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浄化の炎と腐敗の毒

 疑問を抑え切れないアイシャが、再び問いかけてきた。


「ね、ねえ。松明の火の中に何が見えたの?」


 マナを放った左手と松明の火を交互に見つめ、あの精霊らしき姿をイメージする。


「何って、言われると……何なんだろ?」


 後ろからこちらを見つめていたアイシャが頬を膨らます。


「もう、イジワルしてるの?」


 そう言う訳じゃないんだ。……でも、確かに感じる。まるで身体の中に入り込んだみたいに、すぐそばにいる。


「多分、火の精霊なんだと思う。でも、君がよんでたサラマンダーとは全然ちがう姿だった。……まるで、火の粉そのものみたいな」


 その答えにアイシャは不思議そうに宙へ視線を彷徨わせる。


「ええ……? サラマンダーは、精霊素が励起された時に現れる基本的な火の精霊だよ? それ以外の姿だなんて……?」


 今度は俯いた彼女は「それも自然の火から……」と小さく呟き、何事かを考え込んでいる。

 好奇心で輝く瞳を見せていたジジは、早くも退屈して来た様子で、奥へ進もうとせっつき始める。


「新たな魔法を習得した。それで良いではないか。……ほれ、立ち止まらずに進まねば、日が暮れるぞ」


 ジジはぶつくさと呟き「それに弁当を持参する様な場でもない。腹が減っては戦ができぬぞ」としめる。

 まあ、確かにこんな所で飯なんて想像も出来ないし、昼までに討伐して戻ってこないとな。そう考えると急いだ方がいいかもしれない。まだ俯いているアイシャに提案する。


「さっきの魔法の究明はさ、帰ってからにしないか? この洞窟の何処に汚染の原因の魔物がいるか分からないんだろ? 遠すぎたら戻るのも大変だしさ」


 アイシャはゆっくりと顔を上げ、俺の瞳を覗き込んでくる。


「ふう。……カイトといると、不思議なことばっかり起きるね。帰ったらもっと詳しく聞いちゃうんだからっ!」


 「さ、進も」と奥へ目を向けた彼女に頷き返し、振り返り歩みを進める。先ほどの怪物たちの飛び出た塊は、溶け落ちた様に消えていて、その場を通っても泥の中に何かある様子はなかった。


 そのまま進み、一度とまる。


「なあ、さっきジジが飛ばした奴。落ちたとしたらこの辺じゃないか?」


 前を浮遊していたジジに声をかけ、警戒を促す。


「ふむ? そうじゃったかの。感じた生命力の程度からそれほど頑丈とも思えぬが」


 そこでジジの声音が変わった。


「むう? いや、何か来よる」


 え? 何だ?


 奥の暗がりからは、泥をかき混ぜ、跳ね飛ばす濁った水音が聞こえ、それが徐々に近く、大きくなっていく。後ろにいたアイシャが動いたのか、背後の松明の明かりが揺れたのを感じた。


 直後、周囲の壁へ向けて、赤黒い血管らしき物が幾つも伸び、全体を覆う蜘蛛の糸の様に張り巡らされて行く。ジジはまだ動かない、あの巨大な神の絶望を一蹴した彼女が恐れている訳はない。機を窺っているのか。


「グオオオ」


 にわかに赤黒い糸が収束し、中央に巨大な髑髏が浮かび上がり、真っ暗な口腔から咆哮を上げる。そして、瞬く間に手が伸びてきて、それが泥の水面に激しく叩きつけられる。


「おい! 来るぞ!」


 人の肉体の形を取った赤黒い髑髏は、両手に力を込め、ジジへ向けて突進する。その巨大さから力や重量は計り知れない。


「はっ! 甘いわ!」


 強烈な衝突音が響き、ジジは自らを飲み込もうとした怪物の額を、片手で押してその場にとどめていた。


「オオオ」


 哀れな怪物が驚愕とも取れる呻きを漏らす。


「どうしよっ! 水面と繋がっちゃってるからさっきみたいに燃やせないよっ!」


 ジジの長い銀髪が揺れ、徐々に浮き上がり、後ろから彼女の横顔が見えた。その頬は、薄い笑みをかたどっていた。

 怪物の巨体が軋み、腕の骨が反対に曲がり始める。そして、数舜もしないうちに、巨大な身体は浮き上がり、汚泥と繋がっていた糸がぶちぶちと音を立てて切れていく。


「な、何してるのっ? ジジちゃん!」


 後ろからアイシャの驚きと疑問を乗せた叫びが聞こえる。


「くふふ! 軽い軽い! この程度、ふわりと焼けた餅の様じゃ! 新年に時節の挨拶にと、折に触れ良くヒトから捧げられたものよ!」


 「まあ、餅は斯様に醜い姿はしておらなんだが!」力を込めた発声と共に、怪物は完全に浮き上がり、重力が反転したかの様に天井へ押し付けられ、今にも潰れそうになっていた。


