表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/159

緑の浸食

 精霊の森の都、グリームヴァルトの一角、各地の族長やそれに並ぶ有力者の屋敷が林立した一帯の、周辺の大木と一体化した建造物とは赴きが異なり、人間の貴人の家の様な外観の豪邸に、こそこそと周囲を窺いながら近寄る一人のエルフの女が見えた。

 彼女は、長いサイドテールを揺らしながら、挙動不審に玄関の大扉の呼び鈴を鳴らした。


 しばらくして、中から返事があり、ゆっくりと扉が開かれ、待ち受けていた使用人が数名、挨拶をしようとするが、それに女が目くばせすると、皆、一瞬で状況を理解した様子で、黙ったまま頭だけを深々と下げた。

 その間を忍び足で通り、玄関ホールの大階段を出来るだけ足音を立てない様に、慎重に上って行くが、最上段を踏み越え二階へと入った辺りで、何者かに声をかけられ、驚き、足が止まる。


「何処に行っていたのだ? プリシラ」


 驚いた女は、声の主を横目で窺い声を上げる。


「お、お父様!? きょ、今日は重要な商談があって、遅くなるとおっしゃられていたはず……」


 父親らしき男は、貴人と言うよりは、商人らしき風体で、立派な仕立ての良い深緑の上下を身に着けていたが、中身である人物は、何処か疲れた印象を覚えさせた。とはいえ、ほとんどの者にとっては軽微な違いでしかないのだろうが。娘である女は、それを敏感に感じ取っている様子だった。


 父親は口元に蓄えた立派な髭をなぞり、娘へ答える。


「とんとん拍子に上手くまとまってな。こうして早く切り上げ、帰ってみれば、娘が何やら怪しげな態度を取っているではないか。……いつから盗賊の真似をする様になった?」


 そのあからさまな嫌味に対して、口をつぐむが、長い耳は萎れた様に、下がっていく。

 父親の鋭い視線に曝され、しばらくして、重い口が開かれた。


「そんなつもりはありません……。お父様には関係ないかもしれませんが、今日は祝日です。……巫女といえど、休息を取る事は正当な権利でしょう?」


 その精一杯の反論は無視され、女の右手の傷へ視線が向けられる。


「その傷はどうした? 巫女に選ばれた時より、お前の身体は、お前ひとりのモノではなくなったのだぞ? それを理解しているのか?」


 それは不器用ながら、娘の身を案じた言葉だったのかもしれない。だが、相手にはそれは伝わっていなかった様だ。女は傷を左手で隠し、抵抗の意志を見せる。


「……分かっています! 毎日、毎日、公務ばかり! 効果があるのかも分からない祭礼に駆り出され、何をするでもなくただお人形の様に、その場に座するだけ! うんざりしていますの! たまには羽目を外しても良いでしょう!?」


 その心情の吐露に、父親はぴしゃりと厳しい言葉を投げかける。


「口が過ぎるぞ! お前を巫女に選ばせるために、どれだけ投じたと思っている!」


 その言葉を受け、女は再び俯いた。


「……大体、祭礼の場で何もする事がないと言うが、それはお前の力が足りないからではないのか? 先代のあの娘ほどの力があれば――」


「あの女の名前は出さないで!」


 父親に対する礼儀を忘れた言に、男の眉間に皺が寄る。階下にいた使用人たちもざわつき、その様子を遠くから見守る。


「あ……。も、申し訳ありません。お父様……。けれど、巫女の仕事は祭礼において体内に持つマナを捧げる事でもあります! ……何も理解していないのに、あまり酷い事をおっしゃらないで……」


 伏し目のまま呟く様に、喉の奥から絞り出された最後の言葉と共に、女の瞳からは一筋の涙が流れた。

 だが、父親はそんな娘の心情を顧みる様子は見せず、自らの苦労と功績について語り始める。


「お前とて、一度は没落した我が家が、誰の力によって再興したのかは理解しているのだろう? 私がどれだけ苦労したと思っている! お前の今の立場を勝ち取ったのは! 誰の手による物だと!?」


 女は、父親の冷たい言葉に震え、両手を胸元で握りしめた。


「お、お父様です……。忘れた事など一度たりともありません……」


 父親は、満足した様子で頷いた。


「分かっているのならいい。……それにしても……この色合いは」


 女の衣服に視線が注がれる。そして、何かに気づいたのか、再び声を荒げた。


「この馬鹿娘が! またあの魔法を使ったのか!? あれほど使うなと、きつく言いつけたはず! それを破って――お前のために禁書庫への立ち入り許可を取り付けたのは、そんな事のためではないぞ!」


 詳しい者でなければ、気づくはずもない。それほど僅かではあるが、女の衣服は色が褪せていた。それを目ざとく察知した父親は、娘を激しく怒鳴りつけた。


「あんな邪神の魔法を! 言ってみろ! 我が家の信仰する神の名を! 古代共通語を使ってな! それをもって禊とし、神へ許しを請うのだ! 主神はいつでも見ておられるのだぞ!」


