英雄と背教者の境界
三人が並んで眠っていたベッドで、動きがあり、左端の少女が身体を起こした。
そして、隣に眠っていた少年の頭を愛おし気に撫で、そこへ顔を近づける。
「ふむ。……やはりのう。喜ぶが良いぞ、カイトよ。再び送り込んだ儂の気は、確かにおんしに馴染んでおる」
小声で呟きながら、嬉しそうに目を輝かせる。
「一度目はともかく、二度目を受け入れるには、器じたいの成長が伴わねば、この力が馴染む事はない」
撫でる手が止まり、額へ乗せられた。少年は、眠りながらも何かを感じたのか、もごもごと言葉にならない声を発した。
「くふふっ! 案ずることはない。おんしは、確実に成長しておる。……後は、それを邪魔する輩を、儂が排除すれば良いだけじゃ」
それだけを告げて、少女も再び眠りにつき、暗い寝室には安らかな寝息が響いた。
※ ※ ※
ベッドで毛布をかぶり、安らかな寝息を立てる黒髪の少女のそばに、一人の女が椅子に座り、見守っていた。そして、誰に言うでもなく、そっと呟く。
「こうやって寝顔を見ていたら、どうみても普通の女の子なのにねぇ。……古龍につけられた傷も、とっくに塞がっちまったし、あの空洞と、出血がなかった事の謎も分からずじまい。そして、驚異的な耐久力と再生力。加えて、低体温や酸欠を起こさない特異な身体。……どう考えても、普通の人間じゃあないが。……手袋を脱いで、素手で触れてみればよく分かる。温かく柔らかい……。アンデッドの類じゃないのは明らか……」
少女の状態を、確認する様に呟かれた言葉が途切れ、「はあ」とため息が漏れる。
「何者なんだろうね? この娘は――」
そこへ、ノックが響き、開いていた扉を覗いていた男が、女に目くばせした。椅子から立ち上がり、そちらへ向かう。
「どうだ? お客人の様子は?」
そう問いかけた、縮れた黒髪を束の様にまとめた、筋骨隆々で褐色の男に、女は迷った様子で返す。
「さっき、眠った所さ。……イミド、あんたは、あの娘の事、どう思ってるんだい? やっぱり、追い出すべきだと?」
男は、たくましい腕を組み、大袈裟に考える素振りを見せる。
「そうだなあ。……俺は、別にここに置いても構わないと思ってるぜ? 得体が知れない? むしろ歓迎すべきじゃねぇか? 元々、そういうヒトの集まりだろ? ここは」
女は、少し嬉しそうに顔を上げたが、しばらくして再び不安そうに俯いた。その瞳を覗き込む様に、男は続ける。
「そう不安そうにしなさんな。俺は、いつでもお前の味方だぜ?」
その言葉に、はにかみ、ぎこちなく返す。
「……すまないね」
男は、それを受けて、面白そうに笑った。
「おいおい、こういう時は、ありがとう。だろ? ……まあ、長老あたりが、いの一番にすっ飛んで来て、文句を垂れ流すだろうが、そこは、通過儀礼だと思ってよ。な?」
女は、少し可笑しそうにして、口元に笑みを作り、「ありがと」と答えた。そこへ、外と区切られた扉の向こうから、派手な足音が響き、素早い殴打の様なノックが何度も行われた。
「おっと、噂をすれば影。だな。長老のお出ましだ。……ナミダ。あんま気負うなよ? 長老さえ説き伏せりゃ、後は俺たちがなんとかしてやるからさ。な?」
それに女が、頷くと、男は「じゃあ、俺は、奥の部屋に引っ込んでるわ」と残して、別の部屋へと消えて行った。
外からは、苛立った様子の声が聞こえる。
「ナミダ! ナミダ! おらんのか? いるのなら、今すぐにここを開けよ!」
女は、少女の眠る部屋の扉を閉め、入口へと足早に近寄り、扉を開けた。
「お待ちしていました。長老」
長老と呼ばれた、頭頂部の周囲が完全に抜け落ち、耳から後頭部の下部のみに白い髪を残した、老人が、杖を苛立った様子で、床へ打ち付けながら、女に問う。
「儂を待っておったとは、良い心がけと言いたい所じゃが。……よそ者を里に入れたそうだな? それも、止める門番へ情に訴えかけ、半ば強引に押し切ったそうではないか。……全て、お前の一存でな!」
長老は、髪のない頭を艶やかに光らせながら、俯き、直ぐに顔を上げた。
「しかも、道中で龍神さまを手にかけたと吹聴して周っておったそうではないか! どういうつもりじゃ!? その様な戯言を、里の者が信じると思うたか!?」
長老は、怒りを露にする。異分子の受け入れよりも、むしろ龍神と呼ばれる信仰対象の死の疑惑に憤っている様だった。それに女は、慎重に言葉を選びながら答える。
