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白の暗躍

 夕刻が近づいても人々の往来で賑わう目抜き通りの陰、帝都の家々の隙間を縫うように走る路地裏の一角。そこに一組の男女が見えた。人目を忍んだ逢瀬か。いや、そこには柔らかな様でいて、何処か物々しい雰囲気が漂っていた。何か表沙汰に出来ない密談だろうか? 軽やかな緊張が包み込む中で、白髪を茶色のフードで覆って隠した少女が、背の高い兵士風の男へ話かけた。


「来てくれたのですね。帝国領土を跋扈する魔物の討伐で、大活躍と噂の先遣大隊のエースですもの。わたくしの誘いなど、無碍にされると思っていましたわ」


 そして少女は小さく「ふふっ」と笑った。

 それを無言で見下ろしていた男は、心中の焦りを隠せない様子で、答えを返す。


「とんでもありません! 帝国の大貴族である、オーフィニスティンさまのお誘いを――例え、それが秘密裡のモノだとしても、無碍にするなど、私には考えもつかない事です!」


 畏まった様子の男に対して、少女は余裕を見せ、背負われた剣へと興味を移す。


「そのお背中の大剣。軍の支給品ではありませんわね。ご自分で買われたのかしら? 原則、軍の兵士には、役割によって一律に同じ装備の使用が求められるはずですわよね? それが、規律と言う物ですもの。やはり、エースともなれば特別待遇なのかしら?」


 男は何処かばつが悪そうに、背中の剣の柄を撫でながら答えた。


「こ、これは――その、以前、帝都近辺の村々をトロルが襲う痛ましい事件がありまして……。真っ先に対象を見つけ出し、単独で討伐した時に使った剣でして、その功績を称えられ、閣下より直々に、帯剣を認められた物であります! ほ、誇りではありますが、少々、気恥ずかしくもあります。――その折、剣の名前も頂戴し、トロルスレイヤーと皆からは呼ばれております!」


 男は緊張した様子だが、その思い出じたいが密かな誇りなのか、長々と聞かれてもいない事まで話した。少女は、それを頷きながら時折、相槌を打ち、にこやかに聞く。傍から見れば男が接待でもされている様だった。


「ああ! 覚えていますわ。……本当に、痛ましい事件でしたわね。……それを解決した英雄が、貴方だったなんて、自分の不勉強が恥ずかしくなります。それにしても、フェードバッハ将軍から直々に認可されたとは、さぞ誇らしかったでしょうね」


 男は、その時の興奮を思い出したのか、震えながら上を向いた。しばらくそうしていたが、我に返ったのか、慌てた様子で少女へ向き直る。


「し、失礼しました! あの時の気持ちを思い出すと、熱い何かが胸の奥から込み上げてきて、感極まってしまいました」


 少女は変わらず、笑顔のまま熱心に傾聴する。……少なくとも、表向きはそう見えた。

 男は、徐々に状況にも慣れ、冷静になり始めたのか、少女に問いかけた。


「オーフィニスティンさま。お話はそれだけでしょうか? 失礼ですが、この様な事を話されるためだけに、私を呼び出された訳ではないのでしょう?」


 男の当然の問いかけに、少女は笑顔で頷き、本題を切り出す。


「お強いだけでなく、聡明でもいらっしゃるのですね。……その通りですわ。今朝方の事でしたわね。精霊の森へと赴いていた探査部隊が帰還し、見事な成果を持ち帰ったそうですね。貴方も勿論ご存知でしょう?」


 男は、何処か曖昧な表情を取り、何かを思案している様子だった。


「……はい、兵舎でもその噂で持ち切りでしたから……。しかし、噂は噂。探査部隊が帰還したという事実いがいに、確証はありません」


 少女は、口元を袖で隠し、楽しそうに笑う。


「まあ! ご冗談でしょう? それとも、わたくしの情報網を侮っておいでかしら?」


 ここが機だと見たか、少女は一気に話を展開させる。


「存じていますのよ? 貴方が、第一騎士団長アストライアが選抜する、精鋭のみを集めた探査部隊に選ばれた事。……昼時には、もう決まっていて、通知が来ていたでしょう? 聡明な方ですもの。霊信には疎いとは言わせませんわよ?」


 男はそのまま押し黙る。


「それにしても、流石は漆黒の閃光ですわね。本当に閃く刃の様に鋭く、機敏ですわ。もう隊の編成を始めているなんて! このままだとあと二日もすれば、隊は精霊の森へと秘密裡の侵攻を開始するでしょうね」


