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黒い心と純白の嘘  作者: えのぐふで
2/3

中編

「行きますよ、先輩。それー」

 ビーチボールが宙を舞い、地面に誰に触られることなく落ちる。

「……なあ」

「あ、何ですか。さっきみたいに砂遊びの方が良かったですか? いやあ、さっきサグラダファミリアの完成形を造ってけっこう疲れてるんですよー」

「俺は今、何でここに居るんだ?」

「え? 何言ってるんですか先輩。楽しい思い出作りに来たんじゃないですか。私のお願いを聞いてくれた優しい先輩がそんなことを忘れるなんて意外ですねえ。体調でも悪いんですか?」

「とぼけてんじゃねぇ、海水浴に来たはずだろ。何で俺たちはこんな季節にこんなところに来てまで、砂遊びとバレーに興じてるんだよ? 一切海に入っていないんだが」

 海に来て一時間以上が経った。しかしながら、千歳は一向に海に入ろうとせず、俺と陸の遊びに興じている。

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………すみません、予想以上に冷たかったです」

「チョップ!」

「うぎゃー!」

 うっかり手が出てしまった。

「あんだけ言っといて冷たかっただぁ? なにアホな事言うとんねんおんどれぇ!」

「先輩、落ち着いてください。怒りすぎて口調がおかしくなってます」

「ふぅ……。よし、落ち着いた。で、俺を説得してまでここまで来ておいて、一体どういう了見だ?」

「いや、違うんですよ先輩。今年の海は例年より冷たいらしいんですよ。だから私が冷たいと感じても何ら不思議ではないんです。」

「その情報はいつ知った?」

「…………さっきです」

「パンチ!」

「うぎゃー!」

 驚いたなんてもんじゃない。俺が準備を終えて戻ってからすぐに海に入っていったと思ったら、恐ろしいものでも見たかのようにガチガチに震えて戻ってくるというのだから。驚いたというより、もう呆れてしまったという方が正しいだろう。

「本当に思い付きで動くよなお前は。もうちょっと考えて動くようにしろよ」

「すみません……」

 最初は嫌がってこそいたが、ここまで来てしまえば、せいぜい楽しんでやろうと思っていたのに、思い切り梯子を外された感じだ。

千歳はこれ以上なくしおらしい様子で、俺の言葉に頷いていた。こんな姿を見るのは初めてだ。

「はあ……しょうがない。おい、千歳」

「……はい?」

「海、俺と二人で入ろうぜ」

「だから、それは嫌って……きゃっ⁉」

 落ち込んだ様子の千歳の手を強引に取り、俺は走り出した。

「ちょっ、何する気ですか先輩⁉」

「だから言ったろ、海に入るんだよ! 冷たいのが嫌だってんなら、俺が温めてやる!」

 走り出し、もう勢いは止めることはできない。というかしない。

 海に足先がつく。確かに冷たい。俺も普段なら入るのは絶対に拒んでいるだろう。

 ただ今は、今だけは――こいつのためにやるしかない。

 海に少し入ったあたりで、俺は背中から水に向けて倒れこんだ。

 小さくて、蕾のように可愛らしい、愛すべき後輩を強く抱きしめて。

 勢いよく見ずに突っ込む。千歳は俺の上になっているせいでそこまでだが、俺は思い切り水につかった。

 本当に冷たい。今にも凍えそうだ。

しかしそれでも、彼女を抱きしめるのは止めない。この温かさを、俺は放さない。

「ちょ、先輩! 何考えてるんですか⁉」

「ははは。どうだ千歳、こうすりゃ少しは冷たさもマシじゃねえのか?」

「そんなことはどうでも良いです! 先輩が風邪を引きますよ⁉ 何でこんなことを……」

「散々お前に振り回されたからな。ちょっとばかしの仕返しだ。驚いたろ?」

 驚いた、どころか少し怒ったような顔の千歳を見ると、自然と笑顔がこぼれた。こいつのこんな顔を見たのは初めてだ。

「はは……中々良いもんだな」 

はるか上空で輝く太陽は、とてつもなく綺麗だった。

                 ※                    スポーツ選手は試合中に少々大きなケガをしても、アドレナリンが出ていてある程度は動ける場合があるらしい。しかしやはり、後から来る痛みや苦しさまでは、一般人と同じように受ける。というか、ケガをした身体でしばらく運動を続けているのだから、後から来る痛みは普通より強いのだろう。

 アドレナリンというのは良い効果もあるのだろうが、一時の興奮で体を麻痺させてしまうという、強力な鎮痛剤を打ちまくった状態になるということを考えると後が怖い。その人の人生はそこで終わるわけではない。これからも続いていくし、続けていくうえで健康な体というのはとても大事だ。