「吹聴したつもりはありませんが、私が、古龍を葬ったのは、事実です。その事実をただ、ありのままに伝えただけで、邪な気持ちはありません。ましてや、この里の秩序を乱そうなどとは――」
長老は、再び杖を床へ打ち付けたが、先ほどよりも激しい音が鳴る。
「その様なまやかしで、里の者を惑わせ、分断を企んでおるのか!? お前ごときが龍神さまの命を奪ったなぞ! 考えられん事じゃ!」
長老は、女の骨折し、包帯が巻かれ添木の当てられた左腕を見やり、訝し気に話す。
古龍の死には、あの少女も大きく関わっているのは、女も理解しているはずだった。こうなる事が分かっていて、わざと少女の関与を伏せ、自らの功績であるという印象を振りまいたのだろうか? 俯く女の表情からは、真意は読み取れない。
「あの子を守るためにやった事です。そうしなければ、あの子は、古龍に殺されていました」
長老は、奥の閉じられた扉を一瞥し、握りしめた拳を震わせる。
「ヒト一人の命と――龍神さまの命が、釣り合うと思うたか? 答えよ、ナミダ!」
女は、しばし沈黙し、何事かを考えている様子だった。
「里で古龍――いえ、龍神信仰が根強いのは理解しています。しかし、私は、彼らよりもヒトの命が軽いとは思いません」
長老は、禿げた頭に、血管を浮かし、今にも切れそうなほどに怒張させる。
「……お前の言い分は、良く分かった。今後の処遇については、追って伝える!」
その言葉と共に、激しく扉が閉められ、また派手な足音が響き、徐々に遠ざかって行った。
残された女は、俯き、その場に立ち尽くす。そこへ、奥の部屋から先ほどの男が現れ、空気を変える様に、明るい調子で話す。
「里の様子、知ってるか? お前を古龍殺しの英雄と見る向きと、龍神信仰へ弓を引いた背教者と見る向き、そして、どちらにも属さない傍観者。短い時間で、あっという間にみっつの派閥が出来上がっちまった。こんな真夜中に皆、大はしゃぎさ!」
軽口めいて話された内容は、重く。男の倫理観が疑わしくなるが、それも、女を想っての事の様だった。
「政治やら宗教やら、そんなしがらみから解放されたくて、ここへ辿り着いた者も多いだろうに、世代を重ねれば、無縁ではいられないもんなのかね? 俺の家系は、ずぅっと生粋の戦士だからなあ――」
男は、頭をかき「あ~あ、やだねぇ」と他人事の様に呟いて、入口の扉を開けて大股で歩き去る。賑やかな足音を見送った女は、扉を閉め、少女の眠る部屋を見つめて、胸に手を寄せた。
「……これで良かったんだ」
※ ※ ※
まだ覚醒していない意識に、身体を揺さぶる振動と、誰かの声が聞こえた。
「――ト、カイト! 朝だよっ! 起きよ!」
んあ? アイシャか? もう、朝なのか……。
右側からは、明るい光が射し込んで来ているのを感じた。
「まだ眠い……」
昨日は、かなり遅くまで文字の勉強を頑張ってたから、いつもより睡眠時間が短くなってしまった。目を開け、こちらを覗き込んでいたアイシャを見つめる。
それが分かっているのなら、もう少し寝かせて欲しいな。
「おはよっ! とっても良い朝だよっ! 着替えてご飯にしよっ!」
その言葉に、隣ですやすやと寝息を立てていたジジが、がばっと起き上がる。
「はっ!? に、肉じゃあ!」
身体を起こし、寝ぼけた様に、アイシャを見つめ、「に、肉か?」と呟くジジを見て、アイシャは苦笑する。
「もう、ジジちゃん。朝からお肉を食べたいの? 元気なのはイイ事だけど」
ジジは、そのままぼんやりとした様子で、「肉、……肉」とうわ言を漏らす。
「おいおい。お前がいきなり変な事を口走るから、完全に目が覚めちまった」
はあ、起きるか。
のそのそと起き上がり、外の様子を窓から覗くが、確かにとてもいい天気で、青空を見上げると心が晴れやかになる。アイシャも隣に立ち、空を見上げた。その金の瞳に、白くたなびく雲と青色が映りこむ。
「ね? とっても良い朝でしょ?」
しばらく二人でそうしていたが、背後のベッドで音が聞こえ、ジジが飛び出して来る。
「むう? 抜け駆けか? そうなのじゃな? アイシャ!」
振り返って「ええ!?」と驚きの声を上げるアイシャに構わず、ジジは突進してきて、俺たちを窓に押し付けて、自分は真ん中に顔を並べて、満足そうに頷いた。
「うむ! 確かに真に良い朝じゃ!」
む、むぐぐぐ。苦しっ!
