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討伐クエスト『井戸の魔物』

 急峻な岩山に囲まれた山里の端、断崖をくりぬいて作られた建造物に、一人の女が、入って行った。岩を掘り、削り出した割には、扉はぴったりとはまっていて、引っ掛かりもなく開く。それを作った者の技術力の高さが窺えた。

 同じく掘りぬかれ、ガラスのはめ込まれた窓からは、朝の柔らかな光が射し込み、暗い室内を照らしていた。


 室内には、多くの書棚が並び、取り出された本が、床にじかに置かれていて、山になっているが、今にも崩れそうな姿が、不安を煽る。だが、そこにいた一人の男は、椅子に座り、本を読み耽っていて、室内を気にする素振りは見せない。


 男は、薄い水色の髪を後ろで束ねていて、垂れ下がる前髪が、眼鏡に厚くかかり、時折、邪魔そうにそれを指先で払う。両手でしっかりと握られた分厚い本に夢中で、他の事は意識の範疇にない様だった。

 女は、警戒した様子で建物の中を一通り周った後、入口の扉を閉め、読書に耽る男に近づき、声をかけた。


「おはよ、ヴィトス。……はあ。まあ、聞こえてないか」


 男は、ぶつぶつと呟きながら、本を食い入るように見つめ、その視線が、まるで風の様に流れていき、一定の間隔でページが素早くめくられる。女の挨拶に気づいた様子はない。


「はあ、相変わらずだね。だけど、私は、あんたに用があって来たんだ。お願いだから気づいてくれないか?」


 女は、声量を上げ、「おはよっ!」と叫んだが、それも無視され、強硬手段に出る。男がしっかりと握っていた本に手をかけ、それを奪い取ろうと試みたのだ。


「ああっ!?」


 男は、驚愕の声音で悲鳴を上げ、宙へ離れていく本を追いかけ、両手を伸ばすが、空を切り、腕に追いついていない身体が、バランスを崩し、椅子から転げ落ちそうになるが、それを待ち構えていた女が、素早く受け止め、事なきを得る。

 女は、取り上げた本を閉じ、再び男に声をかけた。


「お・は・よ」


 そこでやっと女の存在に気づいたのか、男は少し不機嫌そうに答えた。


「僕が読んでいた本を――勝手に閉じないでくれたまえ! 何ページ目か分からなくなる! ノンブルの記述がない本なんだぞ!」


 女は憤る男に、呆れた様に声をかけるが、そこには畏敬の念が見え隠れしていた。


「あんたが、何処を読んでたか忘れたりする訳ないだろ? そんな心配は、最初からしてないさ」


 男は、やっとのことで本を奪い返し、山の上に置き、息を荒げ、女に問いかける。


「はあ、はあ。……ナミダ、僕の読書を妨害してまでここに現れたんだ。よほど重大な懸案を持参したんだろうね?」


 息を整えた男は、険のある声で、そう尋ね、片手で眼鏡を持ち上げて、足を組んだ。


「やっと本題に入れる。――もちろん、あんたが強く興味を引く様な事柄さね。私じゃ、どうにも出来ないから来たんだ」


 その言葉に、男の眼鏡が怪しく光った。


「ほう? 早く、話したまえ」


 手短に、用件の触りの部分が語られる。


「昨日の夜中、私がよそ者を連れて里に入ったのは、あんたも知ってるだろう? その子の事さ」


 男は、さして驚いた様子も見せず、早口でまくしたてる。


「ああ、確か。年のころ、十七、八の一般的に美しいとされる外見の少女で、腰まで伸びた長い黒髪に、黒い瞳だが、右目は髪で隠れていて、その下に何があるか、視力は正常か、何らかの傷や印などを秘匿するためか、それらの情報はまだ不明であり、白いボロの様な外套と、衣服を身にまとっていて、その衣服の胸部には、大きく裂けた跡が残っている、それが何によってつけられたかは不明だが、何らかの傷痕に見える、しかし、身体には異常は一切みられな――」


 女は、その機械的で不気味な詠唱を無理やり止めた。


「もごっ!?」


「はあ、そこまででいいよ。そんな情報は、既に皆に共有されてる。あんたに頼みたいのは、そんな浅い話じゃないんだ」


 男の口を塞いだ手を離すと、派手な呼吸音が聞こえた。


「すうう! いきなり何をするんだ――!」


 男は文句を機関銃の様にぶつけようとしたが、すぐに止まり、再び眼鏡を押し上げた。


「今、何か興味深そうな言葉が聞こえたね」


 女は頷き、本題に入る。


「くれぐれも他言無用で頼むよ。まあ、今のところ、あの子がここに受け入れられるかも分からないけど、イミドたち戦士団が動いてくれてるみたいだしね。そのあたりは、心配してないよ」


