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*入学準備


柊の誕生日から2ヶ月半近くの時がたった。


退院したばかりの頃の柊は昔の柊を知っている人間には今の自分を受け入れて貰えないかもしれないと危惧していたが、思っていたような事にはならなかった。

初めて柊が返事をしたり表情を変えて見せた時には流石にとても驚かれたが、元々記憶を思い出す前の柊には"会話をする"とか"感情を表現する"という概念が無かっただけで何も感じてなかった訳じゃ無いので雰囲気から柊の気分や思っている事を汲み取る事が出来た家族からしたらやっと表に出すようになったんだなぁくらいの認識らしく、特に問題なく受け入れられる結果となった。


それに話すようになったり感情表現をするようになったと言っても方法が分かったからと言ってすぐに流暢に喋れるようになる訳では無いし、6年間全く使ってなかった柊の表情筋を動かすのは中々難しいものがあったのでそこまで簡単な事でもない。


なので今の柊は、もう少しスムーズに表情を動かせるようになる為に頑張っている所だ。


才は退院した後の1ヶ月は仕事量を押さえてなるべく家族の時間を作ってくれた。

母親を亡くしたばかりの子供の為にも本当は休みたかったみたいだが、流石に「四季グループ」の社長と言う立場でそこまでの無理は通せなかったみたいだ。


元々、ほとんど子供と関わる事の無い母親だった事もあって、子供達の雰囲気は比較的早い段階で落ち着いたし、妻を亡くした才にもそれ程深刻な様子はない。


その事が柊には何だか酷くもどかしく後ろめたい気分にさせられる時もあるが、それについては悩んでも仕方ないのであまり考えないようにしている。


なので今は、仕事量を押さえた反動で1月の後半頃からはあちこちを飛び回っており、2月も残りわずかになったというのに休みの一つも満足に取れない状態のようだ。


才は美形な上、実際の年齢よりも若々しく、一大グループの社長様なので仕方ないのかもしれないが、妻を亡くした傷心につけ込もうとするご令嬢や再婚を勧める人間が後を絶たず、才はその手の対応にも随分苦労させられているらしい。


才がそんな状態だったので、食事の用意や洗濯、掃除などの家の細々した事にはとてもじゃないが手が回らなくなり、家政婦さんを雇う事となった。


とは言っても、残念ながらそう簡単に行かなかった。


まず最初に問題になったのは、柊の事だ。元々柊はそれまでも他人の感情に敏感な方ではあったが、退院後は人一倍敏感になり、その事が原因で体調を崩すようにまでなってしまった。なので、下手な人間を近づける訳にはいかなくなったのだ。


夏目と茜が家族以外の人間を家に入れる事を嫌がった事もあって、才は手っ取り早く確実な人間を雇い入れる為、柊を保育園に迎えに行った時に隣の家の天音に相談した。


天音は才が相談したその日のうちに色々と手を回してくれたみたいで、次の日には小柄なおばあちゃんがきちんとした紹介状付きで面接に来たので、まずは1週間お試しでお願いしてみて、もし仕事ぶりに満足いくようなら正式に雇うという事になった。


最初は男4人分の食事の用意や広い家の家事全般を1人でこなすのはさすがに無理があるんじゃないかと思ったが、きっちり丁寧に仕事を終わらせた上に人見知りの激しい柊が2日目に会った時には返事を返すくらいに懐いたので、即採用の運びとなった。



今日の柊の予定は、かなり無理をして半休を取ってくれた才と午後から一緒にデパートへ行く事になっている。注文していた柊のランドセルを引き取りに行くらしい。


柊は自分のランドセルが既に注文されていた事をその時初めて知ったが、正直「好きなもの選んで良いよ」と言われても何を基準に選んでいいのかも良く分からないので特に不満は無い。むしろ受け取るだけで良いので、逆に気が楽だと思っているくらいだ。


