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地霊鋼の手袋

 木漏れ日の射す、夕刻でもいまだ明るい森の大木の樹上で、太い枝に腰掛ける女が見えた。その膝には小さな黒い猫が乗り、丸くなっている。

 吹きつけた風で、周囲の枝が揺れ、木の葉が舞い、女の髪がそよぎ、頭の帽子が飛ばされそうになったのを片手で押さえる。


「神殺しさんの印象はどうだったかしら?」


 独り言だろうか? 誰に問いかけているのかは分からない。だが、意外な事に、それに返答があった。


「例えるなら、今はまだ蕾なのじゃ。いや、小さな苗と言っても差し支えないかの。何にせよ花開くのは当分先なのじゃ」


 女は、猫を撫でるのをやめ、苔むした枝の上の堆積物へ根を張っていた小さな木を撫でた。


「ああ、この子は、大地に根を下ろせず、こんな所に生えてしまって、これ以上は、成長できず、いずれは枯れる運命……。なんて、儚いのかしら……」


 弱々しく、今にも折れてしまいそうな木が、なぞる指先に従ってしなった。


「あの子も、この子と同じだわ。儚く、弱々しい。誰かに守られなければ生きて行けない。……そのままにしていては、いずれ枯れ果ててしまう」


 女は、うっとりとした様子で、長い息を吐く。


「大抵の生物は、与えられた枠組みの中で、ただその役目を全うし、散って行く。……そこに、自由などなく、定められた運命は変わる事がない」


 そこで、何かを思い出したように、悲し気だった声音は気色ばんで行く。


「……けれど、あの子は、神を滅ぼした」


 長い沈黙が続いた。気づけば、小さな木は、精気を吸われた様に、枯れ果て、茶色く萎んだ葉が、はらりと落ちて風に乗って消えていく。


「この子の命は、他の子供たちに与え、引き継いでもらいましょう。……ヒトも、それが出来れば良かったのだけど」


 声は、再び憐憫を含んだ色に変わっていた。


「貴方は、試されているのですよ。四畝波海兎」


 その場にいない人物へと、中空へ言葉が投げかけられる。


「貴方には、与えられた運命をねじ伏せ、自らをその主とする力があるのか……。誰もがその答えを知りたがっているの」


 再び奇妙な声が聞こえた。


「そんな事より、あの人間の血は、実に美味そうだったのじゃ。かぶりつけば、さぞ良い味がするのじゃろうなあ。……じゅるり。ああ、さっきから涎が止まらんのじゃ」


 それにクスクスと漏れ出す笑いが答える。


「あら、怖い! ……でも、あの子が今のままなら、遠からずその機会は訪れるでしょう……。今の、まま、ならね?」


 膝上からは、猫が喉を鳴らす音が聞こえた。


「ねえ、今すぐにでも試してみたくなったわ。あの、弱々しい子の何が、神を滅ぼすほどの力となったのか。直接つまみ食いしたいけど、それはまだ禁じられているもの」


 女は、心から楽しそうに、口元に強く手を当て、肩を揺らした。品性を疑われる下劣な笑い声を自覚していて、それを隠した様だった。当てられた手の隙間からは、不気味な音が漏れ出している。


「やれやれ。ぬしの方がよっぽど怖いのじゃ」


 三度、奇妙な声が響く。


「楽しく刺激的な日々を送れるように、一計を案じましょう」


「早い方がいいわ! ねえ、そうでしょう?」


「四畝波海兎――」




※ ※ ※ 




 ミレニアと名乗った不気味な女と出会った場所を離れ、家の前の広場へ戻ってくると、アイシャが丁度かえって来た所だった。大荷物を背負って、衣服の所々に泥や掠れの様な汚れをつけた彼女は、俺の姿をとらえ、嬉しそうに飛び跳ねながら手を振った。


「あ! カイト! 今日の修行は、終わったのかなっ? 私も、今かえって来た所なんだよっ!」


 そのまま駆け寄って来るが、背中の荷物は今にも零れ落ちそうなほど派手に左右に揺れる。


「ただいま――てか、おかえりかな。でも、その格好、一体どこまで行ってたんだ?」


 アイシャは顎に指先を当て、宙を見つめた。


「ええとねぇ。この先の森をしばらく進んで、崖を一つ登ってぇ。崖の上の森を抜けて、川を渡って、それから――」


 振り向いて道を指し示すが、背中の荷物が大きすぎて、判然としない。

 というか、無茶苦茶とおくから帰って来たのは、今ので十分に分かった。

 身体中の汚れは、崖を昇り降りしたせいか……。ええ!? 行きはともかく、帰りは、その大荷物で崖を昇り降りしたのか!?


