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人でなしの聖女

 聖女は俯いたまま言葉を紡ぐ。その身体は震え、今にも倒れてしまいそうだった。


「何も――分からないのです。誰かが確かめた訳ではありませんから。その存在は、あくまで伝承に語られるのみ、全ては、全滅した夢想者たちに、共通している状況から推測したモノに過ぎません」


 そこだよな。伝承が人を殺す事はない。その裏には、何か現実の危険な存在が必ずいるはずだ。


 ジジは思い出した様に、最初の話を持ち出した。


「そなた。始めに儂らの打ち立てた功績と申したな? それは、何を意味する?」


 聖女は何処か明るい表情に戻り、穏やかに語り始めた。


「貴方がたが倒した存在。それは、深淵を覆うアビスワームの身体の中でも、比較的おおきなモノでした。相当な実力を伴わねば、討伐は不可能とされる、一級の分身だったのです。これは、夢想者の歴史の中でも稀な事ですわ」


 そこで後ろにいた男が「チッ!」と舌打ちをした。思わずその姿を見つめ、観察する。

 歳は三十台の半ばくらいだろうか。短く茶色の頭髪に、右目の上、生え際から額を通り眉毛の一部を斜めに削いだ大きな傷。ごつい頬骨に、えらが張り、四角い顔。擦り切れた衣服が胴を覆う金属製の鎧と鎖帷子からはみ出している。腰に長い剣を帯び、背中には丸い大盾。腕や脚も重そうな装甲で覆われている。


 見るからに前衛に立つ戦士って感じだな。まあ、目つきの悪さは山賊でも通りそうだけど……。こんなおっさんに命を預けるのは、俺ならちょっと無理かなあ。


 しばらく見つめていると、目が合い、男は面白くなさそうに目をそらした。ここが、聖域とやらでなければ、その場に唾でも吐いていそうだ。


 ジジは疑問点を全て洗い出しておきたいのか、更に質問を続ける。


「その、分身やら一級やら、一体なんの事じゃ? そもそもアビスワームとは何者じゃ?」


「アビスワームは人々の眠りを浸食し、夢を食らい、悪夢に変える存在です。そして、深淵はアビスワームの肉体から出来ていると言われています。分身とはアビスワームの体内である深淵において、彼の者の身体の維持を担う強力な存在で、守護者の様なものです」


 へえ、人間の細胞みたいな物って事か。おっと。こんな話を他人にしちゃダメだぞ。この世界の文明のレベルがどんな物かは、いまだに分からないけど、下手すりゃ、異端審問にかけられて、公開処刑。なんて運命もあり得る。まあ、国によっても違うのかもしれないけど。


「そして、アビスワームの分身は、上から順に、特級、一級、二級、三級と続き。深淵を探索し、それらの居場所を特定し、討伐する事が夢想者の目的ですから、貴方がたは非常に大きな功績を得た事になります」


 いつの間にか功労者になっていた。だけど、そう言われると気になる事がある。


「報酬! 何かもらえる物ってないんですか!?」


 隣からはアイシャが小さく「カイト! 俗っぽいよっ!」と突っついてくる。

 聖女の後ろにいた先ほど観察した男が、「小僧! 案外、俗物じゃねえか! 気に入ったぜ!」と笑った。

 うっせ! さっきまでダンマリ決め込んでた癖して、こんな時だけ嬉しそうにしやがって! あんたの方がよっぽど俗物だろ!


「今、お渡し出来る物は、何もないのです……」


 聖女のその答えに、ジジが「ふん」と鼻で笑う。

 もう。うちのパーティー奔放すぎない? 相手は何か偉そうな肩書の聖女さまだぜ?


「ですが、お名前を教えて頂ければ、今後のウィルスマイトが関わる団体・組織などとの交渉で有利に働く様、こちらから手配できますわ」


 む? ウィルスマイトって精霊の森の西の大国だろ? 俺たちは森の中に居るからそれで活動に有利になったりするのか?

 隣のアイシャにこっそり尋ねる。


「今後カイトが、森を出て冒険したいって時に、役に立つかもしれないよ? でも、今は特に意味もないかなあ。ウィルスマイトとは、西側の族長のグリムスキニアナさまなら交易もしてるみたいだけど、ほぼ真ん中にいる私たちは遠いから関係ないしねぇ」


 ふむ? 見たところそんなにメリットなさそうな……。それに、師匠はヒトに英雄だなんだと担ぎあげられるのは、良い結果を招くとは限らないって言ってた。あの時は、実感がなかったけど、目の前のおっさんのさっきの態度を見てたら何となく想像できた。

 嫉妬とか、面子だとか。関係の新旧に、上下。交友の広さ、得た名声の大きさ。色んな要素が複雑に関わって、英雄になったつもりが、気づけば後ろから刺されてた。そんな事態を招きかねないんだと思う。


 ああ、今は特にメリットもないのなら、丁重にお断りしたい所だが、それじゃこの場での聖女さまの面子が丸つぶれだもんなあ。何か、丸く収めてどっちも得する方法はないものか……。


