時代と事務所
――雀を駆除したがために、雀の餌となっていた蝗が大量発生し飢饉に陥る。
中国で毛沢東が行った政策のひとつ、四害駆除運動の結果と言われている。
必要なものを必要と判断することは容易いが、不必要なものを不必要と断じることは難しい。
前者は必要なものを必要であるということが言えるポジティブな結果が出てからの行動に対し、後者は総じてネガティブである。確認行為が増えれば増えるほど、後ろ向きな判断材料しか揃わない。
電線に留まるオナガの尾翼を振る様子を見ていたら、他愛もない思考が脳裏を掠める。
そういえば、最近はめっきり数を見なくなった。こんなところで見かけるのは珍しい。
関心の目を向けていると、彼は鮮やかな白翼を広げると軽快に空へと舞い上がる。
青空の下には、ガタンゴトンと音を立て線路を走るウグイス色の無骨な電車。
窓からは詰め込まれている多くの人々の様子が見られる。
己の対人距離を侵されているためなのか、はたまた繰り返されるルーティンに精神が蝕まれているのか、顰めた顔をしている者が多い。
この様子を一眼レフで写真をとっておき、十年後と比較するのも面白いかもしれない。
やがて電車は目的地に到着した。
音を立て扉が開いた瞬間、浜辺に打ち寄せられた波のように人々がホームへと一斉に広がる。
網の目のように張り巡らされた都心の人的移動のネットワーク。
それを可能にしたATCの自動制御システムは世紀の発明だと思う。
降り立った人々の向かう先に佇むのは改札用の機械。
自動改札機だ。
機械に次々と薄いオレンジ色の切符を飲みこませ、各々の道へと別れゆく。
ここ数年の移動手段における科学の発展は目を見張るものがある。
一方、官から民への動きも活発化してきている。
国鉄が民営化したとき、管理や採算性における判断がどのようになるかが問われるだろう。
大衆に紛れ、自動改札機を通る一人の青年。
歳はたしか二十歳。
身につける装いからは、同年代よりかは大人びている印象を受ける。
彼もまた人の流れの分流に乗る。そして私も――
駅の構内はポスターが繰り返し貼られている。
『東京ネズミーランドいよいよオープン』
『今年の流行りは20年振りのミニスカート』
現在、戦後40年ほど経つわけだが、20年前。つまり戦後20年には既に扇情的なファッションが流行っていたことに私は驚きを隠せない。
駅を出ると、より一層の混沌とした雑踏に目が眩む。
スーツや学生服の集団が横断歩道の前で信号待ちをしている。
道路には我が物顔で、何十台ものカローラが走っている。
1930年。日本初の信号機が日比谷に設置されたとき、青信号は『緑信号』と呼ばれていた。何があって平安時代まで色識別が逆行したのだろうか。
また、車にも種類があるというのに、右に倣えでカローラ一色なのは如何なものか。模倣のない独創はありえないとは言うが、ここまで至ると美学がない。
「おはようナイスボートの時間になりました。
本日のニュースです。昨夜未明、羽田空港職員の……」
そうこうしているうちに、青年は店舗が並ぶ大通りに出る。
彼は人並みを掻き分け、先へ先へと進む。
彼の行く先で雑音を振りまいているのは電気屋のディスプレイに飾られた最新式のリモコン付き20型テレビ。
テレビは仕組み上、画面が巨大になればなるほど偏光ヨークに距離が必要となり巨大化する。今後の企業努力に依存するが、私は大きくなっても30型が限界ではなかろうか。
彼は雑踏を抜け、人の少なくなった路地を、重責から開放されたかのように軽やかに歩いていく。
酒瓶を持って倒れている男。
道端で化粧を直す女。
残飯を漁る猫。
これでは若干目立つかもしれない。そう思ったとき、一つのビルディングへとたどり着いた。
ビルディングの1階には花屋が店を構えており、一人の女性が花に水をやっている。
色あせた裏路地を彩る、色彩豊かな様々な花。
例えるなら泥沼の蓮だろうか……汚濁も大輪の花には必要な要素なのかもしれない。
「おはようございます」
「あら。おはよう」
青年は花屋の女主人と笑顔で挨拶を交わし、店舗の脇にある階段を上がっていった。
私は一人、建物を見上げる。
* * *
『山下のりお探偵事務所』
会社の名前が貼られた場所は無垢な透明ではなく、黄色みがかっている網ガラス。
この部屋の歴代の主が、ヘビースモーカーばかりであることが原因だ。
そのうち緑色の文字も黄色くなることに間違えない。
副流煙に汚染された扉に憐れみの情を抱きながら、僕はガラス扉のドアノブを回す。
ピコ……ピコピコ……ピコ
室内に入ると断続的に鳴る電子音が耳に入ってくる。
その音の元に目を向けると、オレンジ色の持ち運び式のゲーム筐体を手に睨みつける一人の男がいた。
『パイセン』だ。
『パイセン』の正式名称は『山下のりお』。
とある事件を解決したことで一躍有名になった時代の人だ。
この探偵事務所の所長でもある。
本人の希望で彼のことは『所長』ではなく『パイセン』と呼んでいる。
『パイセン』は革張りのソファにどっしりと座り、火のついたタバコを咥えながら、迫りくる樽を躱していた。
たまに落ちる灰が彼の集中力が如何ほどなのか醸し出している。
「またゲームウォッチですか『パイセン』」
「まあ、そう言うな『新人』」
僕は札をひっくり返すと、向かい合わせのソファに腰掛ける。
基本的に、『パイセン』は僕がいつ出社しようが、何しようがお構いなし。
今日もピコピコと、オレンジの二つ折りの携帯ゲームで遊んでいる。
本日も出社早々、手持ち無沙汰になったので室内を見回す。
目に止まったのは、目の前のテーブルの上にある一冊の漫画雑誌だった。
表紙に描かれているのは、僕が中学校のときに連載していた漫画。
プロレス漫画なのだが、主人公が突然巨大化したりビームを出したりする。
「まだこの漫画続いていたんですね」
「馬鹿言うな。面白くなってきたところだ」
一瞥もくれず返された言葉を受け取り、僕はそれを手に取りパラパラとページをめくる。
「……プロレス漫画ですよね」
「プロレスだな」
「……なんで古墳が出てくるんですか?」
「プロレスだからだ」
想定外だ。
* * *
その日も本を読んで一日が終わった。
依頼も仕事も業務もない。
昨日も一昨日も同じだ。
僕はふと思った。
このままだと会社が潰れて、露頭に迷うことになるのではないかと。