「あれ? カイト! 聞いてる?」


 あまりの衝撃に、話の後半は、聞こえていなかった。


「あ、ああ。すっごい遠くまで行って、帰って来たのは分かったよ……」


 アイシャは嬉しそうに、いそいそと荷物を降ろし、その一部を指さす。


「見て! これ、ベッド用のマットなんだけど、お店に着いた時はね、見当たらなくて、特注になっちゃうかなってハラハラしてたんだけど! なんとね! お店の倉庫に、家のベッドでも使えるサイズのが眠ってたんだよっ! ちょおっと古いんだけど、見た目は問題ないし――勿論、品質も大丈夫だから、イイ買い物しちゃった! って嬉しくなってね、ずっとウキウキしながら帰って来たんだよっ!」


 アイシャは嬉しそうに話続け、土産話が止まらない。「カイトとジジちゃんに、早く見せてあげたくってね!」そこまで聞き終わった所で、本当にこの娘を好きになって良かったという想いが、溢れだして来て、抱きしめたくなってしまった。


 い、いや。勿論、自制するぞ。今は、そういうタイミングじゃないから!


「あれ? カイト、また上の空なの? ……もしかして、また何かあったのかな?」


 胸に手を当て、不安そうに問いかけるアイシャを見ると、今日あった事を言い出せなくなってしまった。

 う……。朝の事は、師匠には話したけど、ジジも知らない事だし、どうにも話しづらいから、黙っていたい……。

 何よりも、朝にロドスに対して感じたあの怒りを、ジジやアイシャに知られるのは気恥ずかしかった。こんな事を考えていては、またあの謎の女性に怒られるかもしれないが。


「ああ、いや。今日はさ、修行ですっげぇ発見があったんだけど、その後はあんまり上手く行かなくてさ……。ちょっと悩み中なんだ」


 あのプリシラの事もとりあえず伏せておく。何か因縁がありそうだったし。まあ、ジジも関わってるからあいつが話しちまうかもしれないけど。

 アイシャは明るい顔を取り戻し、楽しそうに答える。


「そうなんだ! 上手く行ってるみたいで、私も嬉しいかなっ! 問題の方は、続けてれば、きっと解決するはずだよっ! ……あ! そうだった! カイトにもお土産があるんだ! 待ってね――」


 しばらく荷物をゴソゴソと漁った後に、何か黒く光る金属らしき物と、絹みたいに滑らかな光沢を放つ紐が取り出される。それをこちらへよく見える様に突き出す。


「じゃじゃん! これ、何か分かるかなっ?」


 え? クイズ形式なの!?


「……ええと? 何かの金属と、紐?」


 アイシャは頬を膨らまし、あからさまに不満そうだ。


「もう! それじゃ答えになってないでしょっ!」


 いやあ、そんな事いわれてもなあ。俺のリアクション芸には期待しないでくれ。ただのゲーマーであって、芸人じゃない。


「これはねぇ。グノースタイト! って呼ばれてる金属とぉ。スパイダーシルクだよっ! どっちもグリームヴァルトなら簡単に手に入るんだけど、他の町や村への流通量はすっごく少ないんだよっ! 特に、今は前の嵐の影響で物流が止まってる場所が多いしね。だから、ちょっと値が張っちゃった。でも、後悔はしてないよ。これがあれば――」


 グノースタイト? って、確か、昨日の神との戦いでジジが――。地霊が鍛えた金属で、鋼の数倍の硬度があるとかなんとか……? 地霊って何だ? あのノームの事か?


「ふふぅん。この森の地下にはね、ノーサリア帝国って言う。地霊族の地下帝国が広がってるんだよっ! グリームヴァルトはそことの国交がずぅっと昔からあって、友好関係を結んでるんだ。だから交易も盛んで、このグノースタイトも定期的にお店に出回るんだよっ!」


 へえ。そうなのか……。てか、帝国って、あんま良いイメージがないけど、大丈夫なのか?


「こっちのスパイダーシルクはね。一言で言っちゃうと、蜘蛛の糸なんだけど、ペインウィーバーっていう、大型の毒蜘蛛の上位種が吐き出す糸なんだ! グリームヴァルトでは、その蜘蛛を飼育しててね。これがまたすっごく上等な繊維に変身しちゃうんだよ。それに、肌触りが良いだけじゃなくて、衝撃吸収性能も優れ物なの」


 ええ!? 実物は見てないけど、名前からして相当やばそうな蜘蛛じゃないか!? そんなのから取れたのを服とかに使ってるって事か!?

 むむむ。森のエルフ恐るべし。


 アイシャは説明を終え、その二つを手にもって、広場にある焚火の跡の様な、特徴的な道具の設置された場所へ移動する。


「ここ、いつも火を熾す時に、使ってるんだ。今から、朝に言ったカイトの右手用の手袋を作ってあげるから、指とか手のサイズを測らせてね」


 材料は地面に置かれ、アイシャは巻き尺を家から持って戻って来た。あの時とは違って、手のサイズを測られるだけなので、くすぐったくはあるが、緊張はしない。手早く採寸が進み、その値が、精霊の力によって自動でメモに写されていく。


 相変わらず便利な力だなぁ。イシとデイもこれ出来ないかな? まあ、まず文字の勉強を頑張らないと、日本語で書いたんじゃ、色々と現状が崩壊しちまうから、ダメかあ。


 そこで、ふと、自分が元はこの世界の住人ではない事を、いつ二人に明かせばいいかという考えが浮かぶ。


 騙してる訳じゃないんだけど、言うタイミングは今じゃない気はするな。

 そこで、ロドスとミレニアが浮かび、忌々しい気持ちが湧き出して来る。

 あんな連中に知られてるのに、二人には秘密ってのも何か癪に障るな! いや、神が他にもたくさんいるなら、そいつらにも知られている事に――!?

