第八声 「お黙りなさい不出来な下の妹!」
登場人物の呼称に若干の変更がありますが、ルビの通り、読み進めて頂ければ幸いです。
一ヶ月前のことになる。
最果ての国に入国した三姉妹は荷馬車ごと野盗に襲われて、荷物もろとも娼婦として売り飛ばされる寸前に命からがら逃げ出した。そこに偶然居合わせた街の駐屯兵に救われる。野盗は追い払われたが荷は戻らず仕舞。両親も頼る親類縁者もない三姉妹は、そのまま街に残り小さな酒場に住み込みで働けることになった。
元々老夫婦が惰性で続けていた酒場の看板娘として働き始めるが、良家の令嬢を自称する三姉妹は破滅的に不器用で料理も給仕も不心得。毎回転びながら水を浴びせかけられ、注文したものが運ばれることは少なく、料理自体が食べられる状態を逸し、終には店のメニューが「おまかせ」のみに成り果てる。
不器用三姉妹が接客全般・商売全般がこなせるとは誰も思っていなかったが、三姉妹を好意的に思う人たちは常連客として残る。外見の華やかさに惹かれた若い男性客、まるで妹や娘のようだと可愛がる女性客。娯楽に飢えた客、刺激を求めて通う客。
三姉妹のサービス提供技能の向上は微々たる物にも関わらず、店には笑顔が溢れ始めた。
理知的で丁寧な対応に定評がありつつ、どこかの軍事組織で副官でも務めていたかのように堅苦しく真面目な苦労人体質の長女。
無口で愛くるしく女として完成された美貌を備えて、抑えることもできない魅了の抵抗に失敗した男性を日夜狂わせ続けて止まない夢魔っぽい次女。
天真爛漫が示すとおり常に全力で取り組み全力で失敗する、要領が良く笑顔を絶やさない、賢いのか阿呆なのかさえ窺い知れない、時折どこかの国の姫じみた言動が板に付いている天然過ぎる三女。
三ヶ月を過ごし、安心した老夫婦も引退し、酒場は彼女たちが出迎える憩いの楽園となっていた。
◇◆◇◆◇
最果ての国の、東の端には世界連合軍駐屯地があり、常時において戦闘行為が可能な状態を保持していた。大山脈を越えた先には魔王が治める独立領が存在しており、連合軍駐屯地は有事の際にはそのまま前線基地として機能する。
街は軍事関係の施設が多い。軍事費は世界連合議会が決定した予算が用いられるが、財政は苦しい。兵士は日々の鍛練の他に食糧不足に備えて作物を育てたり、武器防具の修繕なども行いながら母国へ帰れる日をひたすら心待ちに過ごしていた。
娯楽の要素は仲間内の賭博や喧嘩。二ヶ月に一度の馬車便が運んでくる酒や肉、果物。それに故郷からの手紙くらいだ。
そんな生活に心身を病む兵士もいる。裏で仕入れた麻薬に手を出したり、街道で野盗まがいな事件を起こして憂さを晴らし、勝手に通行税を取り私腹を肥やしたりとやりたい放題だ。
近隣の村々を襲撃して娘に暴行し、魔物の所為にして報告する。
最前線の兵士という立場を振りかざし、生活物資や若い娘の供出を強要。無実の罪をでっち上げて、罪のない住民を私刑に処し、時には死に至らしめ、平然と日々を送る者も少なくはなかった。
元魔王の青年が件の情報を持ち帰ったのは、彼が駐屯兵に扮して三ヶ月を過ごしてからのことだ。
そして酒場のデコボコ三姉妹の接客技能がようやく一般にも通じるくらいにまで成長する少し前の、豪雨の夜のことだった。
『駐屯兵さま、お勤めご苦労さまでした。すぐにお茶のご用意をいたしますね』
「痛み入ります、三女殿」
膝をつく代わりに青年は目を伏せた。魔王国を発つ際に定めた略式の礼として取り決めたふたりの妥協点だ。とてとてと厨房へ小走る姫三女だったが、副官長女に首根っこを掴まれ椅子にちょこんと座らされる。
「あなたはじっとしていなさい。すぐに厨房を汚すんだから!」
『そんな~、上のお姉さま酷いです~。わたくしもお茶くらい失敗しませんことですわ』
「お黙りなさい不出来な下の妹! 今日だけでどれだけの料理をお客様の頭に盛り付けたのか忘れたとは言わせませんよ!」
『今日は七回しか盛り付けていませんわ~』
「八回です! 軍医さんに二回お皿を被せていたでしょう!」
『上のお姉さま、あれは一回として数えて下さいませ~』
「ダメに決まっています! いいですか下の妹、そもそも接客というのは……」
青年駐屯兵は苦笑しながら、夢魔次女が淹れた薄味の柑橘茶で喉の渇きを潤した。
夜が更けて、近隣住民は魔物の存在を恐れて家屋を幾重にも施錠し眠りにつく。
昨夜はなにもなかった。今夜こそ山ほど大きな悪魔が現れるかも知れない。明日は不死の魔物が頑丈な石煉瓦を透過して魂を吸いに来るかも知れない。
ベッド脇に灯りを絞った洋灯と、魔除けの護符、銀製の短剣を用意して、ようやく村人たちは眠りにつくことができるのだ。
元魔王の青年は駐屯兵の衣服を脱ぎながら、およそ三カ月間を過ごした村人たちの生活を口にする。
「言うまでもなく虚言だ。俺が在位してからは他国の領民を害するようなことは命じていない。欠片の利点もないことだ」
「わたしは前統治者様が治められた後に魔王領に仕えていましたが、魔物達を外部に派遣したのは一度だけ。某国より現統治者……様を拐かす算段のみです」
青年、副官長女に次いで夢魔次女もこくこく頷いて肯定した。
『わかっています。故郷で神秘や歴史を教わりましたが、魔物と人間の争いは百年前を最後に冷戦・不可侵状態となっていますものね。あって小競り合い程度でしょう。運悪く死者が迷い出た場合は、残念ながら事故みたいなものでしょうしね』
前線に駐屯する世界連合軍の一部の兵士が、魔物に罪をなすり付けて我欲を満たし民を蹂躙している。
姫魔王は結論づけて溜息をついて、そして怒りを露わにした。
『最悪ですね。最悪です』未だに魔力の制御が不得手な姫魔王は、感情のままに濃厚な魔王の魔力を放出させていた。元魔王の青年は気にした風もないが、副官長女でさえ堪らない苦行だ。近距離でこの大出力を浴びせられれば、先程までの姉妹ごっこが空恐ろしく思えてきた。夢魔次女に至っては涙ながらに身体を硬直させていた。
青年が姫魔王に夢魔次女の状態を示唆して、ようやく魔力の激流が緩慢に戻る。姫魔王はいつものように夢魔次女を抱き枕にして慰めている。
「姫魔王様」副官長女は恐る恐る声をかけた。怯えている素振りは見せないように表情を固定したままで、今後の方針を模索する。
「これは人間達による我らへの侮辱と蔑視による冤罪に他なりません。前統治者様の調査をわたしが引き継ぐことで早晩、犯人は見つかるでしょう」
『ですね』姫魔王は薄い姫微笑を浮かべるが、目は凍りついたままだ。
『もちろん身を以て謝罪と償いはして頂きます。でも早とちりしないで下さいね副官長女さん。犯人を裁くのはわたくしたちではありません。人間の法で裁きます、必ず』
青年は微かに笑み、副官長女は生唾を飲み込んだ。
『皆さん、わたくしに力をお貸し下さいね』
読了ありがとうございました!
第二部も楽しみながら書いていきますね!
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