 なのでケガ、もしくは不調を感じたときは、おとなしくするのが一番の正解なのだろう。

 ただ、正解と分かっていても、その正解を選べない人間はいる。それは心の問題で、その時の自分にあるプライドや強い意志が、その身体を動かす原動力となっているのだろう。

 まあつまり、何が言いたいのかと言えば――

「へっくし!」

 ――自分の意志に身を任せた俺は、今とてつもなく凍えているということだ。

 砂場に敷いたシートの上で、上着を羽織ってがたがたと情けなく震えていた。ちなみに千歳ももう水着の上に服を着ている。

「うう……寒い。あんなことするんじゃなかったかな……」

「ホントですよ、風邪でも引いたらどうするんですか!」

 体中が寒さに支配されている。我ながら無茶をしたものだ。

 千歳は少しご立腹の様子だ。

「本当に、危ないですよ? 急にあんな冷たい海に飛び込んだら、どうなるか分からないんですから」

「ははは、厳しいなあ」

「笑ってる場合じゃないです!」

 俺の方を向いていた顔は明後日の方向に逸らされる。これは機嫌を直すのは一苦労だ。

「なあ、千歳」

「…………何ですか?」

 千歳は振り向かない。ただまあ、今はそれでも良いのかもしれない。面と向かって言うには、少し気恥しくなってしまうから。

「ありがとうな」

「……何がですか? 先輩をこんな目に遭わせたことですか?」

「違えよ、それは俺がやったことだしな。ありがとうっていうのは、お前が俺をここに連れてきたってことにだよ」

「こんなことになって、感謝されることなんかないです」

「今日ここに来たのって、俺のためだったんだろ?」

「……どういう意味ですか?」

「とぼけるなあ。あの夏の事故で夏休みに何もできなかった俺のために、こんな時期にここに連れてきてくれたんだろう?」

「……」

千歳は俺に、夏に作れなかった思い出を作らせたかったのだろう。

海が冷たいと言っていたのも、まあある程度は本心だとして……俺のことを気遣っての文句だ。

「……そんなことはありません。」

 ぼそぼそとした、照れ交じりの返答は、ほとんど肯定だろう。

「というか実際、半分以上は私の勝手で合ってるんです。」

「?」

「私、先輩が入院していたあの頃、お母さんを亡くしたんですよ」

「な……」

「元々体の弱い母だったんですけどね。発症した病気が酷くなって、結局死んでしまいました。先輩には知られたくなかったんですけどね。できるだけ他の人にも知られないようにしてましたし。先生にも秘密にしてもらうようにお願いしてました」

「どうりで聞かないわけだ……」

「私の方も、たいがい追い詰められてたんです。なにか発散させるものでもないと、やってられませんでした」

「……ごめんな、そんな大事な時に居なくて」

「いえいえ、先輩こそ大変だったんですから。というか、それがなくたって、先輩のことは誘ってましたよ。だって先輩、あの夏休みに一緒に海に行く約束してたじゃないですか。それなのに、その当日にあんなことになって……。」

「…………ああ、なるほどな」

 頭の中のピースが、パチンとはまる音がした。

「退院した後に学校に来てた先輩は、今までに増して暗かったような気がしました。いつどんな時でも、どこか別の場所に心があるような。そんな先輩は、見ていて辛かったです。だって先輩は私にとって、かけがえのない存在なんですから」

「かけがえのない――」

「私はね先輩。先輩のことが大好きなんです。この世で一番好きなんです」

「……」

「母を亡くした私にとって、先輩は唯一の心のよりどころでした。いつも近くに居てくれる先輩は、私にとってとても大切な存在なんです」

「それは……とても光栄だよ。ありがとう」

 彼女の気持ちは、顔を合わせなくても伝わってきた。耳ではない、心に言葉が届いていた。

「そんな先輩に、少しでも明るくなってほしかったんです。結局先輩のためというより、自分の勝手な欲を満たしたかったんです」

「……そんなことはないさ」

 千歳の小さな手を、後ろからぎゅっと握る。ほのかな温かみが、手のひらに伝わってくる。 

「そんなことありますよ。私はずるい女なんです……」

「あのな千歳。お前がどれだけ自分を責めてるかはよく分かった。それはお前の問題だから俺にはどうすることもできない。ただ、これだけは言わせてくれよ。」

 千歳の肩を掴み、体をこちらに向かせる。

 これだけは、面と向かって言いたい、言わなければならない。

「俺は今日、すごく楽しかったぜ」

「――――」

「ありがとうな、千歳。こんな俺に、こんな最高の思い出をくれて」

「先輩――」

 もう少しすれば号泣してしまいそうなほどに、千歳の顔は崩れてしまっていた。

「はは、そんな顔もするんだな。今日だけでお前の知らない部分をたくさん見れたぜ」

「……もう、調子が良いんですから」

 涙の中に、わずかな笑みが浮かんだ。やはりこいつは笑っているのは一番だ。

 そういう犬崎千歳が、俺は大好きなのだから。

 そしてもう一つ、俺は言わなければいけないことがある。

「なあ千歳……もう一つだけいいか?」

「……何ですか?」

 少し、鼓動が早くなる。緊張しているのだろうか。無理やりに沈めようとしても収まらない。

 こんなところでまだ後のことを心配してしまっている自分がいる。自分のことではなく、千歳のこれからを――絶対にこの言葉は変えてしまう。

 ただ、言わなければならない。だって俺は千歳のことを――


「……俺、あの夏休みにお前と――誰かと出かける約束なんて、してないぞ」


 ――俺は千歳のことを、本気で愛しているのだから。

                続


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