 少女の回りくどい話方が気に入らないのか、男は少々、棘のある口調で答えた。


「……何がおっしゃりたいのか、私には分かりかねます」


 少女は、再び口元を覆い、「ふふっ!」と涼やかに笑った。


「意地悪な方。そうやって、意中の人の気を引くのかしら? でも、わたくしは、もっと物分かりのいい方が好みですわ」


 それ以上のおしゃべりを制する様に、言葉が挟まれる。


「そこまでにされた方がいいかと。愚考いたします」


 軍の秘密裡の情報に、少女が首を突っ込む事の危険性を、男は案じている様だった。だが、それは同時に自らの関与を認めた事に等しい。


「騎士でもない私に、アストライア第一騎士団長から通達が? 随分とおかしな話ではありませんか?」


 男は一切ゆずる様子を見せず、自白したに等しい状況にも関わらず、素知らぬふりを続けた。


「あら? わたくしなら、貴方の様な人を、身分の違いという軽薄な理由だけで、放っておいたりしませんわよ?」


 軽薄。本来なら絶対的なはずの身分制度へそう言及する。いや、それを可能にする何か。それが少女の強みのひとつだった。

 男は根負けした様子で、深いため息を吐いた。


「はああ。……貴女ほどの方に、そこまで言わせて何もお返しが出来ないのでは、流石に私も男が廃ります。ご用件は何でしょうか? この身に可能な事でしたら、喜んで承ります」


 ようやく折れた男を前に、少女は目を輝かせて要望を語り始める。


「何も、貴方の活躍を邪魔しようと言う訳ではありませんわ。……精霊の森への侵攻は、もう変えようのない事実。ですから、これから先、貴方が戦地で出会う存在に、注意を向けて欲しいのです」


 男は不思議そうな面持ちで、その言葉を聞いていた。


「全てではありません。ただ一人。黒髪の少年に注意して欲しいのです」


「黒髪……ですか?」


 男は顎に手を当て、宙を見つめ、その姿を想像している様だった。


「珍しいですね……? その少年とやらは、エルフなのでしょうか? 彼らは金髪が多いと聞きますが」


 少女は、その問いには構わずに続ける。


「背丈は、一リーブ、七クラウン前後。細身で一見すると少女の様に見えるかもしれません。しかし、確かに男性です。……まあ、服装で分かる事かもしれませんね」


 一呼吸おいて言葉は核心へ迫る。


「ここからが最も重要な事です。……その少年を、傷つけないで欲しいのです」


 男はあからさまに驚いた表情を浮かべる。


「命を取るな。ではなく、戦うな。と言う事でしょうか? ……しかし、相手に交戦の意志が見て取れた場合はどうすれば……?」


 少女は、嬉しそうに手を叩き、男を褒めたたえる。


「物分かりのいい方は、好きですわ。……戦わずに退けば相手は追っては来ないはずです。そして折を見て戦線に復帰すれば良いでしょう」


 ここで男は、先ほどの情報について疑問が過った様だ。


「背丈についてですが、前後……と言う事は、確証がないのですか?」


 ゆっくりと首が振られる。


「その少年は、確かに精霊の森にいますわ。そして今も希望を追いかけ、懸命に生きている。……貴方にも様々な願い、希望があるでしょう? わたくしたち帝国人と同じなのですよ。それを考慮して、譲歩して欲しいのです」


 今度は男がゆっくりと首を振る。


「軍人として、その要望には答えかねます」


 仕方のない事だった。彼らにとって命のやり取りは、職業として国を担う責務。相手が同じ心を持ったヒトであると説かれても、それを戦わない理由には出来ない。

 少女は不満そうに伏し目になる。


「はあ、物分かりのいい方だと思ったけれど、ここまで言ってもダメなのかしら?」


 その呟きは、男の耳には届いていない様だったが、そこで、路地の奥から奇妙な声が聞こえた。


「ひゃっはぁ! 獲物発見ンンン!」


 喉を詰めてしまいそうな、テンションの高い奇声が、狭い路地に響き渡る。


「おんやぁ。おデートですかな? お二人さん。こんな所でえ? ダメだよ。場所はもっと考えないと。ヒヒッ!」


「ヒヒヒッ!」


 奥から柄の悪い二人組の男が現れ、無遠慮に二人に向かって踏み込んでくる。


 男は、反射的に少女を庇う様に、前に出て叫んだ。その剣の柄へと右手が伸びる。


「お逃げください! オーフィニスティンさま! ここは、私が何とかします!」


 それを聞いたごろつきは、嬉しそうに目の色を変えた。


「さまぁ? さま! さま!? も、もしかして、貴族のご令嬢ぅぅぅ? なんてこった! ツキすぎてどうにかなっちまいそうだ!」


「兄ちゃん! 冴えない顔してんのにやるじゃねぇか。身分違いのこ・い! ってやつぅ!? ……でも、残念! そちらのお嬢さんは、俺たちが頂きまぁす! 尻尾まいて逃げ失せなッ!!」


