家族の絆と約束の意味
思った通りに、アイシャはこちらを咎め、問いただす。テーブルに向けて伸びた両手が、激しく打ち付けられた。それに伴い、こちらまで振動が伝わって来る。
「な! 何を考えてるの! カイト!? あんな危険な所に、絶対いっちゃダメなんだから!」
この反応は想定内だが、だからといって説き伏せるための良い材料を持っている訳ではなかった。ジジは、顎に手をやり、何事かを考えている様子だ。
「だけどさ、井戸をこのまま放っておいたら、君だって困るだろ? 水の確保も、洗濯や食器洗いだって、いちいちあの川まで行ってるじゃないか」
それを聞いて、アイシャは口をつぐんだが、まだ納得してはいないのは明らかだ。そこへ、黙っていたジジが、笑顔ではあるが、何処か真剣な様子で話し出す。その瞳は、アイシャの横顔を捉え、射貫くように見つめた。
「くふふっ! 恐れておるのか? アイシャよ」
それに、すぐに答えが返る。
「わ、私は、怖くなんかないよ! でも――」
ジジは、ゆっくりと首を振った。銀の髪を飾る装飾が揺らめく。
「……そうではない、儂が問うたのは、カイトを失う事を恐れておるのかと言う事じゃ」
その言葉に、アイシャの瞳孔が、急激に開いた。
「そ、そんなの! 当たり前だよっ! 怖くない訳ないでしょ!?」
声を荒げ、動揺するアイシャに、ジジは、諭すように、静かに語り始める。
「そなたはの。恐れが極端なのじゃ。大切な者を、その命が失われる事を極端に恐れておる。……儂とて、カイトが危険に曝されると思えば、良い気はせぬぞ。じゃが、そなた程の恐怖は抱かん。それは、恐れと同時に、信じておるからじゃ、カイトを、な。そなたには、上回る様な信頼はないのか?」
「そ、それは――」と言葉に詰まるアイシャに、「何か――理由があるのじゃな?」とジジが問いかけた。
「話してはくれぬのか? もう、儂らは家族なのじゃろう?」
家族……。家族なら、何でも話し合って、共有して当然。俺だって、そんな風には思わない。でも、優し気な口調で語られたジジの問いには、誠意を感じられた。それこそ、本当の家族の様な。
アイシャは、過去を思い出す様に、ゆっくりと、あの時、俺に話してくれた、母親との思い出を、それについての自分の心を、ジジにも伝えた。それを黙って聞いていたジジは、閉じていた瞳をゆっくりと開き、アイシャを抱き寄せる。その瞳には、一筋の涙が見えた。
「……その様な過去があったとはのう、それに気づかず、そなたをぞんざいに扱った儂を許しておくれ」
アイシャは、ジジに優しく抱きしめられながら、言葉を紡いだ。
「そんなこと! 私が、話してなかったんだから知らなくて当然だよ。……それに、最初は、私も慣れなくて驚いてばっかりだったけど、ジジちゃんは、私をぞんざいに扱った事なんかなかったよ。……今なら、よく分かるもん」
呟く様に、「アイシャ……」と言葉が漏れ出し、二人はお互いの身体に手を伸ばした。
どのくらいの時間が流れたのだろうか? しばらくそうしていた二人に動きがあり、ジジがおもむろに『豊かな実り』を揉みしだいた。アイシャは驚いて身体を離し、困惑した様子で赤くなる。
「ええ!? な、なにカイトみたいな事してるの!? ジジちゃん――!?」
え? ちょおっと待ったぁ!? お、俺は、触りたくても意図的に揉んだ事なんてないぞっ!? ふおおお!? も、揉んだって何か刺激的な響きじゃね!? こ、こう、胸、とか、尻とかさあ! そういう所に特に使われそうな!? うおおお!?
聞き流せない風評被害だが、ジジはかつての俺の様に、手が離れても疑似的に揉む動きを取り、空中を弄ぶ。それだけではなく、その手は、今しがたの果実の感触と大きさを、測り、正確に思い出している様だった。
「くふふっ! 乳ばかり大きく育って、度胸は見合う大きさになっておらぬのう……?」
アイシャは真っ赤な顔で否定するが、俺の方は、乳という響きに一人で悶絶していた。
お、大きい乳、まあるい乳、膨らんだ乳、と、尖った乳、な、長い乳、た、垂れた乳、うおおお!?
だんだんと先鋭化する妄想に、脳内は食い荒らされていくが、必死にそれを振り払い、二人の会話へ集中しようと努力する。
「もう! そんな事ないんだから! ジジちゃんも、女の子なのに、女の敵なの!? ヘンタイはカイトひとりで十分なんだからっ!」
うぐ、お、俺って女の敵あつかいされてたのかぁぁぁ!? てか、まだヘンタイとか言う!? 酷くねぇぇぇ!? い、いや。落ち着け、俺。これは、至って真面目なシーンで、こんな想像で汚していい場面じゃねぇんだ!