それに、「子供達より優先すべき事なんてこの世には存在しない」と公言して憚らない才が柊のランドセル選びを適当に済ませる訳無いので、安心して引き取りに行ける。


二階の洗面所で身なりを整えた柊は、階段を下りて真っ直ぐリビングへ行く。


柊はそっとキッチンを覗き込む。小さな声で朝の挨拶をすると、キッチンの中でテキパキと動き回っていた家政婦の日暮(ひぐれ) 千春(ちはる)が振り向いた。


「はい、おはようございます。ふふっ、ひいちゃんは早起きさんねぇ」


千春はそう返してから柊をダイニングテーブルの椅子に座らせた。


「今日はランドセルを買いに行くのでしょう?最近は形も色もいろいろあるそうだから楽しみねぇ」

「ん」


千春は普段柊が使っている肉球の描かれたマグカップに牛乳を入れて手渡す。


「今日の朝ご飯は、甘いのとしょっぱいのならどっちが良いかしら?」

「……甘いの」

「分かったわ、すぐに用意するから少し待っていてね」


キッチンに戻って千春は手早く朝食の用意を始める。今日のメニューはフレンチトーストなので、しっかりと卵液に漬けたフランスパンを取り出し、温めたフライパンにバターを溶かし入れた後に並べてゆく。程よい焼き加減で仕上がったフレンチトーストを柊の一口サイズにカットしてカップに入れ、上からメープルときな粉をたっぷりと掛けて完成だ。


出来上がったフレンチトーストを先割れスプーンと一緒に柊の前に並べると「私も少し休憩」と言って千春は柊の向かい側に腰掛けた。特に会話をするでもなくのんびりお茶を飲む千春の前で、柊は運ばれて来たフレンチトーストをゆっくり味わう。


柊が朝食を食べ終わって一息ついた頃に、きっちり制服を着込んだ夏目と、まだ寝間着のままの茜が眠そうな様子でリビングに入って来た。


「ひーくん、おはよう」

「はよ」

「おはよ」

「ひぃはもうメシ食ったのか?」

「ん」

「出掛けるのは、午後からだったよね?」

「1時に、緋野(ひの)さん」

「そう、帰ったらどんなランドセルか見せてね」


柊が頷くと、夏目は優しく頭を撫でてからキッチンへ向かう。


夏目の後に続いてキッチンで二人の朝食を作っている千春に朝の挨拶へ行く後ろ姿を見送って柊はダイニングのテレビを付けたが、特に見たい番組も無かったので千春から受け取った朝食のプレートを手に戻って来た茜にリモコンを渡す。


柊からリモコンを受け取った茜はそのまま向かいに座る夏目の前に滑らせる。

夏目は苦笑して受け取ると、才が何時も見ているニュース番組に合わせる。


柊が足をぷらぷらさせながら両手でマグカップを持って中のホットミルクを飲んでいると、隣に座った茜が柊のほっぺを手の甲でふにふにして来る。


「一口いるか?」


茜はそう言いながらポテトサラダの乗った木のスプーンを柊の口元に差し出した。

マグカップから顔を上げあーと開けた柊の口に茜がスプーンを運ぶ。


朝食の終えた茜に抱き上げられて、柊はリビングのソファーに落とされた。


「はぁ、全然無くならねえなぁ」


茜はそう言ってソファーの脇に積み上げられた色とりどりの限定パッケージ達を眺める。


今年の14日は土曜日だった関係で、金曜日に渡しそびれた女性達から今日も雪崩の様に押し付けられるであろう兄達に柊は心の中でひっそりエールを送る。


ちなみに、才はその手の人種を追い払うのは朝飯前らしいので送らない。


柊はソファーに置いてあったコンパクトに畳まれた紙バックを夏目と茜に渡した。

千春がソファーの惨状を見て用意しておいたのだろう。


柊は学校へ行く夏目と茜を玄関で見送ってから、二階へ続く階段を上って行く。


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