぇ!
距離が詰まっていれば、身体と相手の得物の位置で、長さを推測する事も出来たかもしれないが、離れた位置では、長さの感覚は曖昧になる。
それは、確かに刀の様だった。手元の鍔の形状。腰に見える鞘。だが、肝心の刀身が見えない。
黒光りするその刀は、先端が大きく膨らんだ奇形で、真っすぐに突き出されると、後ろ側がどうなっているかが、全く見えなくなる。その長さは、巧妙に隠されていて間合いが掴めない。そして、巨人の不気味な白い目。視線は隠され、今、何処を見ているのかが、判然としない。そのふたつが重なり、敵の次の動きを読み取るための重要な情報が、得られない。それでは、反射神経と動きの速さだけの勝負になってしまう。
こいつ……! 俺の視線を読み取って、真っすぐに目隠しになる様に、先端を向けてるんだ……!
「ぬははは。こちらばかり、そちらの情報を知るのでは、ちと、不公平か? ふむ。名乗りくらいはあげておこうか」
巨人は構えを一切ゆらがさず、大きく息を吸った。
「それがしは、ウロボーク岩の巨人族。天変衆がひとり! 字をカモクと申す! 人呼んで『瀑剣のカモク』!」
瀑剣――? 何のことだ?
こちらの疑問も意に介さず、巨人は静かに語り始める。
「……幼き日より、剣の道を志し、幾星霜。……ふむ。確か――百年、であったかな」
百年だと――!?
「修行に費やした時は知れず、ただ一心不乱に稽古に励み続けた……。そして、それがしは、丁度、百五歳を数えた」
その時、構えた右腕の岩石が張り付いた様な皮膚が、盛り上がり、岩盤の隆起を思わせる動きを見せ、今まで見えていなかったひび割れの様な線が幾つも走り、蠢動する。
「ある日、何時ものごとく修行に臨み、大地を見やった時、とある大言壮語が、頭を過った……」
ぴたりと止まっていた刀の先端が、小刻みに揺れるが、隠れた刀身の長さは、いまだ分からない。
「――今のそれがしならば、大地を斬れるのではないか――とな」
そして、一瞬で右腕が振り上げられる!
その動きにつられ、再び刀身を見ようとするが、支える様に柄尻へと動いた巨大な左手がその視線を遮る。
「このように――」
巨人の右腕は風の様に走り、瞬きもしないうちに、刀は地面へと届いていて、鋭い高音が響くが、驚いたことに、地表に真っすぐに亀裂が入り、こちらへ伸びる!
「うわあ!?」
身体をひるがえし、半身になって亀裂を避けるが、そこからは細かなヒビが幾つも枝分かれして伸び、地面に深い谷間を作り出していた。あまりの威力に、地層が飛び出し、剥き出しになった内部から草や木の根が、血管状に覗いた。急激に生まれた段差から、地表の小石が深い割れ目へと転がり落ち、乾いた音を立てる。
しまった! 地面を割った威力に驚いて、振り降ろされた刀身を見てなかった!
慌ててその姿を確認しようと目を向けるが、また刀身は真っすぐに突き出され、こちらが身体を動かすとそれを追って視線を遮り続ける。
巨人はニタリと邪悪な笑みを浮かべる。
「ぬははは! 大地割。それがしは、そう呼んでおる。さて、もう二三、手の内を曝しておこうか」
今度は、右腕が後ろへ伸ばされ、大きく反動をつける。その瞬間ならば、刀身を目測で捉えられるかと思われたが、左半身が突き出され、こちらからの視線は届かない。
まずい――!
反射的に、身構え、次に来る一撃の軌道を予測しようとするが、構えも刀身も一切みえず、それは困難を極めた。
こいつ――常に、こっちの視線を読んでる! 自分と相手が、どんな姿勢になっても、刀身が測れない様に、隠してやがるッ!?
そして、巨人が動くたびに目は刀身を追い、その長さを見極めようと自然と動いてしまう。一歩ふみこまれれば、首が飛ぶかもしれない状況で、それは、大きな隙となる。だが、忘れて集中しようにも、相手の間合いが分からないため、刀身の確認にどうしても意識が向く。
「ふん!」
そのまま斬撃が来るかと思われたが、驚いたことに、巨人は左手から魔法を放った。
竜巻――イレストだ! これも攻撃なのか!?
「風裂――」
漏れ出したその言葉が、こちらへ届くよりも速く、目の前に何かの軌跡が映り、竜巻は、鋭利な刃物で裂かれた様に、真っ二つになり、形が崩れていく。
き、斬ったんだ――風も!
はっとなり、刀身を見やるが、既に遅かった。また構えは戻り、微動だにしない先端が、こちらを真っすぐ捉える。
「ぬははは! ひとつ種明かしをしておこう。……それがしの愛刀、こ奴の刀身は、地霊鋼製よ。故に、魔法は斬れても不思議ではない」
ここで言葉は切られ、巨人はまた邪悪な笑みを浮かべる。
「さて、ひとつ謎かけといくかな? それがしの技量は、ただの鋼でも風を斬るか? それとも、今の技は、地霊鋼の恩恵に過ぎぬか? そこもとは、どう考える? その答えが、生死を分かつやも知れぬぞ」
「ぬははは――!」
グノースタイト製の刀身だとッ!?