 その我を忘れた激怒に慄き、震えながら言葉を返す。


「た、太陽神であらせられる……ゼスパールです」


 先ほどまで使われていた言葉とは全く異なる発音が用いられた。何も知らない者でもその二つの差異に気づくかもしれない。

 それを聞いた父親は、荒い息を吐きながらも満足そうに頷き、乱れた衣服を整えた。


「二度と使うな! もし、また使ったなら、お前を勘当しても構わんのだぞ!?」


 女は、自嘲気味に呟く。


「ふふふ。家のない巫女など、恥さらしではありませんか……? それではこの森ぜんたいの面子に関わります……!」


 それを聞き終わる前に、再び罵声が響く。


「この! 生意気を言いよって! 歳を経ても成長を伴わず、口答えばかり上手くなるな! その体だから、獣にも侮られるのだ! ……良いか、何に付けられたのか知らんが、その傷は見られない様に、隠すのだ! 分かったな!」


 その言葉を最後に、父親は踵を返し、足音を響かせながら去って行った。


「……この傷を見て、一目で猫だと分からないなんて……。だから、お父様では届かないのよ――」


 最後の言葉は、何を意味していたのだろうか? 誰にも聞こえない様にささやかれたそれに答える者はなかった。




※ ※ ※ 




 明るく穏やかな大精霊域の森も、日暮れが近づき、少しずつ紅く染まり始めていた。その場で修行を続けていたが、思わしい成果は得られず、マナの消耗による疲労から、徐々に思考がおぼつかなくなって来て、ぼんやりとしたまま座り込んだ。


「はあ。ダメだぁぁぁ!? ぜんっぜん、上手く行かねぇ!」


 大きく息を吐き出し、淀んだ思考をクリアにしようと試みるが、その程度で疲労を取り払えるはずはなかった。ゆっくりと立ち上がり、帰り支度を始める。

 眠りについたジジは、まだ起きてくる気配はなかった。


「ジジのやつ。まだ寝てんのか。やっぱり昨日の激戦が効いてるのかなあ? ……まあ、もうすぐ夕食だし、腹が減ったら起きてくるだろ。あ、そっか。その前にアイシャが帰って来てるか分からないな」


 そのまま要石を通り抜け、大精霊域の外へ出て、家への道を辿る。


「みゃあん」


「え?」


 家の前の広場に出た辺りで、何かの声が聞こえ、そちらを注視する。


「あ! あの猫だ!」


 頭の中には、昼間のあの気味の悪い光景が過っていたが、目の前の小さな姿を見つめていると、それが幻覚だった気さえして来る。


「どう見ても普通の猫だよなぁ?」


 いや、普通って言うか、けっこう可愛い気がする。う~ん、そんなに特別に猫好きって訳でもないんだけど……。

 そのつぶらな瞳がこちらへ訴えかける様に、艶やかに輝き、長い髭が風で揺れた。


「みゃあん」


 しばらく見つめていると、猫は再び鳴いて、尻尾をぴんと上に伸ばし、振り向いて歩き始めた。


「何だ? もしかして、ついて来いって言ってるのか?」


 昼間の事から少しだけ躊躇したが、その後を追ってみる。猫はゆっくりとだが、軽やかな足取りで、アイシャの花畑や菜園の脇を通り過ぎ、徐々に近くの森の中へと入って行く。


「ん? この辺りの森は、まだ探索した事がなかったな。家の直ぐ近くだし、そんなに危険があるとも思えないけど」


 比較的、密度のある森の木々の間を縫い、しばらく進んだ所で、小さな木漏れ日の射す広場に出た。草が生い茂り、夕日の色に輝く。そこで猫は止まり、首だけを動かしてこちらを向いた。その瞳は何かを訴えかけている様に感じた。


「あら? 帰って来たと思ったら、誰か連れて来たのかしら?」


 倒木の上に腰掛ける何者かの影が見え、優し気な声が響いた。

 その声の主は、苔むした倒木の表面から伸びていた、小さな木を愛おし気に撫でた。


「みゃああん」


 猫はとろける様な甘い声を出し、その影へ近づいて行く。

 しばらく見つめていると、夕日と陰のコントラストの差で見えにくかった視界が慣れてきて、奥の何者かの姿が明瞭になり始める。


 女性だ……。


 地味だが茶と緑が交じり合った特徴的な服。長いひだのあるスカートが足首まで隠していて、濃い茶色で艶のある靴先が見え隠れしていた。頭部には、小さな丸い帽子が斜めに乗っていて、思わずそれがずり落ちないかと心配になってしまう。


