第五声 「魔王様の存在証明を復元する処置に移項します」
白い虎を模した聖獣は主人の意を汲んで島大亀の甲羅に建てられた姫のための離宮の、姫のための部屋に姫と、彼女が重要視する二人の魔物を運び込むと成獣の形態を解き、白い仔猫の状態に戻って主なきソファーの上で丸くなりながら主人の動向を見守っていた。
「ベッドの上に、早く!」姫は魔力消耗で荒く肩を上下させる副官魔女に代わり魔王親衛隊に手早く指示を出した。右肩から腕は喪失されているが出血はなく闇が渦巻いているだけだ。
「副官魔女さん、魔王様のお加減をお教え願えますでしょうか?」凜とした姫の問い掛けに副官魔女は朦朧とする意識を奮い起こし、魔眼を駆使した診断を行い、声を震わせながら結果を告げた。
「魔王様は聖獣との戦闘による物理的な損耗よりも、禁忌魔術行使による存在証明の損害が深刻だ。本来なら正常に繋がっている構造式がズタズタになっている所為で魔力の源が流出し、こぼれ落ちてしまっている」
「魔力の源とやらがなくなると命はどうなりますか? 魔王様はどうなりますか?」
「魔力を失えば存在証明を失い、消滅する。人間にも動物にも魔物にも命とは別に存在証明が内包されている。存在証明は魔力の巡りによって維持されている。人間と違って魔物にとっての存在証明とは生命と同義だ。魔力を巡らせることが出来なければ、魔王様はこの世界に無かったものとして記憶と記録ごと、消える、ことになる」消え入りそうにつぶやき、副官魔女は手の甲で目端を拭った。
「おおよそは理解できました」姫は一瞬だけ笑顔を見せてから、すぐに表情を引き締め、集った魔王親衛隊と場に集まった他の魔物を見渡して毅然と言い放った。
「皆さま聞いての通りです。わたくしたちが敬愛し尊敬する魔王様は瀕死の重体で予断を許さない状況です。方法の別は問いません。数多の手段を厭わず、余すことなく講じて下さい。魔王様を救うために皆さまの知恵と力をお貸し下さい!」
「「「オオオオオオオッ!!!!」」」
敵も味方もなく、魔物と人間、人質、元凶、そんなことを忘れたかのように魔物達は姫の号令に猛り士気を高めた。
「魔王様の治療方針と指揮はわたくしが行います。副官魔女さんは進捗管理と技術指導、それと現状の説明をお願いします」副官魔女は頷いた。
「では始めます」
某国の姫が最初に指示したのは流出し喪失されていく魔王の魔力を止めることだった。保有している魔力が多い不死魔術師が名乗りを上げ、魔王の流出する魔力に、自身の魔力をあてがうように放出する。
「不死魔術師、魔王様の魔力と同調させるのを怠るなよ!」
副官魔女の目配せで術技の成功を確認した姫は、体内の魔力を補うための仮想通路を設定し、別の魔力を巡らせると提唱した。その際に失われた右腕部分を敢えて除外すると断言し、魔王の躰を指でなぞり仮想通路の設置位置を示した。
「まずは魔王様の御身が最優先です。早く急いで下さい!」
反論を許さない姫の迫力にたじろぐ魔物達を余所に、副官魔女が魔力導線の構造を想定し設計図を説明した。
「姫のなぞった位置に幽霊配置し、死霊使役師が幽霊達を筒状に制御して魔力管(チュ-ブ)にする。髑髏神官は全力で幽霊の魔力管(チュ-ブ)に抵抗魔術をかけ続けろ。いいか魔力管(チュ-ブ)の全箇所余す所なく一定の魔力リズムを保ちながらだ」
「……抵抗魔術で魔力を逃がさないための壁にするというわけですね、流石です。ならば壁の強度は内側を流れる魔力よりも強くする必要があります。可能ですか?」
「不死鬼王は魔術拡大で抵抗魔術の密度を引き上げ続けろ! よしなんとか形にはなった!」
「重畳です。ならば次です。魔力管(チュ-ブ)を魔王様の躰の至る所に繋いで下さい。大きく巡回する管から細い管を伸ばして、更に細部へ魔力を送り込み、肉体の状態を保ちます」
