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黒い心と純白の嘘  作者: えのぐふで
3/3

後編

3部作の最終作です。よろしくお願いします。

『俺が千歳のカバンから見つた薬。あれは何だっとかといえば、正真正銘の薬と言うしかない。母親と同じように、千歳もまた、体が弱かった。母親が亡くなってからか何の因果か、千歳は病気にかかった。薬と通院で治療を続けていたが、もはや助からない状態になってしまい、最後の思い出作りに俺とともに海に来たというわけだ』 

 ――――なんてことでは一切なかった。

 犬養千歳は、薬物乱用でその後逮捕された。要するに、あの薬は違法薬物というわけだ。

千歳が薬物に手を出した理由は、母親の死と、俺の事故だ。そんな頃から俺のことを好いていてくれていたというのは驚きだが、とにかくあいつにとって大事な存在であった俺の事故と、唯一無二である最愛の母親の死――その二つの出来事が、あいつの心に負荷を与えていた。

 薬を手に入れた経緯、薬を紹介した人物がいるかなど、詳しいことはまだ分かっていない。警察が捜査中のことで、俺にはどうしようもない。

 薬物乱用をしていながら、俺の前ではあんなに普通にしていられたのは、かなりの精神力、あるいは忍耐力だとしか言えない(もしかすれと、あれはもう一周回ってしまったような状態だったのかもしれないが)。それでもしかし、確かに異常は起きていた。

 それが記憶障害だったという話だ。

 ありもしない約束を騙った千歳。あれは嘘をついたわけではなく、本当のことを言っていたのだ。あいつの記憶の中では、正しいことを。

 嘘と分かってつく嘘よりも、真実だと信じてつく嘘は本当に(たち)が悪い。話す相手が俺じゃなければ、うそ発見器でも騙しとおせるだろう。

 そしてもう一つ、あいつの話には裏があった。

『母を亡くした私にとって、先輩は唯一の心のよりどころでした』

 そう、千歳は言っていた。どう考えてもおかしい。

 母がいなくなっても――千歳には父親がいるはずなのに。

 あの話には、千歳の父親のことが一切出てこなかった。それはどうしてかと言えば、千歳が――実の父親を自らの手で殺したからに他ならない。

自分が殺した人間の話など、自分からする訳にもいかないだろう。だって死んだことがバレなければ、事件は始まらないのだから。

 誰かに見つけられて初めて事件は始まる。それをあいつは避けたのだ。

 原因はもちろん、薬物依存の症状による錯乱状態によるものだろう。

 最愛の妻を亡くし、娘は薬に手を出す。父親は本当に気の毒なものだ。おそらくこの話での一番の被害者だろう。

 そしてもう一つ、これは根本的な問題だ。

 もちろん、『どうして海である必要があったのか?』ということだ。

 夏休みに行けなかったのなら次の夏に行けばいいし、特別な感じの思い出が作りたいとしてももっとやりようはあったはずだ。なぜ千歳はわざわざこんな遠くの海まで来たのか。

 これはまだわかっていない。海での出来事で千歳の中で糸が切れたのか、取り調べでは一言も発しない、ほとんど植物のような状態だったそうだ。

 もはやあの千歳には何も残っていなかった。親も、愛した男もなくして、もう寄りかかるものが無くなってしまった。根も千切れ、何からの支えもない大木は、もはや倒れるしか道はない。

 あいつにとって唯一の救いは、このことが大々的に学校やメディアに広まらなかったことだ。学校側にしたら、面倒な噂を立てられたくないという大人の事情的な面が多分に強いが、それでも結局は母の死や父の死をひた隠しにした千歳の努力が報われたという形だ。

 俺はというと、千歳が逮捕されてから少しの事情聴取は受けたものの、その後は平穏な日常に戻った。

 事件が広まらなかったおかげで、周りからいらない心配をかけられることもなく、何ら変哲のない生活になった。

 そして、十年後――

                 ※

 「駄目なことをやりたくなる人間の思考っていうのは誰にでもあるよね。人によってそのやりたくなることの方向が違うだけで、暴力をふるったり万引きしたり、はたまた殺人を起こしたり、何かしら抑えてるものがあるはずなんだよ。僕たちの担当している人たちが、たまたまこういう人たちっていうだけでね」