それは、ジジなりの配慮であり、家族への愛情の証だったのかもしれない。続く言葉が、それを証明していた。
「……アイシャよ。失う事は、確かに恐ろしい。……じゃがのう。それを恐れるあまりに、愛する者の未来を奪ってしまうのは、更に恐ろしい。……儂は、そう思うのじゃ」
神妙な顔でそれに聞き入る。
「愛するあまりに束縛し、相手の行く末さえも、己の想定の範囲内に留めたがる。……ふむ。それも確かに愛の形ではあろう。そして、それが相応しい事もあろう。じゃが、儂らの愛するカイトは、その様に狭量な器かの? ほれ、出会ってからこれまでの事を、思い描いてみよ。そこに、答えはあるじゃろう」
そう言ってジジは、自らの胸に手を当て、目をつむって見せる。
「ああ、見える――見えるぞ! あの日、大精霊域で出会って以来、儂は日々、カイトに驚かされ、その成長を、己が事の様に、喜び。そして、少しずつ愛を深めて行った」
アイシャは、その姿を真似、胸に手を当て、目をつむる。
「……正直に言っちゃうと、分かんないよ……。ジジちゃんみたいに、はっきりとそう思えないんだ。わ、私だって――カイトの成長を見守って来たし、毎日お世話だって欠かさなかったのに!」
瞳からは、再び涙が流れ、アイシャは辛そうに呻いた。
「カイトの事を考えると、胸が温かくなって、ぽかぽかしてきて。でも、同時に苦しくなっちゃう。危険な事なんてして欲しくない! でも、でも――強くなって欲しいんだ。誰よりも――そして、あの約束を――」
そこで言葉は切られた。
「約束――」
胸に当てられた手が、強く握られる。
「そっか。約束って、一方的なモノじゃないんだ……。それが、私と、カイトの、信頼の証だったんだね……。なのに、私は、いつの間にか、それを忘れちゃって、自分の勝手な想いをカイトにぶつけちゃってたんだ……」
そこで、アイシャは目を開け、こちらを向いて、手を伸ばした。その小指が立てられる。
「カイト……。ゴメンね。私、忘れっぽくって、貴方との約束を、蔑ろにしてたみたい……だから、もう一度してくれるかな? 今度は、言葉だけじゃなくて、しっかり身体に刻み込まれる様に――」
大きく頷き、その手に向かって、自らの小指を立て、近づける。二人の小指は絡み、強く結ばれる。
「えへへ。……指切りだね。……もう、絶対に忘れたりしないから、だから、私、カイトの成長を、一番ちかくで見られるように、頑張るよ!」
絡めた指は、離され、そこへ今まで黙っていたジジが、口をはさむ。
「くふふっ! それは、儂の役目じゃあ! そこはいくらそなたでも譲れぬぞ?」
また赤い顔になったアイシャが、反論する。
「ダ、ダメだよっ! カイトの一番も、私なんだから! それに、ズルいよっ! ジジちゃん!」
「ふむ?」
「カイトが倒した強敵との戦い、全部まぢかで見てたんでしょ! 私だって近くで見て、それで、ジジちゃんよりも役に立ってみせるんだからっ!」
それに、ジジは楽しそうに笑い、応じる。
「くふふっ! これは、大きく出たのう。良いぞ! 新たな勝負の始まりと言う訳じゃな?」
二人は、お互いに見つめあい、こくこくと何度も頷きあう。そして、同時にこちらを向いた。
「カイト!」
「カイトよ!」
紡がれる言葉に、大きな信頼を感じた。
「私が絶対に守ってあげるから、井戸の魔物の討伐、一緒に頑張ろうね!」
「今まで通り、おんしは、儂を信じておれば良い! うむ! 大船に乗ったつもりでおれい!」
そして、二人に向かって、両手を伸ばすと、その両方が強く握られた。力強さと、温かさから、二人の信頼が直接ながれ込んできた様に感じる。そして――俺の信頼も、二人にきっと伝わったはずだ。
「よし! 話はまとまったな! 二人とも、誰よりも信頼できる仲間だ! よろしく頼むぜ?」
「行こう!」
※ ※ ※
広く天井も高い、長方形の家屋、その屋根裏に向かう複雑な骨組みの下、周りの板張りの床と異なり、土間になったそこには大量の砂が敷かれ、汗や血の匂いが染み付いている様に感じられた。周囲の壁には、武器や防具の棚が置かれ、様々な武装が賑やかに彩る。
その家屋の板の間に、複数の人影が並んでいた。離れた場所に陣取り、椅子へ大仰に腰掛けるひとりの男が、居並ぶ面々へ声をかけた。
「――そういう訳でよ。ナミダは長老の説得に失敗しちまった。このままじゃ、あのお客人は――ああ、今はまだ客あつかいだがよ。正式に迎えられる事なく、遠からず里を追い出されちまうだろう。……今日、お前たちにここへ、集まってもらったのは、他でもねぇ。俺たちからの働きかけについてよ」