「ふん。この匂いに、醜さ。まったく食欲をそそらぬ。……儂に捧げるのならば、見ただけで唾が溢れだす様なご馳走にせぬか」


 ジジは天井で悲鳴を上げる怪物を一瞥し「この井戸に巣くう魔物も、礼を弁えぬ痴れ者よな」と笑った。

 そこへ、小さな炎の矢が飛び、やがて怪物の全身を燃え上がらせる。


「こんなにおっきなのを天井に押し付けちゃうなんて、ちょっと驚いちゃったよ。流石ジジちゃんだねっ!」


 感心したアイシャの賞賛を受け、ジジは得意げに笑う。その様子を見守りながら、再び考えを巡らせる。


 そうだ。ジジのこの力。あの相殺する力じゃない。多分、放出した魔力を手の様に巧みに使い、巨体を持ち上げたんだ。それにしても、このパワー。象くらいなら簡単に持ち上がるんじゃないか? 彼女の力は、身体から遠く離れ、周囲の空間を埋める様に伸びても、その制御は緻密そのものだ。……そうだ。魔法でも、同じ何じゃないか? 例えば、俺の身体から離れ、環境中にマナを放ち構築した発射台なら、もっと強い力が生まれるんじゃ……。


「しっかりせぬか!」


 ジジの一喝に、思考は中断され、我に返る。目の前には、こちらの瞳を覗き込む心配そうな顔が見えた。


「ふむ。我に返ったか? 斯様な場で呆けるのは感心せぬな」


 ああ、くっそ。もう少しで答えに辿りつけそうだったのに、霧散しちまった。もう一回まとめなおさないと! ……でも、それでジジに当たるのは間違ってるな。落ち着け。


「はあ。ちょっと考え事。お前の戦いを見てたら、何か掴めそうだった」


 はあ。


「む? 何故そこでため息を吐く? しっかし、先のは戦いとも呼べぬぞ? 言うなれば蹂躙じゃ。くふふ!」


 誇らし気に笑うジジを尻目に、再び集中しようとするが、先ほどの思考は、伸ばした手の内をするりと抜けて何処かへ行ってしまった。

 くそ、もう一回つかむのは大変そうだ。


 その時、壁際に移動していたアイシャが驚きの声を上げた。


「やっぱり! この地下水脈、川みたいに流れてるだけじゃないんだ!」


 え? どういう事だ?

 アイシャは洞窟の壁を指し、そこへ指先をつけた。


「冷たくて、綺麗な水……。洞窟ぜんたいから少しずつ水が湧き出してるみたい。下に溜まっている分は完全に汚染されてるけど、こっちはそうでもないよ。だとしたら――」


 アイシャは壁に片手をつけ、そこが輝きだす。


「カイト、松明を持っててくれるかな?」


 無言でそれを受け取り、左手に持つ。両手が自由になったアイシャは、再び壁面に立ち、両手をつけた。


「水の精霊の力を強く感じる。ここに集まる精霊素を励起すれば! ナイちゃん! 力を貸して! この辺り一帯を浄化しちゃおっ!」


 背後に控えていたナイちゃんが、アイシャの隣に浮遊し、その身体も輝きだす。二人の身体は同時に揺れ、海の波の様に、引いて寄せ同調し、一定のリズムで動き始める。目を凝らすと小さな水泡が周囲に浮き上がり同じく揺らめく。


「オ――オオ」


 何処かでくぐもった悲鳴が聞こえた気がした。それが、洞窟の壁面に反響し、徐々にこちらへ迫ってくる。


「オオ――!」


 アイシャとナイちゃんが、ひときわ強く輝き、彼女の腰に触れていた汚泥が、明るく澄んだ水色の光で打ち払われる様に、萎んでいき、逆に光の輪は広がり続ける。


「オオオ!」


 まただ! この悲鳴、魔物の本体にダメージが入っているのか?

 アイシャの周囲に広がった青い光は、汚泥を萎えしぼませ、反対側の壁面へ届くほどになっていた。


 いいぞ。このまま浄化を続ければ、魔物と戦う必要もなくなるかもしれない。


 だが、それは甘い考えだった。


「オオオオッ!!」


 怒声にも似た響きがその状況を覆していく。広がっていた青い光は、勢いを失い、壁際に追いやられていた汚泥が、再び勢力を伸ばす。


「くっ! なんて強い力なのっ!」


 アイシャの横顔には汗が滲み、苦しそうに顔をゆがめる。


「え!? これって――!」


 突如、汚泥が伸びあがり、押し返された光と共に、アイシャを呑み込んで行った。その力の余波か。持っていた松明の炎が揺らぎ、一瞬で掻き消える。


「アイシャッ!」


 咄嗟に手を伸ばし、汚泥を引き剥がそうとするが、それは生物の身体の様にたわみ、力を逃がし、掴みどころがなかった。


「クソッ! ジジ! 力を貸してくれ!」


「言われずともやっておる! じゃが――これは!」


 ジジの手のひらからは、大量の魔力の波が放たれていたのだろうか? だが、目の前の汚泥はびくともせず、やがてアイシャと二人の精霊を呑み込んだまま水中に引っ込んでしまった。


「アイシャッ! アイシャッ!」


 必死に汚泥を掻きわけようとするが、重いその塊は、目の前で蠢動を続けこちらを嘲笑う様だった。


「オオオッ!」


 くそ! またか!


