忠誠と信頼、それが示すは何色か
昼時で賑わう帝都の喧噪から離れ、皇城の近く、有力な名家の屋敷が立ち並ぶ一角に、全体が白く塗られた豪奢な館が見える。その庭園は、美しい花々で彩られていたが、それも白を主体としている。
極端なほど白に偏った屋敷の庭。そこに置かれた白いガーデンテーブルのそばに、全身が純白で瞳だけが青い少女が座って何か大量の紙片に向き合い、美しい見目に似合わぬ呻きを上げていた。
「シトリ……。これは一体どういう事なのかしら?」
少女は、人相書きらしき幾つもの紙きれを手に取って確認しては、次を取り、後ろに控えていたメイドらしき女に尋ねる。その女も白を基調とした制服に、白髪のショートカットだった。
「も、申し訳ございません。お嬢さま……」
少女は額に手を当て、気分が悪そうに呻く。
「はあ。貴女を責めている訳ではなくてよ? ただ、これは一体どういう事かと聞いているの」
人相書きには黒髪の少年の顔が大きく描かれ、誰かが街頭にまかれたその紙に、いたずらをしたのか、少年の精巧な似顔絵の顎のすぐ下に、小さくデフォルメされた裸の筋肉質な身体が描き足され、股間からは、大便らしき何かをひりだしていた。
「下品すぎますわ。いたずらをした者の品性も疑わしいけれど。……何故。軍の機密情報であるはずのモノが、こんなに簡単に漏れているのかしら?」
後ろにいたメイドは「ぶふっ」と吹き出した。
「シトリ!」
「も、申し訳ございません!」
何が面白かったのだろうか。メイドは顔を赤くし、腹を押さえて震える。その間にも少女は、何枚もの人相書きを手に取って確かめる。
「はあ。顔にまるでならず者の様な傷。明らかに不釣り合いな女性の様な濃い化粧を施された物。目や鼻の穴の位置に、何かで丸い穴を開けられた物。口の端から涎、鼻からは鼻水……。はあ。これが、市井の感性なのかしら? わたくしには、到底りかいが及びませんわ……」
後ろでそれを聞いていたメイドは、また吹き出しそうになりながらも、それを堪え、居住まいをただす。
「軍の病院にて治療中の帰還者からの聞き取りで、人相書きを作成する専門の担当官によって描かれた物でしょうが、元は軍の内部での掲示のみで、街中に出回るとは思えません。……それに、誰かが短期間で大量に複製したのか、まかれた数が異常です。私たちだけでは、とても回収できませんでした。私はお嬢さまへのご報告で一時もどりましたが、他の者は、今も回収作業に出払っています」
少女は頭を抱え俯いた。
「……これだけ出回ってしまえば、今更なかった事にするのは、無理があるわ」
そして、メイドにも聞こえない小声で呟く。
「カイトさまの人相が、この様に歪んだ形で、帝都でばらまかれてしまうだなんて……。一体だれが……?」
少女は目を光らせ、幾つもの人相書きの一枚を取り上げた。
「名前が知られていないのが、唯一の救いね。それにしても、このサインは――」
後ろのメイドに冷たい声で命じる。
「シトリ。デトマソを呼んで頂戴。出来るだけ急ぐ様にね」
メイドは直ぐに応じ、まるで軍隊の敬礼の様なポーズを取った。
「はいっ! 直ぐに呼んで参ります!」
そして、振り返り、ロングスカートの裾をつかみながら、走り出した。
「何の目的があって、こんな事をするのかしら……? わたくしが、まだ把握していない敵が存在する……?」
少女は少し不安そうに首を振った。
「そんなはずはありませんわ。この力で、捉えられないモノなど……それに、夢にも見ていない」
しばらくの沈黙が続き、辺りには庭園の木々に集った小鳥のさえずりが響く。そして、背後からはゆっくりとだが、力強い足音が聞こえ始める。
「お呼びでしょうか? お嬢さま」
そう発した。白髪に白い燕尾服の様な礼装を纏った、たくましい老人が、深々と頭を下げた。
「このデトマソ。お嬢さまがお呼びとあらば、何時いかなる時であっても、馳せ参じます」
礼を終え、伸ばされた背は、老人とは思えぬほど真っすぐに正され、彼の肉体の若々しさと覇気を感じさせる。
「よく来てくれたわね。……とりあえず、これを見て頂戴」
少女は振り返らずに、一枚の人相書きを後ろに見えるように持ち、掲げて見せた。ひらひらと揺れるそれを老人は、優れた動体視力で読み取ったのか、返事が聞こえる。