「幽霊の疲弊はすぐに回復魔術で軽減してやれ。術の行使者にも魔力贈与で応援を!」
魔物達は慣れない集団行動に戸惑いながら列を成した。闇妖精の精霊術者、抱き枕要員の夢魔、のど自慢の人面獣、魔術を心得る魔物が入れ替わり立ち替わり魔王治療の施術者に回復魔術や魔力贈与をかけ続ける。四十八体の名もなき上位魔種、四十六鬼の変異魔種、およそ魔力を多く保有し操ることに長けた魔物は皆、瀕死の魔王の身を案じ、離宮を埋め尽くす数が島大亀を取り囲んでいた。
「姫、魔王様の魔力が巡り始めている!」
「順調ですね。では現状を維持しつつ、魔王様の存在証明を復元する処置に移項します。心臓、いいえ頭脳を取り替えるくらい至難なのでしょうね。副官魔女さん、現状確認を」
額の汗を拭い、魔眼を継続維持して患部を視認し、魔王の状態、魔力の状態、それらの些細な変化を見逃さないよいに精神を集中させた。単独では……魔物だけでは傷ついた存在証明の修復術に及ぼうなどとは考えつかなかったであろう致命的な破壊痕だ。
姫の暴発が招いた聖獣との死闘が発端であるも、現状で姫は魔物たちにとっての救世主であり、魔王を救えるかも知れない唯一の人物だ。副官魔女にしても姫を疎ましいよりは頼もしいと感じ始めていたのだ。
だからこそ副官魔女もずっと耐え続けていた。
(止めよ副官魔女! 現統治者は役目を終えている。治癒も現界も不要。すぐに存在証明を引き剥がすのだ)
魔王総体の要請が止む気配はない。気力を削ぎ、体力を削ぎ、魔力をも削ぎ落とさんと働きかける。殴打に匹敵する頭痛に加えて長時間の魔術行使の負荷は、黒い血涙を喚起し視界ごと心を闇に染めようと手招きをしているのだ。唇に歯型を刻みギリギリで踏み止まれている状態だ。
せめて、絶対主君の無事を確認できるまで意識を失うわけにはいかない。
それだけが副官魔女の総てで良いと彼女は腹を括っていた。正確には諦めていたのだ。救えるのは常にひとつで、重要な方を生かすことが絶対君主に仕える上位魔種の不変の性でもあった。
「わたくしには魔力の感知も存在証明の視認も適いませんが、要は魔王様の核たる箇所を縮小する形に成形し直す術技を行って頂きたいのです。無事な路を残し、流出に近い患部を分岐路で堰止める。若しくは切断部分同士を繋ぐ。そのように可能でしょうか?」
姫は人差し指の先端の傷口から零れた血で迷路のような網目を不死魔術師の新しくなった長衣に書きすすめながら手順を説明した。用が済んだ短剣を闇妖精に返還し、施術計画の成否を問うが副官魔女は歯噛みして首を横に振る。
「姫よ、方針は悪くないと思う。だが弱っているとは言え相手は魔王様だ。我らの総力を以てしても傷つけることは不可能だ」存在証明を引き剥がすだけならばと言い淀み、そのまま押し黙ってしまう。
「引き剥がしましょう。ただし損傷が酷い箇所に限ります。患部のみを分離させて対抗属性による焼き付けを行うことで傷を塞いで再定着させる。存在証明に魔力を巡らせることが出来れば、多少欠けていたとしても魔王様は存在を残すことが出来るのではないでしょうか?」
副官魔女はなにも応えない。方針にしても急場急場でなんとか漕ぎつけた綱渡りで、気まぐれの奇跡でしかない。決定的な要素を欠いたまま施術を進めることなど、通常ならあり得ない。
「わたくしの内にある力ならば可能なのでしょう?」
凜とした表情ではなく、穏やかな笑みに副官魔女は光明を見いだし、まだ出来ることがあることを喜んだ。
「姫が、あなたが勇者を制御しきれるなら可能だ」
ご読了、ありがとうございました。
今回もモンスターとネタをたくさんできました。
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