メデゥーサ
目隠しのメデゥーサのお話です。
相手の目を見ただけで相手が石化する。
でもそれは相手が突然二酸化ケイ素の塊になって動かなくなるといった非現実的な話ではないんだ。ただ僕のこの目を見つめると相手の脳は正常な反応ができなくなる。そしてその人は感情を失う。疑ってもらったってかまわない。でも本当のことなんだ。
だから僕はいつも前髪で目を隠している。男にしては不相応に長いこの長い髪はよくからかわれる。もっと直接的に言うならいじめられる。男子には殴られ蹴られ、女子には気持ち悪がられる。そして髪を掴まれ振り回されればどうしたって僕の目は相手を見てしまう。どんなに僕が必死に顔を押さえたって、ひっぺ返されてしまう。彼らが見たいのは僕のいじめられた情けない顔なのだ。そして主犯の人物は感情を失う。
もちろん解除法はすでに見つけてある。今まで何度もしてきてしまったことなのだから。
僕は固まってしまった相手のおでこに自分のおでこを当てる。そして一息で相手の名前を呼びあげる。それで相手は心を取り戻す。
解除によってその人はもとに戻る。感情も今まで通り働くようになる。でも僕に関する記憶はなくなるんだ。正確に言うなら、感情が停止してしまうまでの僕と関わった事それ自体の存在がその人の中から消える。これはたぶん僕の能力が世に知れ渡らないようにするための副作用なんだと思う。理屈はわからないけど、そのあといじめっ子は僕に目もくれなくなる。
人は互いに役割を補完する生き物で、時間が立てば誰かは再び僕をいじめたくなるらしい。でもさすがにおなじようなことが何回もあれば次第に人は学ぶ。本能的にだれも僕に近寄らなくなる。なぜ近寄れなくなったかはみんな忘れてる。そして僕は再び誰ともかかわることなく日常を送り始める。この長い前髪に自分を隠して。
でもいじめられなくたってうっかり見せてしまうことだってある。いつも気にかけて話かけてくれた子もいた。つい僕は心を許した。楽しく二人で涙が出るほど笑いあった後、涙をぬぐおうと髪の毛をよけた。そしてその後は皆の考えている通りのことが起きた。
例え感情をもどしてあげたって人の関係性は元には戻らない。今まで気が合っていた人だって仲良くした記憶がなくなれば気は合わなくなる。それはとてもつらいことだった。それは心を削られるような思いだった。それくらいなら誰とも目を合わせない方がまだ耐えられた。そして僕はまた一人にふけった。
そんな中また僕は新しい環境に身を置くことになった。僕はいつも通り、だれにも話かけることなく椅子に座った。だれからも話しかけられることなくまたこの場所から去っていくのだろうと思っていた。
「おはようー」
その声は新しく僕の隣に座ることになった女の子だった。この程度の挨拶程度なら目を見てしまうこともない。僕は普通に挨拶を返した。するとその子は予想外の行動をとった。
がたっと荷物を机に置いて、突然僕の目の前にぬっと顔を突き出した。
「君って前髪長いんだね。」
そういって彼女は突然僕の前髪をつまんで持ち上げた。驚いた僕は目をつぶるのが遅れた。そして彼女と目があった。彼女はそこで固まった。
誰も周りにいない事を確認して、僕は彼女の額に額を重ねた。そして一言、名前を呼んだ。彼女ははっと我に返った。そして何事もなかったように席に戻った。
そう、これが現実だ。今までさんざん心を削られてきた僕の心をさらに削ることになろうと、ぼくはそれをのみこむしかなかった。僕はまたこれを胸の奥にしまい込んだ。
でも次の朝また同じことが起こった。
彼女はおはようというとまた、なんのためらいもなく僕の前髪をつまみ上げた。そしてまた固まった。さすがに初めてのことだったから困惑した。今まで記憶を失った人は二度と直接かかわってくることはなかった。記憶がなくてもなにか本能的に避けなければならないものと認識され避けられるはずだった。
でも彼女は違った。しかし戻さないわけにもいかない。僕はもう一度彼女と額を合わせた。そして彼女は何事もなかったかのように席に戻った。
これはこの後、何日も続いた。僕が席を離れて会わないようにしても、何かしらの拍子に僕は前髪をめくられてしまう。そして戻す。それの繰り返しだった。
なぜだ?何度もわざわざ石化されにくるのか。僕は正直辞めてほしかった。これ以上僕の心を削らないでほしかった。そしてついに僕は学校に行かなかった。
さすがに同じ場所にいなければ会わないだろうと思った。これが相手のためにもできる最善の事だと思った。ぼくは布団を頭からかぶった。
気付いたら寝ていた。ぱっと窓を見ると空が赤くなっていた。半日以上寝てしまっていたようだった。僕は慌てて布団から出る。
そして僕のベッドの横には彼女が座っていた。
「やあ。」彼女は言った。
驚きのあまり声が出なかった。頭が追い付いていなかった。なぜ。どうして。
「お母さんに頼んだら上げてもらえちゃった。」
彼女は照れながら言った。そして彼女は再び僕の前髪を左右に払う。そして僕の目を覗き込んだ。彼女は固まった。慌てて石化を解こうとすると、固まっていたはずの彼女が突然笑い出した。
「ははっ。ごめん。これ私実は石化してないんだ。私にはもうその力が効かないみたい。」
僕はまたしても声が出なかった。彼女はかまわず続けた。
「君の目に宿ってる不思議な能力はなんとなく感じてた。だから君に声をかけたの。そして自らその能力にかかった。私はあなたに知ってもらいたかった。たとえ記憶がなくなっても何度でもあなたの目の前に現れる人がいることを。記憶が変わったって必ずめぐりあう人がいるってことを。」
嘘だ...今までだれも僕に二度は振り向いてくれなかった。誰も元に戻したあと僕に話しかけてくれる人はいなかった。
「まだ疑ってる。でもねそれはあなたが拒否してただけなの。初対面の人に拒否されたらだれだって話しかけられなくなるでしょ?」
それでも...僕は唇をかんだ。
「いくら仲良くなったって記憶が毎回飛んだら僕はどうすればいいいんだよ!仲良くなった友達とまた初対面から毎日毎日作り直さないといけないのかよ!そんなん耐えられないよ...」
「辛かったのね。」
彼女は僕の目を見つめて言った。そして僕の顔をそっと両手で包み込みながら額を重ねた。
「大丈夫。明日からはきっとすべてが元通りになる。」
それだけ言うと彼女は僕の部屋から出ていった。
次の日、出かけると僕の能力がなくなっていることに気が付いた。隣の席に座っている男の子の目をうっかり見てしまった時、彼は固まらなかったのだ。なんでかは理解できなかったけど、どこかでなにかきっかけがあったような気がした。思い出せないけど、なにか大事なことを忘れているようだった。
それから僕は前髪を切った。人と目を合わせることができるようになった。
そして昨日より広くなった世界の中で、僕は忘れた何かを見つけようと思った。
おわり
ぜひ他の作品もー