未知の存在
エルフの女、プリシラは、わなわなと肩を震わせ、次いで右指をジジに向けて突き出した。その動作じたいが宣戦布告を意味するのだろうか?
だが、続いて飛び出した言葉へのジジの反応が、さらに局面を悪くする。
「ふん! 貴女、その汚らわしい耳! どこの田舎種族かしら! 獣人ぶぜいがこの森のエルフにたてついて、タダで済むと思って!?」
なんだ、この態度、獣耳があると差別対象だとでも言いたげだな。
ジジは自らの両耳をぴょこんと動かして見せて、薄く笑った。
「何を申すかと思えば、くふふ! これが気になるか?」
その笑いと共に、頭の獣耳は消え失せる。プリシラは、それを見て目を丸くして硬直した。
「なっ!? どうなっていますの!?」
ジジは、鷹揚に、そして優雅に長い袖を振って、その場で回って見せる。美しく長い銀の髪が、流れる様に宙を舞う。
「くふふ! 見た目に惑わされ、相手の力量を見誤る。……良いぞ! 実にヒトらしくて良い! 感服つかまつった!」
それが侮蔑なのは明らかだった。意味を一瞬で理解したプリシラは、顔を紅潮させて恥辱に耐える。そして同時に、耳が消失した理由を懸命に探っている様だった。
「ふ、ふざけないで! そんなインチキでわたくしを見下すなんて! ……隠した耳も、もう一度あぶりだして差し上げますわ!」
その言葉と共に、プリシラの両手が輝きはじめ、徐々にその光が大きくなり、まばゆく辺りを照らす。
「なんだこの光? まぶしいな、目くらましか?」
目を右手で隠しながらつぶやいたその言葉に、侮辱が重なった。
「ふん! 本当に、物を知らないのですわね! これは明かす光! その場の全てのヴェールを剥がし、つまびらかにする、真実の光ですわ!」
光は周囲を包み込む様に、広がり、あまりの眩しさに、ジジも両目を覆い隠していた。
「アンフィラ!」
呪文らしきプリシラの叫びと共に、ひときわ巨大な光球が弾けて強烈な明滅を生む。
そして、しばらくすると光は収まり、元通りの視界には、驚愕の姿勢を取って硬直するプリシラが見えた。その目は見開かれ、笑いを誘う大袈裟に開いた口。だが、それが冗談ではなく、真剣そのものなのは明らかだった。
「ふぅむ? 何じゃ? 今の光は? 何やら大層な言葉が飛び出て来た気がするが……?」
ジジの方を見やるが、姿は変わった様子もなく、耳は隠れたままだった。いや、よく見ると、髪の隙間にヒトの耳が覗いている。
ああ、ないと聴覚が維持できないんだっけ?
「な、何故ですの!? ま、魔法で耳を隠したのなら、全て明らかになるはず……? はっ!?」
プリシラが息をのみ、ヒトのモノに変わった耳を凝視した。
「そ、そ、そ、その耳は一体!? 貴女、何者ですの!?」
後に続いた言葉に、俺もジジも吹き出しそうになる。
「四つも耳があるだなんて! 生物の常識に反しますわ!」
「この怪物! 魔物!」などと責め立てるプリシラの言葉を聞き流しながら、ジジは袖で口元を隠して笑う。
「くふふ! 実に愉快! いまだ己の考えに固執し、真実から目を背けておるようじゃ!」
含み笑いを浮かべながら「ここはひとつ……」とつぶやいたジジの耳が、目を覆いたくなる様な奇怪な変化を遂げる。
そう、通常の人間の耳だったそれが、長く伸び始め、エルフのモノと酷似した姿を取ったのだ。その一部始終を目撃したプリシラは、もはや立つ力も抜けてしまったのか、その場に尻をつき、へたりこんだ。
「う、嘘ですわ……。わたくし達、高貴な森の民、エルフの耳が、こうもたやすく……」
ふむ? 自分を高貴だと思ってるのはいい事なのかもしれないけど、それを種族全体に勝手に当てはめて、他の種族を見下すのは良くないと思うけどな。
決闘の事など忘れてしまったのか、へたりこんで力なくジジを見つめるプリシラを眺めながら、そんな事を思う。
そういえば、さっきの光、魔法で隠されたモノを暴き出す様な効果があるのか? だとしたら……。
思い当たった事柄を確かめるために、頭のフードに手を伸ばすが、自分ではエルフの擬態が解けているかは分からなかった。目の前のプリシラは、ジジにくぎ付けだが、その様子からまだフードの魔法はかかったままなのかもしれない。
ふむ。そもそもアイシャの方が力量が遥かに上なのなら、あいつの魔法じゃ効かないのかもなあ。
そう思うとどこか可哀そうでもあり、可笑しくもある。
考えていることが顔に出ていたのだろうか? プリシラが突然こちらへ鋭い視線を送ってきた。その瞳には何か言いようのない決意が見て取れた。
な、何だ!? 心の中で笑ったけど、別に馬鹿にしてる訳じゃないぞ!