 緩やかな薄い桃色に見える短めの頭髪は、左側面で結われている様で、隠れた右と違い、左耳は露出していた。その耳を見てある疑問が過る。


 耳……。長くない。エルフじゃないのか? でも……、この辺りに他の人間がいるなんて、アイシャは言ってなかった。

 ほんの僅かにではあるが、胸騒ぎの様なモノが渦巻いた。


 飛びついて来た猫を抱きとめ、膝にのせて撫で始めた女性は、下を向いたままこちらを咎めた。


「何かしら? 女性をそんなにジロジロと見るなんて、デリカシーがありませんよ?」


 その言葉にはっとなり、思わず目を逸らす。すると、クスクスと漏れ出す小さな笑いが聞こえ。視線がこちらを捉える。


「素直なのね。そんなにはっきりとした態度を取られると、少し、可笑しくなってしまうわ」


 もう一度、女性を見ると、膝上の猫と同時にこちらを見つめているのが感じられたが、極端に細い目は、長い睫毛とひとつになって、視線の出所が分からない。

 その姿に、何処か神秘的な雰囲気を感じ、息をのむ。

 優しく猫を撫でる手が止まり、膝上から不満そうな声が聞こえた。


「そんなに緊張しなくてもいいのですよ。今日は、挨拶に来ただけですから……」


 そして、「うふふ」と柔らかな笑いが聞こえる。


 え? さっきは偶然であったみたいに言ってなかったっけ? 猫の動きも、意図的だったのか!?

 女性は、何処か楽しそうに、垂れ下がった右の髪先を弄った。


「あら? 警戒させてしまったかしら? 先ほどの発言と矛盾しているもの……。気になるわよね?」


「みゃあ!」


 そこで、何が気に入らなかったのか、膝の上で気持ちよさそうにくつろいでいた猫が、女性の右手を引っかいた。


「あら! 痛い! ……悪い子ね。話に集中して、あなたを無視していた訳ではないのよ……」


 傷ついた女性の右手から、じわりと血が溢れ、滴り落ちていく。それを見て絶句し、寸時の後、絞り出す様に、自然と言葉が漏れていた。


「血が――赤く、ない!?」


 夕日の色に混じって、元の色は明確には分からなかったが、周囲の植物と同じ、緑をして見えた。

 女性は傷口を隠す様に、身体を捻り、再びこちらを咎めた。


「あら? 女性の血の色を詮索するだなんて――、本当に、デリカシーがないのね……?」


「うふふ!」


 笑い声と共に、鋭い衝撃を感じ、出所の分からないはずの視線に、射竦められた様に、身体が動かなくなっていた。


 何だ? この感じ……!? まるで、頑丈なロープでがんじがらめにされてるみたいな……!


「草木は私の家族ですもの。奔放に伸び、うねり狂う弦の如く、回りくどく話すのも赴きがあって好きだけれど。今日は、もう時間がない様ですから、単刀直入に行きますね」


 何をされるのか分からない緊張感と、動かない身体が、朝のロドスと名乗った男との邂逅を想起させ、心音が大きくなり始める。


「私は、ミレニア。草木の神、ウドーラ・クトークさまの遣いとして、貴方の元を訪れました。簡単なメッセージを残しに、ね……」


 草木の、神!?

 その思いがけない言葉に、心臓が大きく跳ねた。身体中を血が忙しく巡り始め、臨戦態勢へ移行する。だが、困った事に微動だに出来ない。

 冷静さを何とか保とうと、頭に浮かんだままに呟く。


「ウドーラ・クトーク……。変わった響きだな……」


 だが、それは悪手だった。女性の糸の様だった目が、少しずつ見開かれ鋭く光る紅い瞳が露になる。その視線に、全身が粟立つのを感じた。


「……神々の名は、古代神語に列する聖なる言葉です。何人たりとも侮辱は許されませんよ」


 静かな、とても静かな威圧が身体へと迫り、内部にまで食い込んで全てを押し潰そうとしていた。


 く、くそ! 動けないってのに、怒らしちまった! どうすれば――。


 そこで、朝方のジジとアイシャとのやり取りが、思い起こされた。


 そうだ! この身体を拘束する力が! ジジのあれと同じなら!


 目を瞑り、自身の霊体へ集中していく。感覚が一気に切り替わり、身体を縛っていた力の正体が明らかになる。


 何だこれ――目に見えない、植物の弦!?


 身体中を縛るように、絡みついて来ていたそれに、内部から溢れさせたマナをぶつけ、膨らまし、徐々に拘束を緩めて行くと、閉じた瞳の向こうから、歓声が聞こえた。


「あら! 生命の樹の束縛を解いてしまうなんて、流石は神殺しですわね。一筋縄では行かない事の証を立てましたね」


 身体への圧力が弱まり、前へ倒れそうになった所で、右足を大きく踏み出し、バランスを取った。そして、眼前を見据える。


「さて、目的は果たせたのですから、そろそろおいとましようかしら?」


「みゃああん」


 その言葉と共に、猫と女性は、辺りから伸びた弦に飲み込まれる様に、姿が隠されて行く。

 完全に隠される前に、その唇がなぞった言葉は、「また会いましょう」と読み取れた。


 弦が萎んでいき、消え失せた時、そこにはもう誰もいなかった。安堵からその場にへたり込み、大きく息を吐く。


「はああ。何だったんだ……? また、俺を殺そうと狙ってるのか……?」


 朝の男ほど怒りも敵意も感じはしなかった。だが、何らかの狙いを持って接触して来たであろう神の使者の言葉は、何時までも頭の中を巡っていた――。

評価・ブックマーク・レビュー・感想などいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