法と人命の板挟み
日本空軍の反復攻撃は日が堕ちるまで続いた。
9000隻もの大船団は1000を下回るまで減らされた。ころほどの大損害、誰が予想できたであろう。いや予想できたところで信じることは出来なかったであろう。
だが今となっては信じられる。バンイヤスの目の前で戦とは言いがたい大虐殺が繰り広げられたのだから。甲板上には拾い上げた負傷兵で溢れかえり、血の海地獄となっていた。
医薬品も勿論積んではいたが、医薬品の量に対し負傷者の数が圧倒的に多かった。
帆を畳んで波に身を任すのみとなった船団の目の前に強烈な光を発する巨大な船が現れた。逆光で輪郭は把握できなかったが、全長200mは裕に超える巨艦であった。
その船からは松明や光源魔法では生み出せない量の光を海面に向けて照射していた。この光によって海面に漂う漂流者を見つけ出せた。一人や二人ではない、何千何万と言う兵をだ。
「敵が、救助を手伝っている?」
バンイヤスの知る限り、こんなことが起きたのは人生で初めてだ。敵と分かれば殺すのが当然、そうしなければ戦争には勝てない。数を減らしてこそ敵国の径戦能力を削ぐことが出来るのだから。
しかし光を生み出す巨大船からは撃ってくる気配が無い。それどころか・・・。
「バンイヤス様。アレを。」
敵は小船を出して漂流する兵士を救助していた。
ますます考えられない。絶対的優位に居るのに何故殺さない。何故助けるのか。バンイヤスの思考は停止した。
帝国海軍 第2艦隊 第2戦隊 戦艦『山城』・・・。
暗闇で視認することは出来ないが、メインマストにはO旗(救難作業中と意味する国際信号旗)を掲げていた。
この世界で通用するかどうか分からないが、こうするのが帝国海軍の決まりである。
無抵抗の者には一切攻撃しない『武士の情』であった。
そして山城艦長、小畑大佐は敵船団にこう宣言した。
「我々は夜が明けるまで救助を続ける。その後は貴軍次第だ。退くとならばそれまで、進むとあらばこの山城が相手になる!」
撤退すれば命は助け、進軍すれば容赦なく砲撃を加える。考える時間を与えると共に敵司令官に決断を迫った。
バンイヤスの思考は巨大船から発せられた人とは思えぬ大声量の選択肢によって再び動き出した。逃がしてくれるみたいだが進めばどうなるか。こんなことバンイヤスが言葉に出すほど難しくは無かった。
だが・・・。
「バンイヤス様。負傷兵の重みで海面が直ぐ近くに。」
数十万もの負傷兵を奇跡的に無傷で済んだ船に乗せる。分乗しても到底乗せきれない。重量超過していないのが不思議なぐらいだ。
「揚陸船に収容できないか?」
揚陸船は戦闘機能を持っていないが、その分多くの人員を収容でき、医療品や食料の備蓄も充分であったが、それも出港時の話。揚陸船の被害が最も多く2000隻も居たが、今となっては100隻居るかすら怪しい。
「揚陸船も負傷兵で溢れかえっています。このままでは兵の重みでこの船も沈みます。」
何とかならないか。この期に及んで進軍などありえない上、戦果なしの撤退など誰が信じるものか。敵前逃亡罪で見せしめとして殺されるのが落ちであろう。一隻だけでも帰港できたらの話だが。
「敵に助けを求めるか・・・。」
「バンイヤス様何を!?」
バンイヤスは負傷兵を積み込もうとしている日本兵に問いかけた。
「旗軍の司令官に話がしたい。」
「お前は?」
「私はバンイヤス。ゼル=ドスツバイ法国大司教カマルチャットの側近である。」
どういう人間か分からないが・・・。
「班長どうしましょう?」
「進言は艦長に伝えましょう。」
とりあえず権限のある者と言うことは理解して貰えたみたいだ。
山城 第1艦橋・・・。
敵将が面会を求め、その場所を第1艦橋に定めた。
エレベータの柵が開き、水兵二人に連れられ豪華な鎧を付けた人物が入ってきた。
「貴官がそうか?」
「いかにも。バンイヤスと申します。」