「ふむ。黒髪の少年の、人相ですか。名は分からず、帝国に敵対している可能性があると、何らかの魔法の道具で、エルフに偽装されていたが、元は人間である……。実力は……。ほう! あのゴドフリート殿を、単独で打ち破る程とは……! 素晴らしい! 後は、いかにも市井の者らしきいたずら書きですな。これが何か?」
少女は驚いた様子で、老人に問う。
「貴方。この感性が理解できるのかしら!?」
老人は白い整った顎髭を弄びながら、楽しそうに答えた。
「はは。お嬢さまには、少々、刺激的でしたかな? しかし、そういったモノを知る事も、上に立つ者の宿命でもありますぞ」
少女はまた頭を抱えて見せたが、それが本題ではないと指摘する。
「ひとつひとつ、丁寧に読み上げてくれた所を悪いのだけれど、そこは問題ではないわ。右下に書かれた小さな赤いサインを見て頂戴」
老人は再び人相書きを凝視し、何かを読み取った様子で、垂れ下がった目尻までもが、大きく開かれ、太く長く伸びた眉毛が、つり上がった。
「こ、この赤いサインは――! 巧妙に偽装されておりますが、血。ですな……」
少女は無言で頷く。
「ええ。何者の血液かは、分からない。けれど、恐らくヒト。でしょうね」
「魔人信奉者……!」
老人は誰に言うでもなく、そう呟く。
「漏れた原因は、分からないけれど、そこは、わたくしたちが追及する問題ではないわ。けれど、軍の機密とは言え、何でもない人相書きに、こんなモノが、混じっていたのよ? どういう意味か貴方なら分かるでしょう?」
老人は顎に手を添え、考える仕草を取った。
「宣戦布告でしょうか? 我らにのみ分かる形での……。しかし、何故? この少年は何者ですかな」
少女はその問いには答えない。
「このサインを書いた者を、見つけ出し、秘密裡に処理しなさい。余計な事は知らなくていいわ。その場で見つけたあらゆる情報も消しなさい。猟犬の様に、匂いを辿り関わったモノ全てを。これは――命令よ」
老人は空を見上げ、自らの心臓の位置を掴んで見せる。
「売られた喧嘩は、買わずに、あまねく白で塗りつぶす。ですな……? 久方ぶりに、この老体の老いさらばえた心の臓が、沸き立つ様に、力に満ちるのを感じますぞ……」
「この拍動を、それだけを信じ、身を委ねれば、全ては――」そう呟いた老人は、いつの間にかその場から掻き消えていた。少女はその言葉の続きを呆れた調子で紡ぐ。
「思いのままに……かしら? おかしな事を言うものね。わたくしが、信じられないのかしら……? まあいいわ。忠誠と信頼は、別ですもの。しかし、わたくしは貴方に誓い、そして信じます」
少女も空を見上げ、呟いた。「カイトさま……」その言葉は、風に乗り、遠き地にいる少年に届いただろうか?
※ ※ ※
深淵から無事に帰り着き、アイシャは探索の後片付けを手早く済ませ、昼食の準備に取り掛かっていた。手持ち無沙汰なジジは家に入らない俺を見て、興味深そうに見守っている。
「カイトよ。おんし、家にも入らず、何をしておる? その岩は何に使う?」
その言葉を無視し、集中を続ける。周囲には複数の粘糸が張り巡らされ、それを徐々にクロスボウの様な発射台へと組み立てていく。家の屋根にひとつ、左手に広がる森の入り口の木の中ほどにひとつ、目の前の深い草原に忍ばせる様にひとつ、そして、菜園と花畑の間の草に覆われた地面にひとつ。
それらを同時に操り、組み立てるが、いずれも目視は出来ない場所にあるため、霊体の感覚への極度の集中が必要となった。そのどれもが、一点に向けて射線を収束させる。
組み上がった所で、離れた場所で鉄球を生み出す過程へ入る。地面から引き上げるのは、身体から直接はなった流れに乗せるしかないが、その終端を遠い位置へ置いていく。球への成形もその場で行う。あくまで密やかに、誰にも気づかれない様に。それを発射台に送り、引き絞り、目の前の岩へと狙いを定める。
とは言うものの……。これ、流石に狙いの正確性までは保障できねぇな。見えない位置に置いてるから、そこから射線をイメージ出来る様なマナの糸でもないと、動いている対象だと何処を狙ってるか分からなくなる。視界まで移動は出来ないからなあ。
こう、こっちから伸ばした糸を反射できる反応でもあれば、なんとかなりそうなんだが……。
そこで、苛立ちを募らせたジジが、後ろから飛びついてきた。
「儂を黙殺するとは――、まっこと良い度胸よ! うりゃりゃりゃりゃ! ほれ、ほれぇ! ここが良いのか!?」
うあ! あびゃびゃびゃ!?