「貴方! そう、貴方よ!」
こちらを見据え、要領を得ない呟きの様な言葉を繰り返すが、そこにははっきりとした意志を感じた。
「このわたくしに名前を教えなさいな! 下賤な貴方には、二度とない機会ですのよ!」
は? いきなり何だ? 何を企んでる?
隣のジジに目くばせするが、彼女も不思議そうな顔をして黙っていた。その間もプリシラは、こちらを侮辱しながら、名前を教えろと連呼する。
「ああもう! うるさいなあ! いきなり何なんだ? ……それに、その聞き方、教えてもらう側の態度じゃないだろ!」
プリシラは口をつぐみ、ゆっくりと思案する様子だったが、やがて、頬を紅く染めながら、今までにない言葉を紡ぎだす。
「お、お願いですわ……。後生ですから、わたくしに、な、名前を……」
恥ずかしさに耐えられなくなったのか、そこで言葉は途切れ、もじもじと俯いてしまう。
な、何だ? 一体なにが起きて?
プリシラは、ゆっくりと頭を動かし、上目遣いでこちらの瞳を窺う。その様子に奇妙さを感じながらも、名前くらいなら教えてもいいかと思い始める。
「仕方ないなあ。……俺の名前は――」
隣で訝し気にプリシラを見据えていたジジが、慌てた様子で、言葉を遮る。
「ならぬ! 斯様に面妖なおなごに、易々と真名を明かしてはならぬぞ!」
いや、真名って大袈裟な。そもそもフルネームじゃないし。
ジジには構わず、言葉を続けた。
「カイトだ! 自分から聞いたんだから、後になって忘れたとか言うなよ?」
それを聞いたプリシラは、勢いよく立ち上がり、こちらへ右指を突き出した。
「な、何のつもりじゃ!」
ジジが慌ててこちらを庇う。だが、それは杞憂だった様で、プリシラはお得意の高笑いを披露しながら高らかに宣言した。
「オーホッホッホ! 良くってよ! カイト! このわたくしとキスをしなさい! これは命令ですわ! 背くことは許されませんわ!」
「はあ!?」
「何じゃと!?」
意外過ぎる言葉に、俺とジジは同時に疑問符をぶちまけていた。だが、そんな様子にも構わず、プリシラは大声でキスを迫る。
くっ! こいつ、一体なんなんだ!? 名前を聞くのはあんなに恥ずかしがってたのに、キスは何とも思わないのか!?
「さあ、早く! こちらへ! ――ああ、そう、そうですわよね。貴方も男性ですもの、わたくしの様な美貌の持ち主とのキス! 考えるだけでも望外の喜び! 冷静ではいられませんわよね! けれども、遠慮はいりませんのよ? さあ、この胸に飛び込んでいらっしゃいな!」
いや、単純に怪しんでるだけだけどな。
そして、プリシラのある部分を凝視した。
ふむ。飛び込める程のモノはお持ちでない様だ。
「何を迷っていますの? 貴方には得しかないはずですわよ!?」
一切の疑問なくそう思えるお前が羨ましいぜ。
躊躇なくこちらが応じると考えていたのに、予想が外れたのか、プリシラはだんだんといらつき始めた様子で、言葉遣いも荒くなる。
「何なんですの!? 貴方は! わたくしを侮辱しているのかしら!?」
続く「タダでは済ましませんわよ!」に、ジジの声が重なった。
「ようやっと分かった! その方、カイトに接吻を迫り、それを成す事で儂と対等になろうと考えたな? なんと浅はかな!」
はあ!? どういう思考回路だよ、それ!
「その方にとって、儂という存在は、定義の枠から外れた未知のもの! カイトとの行為を利用して、それを既知へと変えようと謀ったな!?」
いや、言ってる事ぜんぜん分かんねえ。
「じゃが、浅慮よな。カイトが容易く応じる訳がなかろう? ……そこで卑しく、儂との絶対的な差を噛みしめておるが良いぞ!」
そう挑発して、ジジはエルフの姿と化した自らの耳をひょこひょこと動かして見せた。それを黙って聞いていたプリシラが、恥辱に震える。
ジジの発言は、一切りかい出来なかったが、プリシラの方は、まんまと言い当てられた様で、俯き、その両手は強く握られ、再び決闘だとでも言い出しそうだった。
「貴女……許さない、許しませんわ! や、やはりこの手で――」
そう言いかけたプリシラの振り上げた右手に、何かの影が重なった。
何だ? また、精霊?