「カイト! また来よるぞ! アイシャを助けたくば、まずは彼奴めを討つ必要がある!」


 雄たけびと共に、洞窟の内部が振動で揺れる。奥からは激しく水を打つ音が聞こえ、真っ暗な中に何かが向かってくる気配を感じた。


「クソッ! 松明が消えたから何も見えねえ!」


 ポーチから光る石を取り出し、前方へ向けて突き出すと、そこには信じられない光景が見えた。


「何じゃ!? こ奴!?」


 周囲の壁面じたいが動き、赤黒い身体をぬらぬらとてからせながら、血管状の何かが蜘蛛の巣の様に伸び、そのそれぞれに髑髏が浮かび上がる。気が付けば目の前まで迫ったそれは、洞窟の通路じたいを狭めながら、こちらを押し潰そうとしていた。


「こいつが本体なのかッ!?」


 前にいたジジが叫ぶ。


「分からぬ! じゃが、これは骨が折れそうじゃ!」


 凄まじい衝撃音と共に、巨大な髑髏がジジの両手と激突する。その衝撃で、彼女の衣服の袖が激しくはためく。


「くっ! この力は――」


 今のところは押し負けてはいない! だが、いつまで持つか。助けに入りたいが、アイシャの環境のコントロールが妨害されたため、腰までつかった汚泥の中で、身動きひとつ取れなくなっていた。


「クソッ! どうすればいい――!?」


 巨大な髑髏の側面から、血管が伸び、その先に現れた小さな髑髏がジジの脇腹へ噛みつこうとする。


「危ないっ!」


 イレストを唱えたつもりだった。だが、魔法はまともに発動せず、髑髏はジジに噛みつく。


「うぐっ!」


 先ほどのアイシャの言葉が思い起こされる。

 そうか、風の力は、弱まっていて、俺ていどの魔法じゃ……。

 自らの左手を見据え、力のない己を呪う。透明化している精霊たちにもこの状況を覆す力はないだろう。


 くそ! この手段だけは取りたくなかった! でも、四の五の言っていられない!


 右手にはめた黒い手袋を必死に引き剥がす。すると、封印を解かれたおぞましい力が露になり、周囲の空間も冒していく様だった。


「お前の毒と――神の毒。どっちが強いかだッ!」


「くらえ!」


 躊躇なく右手を汚泥の中に突き立てると、「グオオオ」と悲鳴が響き、みるみるうちに萎んで、周囲に隙間が出来ていく。


「効いてる!?」


 後は、何とかジジを助けないと――!


 いつまでもその力を曝しているのが不気味で、手袋を素早く嵌めなおす。


 アイシャの言葉を思い出せ! この汚泥の可燃性の部分は表面だけ、中にまで燃え広がる事はない! だったら――。


「ジジ! 大丈夫か!? 俺のいる隙間まで飛び込んできてくれッ!」


 口から血を流したジジが、横目でこちらを捉える。そして、脇腹に噛みついていた髑髏を無理やり引きはがす。幸い傷は浅く、彼女の身体の表面をかすめただけの様だった。


「何か策があるのじゃな!?」


 急いで飛び込んできたジジに問われるが、それはあの神との激戦を思い起こさせるまっとうとは言えない戦術だった。


「こんな事すると、またお前に怒られちまうかも知れねえ!」


 今にもこちらを呑もうとする、巨大な髑髏へ向けて、左手を構え、薄目になって集中していく。


「だけど、この状況じゃ、これしか手段はない――!」


 またあの精霊たちが瞳の奥にちらつき、頭の中で炎が爆ぜる音がした。


「フロアッ!!」


 撃ちだされた爆炎の投射が、巨大な髑髏を焼き、周囲に広がっていた汚泥にまで燃え移っていく。


「また無茶をしよる!」


 半ば悲鳴の様なジジの声が、炎の爆発に呑まれていく。


「大丈夫だ! 俺たちの周りには数メートルの隙間がある! こっちまで炎は来ないはずだ!」


 彼女の衣服に炎が移らない様に、強く抱き寄せ、隙間の中心で、周囲が火の海へと変貌するさまを、息をのみながら見つめた――。

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