大司教カマルチャットの側近、バンイヤスが小畑に伝えたのは端的に言えば降伏宣言であった。
だが現状、大日本帝国とゼル=ドスツバイ法国はおろか『懲罰連合軍』の盟主たるヨル=ウノアージン聖皇国から宣戦が無い状態で戦闘に突入している。
「多くの兵を失うを言う悲しみは察しよう。だが我が帝国海軍は貴方方を軍隊を認めることはできない。犯罪者として罰せないので警察機関に対する投降もできない。」
「わっ我々はヨル聖皇国の援軍として-」
「その国からの宣戦布告がないのだ。だが個別的に宣戦するのなら、貴方方を軍隊として認識せざるをえんのだがな。」
列強国懲罰法で結成される連合軍は、直接懲罰を行う国に各国は援軍を派遣することになっている。もし懲罰の開始直前もしくは途中で懲罰対象の国に宣戦するものなら『不届き者』として同じく懲罰の対象になりかねない。
カマルチャットに進言したくても、そうなれば日本と共に懲罰対象になってしまう。他の国が滅ぶのは勝手だが、自国が滅亡することなど許されなかった。
バンイヤスの脳内は板挟みになっていた。日本は我が艦隊を軍とは認めず、認識させるのであれば国からの宣戦布告が必要と言う。だがそんな事をしてしまえば、他の列強国から懲罰の対象になってしまうかもしれない。海賊を装うにしても、大司教の側近と言う立場での面会なので今更訂正するわけにもいかない。兵達を救うにはどうすれば良いのか。考え、考え抜いても答えは出ず、遂に・・・。
「艦長。間も無く日の出です。」
時間が来てしまった。
「そうか・・・。班ごとに順次作業を終了し、対艦戦闘準備に掛かれ。」
「はっ!」
「まっ待って欲しい!!」
「バンイヤス殿・・・。ここまでです。」
バンイヤスの視界が狭まり、面会場が遠のいていく。一歩も歩めず声も出せず、伸ばした手は届かず、目の前が黒一色に染まりあがった。
バンイヤスの目に映ったのは乗艦していた船の船長室であった。
甲板出でると、あたり一面真っ青な海が広がり陸地はおろか先程まで乗っていた巨大船の姿すら見えない。自分の知らないところで撤退が始まっていた。
船長が言うには巨大船から降りてきた自分の目に精気はなく死人が歩いている様であったらしい。
「現在、ゼファージン洋を法国に向けて南下中です。」
「・・・。昨日のことは、夢か?」
報告に来た船員の衣服は返り血で黒ずんでいた。
バンイヤスも頭の片隅では理解していた。あの日船団を血の海地獄へと変えた日本の機械式飛行物体の襲撃と、その後で残存部隊のっまえに立ち塞がった山城を名乗る巨大船と、その船内で敵の指揮官と面会したということを。
「・・・残念ですが、現実です。」
夢ならどれほど良かったか。他の列強より強いがヨル聖皇国より弱い。連合軍を組織すれば簡単に滅ぼせれる。そんな認識をたった一夜にして打ち砕かれた。バンイヤスの生きる精神と共に。
手には刃渡り30cmほどのナイフが握り締められていた。
「いや・・・。夢だ・・・。」
バンイヤスはそのナイフを自分の下あごから勢い良く突き上げる。
もしこれが本当に夢なら次に目覚めたとき、自分はリーチャ国の首都ラーマのフカフカのベッドの上だ。そして、大司教カマルチャットからモブタザル大陸の統治を任され、大陸の住民は日本の圧制から解放され、法国にそして自分に忠誠を誓う。絵に描いたような夢物語であった。
そう、夢物語であった。
「あ・・・。がは・・・。」
感じないはずの痛み、血の流出がバンイヤスの脳内を埋め尽くすが、やがてその脳も活動を停止する。
突き上げたナイフは下顎、舌、上顎を貫通し脳幹から小脳まで達した。
「バンイヤス様!!」
自分の名前を大声で叫ぶ船員の言葉が、バンイヤスの耳に届いた最後の言葉であった。
ゼファージン洋の戦い
大日本帝国
・損害なし
ゼル=ドスツバイ法国
・船舶喪失:8000以上
・死傷者:バンイヤス以下39万強