いや、違う。その影は、樹上から現れたのか、素早く回転しながら着地し、小さな身体が露になったと共に、悲鳴が上がる。
「きゃっ! 痛い! なんですの!?」
上を見ると、プリシラが右手首を押さえ、その先の赤い血を流す傷口を悲愴な表情で見つめ、下を見ると、小さな黒猫が目に入った。
「猫!?」
思わず口に出していた。もう少しで、「この世界にもいたのか――」と、二人の前で大声で言ってしまう所だった。
アイシャが以前、猫の星座について教えてくれたので、いるだろうとは思っていたが、その姿は、少々、地球とは違うのだろうな、と漠然と想像していた。しかし、目の前の小さな影は、どこからどう見ても普通の黒猫に見えた。
「この猫! 高貴なわたくしの右手に爪痕をつけるなんて! 何様ですの! 覚悟は出来ているのかしら!?」
いや、猫あいてでもその態度なのかよ……。
隣のジジは、何処か警戒した様子で、その猫を見つめ、そっと耳打ちをした。
「カイトよ。あの猫。何やら良からぬ気配を感じる……。ゆめ気を許すでないぞ」
え? どういう事だ……? 黒猫が魔女の使いだなんだとか、地球の、それも昔の迷信だよな。この世界にもあるのかな?
猫は、小さな身体を山の様に、大きく見せ、プリシラを威嚇する。その付近の地面へ、流れた血が指の股から一滴おちた。
奇妙な事に、猫は血液に近づき、くんくんと鼻を鳴らし、匂いを確かめた後、ぺろりと舐めた。
「え?」
言い知れぬ奇妙さに、その場にいた三人が、同時に声を出した。だが、それはあまりの驚きのためか、喉の奥から絞りだされた様な響きだった。
プリシラは、気味悪そうに猫を見つめ、少しずつ後ずさる。血を流す右手も、それを支えていた左手も、今は離され、両手が警戒を露にした様子で、身を守る形で引き寄せられる。流れた血が、角度を変え、衣服の袖を赤く汚した。
「ヒトの生き血を啜るとは、禍々しい。何者じゃ、此奴……」
ジジは、そっと、猫に聞こえない様に呟いた。
「みゃあん」
身体が硬直していた所に、猫の呑気な鳴き声が響く。その声には、恐ろしさなど微塵も感じられない。血を舐めとった事で、機嫌を良くしたのか、猫は尻尾をまっすぐに上へ立て、踵を返し、こちらへ近づいてきた。その様子に、ジジが息をのみ警戒心を露にする。
「カイト、儂から離れるな――」
だが、猫はこちらの態度など構う様子を見せず、ゆっくりとした足取りで、森の入り口へと歩き去ってしまった。その場に残された三人は、姿が見えなくなるまでそれを目で追った。
「はあ……。緊張した。何だったんだ? 今の猫?」
同じく緊張した様子のジジに尋ねたが、明瞭な返事は得られなかった。
「分からぬ。……何処か、精霊に似た気配が――いや、更に高みの――」
高み? 何の事だ?
「あっ!」
突然あがった悲鳴に、思考は中断され、声の主を見つめる。すると、プリシラの右手の甲の傷からは、また血が流れ出していた。しばらくそれを庇うようにしていたが、視線はこちらを捉えた。
「貴女たち! 今日はこれで退いて差し上げますわ! ――けれど! 終わりではありませんからね!」
そう啖呵を切ったプリシラは、振り返り、そのまま一瞥もくれる事なく森の奥へと消えて行った。隣からは、緊張が解けたらしいジジの声が聞こえる。
「はあ、あの女も、猫も、あの様な怪しげな存在が、堂々と闊歩するのではこの森も終いじゃのう」
そして宙を舞う精霊たちへちらりと視線を送る。
「儂はちと疲れた。おんしの中で眠らせてもらうぞ」
こちらが反論する暇もなく「ふわぁ」と欠伸が聞こえ、ジジは身体の中へと吸い込まれた。残された俺は、地面に転がる鉄球の山を見つめ、一人、ぼんやりと呟く。
「はあ、疲れたのはこっちだよ。決闘だとか言い出したと思ったら、いきなりキスを迫るわ――あの猫、何だったんだろうな? ……あいつ、傷、大丈夫かな」
鉄球を一つ引き寄せ、手のひらで握る。
「修行、再開するか……」
嵐の様に過ぎ去った出来事を忘れるために頭を振り、再び修行へと臨んだ――。
今回で百話へ到達です。ここまで続けられたのは、読んでくださった皆様のおかげです。いつもありがとうございます。