 くそ! やっべえ想像をしちまった!


「――ト? カイト!」


 あ、また考え込んでた。


「採寸おわったよ? もう、またぼうっとしてたの!?」


 何でもない事を伝えると、安心した様子で、作業に入る。


「ふふぅん。見ててね。今からカイト用のグノースタイトの手袋を作ってあげちゃうよっ!」


 アイシャは、地面にいつか見たパイライトやクリオライト、精霊銀と言った触媒を設置し、そこへマナを注いでいく。すると、小さな燃え盛る炎の姿を取ったトカゲが複数あらわれ、それらが中心へと集まり、一体の二メートルはある巨大な精霊へと変貌する。


「すっげ……」


 彼女の精霊魔法がこれほど大々的に使われているのを見たのは、初めてな気がする。

 中心に巻き起こった灼熱の炎は、火勢をどんどんと増していき、その熱から守るためか、小さな人魚が、周囲に現れ始め、舞い踊る。薄い冷気の膜の様な物が、爆発的に膨張した炎との間に張られ、その影響を空間ごと遮断する。


「ここからだよっ! グノースタイトは、そのままだと魔法の力を受け付けないから、その組成を一度、ドロドロに分解しないと行けないの!」


 魔法の力を受け付けない? そういう特性の金属なのか……? どういう原理なんだろう?


 炎は温度をさらに上げているのか、色が白に近くなっていく。そして、羽の生えた妖精が現れ、金属塊を宙へ浮かせて、炎の先端へと固定して行く。その瞬間、激しい明滅が起き、炎が揺らめき、金属を避ける様に、先端が割れる。


「魔法の炎じゃ、直接は溶かせない、だから、このサラマンダーのパワーを自然の火に転化しないと行けないんだ!」


 地面ふきんに幾人もの小人が現れ、即席の岩の枠組みを生み出していく。視線を上に向けると、グノースタイトの塊にぶつかって裂けた炎が、その上空で渦を巻き、そこへ、風の力で運ばれた薪や木炭などの燃料が投入されて行く。


「ふふぅん。グノースタイトを加工するのに、グノースタイトの反魔法の力を利用するんだよっ! エレメンタリストとしては、ここが腕の見せ所かな!」


 そうして、しばらく上空で炎が渦巻き、激しく火の粉を舞い散らせていたが、それが既に黒ではなく、炎の様な紅い色に変わったグノースタイトを包み込み、下で待ち構えていたサラマンダーの開かれた口に飲み込まれた。すると、サラマンダーの姿は液体の様に、崩れ落ち、地面の枠の中には、マグマの様な熱く煮えたぎる渦が現れる。


「一度、自然の火で溶けたグノースタイトは、魔法の力への抵抗力を失ってるから、ここからなら魔法を使って自由に加工できるんだっ!」


 ドロドロに溶けたグノースタイトの周りに、人魚が近づき、見ているだけで背筋が震える様な、強烈な冷気を浴びせかけていく。繊維状に分解されていたグノースタイトが、ノームらしき小人の力との合わせ技で、少しずつ成形されて行き、手袋の形を取っていく。


「ふふぅん。極限まで薄く伸ばしたグノースタイトは、強度は少し落ちちゃうけど、柔らかくて、どんな形にでも加工できちゃんだから!」


 しばらくすると、側面が開かれた状態の真っ黒な手袋が出来ていて、そこへ、先ほどのスパイダーシルクの繊維が、張り巡らされ縫いつけられていく。

 そして、手袋の側面は閉じられ、朝に見た三種の精霊が内側へと、封印を施していく。

 全ての工程が終わり、魔法で生み出された物が消え去った所で、アイシャが手袋を手に取り、それが俺に渡される。


「はい! 出来たよ! これなら絶対に力が漏れちゃう事もないし、おまけに防御力もアップしちゃう!」


 満面の笑みで「大事に使ってね」と言うアイシャにお礼を伝えて、今はめていた手袋を慎重に脱ぎ、グノースタイト製の手袋に指を通していく。


「すげえ……。元が金属だとは思えない滑らかな感触だ……! それに、中身は、蜘蛛の糸の繊維で覆われてるから、金属にぶつかって怪我をする事もない……」


 ゆっくりと手指を曲げ伸ばししてみるが、抵抗感もなく滑らかに動作する。それは、本当に魔法の手袋と言えた。それを眺めながら、アイシャの底知れぬ実力を再確認する――。

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