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幼女とカンタマ


 『新人』が突然、机を叩きながら声を張り上げた。


 「そろそろ真面目に仕事したいんですが」

 「常在戦場。俺はいつだって真剣だ」


 今日こそは『しげさん』のハイスコアを超える。

 熱苦しい障害をサラリと流し、俺は本日の目標を再確認する。


 「楽なのは良いことかもしれませんが、どう考えても進む道が暗いんです」

 「希望という名の光を照らせ」


 頭上の鉄骨の位置は把握済み、樽のパターンも解析済み、あとは乱数制御と反応速度の安定化だ。


 「ビラを配ったりとか、知り合いに営業に行くとかしませんか?」

 「不運の方からダンスに誘ってくるさ」

 「意味わかんねぇ!」


 『新人』が煩い。

 自己啓発の本でも読んだのか?

 ああいうの読むのは良いけど、他人を巻き込むな。


 ズブロッカを冷凍庫から出す。

 バイソングラスを漬け込んだ滑らかな味わいのウォッカだ。ここぞと言う時は飲むことにしている。

 トクトクとグラスに注ぎ、一口だけ口に含み、ゲームウォッチの電源をONにする。



 「『カンタマ』がいないの!!」


 晴天の霹靂とはこういうことを言うのだろうか。

 突然、乱暴に扉が開かれ、俺の事務所に悲痛な叫びが木霊した。


 あまりの唐突な出来事に、俺は口元を拭うこととなり、『新人』は不運と踊っていた。



 何事かと顔を向けると、そこにいたのは必死な形相の金髪の『幼女』。

 白昼堂々と下ネタを叫ぶとは、最近の教育はどうなっているんだ。

 俺はあらゆる意味で驚きを隠せない。


 しかし、驚いてばかりもいれない。ここはひとつ大人の対応をすべきだ。


 俺は七星(マイセン)を咥えて、マッチを擦る。

 一服し、大きめの煙をリング状に吐いた。


 続けて、努めて冷静に至極当然な指摘をした。


 「女の子にカンタマはないんだよ」

 「何言ってるんですか!」


 半眼でウォッカ塗れだった『新人』が正気に戻ってツッコミを入れる。

 衝撃を与えないためにできるだけ優しく指摘しただろうが。

 それに、お前ら、日中とはいえ叫ばないでほしい。『神楽さん』が来るだろ。



 冗談はほどほどにして、『幼女』を観察する。

 年の頃は5つ前後だろうか。義務教育が始まっているようには見えない。

 白のワンピース、手入れの行き届いた髪。子供用にしては大人びたデザインの靴。頭はあれだが、いいとこの子なんだろう。

 力のこもった拳、浮かべる追い詰められたかのような表情。意味はわからないが本気であるように見られる。



 うーん

 ……嫌な予感がする。


 なかったことにしよう。

 勘に従うと決めた俺は再度会話を試みる。


 「大事な事だからもう一度言うね。女の子にカンタマはないんだよ」

 「二度も言った!」


 だから叫ぶなよ。

 俺は眉間に皺を寄せ、『新人』に抗議の合図を送る。


 「……なんで、なんでそんなこと言うの?」


 ピンと伸ばした腕。小刻みに震える体。

 あ。やばい『幼女』が泣きそうだ。


 「『神楽さん』って下にいた?」

 「え? はい。いましたよ」


 これから起きることが希望的観測の範囲内に収まるか『新人』に確認したのだが、どうやら希望は希望でしかないようだ。


 「ふぅ……」


 俺はゆったりとした動きで立ち上がる。


 机の上にある七星(マイセン)をポケットに入れ、

 適当な週刊誌を脇に抱え、

 ズブロッカとグラスを空いた手で掴む。

 

 そして、おもむろに隠し部屋、緊急避難部屋(エマージェンシールーム)に駆け込んだ。

 緊急避難部屋(エマージェンシールーム)とは暴力に訴える人種が押し寄せたときに緊急避難するセーフルームのことを指す。探偵という商売柄、人の恨みを買うことや、秘匿情報を知ることが多いため必須となる。


 「え。ちょ……」

 「すまん。任せた」

 「う……う……うぇ……」


 閉じようとする扉の隙間から、俺は沈痛な面持ちの『新人』に詫びを入れた。



 * * *


 この緊急避難部屋(エマージェンシールーム)、厚いコンクリートで頑丈なのは良いのだが、外界を知るための手段がない。つまり扉を開けないと外の様子がわからない。8mmカメラの画像をリアルタイムで映すような発明を誰かしてくれまいか。


 半刻ほど経ったころ、鬼がいないことを祈りながら、そっと扉を開く。

 戸の隙間から事務所の様子を覗き見る。


 しかし、俺の希望は叶わず、そこにはスコップを持った鬼がこちらを睨んでいた。



 ブラウンのミディアムヘアだが、仕事がしやすいように後ろで軽く結われている髪。

 縞模様のシャツにジーンズ、土いじりがしやすいようにだろうか前面に主張された厚手のエプロン。

 見下ろす顔には陰影がかかっており、コメカミに浮かぶ血管は生き物のようにピクピクと脈打っている。

 右手には……凶器(スコップ)


 『新人』は? 『新人』はどこにいった?