 男は苛立った様子で答えた。


「……戦士団? どうにも彼らは好きにはなれない。それよりも、早く本題を言いたまえ!」


 女は、一度ふかく息を吸い、心を落ち着かせている様子だった。


「……あんたが、さっき言った黒髪の。あの娘には――、何か秘密がある。来歴とかそっち方面も不明だが、身体の話さ」


 男は俯き、長い前髪が怪しく揺れた。


「それを、あんたの透視で探って欲しいのさ」


 一呼吸おいて、答えが返る。


「探るには、あの少女を良く観察しなければいけないだろう? そのためには、ここを離れ、余計な時間を取る必要が出てくる。……この図書館に置かれた数多の蔵書! その数々を読み解くという僕の日課の時間を削ってまで、それをする価値があるのかい?」


 女は大きく頷いた。


「ああ、間違いないね。……もしかすると、あの娘の秘密は、世界の根幹を揺るがすモノかもしれない」


 男は肩を震わせ、笑っている様だった。


「……くくく。大きく出たね。君がそこまで言うのなら、やぶさかではないさ。……その少女が正式に里に滞在できる様に、後ろ盾ともなろう」


 そして、小さく「研究対象に逃げられちゃかなわない」と漏れ聞こえる。

 女は嬉しそうに、男の肩を叩き、外へと駆け出して行く。


「そう言ってくれると思ったよ! あんたが協力してくれるなら百人力さ!」


 振り返りもせずに駆けて行く背中を、そっと呟きが追いかける。


「くくく。僕を随分と都合よく使ってくれようとするじゃないか……」


 男は本を手に取り、眼鏡を押し上げた。


「高くつくよ、この代価は――」




※ ※ ※ 




 井戸の魔物の退治に臨むため、準備を始めたが、そのまま降りるには深すぎるため、アイシャに地下の貯蔵庫にある縄梯子を持って来てくれと頼まれた。

 床の扉を開けて、暗い地下室へと梯子を下っていき、底へ着いた所でズボンのポケットを探り、あの光る石を探したが、見当たらなかった。


「あっれ? ないな……」


 もしかすると、あの神か、黒い影との激戦で、落としてしまっていたのかもしれない。真っ暗な中で、闇を見つめると、そこに何かがいる様な気がして、背筋を悪寒が駆け上って行く。


「な、何だ? この感覚、前もあったよな……」


 奥に、本当に何かいるのか?

 不安感から、自然と声が漏れる。


「お、俺は、神殺しだぞ! こんな暗闇なんて――」


 そこで、上からアイシャの声が聞こえた。


「カイトォ? 何、独り言いってるの? 真っ暗みたいだけど、大丈夫?」


 すかさず上を見ると、扉から彼女が覗き込んでいたので、手を伸ばし、光る石を無くした事を伝えた。


「そうなの? 大丈夫、まだいっぱいあるから、――ちょっと待ってね」


 アイシャの顔が動き、自らの腰あたりに目を向けた様だった。そして、こちらへ手が伸ばされ、あの光る石が落とされたのを、素早くキャッチする。すると、貯蔵庫の中が照らされ、行動が可能な状態となる。


「隅っこの木箱の陰に、畳んで置いてあるはずだから――あ、足元には気を付けてね?」


 言われた通りに、指し示された隅の箱の陰を探ると、太く丈夫な手触りを感じ、それを引っ張り出すと、縄梯子だった。光る石を一時的に棚に置き、縄梯子を持ち上げて、綺麗に丸くもう一度おりたたみ、脇に抱え、石をポケットに入れて、梯子をゆっくりと昇った。


「ふぅ」


 暗闇での奇妙な感覚から、自然と息が漏れ出し、安心感を一杯に吸い込む。


「おかえりっ!」


 ジジは不思議そうに口元へ指を添え、アイシャへ尋ねた。


「ふむ? この地下は、どの様な構造になっておるのじゃ? アイシャよ。何故そなたが直接はいらぬ?」


 アイシャは、ジジの不躾な問いに、所在なさげに答える。


「え! え、ええと。そ、それはね――えへへ」


「ふむ? 何じゃ? そのはっきりとせぬ態度は? そなたらしくない」


 そこへ割って入り、適当にはぐらかす。


「ま、まあまあ。目的は果たしたし、今は井戸の魔物の事を考えようぜ?」


 ジジはまだ納得がいかない様子で、「ふむ?」と首を傾げたが、やがて、興味が井戸へと移ったのか、外への扉へ目を向けた。


「ふむ。まあ良い。今は井戸が優先じゃ、早う行かねば、日が暮れてしまうぞ?」


 そこで、アイシャは一度、寝室へ行き、手に小さな革製のポーチとベルトを持って戻って来た。その艶やかな茶色に光る二つを俺に手渡す。


「はいっ。このポーチに、道具をまとめておくといいよっ! ふふぅん。これも一見すると何の変哲もないポーチだけどねっ。ちょっとした魔法がかかってて、中にある物を自動で記憶してくれて、落としたら戻ってくる様にしてくれるんだよっ。それでね、このベルトは、必要に応じて、物を引っ掛けるための取っ掛かりを自動で作ってくれるんだよっ」