 休み時間の食事中、隣の席の先輩に仕事の話をされていた。こんな時間まで仕事のことを考える先輩は、単純に尊敬してしまう。

「それにしても、君って本当物好きだよねえ。大学卒業して就職して、こんな係に配属されるなんてね。まあ、優秀だからこちらからしたら嬉しい限りなんだけどね」

「それは光栄です。というか、僕はそもそもここに来たかったんですよ。万々歳ですよ」

 俺が今所属しているのは、警視庁組織犯罪対策部銃器薬物対策係。文字通り、薬物や銃器による犯罪を取り締まる係だ。

 警察官になり、最初に配属されたのがここであったのは俺にとっての一番の幸いだ。大学時代に猛勉強をした甲斐があったというものだ。

 配属された当初から、俺はこの人、漆原(うるしばら)さんに目をつけられ、なんとなく仲良くやっている。聞いたところによると、その話術でかつて薬物依存者の治療に携わり、完治させたという都市伝説があるらしい。もしそれが本当なら、この人はこんなところで俺と雑談に興じている場合ではないだろう。

『おい、漆原さんだぜ……』

『え? あの十年以上真相が明らかにならなかった殺人事件を一人で解明したっていう……』

「僕のことも大層大きく噂になっちゃってるよねぇ。なんでこんなに変な噂が流れるんだろうね? 別に変ったことをしているはずでもないのに」

「まあ、仕方がないんじゃないんですか。漆原さんほどの人なら、多少の噂なら流れてもおかしくありませんよ」

 漆原さんはいわゆる天才の部類に入る人間だ。事件の検挙数は部署内でもぶっちぎりのトップを誇っており、犯罪者を見極める審美眼はもはや超能力者かというほどに鋭い。その上外に出ている時間が多いだけに、たまに見かけると幸せになれるなんていう噂もある。

「まあ、褒められる分には嬉しいんだけどね。なんだか陰口を言われているようで少し気持ち悪い感覚なんだよ。……っと、そろそろ時間だね、行こうか」

「はい」

 椅子から腰を上げ、歩き出した漆原さんについていく。これからとある部屋に用があるのだ。

 灰色一色で無音の廊下は、なんとも面白みに欠ける。こんな職場に面白みを求めるのもおかしな話だろうか。真面目一辺倒な場にいてはなんとも居心地の悪い瞬間を感じてしまう時がある。たまには心を休めるものがあってもいいだろう。

「君って取り調べって初めてだったっけ?」

「はい、初めてです」

 俺たちが向かっているのは、刑事ドラマなんかでよく見る取調室だ。そして今日は、俺が初めて取り調べを行う日でもある。

「僕は取り調べの経験は全然ないんだけどね。基本的に外に出てるから。ここには十年以上いるけど、下手したら一回もないよ。そう考えると、君は良い経験をすることになるね」

「いい経験、なんでしょうかね?」

 今回取り調べを行う容疑者は、薬物の乱用者だ。症状はかなり重いらしく、普通に会話できるかは微妙なところだ。

「資料はもう読んでるよね?」

「ええ、一通り目は通してます」

 容疑者は二十代の女性で、俺とさほど年は変わらない。昔同じ容疑で逮捕され、その後治療を受けて出所したらしいが、再び使用し、逮捕された。

「かわいそうだよね。折角普通の人生に戻れたっていうのに。両親も亡くなってるんだろう?」

「境遇には同情しますけれど、こういう時は多分、自業自得って言うんでしょうけどね。他に縋りつくものを見つけられなかったんでしょう」

「厳しいなあ」

 部屋の前にまでたどり着いた。改めて少し深呼吸をする。

「お、いくら君でも緊張しちゃうんだね」

「そりゃあそうですよ、僕をなんだと思ってるんですか……。あ、漆原さん、さっきの話なんですけど」

「さっき?」

「誰でも、やっちゃいけないことをやりたくなる気持ちがあるっていう話です」

「ああ、あれね。それがどうかしたの?」

「これはあくまで僕の一個人としての意見ですけど、そういう事に手を出す人は、それ以外に自分の心を満たしてくれるものがないんだと思います。人間は意外と馬鹿な生き物ですけど、きちんと賢い生き物でもあるはずです。まずは安全なところで、自分のよりどころを探しているはずです。」

 俺はあの時、彼女の心のよりどころになれなかった。だからあの事件は起こった。あの時彼女の傍にいてやれたら、何かが変わったのだろう、と勝手に思っている。

「ふーん。じゃあ君にとって、今のよりどころは一体何なんだい?」

「秘密です」

「そうかい。ならいいや、行こうか」

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く、部屋の中には、酷くやつれた小柄な女性が座っていた。目はこちらを全く向いていない。

 彼女への第一声を、僕は口にした。

「はじめまして」

 俺は君を、愛していました。

                  了

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