立ち並んだ面々は、それを黙して聞いていたが、通常の人間よりも、背の低い者が多く見られた。
「あんまりよう。こういう政治的な動きは、したくねぇんだがよ。ナミダのためでもあるからな」
そこで、面々の一人が声を出した。
「古龍殺しの英雄だとか、関係ないっスよ。ナミダの姉さんと、姉さんの迎え入れたお客人のピンチだ! 兄貴ィ! 俺たちは、いつでも準備できてますぜ!」
その言葉に、他の面々も何度も力強く頷いた。そして、全員で声をそろえて叫ぶ。
「狂勇戦士団、一同! 団長と心ひとつに、いつでも動けますッ!」
その声量に、周囲の柱や、壁、天井までもが、震えた様に見えた。
それを聞いた団長らしき男は、大仰に頷く。
「その言葉を待ってたぜ。……まあ、まずは、回りくでぇが、お約束の人心の掌握からだ。そんためには、里で影響力のある御仁に協力を仰ぐ必要がある」
団長は、視線を素早く走らせ、赤茶けた髪に、複雑に編み込まれた髭を蓄えた、背の低い二人の男に声をかけた。
「ガフラン! ガブラン! お前たち双子に頼みがある!」
指名された二人は、嬉しそうにし、組んでいた腕をほどき、力こぶを作ってみせる。今にもその場で飛び上がりそうな程の覇気が感じられた。
「合点承知! 兄貴の頼みとあらば、火の中水の中でさあ!」
それを受け、団長は楽しそうに笑い、両ひざを叩いた。
「はははっ! まだなんも言ってねえんだけどな! ……お前たちからの信頼、恩に着るぜ。……さて、この里で、俺たちと比較的、近く、それでいて、強い影響力のある人物ってえと――」
そこで言葉は切られ、面々は思い思いの人物を想像している様子だったが、双子だけは、確信の表情を見せる。
「ずばり、里、唯一の鍛冶師殿だ。だからこそお前たちに頼みてえ! 同じドワーフであり、里一番の酒豪でもある鍛冶師殿についていける程の、うわばみ! 他に適任はいねえだろ」
ドワーフの双子は、うんうんと頷いた。
「任せてくだせえ! スミーランの旦那とは、三十年来の飲み仲間! 酒に酔った勢いで、それぇとなぁくイイ感じに話しておきまさあ!」
団長は、その言葉に苦笑して頭をかいた。
「はは、酔った勢いとは参ったね。――だが、信じてるぜ」
信頼のにじみ出た言葉に、力強い頷きが返る。
そして、団長はまた視線を泳がせ、柱の陰に隠れていた一人に目を向けた。団長の視線が、自分に向けて止まった事に気づいた、その背の高いエルフらしき金髪の青年は、目をそらし、俯く。
「おいおい。いきなりその態度はねえだろ。リンドン。……お前には、里、唯一の司書であり、事実上の図書館の管理人である、ヴィトス殿の説得を頼みたい。いいか?」
エルフの青年は、挙動不審に視線をふらつかせながら、答えた。
「ぼ、僕が――ですか!? あ、あの団長。確かに僕は、よく図書館に通っていますが、ヴィトスさんとは、それほど仲が良いと言う訳では……」
そして消え入りそうな声で「それに、あの人はどうも苦手で……」と聞こえる。
団長は、それに頷きはするが、意見を変えるつもりはない様だった。
「まあ、人間とエルフだしなあ。共通点は本好きってとこくらいか。――だが! それが、何よりの強みになる! 頼んだぜ!」
団長は、エルフの青年に、ウィンクをしてみせ、次の話題に移る。
「後は――里、唯一の医師であり、治癒魔法の達人でもある、トライブ先生と、環境管理官である、アザレアさまくらいか……。まあ、戦士としてよくお世話になってる、先生には、俺が直接あたってみるぜ」
それに場はざわめき、「団長が行けば一発ですぜ」と声が聞こえる。
「はあ、しっかし、いちばん影響力が強いだろうアザレアさまには、困ったことに、コネがねぇ。まさに、片手落ちの状態だな」
面々は団長の言葉に黙り込み、それぞれが考える素振りを見せる。
「あの人たちの好意に取り入るのは、気が引けますが、いつも田畑の巡回で守ってる人たちや、食堂のおばちゃんだって、俺たちに感謝はしているはずです。……そういった小さな声も、地道に味方にしていくしかないですよ」
団長は大きく頷き、立ち上がった。
「そうだな、うだうだ埒があかねぇ考えに耽ってても、何もなんねえわな。俺たちは、戦士だ! 行動あるのみよ」
その言葉に、「応ッ!!」と一斉に答えが返り、戦士たちは各々の目的の達成のために、動き出した――。
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