 へえ、それは便利だな。

 渡されたベルトを腰回りに巻き、留め金をかける。


「軽くて全然きにならないな」


 付けている事を忘れる程、軽く動きの邪魔にもならない。それにポーチの紐を括り付け、腰の側面に取り付ける。

 そこへ、師にもらった幻廊の真珠や、光る石などを収めていく。


「さて、準備も出来たし、行こうか」


 家の外へ出た所で、アイシャは氷室の隣の獲物の解体小屋へ向かい、そこで何かを漁っている様子だったが、すぐに戻ってくる。


「はい、これ松明だよっ。洞窟の中は、真っ暗だと思うから皆の分ね!」


 それを受け取って、先ほどのベルトの側面に引っかける。ベルトは生き物であるかの様に、分岐が生まれ、それが松明を縛っていた。ジジは、「動きにくくなるからいらぬ」と、松明を受け取るのを断った。

 そうしてジジは、待ちきれないのか興味深そうに井戸を覗き込む。


「ふぅむ。暗いのう。底も見えぬぞ。どのくらいの深さなのじゃ?」


 すかさずアイシャが答える。


「縦にまっすぐに、十リーブくらいかなぁ? カイト! 一番さきに降りてくれるかな? 私は、縄梯子にも慣れてるけど、カイトは初めてでしょ? 上で押さえててあげるよ」


 提案はありがたいのだが、そうなると、真っ暗な井戸の底へと最初に降りる事になってしまう。いつか見た暗闇を思い出し、身震いする。

 い、いや。勇気を出せ、これから魔物を倒すんだぞ! 暗さなんて怖がってちゃダメだろ。

 井戸の縁に固定された縄梯子が、音を立てながら、底へと落ちていく。しばらくして、反響も止まり、揺れも収まった。そこへ振り向き、足を先にして、ゆっくりと降り始めた。


「うわあ」


 縄梯子の作り自体は頑丈だったが、足をかけた時の何とも言えない不安定さは、暗闇とは別の恐怖心を煽る。思わず外で待つ二人に声をかけていた。


「お、落ちたりしないよな……?」


 アイシャとジジは、楽しそうに笑い、ジジから嬉しい提案がある。


「仕方ないのう。おんしが不安を抑えきれぬのならば、儂が先に底まで飛んで降りて、下でも梯子を押さえておいてやろう」


「うん。それがいいね」


 その言葉に、礼を返す。


「あ、ああ。すまない、恩に着る」


 ジジは、先に井戸へ降りていくが、その姿は、直ぐに闇に呑まれ見えなくなり、程なくして悲鳴が聞こえた。


「ジジ!? 大丈夫なのか!?」


 隣からアイシャも井戸の底を覗き込んだ。だが、心配もよそに、いつも通りの鷹揚な態度で返事が来る。それが反響しながら駆け上って来た。


「ああ、案ずることはない。……あまりにも酷い匂いでな。鼻が曲がりそうになっただけじゃ」


 匂い……? 水が、臭いって事か?

 やがて、小刻みに揺れていた縄梯子の動きが、かなり緩やかになった。下から押さえる力を感じる。


「ほれ! 早う降りて参れ。こちらは今は静かじゃが、何が潜んでおるとも知れぬでな」


 ジジは、暗闇を恐れていない様子だが、下に魔物が複数ひそんでいたら、不意打ちでもされたら危険かもしれない。


「あ、ああ。分かったよ! 出来るだけ急ぐ!」


 急ぐとは言ったものの、上下から押さえられても、縄梯子の揺れは、完全にはなくならず、一歩一歩すすむたびに、不安が身体を撫でまわす。


「うぐ。こんな不気味な感触だとは思わなかった……」


 やがて、底へ着いた所で、ポーチから光る石を取り出し、仮の光源を作り出すと、上からアイシャの声が聞こえた。


「カイトォ! 今から私も降りるけど、まだ水には入らないでね? ちょっと調べたい事があるから――」


 それに返事をし、光る石をジジに手渡し、アイシャを待つ。

 周囲は仄かに照らされ、でこぼことした洞窟の壁面が、光を受けて露になる。


「しっかし、ほんとに酷い匂いだな……」


 片手で鼻を塞ぎながら、アイシャを待ち、何処へ続いているのかも分からない闇を見つめた――。

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