 だが、そんな思惑も虚しく。事態は、望まぬ方向へ転がっていく。


 聖女が振り向き、隅に控えて跪いていた男を手招きすると、男は何かを鞄から取り出し、しゃがんだまま近づいてきて、恭しく差し出した。それをこちらに見せ。話を続ける。


「これは、『深淵覗きの鐘』と呼ばれる道具ですわ。これをお持ちください。そうすれば、今後、貴方がたは深淵での分身の討伐に進捗があった時に、継続的にこの世界へ呼ばれる事になります。これを受け取ってくだされば、安全にご帰還いただける道をお教えしますわ」


 聖女は驚きの交渉を展開し始めた。こちらの安全な帰還を餌に、今後も力を貸す約束を取り付けようとする。まるで悪魔の様な策謀だ。やはり聖女とは名ばかりなのか。深淵覗きの鐘を持つ、しなやかで柔らかそうな美しい指が、忌々しく思えてくる。


 クソッ! こんの聖女さま、とんだ食わせ者だぜ! 命と引き換えに、言う事を聞けってか!

 しかも、安全が得られるのは今だけで、その後は、継続的に危険に関わる事になってしまう。


「その様な忌まわしい道具を、儂らが受け取るとでも……?」


 ジジが強気に出るが、効果はなかった。こちらの立場が弱すぎる。今、この聖域から追い出されてしまったら、俺たちは再び深淵を彷徨い、出口を見つける前に、力尽きてしまうだろう。そして、目の前の聖女は、躊躇なくそれをするという確信が湧き始めていた。


 聖女は薄く笑い。もう一度、深淵覗きの鐘を突き出して見せる。


「この聖域から出ても、深淵の出口は、常に定まらない場所にあります。深淵の落とし子たちは、しばらくは不活発になるでしょうが、再びアビスワームの分身に遭遇する可能性すらあります。……どうか、これを受け取ってください。これは、心からの願いですわ」


 こちらの命を握っているという優越感が、態度を尊大にさせる。いや、もしかすると、最初からそうだったのかもしれない。辛そうに何かを思い出している様子も、演技だった可能性もある。この答えに誘導するための長い仕込み、そのためには、余すところなく質問されるように、興味を引き続ける必要があった。自分たちの都合のいい様に利用するには、出来るだけ相手を怒らせず、損の方が少ない取引だと思わせる手管がいる。


「心からの願いじゃと……!」


 ジジが歯を剥き、聖女を睨みつけるが、アイシャは諦めた様子でそれをたしなめる。


「ジジちゃん。仕方ないよ。私たち二人だけならもう少し頑張れるかもしれないけど、いくら強くなったと言っても、カイトがいるもの。……私は、カイトの安全が一番だよ」


 そっと囁かれた言葉に、ジジは悔しそうに震え、徐々にそれを受け入れた様だ。


 クソッ! また、二人の足を引っ張っちまった。俺がもっと強かったら……。あの神と戦った時の様な力があれば、こんな深淵なんて……!


「決心してくださいましたか?」


 アイシャは聖女の瞳をきつく見据え、語気を強める。


「その鐘を受け取ります。けれど、さっき貴女の言ったウィルスマイト王国の管理下の地域や施設で優遇されると言う話。それは確実に叶えてもらう必要があります。言葉だけではなく、書面や、何か証明書を頂けるのですよね?」


 いつものアイシャとは思えない、丁寧な言葉だが、その裏には強く明確な意志を感じた。


 聖女はもはや嘘くさく見える穏やかな微笑みを返す。


「貴方がたのお名前と人相を印字した、夢想者としての証明書を発行いたします。貴方がたは、一級のアビスワームの分身を討伐されましたので、一級の証明書となります。それがあれば、提示するだけで、我が国の関わる幾つもの機関にアクセス出来、様々な交渉で優位に立てるでしょう。……一級ともなれば、夢想者に関わる事に限られますが、機密を管理する施設にすら入れる様になりますよ。どうですか? 痛みを被るのは、貴方がただけではないのです。我が国も相応のリスクを背負う事になります」


 深淵で活躍したという証明だけで、国家機密にすらアクセス出来るかもしれないってのか!? 何処の誰とも素性の知れない相手に?


 狂っていると思った。アイシャの話じゃ、良さそうな国に聞こえたが、この国にとって、深淵に対処するのは、それほどまでに重要な事なのだろうか?

 また思わず声を出していた。


「証明書をもらえるのはいいんですけど、それを持ってる事で、常に誰かに監視されるとか、そんな事にはならないんですか?」


 聖女は穏やかな笑みを崩さない。


「当然の疑問ですわね。しかし、ご安心ください。深淵へ至る夢想者は、空間を越え、時には時間や次元さえも越えてこの場に現れると言われています。……つまり、貴方がたが現実に戻った時に、何処にいるかなど、私たちには管理しきれない問題なのですよ。いくら我が国が豊かであると言っても、夢想者ぜんいんの所在を把握し、監視する。その様な膨大なコストを払い続けられる程の余裕はありません。……どうですか? ご納得いただけましたか?」


 聖女はそこで、わざとらしく手を打った。


「ああ! 忘れていましたわ。……一級の証明書があれば、我が国の法・秩序の元での軽微な犯罪ていどならば、赦免されます。……もちろん限度はありますが」


 何だと!? 挑発のつもりか!? 夢想者など何処の誰とも知れないならず者の集団で、罪が許される事を知れば、得をする様な輩だと言いたいのか!?