 俺は助けを求めて辺りを見回す。


 「『新人』君なら、店番をしてもらっているわ」


 ジーザス。(かぐらさん)から告げられた言葉から、最終防衛システムの破壊が判明した。

 だが、ここで終わるわけではない。たとえ負けても戦後の条約の締結までが戦争だ。


 「俺は子供が苦手です」 

 「それは、よ――――――くわかってます」


 想定より旗色が悪い。

 俺は脳内に緊急連絡を入れる。


 メーデーメーデーメーデー。こちらは山下のりお、山下のりお、山下のりお。論理的説明の一歩目から、敵は言葉を溜めることにより怒りを主張してきました。こちらに弁護をさせるつもりはないようです。メーデー。山下のりお、オーバー。

 こちら管制室。状況の説明に切り替えよ。如何に『幼女』が支離滅裂だったかを説明し、己の正当性を主張せよ。オーバー。

 メーデー。こちらのりお。了解。オーバー。


 割と冷静な司令が脳からくだされたので、それに従い口に出す。


 「カンタマが……『ドゴッ!!』」


 説明の第二歩目が終わる前に、スコップが壁に突き刺さる。俺の頬から一筋の血が流れた。

 繰り返しになるが、スコップが刺さった緊急避難部屋(エマージェンシールーム)の壁は厚いコンクリートでできている。

 物理を超えた何かに、俺の冷や汗は止まることを覚えない。


 メーデー。こちらはのりお。我説明に失敗しせり。具体的な説明を教授願いたい。メーデー。山下のりお、オーバー。

 こちら管制室。情報を確認したが、こちらには『カンタマ』の情報しかない。現場での状況判断を求む。オーバー。


 脳から残酷な一言が告げられた。

 どうやら状況は詰んだようだ。


 血走った目が怖い。

 しかし逸らせない。

 肉食獣に睨まれた草食動物はこんな気持なのだろうか。俺はドキュメント番組にレギュラー出演するトムソンガゼル氏に共感を覚えた。



 * * *


 「……もう反省したわね?」

 「しました」


 30分におよぶ、無言のプレッシャーからの開放。その後に続いたのは、『幼女』についての説明だった。


 「お名前は『まいん』ちゃん。苗字はわからなかったわ。

  『カンタ……』はワンちゃんのお名前。

  『まいん』ちゃんのお家で飼っていた犬みたい。

  三日前から行方不明らしいわ」


 『神楽さん』の説明を聞いて、ようやく合点がいった。

 動物の睾丸のことかと思っていたら、愛玩動物のことかよ。


 「カンタマ……」

 『幼女(まいん)』は泣き止んでおり、ソファに深く腰掛けカリッポを食べている。


 カリッポとは、筒状のチューブにかき氷が詰め込まれた氷菓だ。

 片手で持って、筒を押すことにより出てきたかき氷を食べることができる。

 パイン味とグレープ味があるが、俺のオススメはパイン味だ。


 『幼女(まいん)』の持つカリッポもパイン味。

 まさか俺の買いだめしてあるカリッポじゃないよな。

 冷凍庫の中身に多少不安になりながらも、俺は前向きに探偵としての見解を述べることにした。


 「犬には帰巣本能がある。3日も帰ってなければおそらく死んで『ドゴッ!!』」


 床にスコップが突き刺さった。

 俺の足から5cmと離れていない。

 俺はゆっくりと顔を上げると、そこには再び鬼がいた。


 「そんなことないもん! まいんのカンタマ凄いの。まいんの家に来る前はお巡りさんといたの」


 『幼女(まいん)』が反論した。

 これはチャンスだ。選択肢を間違えなければ『神楽さん』の矛先を逸らすことができるやもしれぬ。

 俺は急ぎ、受け取った会話という名のキャッチボールを投げ返す。


▷「それは優秀なカンタマだなあ……」

▷「三度目だけど。女の子には……」

▷「お兄さんのカンタマ、見てみるかい?」


 選択肢の2と3はありえない。ここは1一択だ。

 俺は優しげな表情を作り、正解と思われる台詞を口にする。


 「それは優秀なカンタマだなあ。お兄さんのカンタマも婦警さんと遊んだことあるんだぞ『ドゴッ!!』」


 頭に衝撃を受け、俺の意識は闇に沈んでいく。


 ……どうやら、選択肢を間違えたようだ。

 ……3を選ぶべきだったか。




 

 再び意識が戻ったときには部屋の窓から夕日が差し込んでおり、事務所には誰もいなかった。


 そして、テーブルに謎のメッセージが残されていた。


 「ワンちゃんを探しますよね? 言海(ことうみ)神楽(かぐら)



 紙片に一瞥をくれると、俺はゆっくりとした足取りで冷蔵庫に向かう。

 カリッポが減ってないだろうか。それだけが心配だった。




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