第六声 「これが魔王の躰ですか」
魔王総体とは魔物社会のバランスを維持するための観察者であり、未来を垣間見るこ予言者であり、次代の魔王を選定し導いていく後見人であった。死後の魔王の残留思念を集合体をひとつの意識として統合された躰を持たない概念としての魔物だ。
領内外の総ての魔物と深層意識で繋がりを持っている。毎瞬、新しい情報や感情が津波のように流れ込み要不要の別なく読み取ることで世界の未来にまで干渉を許され、未来視の獲得に至ったのだ。
未来視る観察者が選定した今代の魔王は強く、高潔で、分別もあるおよそ英雄にこそ相応した人間だった。本来なら魔物から次代の統治者を選定する慣習を、魔王総体は自ら覆したのだ。
何故なら人間の青年は、酷く人間社会を憎み、人間を嫌悪していたからだった。
魔王総体は提案し、人間の青年は承諾した。
それで契約は成された。
彼は魔物になった、魔王になった。
数十年の刻を、魔王総体が危惧する世界天秤思想を理解し、均衡を維持し続けてきた。大陸東端は盤石になり、人間社会とは事実上不可侵関係が結ばれたも同然だ。
観察者であり後見人は自身の存在が報われたことを識り安堵したが、予言者としての側面が未来を告げたことで均衡は混乱に成り代わった。
勇者の誕生だ。
◇◆◇◆◇
副官魔女が高速で術式を組み上げた。解呪魔術と除去魔術を織物のように編み込み、拡大魔術と鋭利化を重ね掛ける。不死魔術師や不死鬼王が行う魔術の比ではない。魔力の煌めきどころか、構築された複合魔術が形を持って、才無き姫にさえ視認できるレベルの存在感を有していた。
不吉で禍々しい十三本の獣爪。魔術凶器を右腕に纏わせた副官魔女は苦悶の表情を忘れて、恍惚に嗤っていた。獣を模したような一爪一爪から編み上げた複合魔術が立ち上る。分子分解には及ばないが、触れた凡百物の魔力を繊維単位、粒子単位で解放する闇の手だ。
「副官魔女さん?」様子がおかしいことに問い掛けるが、姫の声は既に届かない。
昏く染まった瞳で魔王の存在証明を狙い、副官魔女は爪を突き入れた。
獣爪の先端から触手が伸びる。遮る小柄な肉体ごと、その存在証明を蟲の蠢きで接し、一息で引き剥がした。強い抵抗に放出する魔力を増やし、触手を這わせる。溶接された金属でもこれほどの硬度はない。ミスリル鋼かオリハルコンの分断を想起させる。
『現統治者よ、役目大義であった。お前が造り護ってきた僅かな刻はもうじき崩れ去る。時代を刻む時計の針は次の段階へと進んだのだ。お前は人に身でありながらよく闇の族を治めた。礼の言葉もない。だが、ここまでだ。次代へと役目と力を継承し、お前は魔王総体が主人格と成り、永劫に見守り導く存在となるのだ』
副官魔女は内なる魔王総体に拘束された意識の淵で垣間見た。獣爪に貫かれた魔王と、身を挺して庇い貫通された某国の姫の地に伏した様。目の前から光が失われたように冷めて、懸命に続けていた抵抗を止めた。
暗紫の煙が立ち込めて、離宮の一室を埋め尽くす。魔王も姫も副官魔女も多くの魔物たちもが包まれる。魔王総体には哀悼もなく歓喜もないまま、副官魔女の支配を解いた。概念体の魔王総体は視点を上げ魔王領を俯瞰する天空から成り行きの静観に徹した。
暗紫の狼煙は新たな魔王が誕生する前兆として起こる。源となる魔王の存在証明の所有者が変わることで、眷属全体の制約や状態が書き換わるのだ。新魔王の特性や適正、性格、嗜好が色濃く継承される。
狼煙は最短でも十日から十五日を変質に費やす。時間を費やす分、強力な魔王が誕生する例は多い。
極地的積乱雲。黒い雷牙が迸り、形ある物を容赦なく破壊していく。石造りの離宮が瓦礫の塔へ変わるまでに五分も必要なかった。
ドクン、ドクン!
大気の鳴動。空間の震動。波紋を描いた暗紫の狼煙は渦を巻きながら一層拡がり、領内を包み込み何もかもを閉め出し覆い隠した。雷鳴は竜の咆哮より激しく叫んだ。
魔力の胎動。
大いなる予感。
拡散した暗紫の渦は逆巻いて、中心へと収束し、ひときわ莫大な空震を轟かせる。
『これが魔王の躰ですか』
次代の魔王はゆっくりと現れ出でた。
『なるほど初めて見ました。これが魔力なのですね。キラキラして、まるでエメラルドのように綺麗なものなのですね。そうは思いませんか?』
概念体は思考停止する。
観察者であり選定者であり予言者である自らの未来視が綻んだ。完全な想定を破られてしまった。
相手は恐るべき光に属する者。史上最強の勇者の母になるべき者。
およそ不可能を可能へと転じる神賦の才の持ち主だ。
それが発揮されてしまったのか、真実の在処は魔王総体ですら識りようがない。地上で魔物が囲む中心には副官魔女がいて、見覚えのある青年が、見覚えのない娘に支えられている。
『初めましてですね魔王総体さん。不肖某国が第一王女の肩書きと僅かばかりの意地を賭けまして、只今より魔王を襲名させて頂きます』
新魔王はスカートの裾を持ち上げて、姫微笑のまま丁寧なお辞儀をしてみせた。
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