 くそ! 本気でムカついてきた! この聖女さまの綺麗なお顔を、一発ぶったたいてやりたいぜ!

 そんな感情を、人間に対して抱いたのは、多分、生まれて初めてだっただろう。最後の言葉は、俺にとっての逆鱗に触れていたのかもしれない。何よりも、自分やアイシャやジジが、暗に犯罪者の素養があると言われた様で、それに憤りが噴き出してくる。


「聖女さま……。そのくらいにした方がいいですよ……。他の二人はともかく、俺はそれほど忍耐づよくありません。感情を逆撫でする様な言葉は慎んでください」


 聖女は俺の言葉に、一瞬だけ驚いた様子で目を丸くしたが、すぐに取り繕った笑みに戻る。


 ああ、やっちまった。売られた喧嘩なんて、買っても何の得もねえのに!

 そこへ、続いてジジが挑発を返す。


「ふむ。その方の国では、人でなしを神聖視する風習がある様じゃな? 何とも薄っぺらな事よ」


 聖女は取り繕った態度を崩し、ジジをきつく睨んだ。


「何を言われても構いません。……我が国にとって、深淵への対処は、第一に優先される課題なのです」


 アイシャは小声で、「それも、周辺国との外交が上手く行ってるからだろうね」と呟いた。


 しかし、今ので本音が出たな。もう一度、聖女を観察してみるが、かなり若く見える。恐らく俺ともほとんど歳が変わらないのではないだろうか。何か特別な力があって、神官長なんて立場にいるのか? それが、不相応に思えてきて、もう少し突っつけば、もっとボロを出すのではないかと悪い考えが過る。


 まあ、ここで聖女さまの心証を最悪にしちまったら、無事に帰れる公算が薄くなるわなあ。

 隣の二人を見て、その感情を抑えた。


 聖女はわざとらしい笑みに戻り、問いかける。


「それでは、貴方がたのお名前を教えて頂けますか? それを以て、証明書をこの場で発行いたします」


 順に名前を答える。


「カイト」

「アイシャ」

「ジジじゃ」


 聖女は一瞬かたまり、もう一度といかけてくる。


「ええと? それだけでしょうか? ファミリーネームなどは……?」


 即答する。


「ありません」

「ありません」

「ない」


 まあ、俺は嘘ついてんだけど、そこはお互い様って感じだよなあ。


 聖女は困惑した様子で、ジジに尋ねるが、その言葉に吹き出してしまう。


「ええと? 一番、左の獣人の方は、ジジジャさん。ですか?」


 俺の反応を見て戸惑った聖女に、ジジが追い打ちをかける。


「そうではない。ジジじゃ」


 ぶふっ! アイデンティティはどんな時も崩さないその姿勢、カッコいいぜ。ジジ……!


「え、ええと? あ、ああ! ジジさん。ジジさんですね?」


「そうじゃ」


 慇懃無礼な聖女が、ジジに振り回される様子に内心ほくそ笑む。


「それでは、正式に証明書を発行いたします。クランツ。お願いしますね」


 聖女は振り向き、後ろで跪いていた一人の男に声をかけると、男はこちらの三人の顔を順に見つめていき、手に持った小さな紙片に何かをしている様だった。やがて、作業が終わったのか、聖女にしゃがんだまま近づき、先ほどの紙片を恭しく掲げた。


 聖女はこちらへ向き直り、ゆっくりと近づいてきて、手に持った紙片を俺たちに渡す。


「これって――へえ。金色の印字のカードか」


「そうです。一級は金の装飾となっております。先ほどのクランツは、念写能力者ですので、皆さんの人相も照合できる正式な証明書となります」


 十センチほどの四角いカードには、読めない字がびっしりと並び、端に俺の顔写真の様な絵が添えられていた。端には小さな穴がふたつ開いていて、そこへ細い紐が通されている。首にかけたり、無くさない様にするための配慮だろう。


 聖女は満足そうに頷き、振り向いてこちらをいざなう。


「さて、これで、貴方がたは正式な我が国の認める一級夢想者となりました。出口へとご案内いたしますね」


 だが、その時、整列していた聖職者のひとりが苦しそうに呻き、祈りのポーズを崩してその場に倒れ伏した。

 そして、事態は急展開していく。

 周囲が明滅し、明るかった部屋の様子が一変する。


「――早く! 交代の人員を――!」


 聖女は血相を変えて、大声で後ろに控えていた神官たちに命令する。兵士たちは慌ただしく聖域の入り口へと移動していく。

 外の深淵と同じ様な闇に呑まれつつある聖域に、何かが起きようとしていた――。

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