背後から脇や腹をくすぐられ、集中が途切れ、引き絞っていた発射台が暴発し、狙った地点に四つの鉄球が飛び、岩を抉って破裂音を響かせ、ぶつかり合う金属音が混じり、衝突で歪み、その場に転がった。
「な、何じゃあ!?」
驚いたジジが、俺を抱きかかえたまま後ろに飛びのき、音を聞いたアイシャが家から飛び出してくる。
そして、当然そうなる――。
「な、な、何してるのっ!? カイト、ジジちゃんっ!?」
地面の上で重なり合っている俺とジジを見たアイシャが、鬼の形相でこちらへ駆け寄ってくる様子が、逆さまに見え。
あ、パンツ見えそう! と思った時には、襟首を掴まれ、宙へ放り投げられていた。
最初に空が見え、徐々に景観が移り変わり、森の木々が見え、地面が映り始める。
「うおおお!?」
「だが、甘いッ!」
華麗に身をひるがえし、両手を地面について、倒立を崩しながら転がり、難なく着地する。それを見たジジは「おお!」と歓声を上げ、アイシャは忌々しそうに、持っていたお玉をへし折りそうになる。
「も、もう! カイト! 強くなったのに、その才能をえっちな事にしか使えないのっ!?」
直ぐに振り返り、反論しながら、地面の岩を指さす。
「ご、誤解だって! それに今のは、この岩を的にして実験してた所を、ジジに邪魔されたんだ!」
数日前に訪れた、土砂崩れのあった崖からひとつ手頃な岩を拝借してきた。その間もアイシャとジジは、ひそひそ話を続けていて、こちらに怪訝そうな視線を送って来ていたが……。
アイシャは驚いた様子で岩を見やり、尋ねてくる
「結構おっきな岩だったみたいなのに、粉々に砕けてるねぇ。……もしかして、破壊魔法の練習かなっ?」
うんうんと大きく頷く。
「そ。周囲の環境に発射台を構築して、見えないとこから的を狙う練習……。何だけどさ。狙いをつけるのが上手く行かなくて。この岩みたいに動かなきゃまだいいんだけど、動く的を想定すると、こうさ……。射線をイメージ出来るマナの糸とかを飛ばせたら出来そうなんだけど、自分から発射台へ向けて飛ばして、反射でもさせないと無理そうでさ……」
黙って聞いていたジジは、ひとつヒントをくれる。
「儂の魔力の波。おんしも、先の体験で、どの様なモノか見たじゃろう? 放出した魔力を操り、自在に形を変えるには、幾筋もの流れを同時に制御する必要があるぞ。主体を飛ばし、それを引き絞り、折り曲げる筋。伸ばした状態から引き戻す筋。複数を同時に操るのは、今、おんしが試しておったモノも同じではないか?」
それを聞いて、イメージしてみるが、的に対して真っすぐに伸ばすのとは用途が違う気がする。
ジジが話し終えるのを待っていたアイシャが、別のヒントをくれた。彼女は持っていたお玉に、指先から光線を飛ばし、鈍く光る金属の表面で反射させて見せる。
「ほら、こうやって、マナを反射させちゃえばいいんだよっ」
「い、いや。だからさ。その反射の方法が想像つかなくて……」
アイシャは頬を膨らませた。
「もう! 今日のカイト、鈍くないかなっ! どうせ、またえっちな事ばっかり考えてるんでしょ!」
ええ!?
「あ、あの聖女の子の。透けそうな胸の事を思い出してるんでしょっ!?」
んなあ!?
「ち、乳首の形がもう少しで分かりそうとか! 服を肌色に塗り変えちゃったら裸が想像できちゃうとか! 思い出して興奮してたんでしょっ!?」
な、何いってんだぁぁぁ!?
興奮するアイシャは想像をエスカレートさせ、ありもしない妄想を突き付けてくる。
そこで、ジジが一言。
「ふむ? アイシャよ。興奮するのは良いが、そなただけの様じゃぞ? それでは、えっちなのは己だと自白しておるのに等しい」
その言葉にアイシャは驚愕の表情を示し、こちらをきつく睨んだ。
「ち、違うもん! えっちなのはカイトだけだもん! バカ!」
はあああ!? そこでこっちに飛び火すんのおかしくねぇぇぇ!?
はあ、はあ。と息を荒げるアイシャは、興奮し、頬を紅潮させて、こちらを責め立てる。それに成す術も無くさらされながら、何とか落ち着ける方法はないかと、思案していた――。
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