 歯並びの悪い口を大開きにして笑うごろつきには目もくれず、少女は、男の後ろで気に入らない様子で毒づく。


「わたくしの家の名を聞いて、直ぐに理解しないなんて、品性だけでなく、賊としても底が知れた存在ですわね……」


 そう言って、ゆっくりと辺りを見回す。


「わたくしに助けなど不要なのだけれど。……そうね。この美しい街並みを雑種の血で汚すのは、イムイトにも勝る無粋ね。ここは素直に退きましょう」


 そうして少女は、その場からかき消えたかの様に、いなくなっていた。後ろの気配が消えた事に安堵した男は、ゆっくりと剣に力をかける。

 少女が消えた事に気づいたごろつきは、狂気じみた雄たけびをあげる。


「ウオオオ!? いねぇ!? ご、ご令嬢がぁぁぁ!? て、てめえ! てめえのせいだろうがぁッ! アアッ!? 俺たちの大事な金づるをどうしてくれんだ、コラッ!」


 男は薄く笑い、剣を抜き放つ。その長大な二メートルはある大剣が、頭上の空間を占める威圧感を前に、ごろつきは一瞬で黙り込んだ。だが、大剣の弱点に気づき、鬼の首を取ったように囃し立てる。


「ひゃははは! 随分とご大層な剣だがよぉ。こ・の! 狭い路地でそんなもん振り回せんのかぁ!? オラ!」


 そして、発言と共に、二人のごろつきは、並ぶのがやっとの路地を塞ぐ様に立ち、それぞれが反対の手にナイフを持った。その得物は、態度に似つかわしくなく、よく手入れされている様子で、鈍く光りを放ち、周囲の風景を反射する。


「ヒヒッ! 俺たちを甘くみんなよ? 路地裏の戦いのエキスパートよ!」


 男は、少し感心した様に、小さく頷いた。


「二人ならんで、お互いに、右と左に武器を持つか……。狭い場所でお互いを傷つけない工夫と言う訳だな。……確かに、ごろつきらしくはない」


 男は、一気に踏み込み、「だが、それだけだ!」と叫び、左側に陣取ったごろつきの右の前腕を柄尻で強打した。


「剣を振らずとも、貴様らを制するなど簡単な事だ!」


 痛みにうめく相棒を見て、怒りに我を忘れた右側のごろつきが、左手に持ったナイフを突き出そうと迫るが、それよりも早く男の大剣の柄尻が、右肩へと食い込んでいた。


「ウグッ!」


 ナイフはその場に落ち、ごろつきは呻きながらうずくまる。


「お前たちの作戦には、ひとつ欠点があるな。お互いの持った武器がカバーできる範囲が狭い。今の様に、片方に先に接近された場合。もう一人の行動がどうしても遅くなる。次があったら良く練り直して見るんだな」


 次などあるはずはなかった。ごろつき達はこれから帝都の衛兵の詰所へ連行され、その処遇は悲惨なものとなるだろう。

 だが、全てを諦めたはずのごろつきの一人が、勝ち誇った様に、男に宣言する。


「ヒヒッ! 俺たちには、もう一人なかまがいる! そいつぁよぅ。さっきの女を捕まえてるはずだぜぇ?」


「しまった! オーフィニスティンさま! どうかご無事で!」


 慌てた男は、ごろつきを放置したまま路地を駆けるが、その途中で突然とまった。

 頭をかいて、首を傾げ、大剣を収め、振り向く。


「あれ? 私は、一体なにを考えていたんだ……? 危機? 誰の? オーフィニスティンさまは、先ほど無事に退避された。何も心配などない」


 実に奇妙な光景だった。男は、先ほどまでの出来事の一部を、完全に忘却した様子だった。その眼前には、同じく呆然としたごろつき達が、傷を押さえながら座り込んでいた。


「信じられん……。この年で健忘症か……?」


 男は、頭をかきながら、ごろつき達を連行するため、元の場所へと戻っていった。


 話は変わり、時は、数日先の未来へと飛ぶが、路地裏の袋小路で、一人の薄汚い身なりの男の死体が発見された。だが、奇妙な事に、その身元を知る人物が、誰もいなかった。人知れず、隅でうずくまり冷たくなっていた男の落ち窪んだ眼窩には、恐怖の表情が張り付いていて、死ぬ前にさぞかし恐ろしい体験をしただろう事実が示唆された。

 既に腐敗が始まっていて、獣や虫にかじられた跡こそあれど、ヒトに付けられた様な目立った外傷もなく、服の裏に隠されていたナイフには、使われた形跡はなく、鞘に収められたままだった。その身なりから路地裏や、地下で暗躍する強盗の一味と思われたが、先に投獄された誰もが男を知らず、身元不明の死体として集合墓地へ埋葬され、やがて人々の記憶から忘れ去られた。


 だが――、この世にただ一人だけ、ヒトの身でありながら、その正体を知る者がいた――。


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