教えてくれたのはありがたい、と言いたいところだが、嘘の可能性もあった。この巨人は、素で風を斬る実力を有していて、グノースタイト製であると伝える事は、相手の判断を誤らせるためのブラフとして機能する。
そもそも最初に大地を割ってみせた事が、並々ならぬ実力を示していて、その一手があるからこそ。二番目の風を斬るという試技が、謎としての意味を持ってくる。そこへ、グノースタイト製の刀身であるという宣言。それは、相手に疑心を植え付ける。
そう、魔法を使う事を躊躇させるのだ。本当にグノースタイト製の刀身ならば、風どころか炎でも水でも斬れるだろう。それこそ粘糸や、マナの流れ自体も断てる可能性がある。
もしも、ただの鋼であって、風を斬ったのは、実力からだとしたら、他の魔法は自由に使える。だが、一度まよいを植え付けられた心は、判断を遅くし、この巨人の剣ならば、その一瞬の遅れを逃さず捉え、命を一刀のもとに断つだろう。
いや、実に恐ろしい事だが、火や水さえも実力で斬れる可能性もある。実際に見ていなければ、読み取れないはずの情報を、目にしたたった二振りの斬撃が、想像力を無限に刺激し、見てもいないモノを、次々と想起させてしまう。この場での本当の敵は、自身の想像力かもしれないのだ。
実際、もう俺は迷わされている――! 魔法を使っていいのか――、判断がつかねぇ!
巨人の邪悪な笑みが、更に歪み、こちらへ問いかける。
「如何した? 腹の具合でも崩したか? ぬははは――!」
瞬間、二メートルはある長く巨大な脚が、前方へと一瞬で伸びた。
まずいッ! 判断をする余裕もない、相手の動きも読めない。だったら――。
ひとつしかねぇ!
「大逃げだッ!」
左手から粘糸を伸ばし、背後にあった木の幹に結び付け、一気に引き寄せる。
巨人は、こちらへ攻め込むため、構えを変えようとしていたが、動きを見て、再び突き出しながら、叫んだ。
「逃げだと――!? 臆したか! 神殺しッ!」
怒りに任せて叩きつけられた刀身が、大地を割り、粘糸を繋いだ木の根本を断った!
「うお!?」
根を張った大地を抉られ、根元からへし折れる大木の倒壊に、つないだ粘糸ごと呑まれそうになり、慌てて態勢を整えるが、そこへ間髪入れず、巨人が地面を擦る様に、構えを崩さずににじり寄ってくる。
「やべえ!」
すぐさま足元に上空へ向けた発射台を構築し、鉄球を放ち、それに粘糸をつなぎ跳び上がる。
「ぬう!」
巨人は跳び上がった身体を忌々しそうに見上げた。
こいつのジャンプ力がどれくらいかは、分からねぇ。だが、この状態ならこっちより先に動くのは無理だろッ!?
そのまま周囲を見回し、幾つかの大木に目星をつけ、左手を伸ばし、次々と粘糸を張り上空を飛び回る。
「ぬうう。小癪な真似を!」
巨人はこちらの動きを地表から追い、どの木を崩せばいいかに迷っている様だった。だが、驚異的な空間把握能力と動体視力、そして、見切りとも呼べる視線の読み取り。それらが、どんなに上空を飛び回っても、刀身を巧妙に隠し通していた。
恐れ入るよ、その異常なまでの隠蔽ぶりは! だが、今はこっちが迷わせる番だ!
やがて痺れを切らした巨人が、また刀を振るう。
「大地割ッ!」
地響きと共に、一本の大木が倒れたが、既にそこからは飛びのいた後だった。すぐに粘糸を切り離し、別の木に伸ばす。
「己! それがしを愚弄するか!?」
分かってる。このまま飛び回ったって、勝機なんていつまで経っても見えてきやしねぇ。どんなに危険であっても、こちらから仕掛ける必要がある。その隙を生むには――。
風が、心地いいな。思えば、初めて霊体を認識した時、最初に発動したのは、風の魔法だった。マナバーストの反応を見つけた時も。
「今回も――それで行くか」
剣神増幅陣――展開。
巨人へ向けて、剣の陣の配置を密やかに築き始める。やがて、目に見えない輝きが、空中へ現れ、それが炸裂する。
「でっけえ、目隠しになってやれッ!」
「マナバースト・イレストッ!」
直後、直径が十メートルはある暴風の球が現れ、辺りのモノ全てを呑み込もうと暴れ狂う。
「ぬははは! 血迷ったか! 巨大であれば――斬れぬとでも」
「思うたか!」そう聞こえた。風の目隠しの向こうでは、巨人が刀を今にも振ろうとしているのだろう。
「はは、今回も――大博打だな」
暴風の渦の中心へマナの太い流れを生み出し、探る様に幾重にも伸ばしていく。
「頼む。届いてくれッ!」
「スペルキャンセルッ――!」
草葉を、大地の表層を、木々の枝葉を、取り込める全てを呑もうと荒れ狂っていた風が、一瞬で消え、凪いでいた。地面には風に取り込まれていた物が、次々と落ちて行く。
晴れた目隠しの向こうでは、唖然とした様子で構えを解いた巨人の姿がみえた。
「今だッ!」
その頭部へ粘糸を伸ばし、引き付ける強烈な力に乗って、右腕に極限まで反動をつける。そして、無防備な巨人の頭部へ、渾身の一撃を加えた!
「粘踏一矢――火勢急退!」
凄まじい衝突音と共に、巨人の岩石の様な頬がたわみ、右拳が深く食い込んでいた――。
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