「ジジ! お前、無理やり割り込んでくるなよ!」
「断る! 儂を差し置いて二人だけで楽しもうとは、まっこと大それた考えよ!」
アイシャはそれに苦笑し、次いで嬉しそうに、笑った。
「ふふっ! 短い間に、この家もホントに賑やかになったねっ!」
不思議そうに「ふむ?」と呟いたジジは、窓から離れ、アイシャは「私たち、もう家族なんだもんね!」と輝く笑顔で答えた。そして、こちらを向く。
「それじゃ、カイト。ちょっとだけ部屋の外に出ててくれるかな?」
着替えだな。今でも少しは、誘惑されるが、もう覗きたいとか――いや、思うけどさ。だが、今の俺は、至って冷静だ。
その言葉に素直に従い、隣の部屋に移動すると、ジジの恐ろし気な悲鳴が聞こえた。
「か、家族!? 妹!? 姉!? う、うぐぐぐ、き、記憶が!? 心の奥底に封じたはずの――!?」
朝からほんとに賑やかだなあ。
「もう、ジジちゃん。変な事いってないで、いつもみたいにぱぱっと着替えちゃって! 朝ごはんが待ってるんだから!」
しばらくして、二人と交代し、俺が着替えに入ったが、ジジは虚ろな目で、「目玉が、目玉が――」と呟き続け、覗いてくる気配はなかった。
うむ。どうやら、思い出してはいけない何かを、思い出しちまったみたいだな。こっちは着替えやすくて助かるが。
その後、食事が始まり、アイシャは禁断の記憶を呼び覚ましてしまったジジに配慮したのか、本当に朝から焼肉パーティーが開かれ、打って変わって目を輝かせたジジが、「に、肉じゃあ!」と叫びながら、料理に舌鼓を打つ。
「うっぷ。朝からちょっと食べ過ぎたかも」
アイシャは、片づけに入り、隣のジジは腹をさすりながら、こちらへ視線を送ってくる。
「カイトよ! 今日の修行はどうするのじゃ? また、あそこへ行くのか?」
ん? ジジにしては珍しいな。アイシャに大精霊域へ行ってる事がバレない様に、配慮してくれてるのか? まあ、ジジが一緒にいれば入っても大丈夫なんだけど、その辺の情報は、アイシャに共有されてないからなあ。
耳ざとくその会話を聞きつけたアイシャが口を挟んでくる。
「あそこって、何処かな? ……まさか、また危ないお墓とかに行くつもりなの!?」
い、いや。あそこへはしばらく行ってないけど。……ダメだ! あそこって言い方じゃ、余計に心配させちまう!
その話題を強制的に終わらせ、切り替えるために、昨日の修行の終わりに考えていた事を二人に話す。
「それなんだけどさ。師匠には、今の段階がクリア出来るまでは、家に来なくてもいいって言われてるんだ。それで、昨日、修行を終えた時に思ったんだけど……」
二人は、興味深そうにその続きを待つ。
こんなに期待されると、ちょっとばかり話しにくくなるな。でも、言わなきゃ決心も鈍っちまう。
「今の段階は、ちょっと詰まり気味でさ。何かヒントになる物が欲しくて。……それで、二人にまた手伝って欲しいんだ」
ジジとアイシャは、お互いに見つめあい、不思議そうにする。
「何か考えがあるんだね?」
「ふむ? あの決闘騒ぎのあった夜の様に、儂らの力を借りたいと言う事じゃな?」
ここからが本題だ。これを言えば、非難されるのは間違いない。でも、今回の課題の難しさは、今までの比じゃない。だからこそ、二人の本気の力を見て、それを参考にしたい。
「……冷静に聞いてくれ。アイシャが前に言ってただろ? この家の前の井戸の話、汚染されて、中には魔物がいるって――」
アイシャは、何かを感じ取った様で、その表情が険しくなる。
「ほう? その様な話があったのか、初耳じゃ」
ジジの言葉を受け、最後のもっとも重要な部分を切り出す。
「二人が戦う所をさ、間近で見て、参考にしたいんだ! だから、今日は――そこの井戸を探索してみないか?」
そして、絞り出す様に、「頼む――」と懇願する。
この提案は、二人に受け入れられるのだろうか? 修行のためとはいえ、自ら危険に臨むのは愚か者かもしれない。だが、これが叶った時、次の段階へ飛躍できる。そんな確信が、心の中には渦巻いていた――。
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