第三声 「わたくしはやはり美味しいお料理やお菓子を食べたいです」
某国の姫に与えられたのはジメジメとしたカビ臭い牢獄ではなく、魔王城からほど離れた湖(海と繋がったほうではない湖)に急遽用意された専用の離宮だった。魔王的にも副官魔女的に当初の予定は件の牢獄で充分だと思われていたが、小さな蜘蛛が肩を這いずる度に魔王領を滅ぼしかねない危険な存在に認定された故の措置だ。
勇者の聖属性をもつ大閃光が腐敗した紫灰の湖面を、遊泳していた獰猛な魔物ともども浄化したために腐海とも称された湖は世界でも類なき清らかさを醸していた。水棲系魔物は残らず強制的に浄化転生を強いられたが、聖獣進化までは至らず害なき水棲生物となり継続して湖を根城にしている。
湖の主として君臨していた鋼噛亀は、つぶらな瞳の島大亀へ変質。おとなしくてちょうど良いからと島大亀の背に姫の離宮が建設されたのだ。内装は姫の某国での居室を再現し、緑溢れる庭園付き。島大亀がいつ潜っても離宮が濡れないように水と風の精霊障壁も完全完備。
「あの副官魔女さん、魔王様はいつ離宮にお越し頂けるのですか?」
「魔王様はお忙しい身でいらっしゃいますので、このような場所に出向くことはそうそう御座いません。それに現在、我が魔王様が手ずから領内に湧いた羽虫の駆除されておいでです。どこかのどなた様かが起こした天災の所為でね!」
「恐ろしいですね」副官魔女は怒りに肩を震わせながら、自身が魔王領に破滅的損害をもたらしたことに無自覚の姫に対して可能な限りわかりやすいような慇懃無礼な態度で接し続けていた。夢魔を抱き枕にして離さず、聖なる大閃光に心を折られた三頭犬を乗騎代わりとした。姫の行く先をよちよちと付いてまわる白虎獣の仔も、魔物が変質させられた姿に違いなかった。
「そうだ。羽虫の駆除からお戻りの魔王様に召し上がって頂くお菓子を作りましょう! そうです、そうしましょう!」
「魔王様は甘いものは召し上がりません。そもそも魔王様ともなれば人間のような野蛮な食事は致しません」
「ではお腹が空いたらどうなさるのですか?」
「空腹などありません! 魔力の供給と魔王様による存在証明あれば、我らは存在し続けま……っ!?」
余計なことを口にしたことを後悔し副官魔女は唇を噛み締めた。
「そうなのですね。でも、わたくしはやはり美味しいお料理やお菓子を食べたいです。お腹がいっぱいになると元気になれます。元気になると楽しくなりますし嬉しいです! 副官魔女さんはどんなときが楽しいですか? どうすれば嬉しくなりますか?」
夢魔を離し三頭犬から滑り降りた某国の姫は欠片ほどの警戒も抱かずに副官魔女の両手をとり、花束でも包むように握った。
「私は」応えかけた自分を押し殺し、真綿のように柔らかい手を振り払うと副官魔女はきつく姫のあどけない顔を睨みつけた。
「あなたは我が領の人質にすぎない。姫であったのは人間の世界においてのこと。ここではただの虜囚、ただの人間の小娘だ。気安く触れるな!」
平手で頬を打たれて姫は床に倒れ込んだ。
副官魔女は再びの大閃光を警戒し身構えたが、姫は泣くことも暴れることもなくゆっくりと起き上がり変わらない表情を見せた。
「わたくしを虐げることが副官魔女さんの喜びではないでしょう? あなたがわたくしに見せている冷淡な表情は、自分を守るために必要な仮面ですものね」
手に付いた土汚れをドレスのスカートで拭い、姫は副官魔女の手を包む。
「神秘の授業であなた方魔物の生態も少し学びました。肉体的な違いと生息場所の違い。人間よりも魔法への造詣が深く適正にも優れている。そして聖なるもの、生ある存在を憎んでいる異形の怪物。それだけなんですよ」
「その通りだ、人間の小娘よ。某国の神秘学は実に的を射ているな、感心する」皮肉として口からでた言葉に副官魔女は眼前にいる人間の娘の手の感触を比べてしまう。
「我らは闇に属する者は、お前たちが希い崇める聖なる力を恐れ疎んでいる。お前と隣国の第四王子との間に生まれるであろう子は、間違いなく闇に属する我らを滅亡に導く。お前は聖なる力を身に宿し過ぎたのだ。人間の手に余るほどの奇跡をな。お前の力は我らのみならず世界を破滅させる類の呪いだ」
「かもしれません」敵意を剥き出した副官魔女とは逆に、姫の感情は渦に吸い込まれるように冷めていった。恐ろしさすら抱いてしまっていた。
◇◆◇◆◇
オリハルコンの壁材が不足しているために魔王城の謁見の間は瓦礫の片付けを優先させ、簡易の雨避け日避け用に大傘が設置された。玉座は未だに中程から寸断されたままの状態だが、領内の復興の方が急務だと魔王は指揮を副官魔女に委ねた。現在は大地竜が裂け目を埋め、大蚯蚓が崩壊した岩盤を馴らしている。それが済めば豚人や小鬼による再開拓が必要だが、先はまだまだ遠く長い。
大陸東端を包んでいた魔力を食んだ瘴気も失せたままだ。沼地に生息する毒蟲系の魔物の大半が浄化されたために瘴気が生み出せなくなっていたのだ。原因は姫が放った聖なる波動に充てられた魔物が変質して誕生した聖獣の力によるものだった。羽ばたきだけで岩山を砕いた巨怪鳥は、まばゆい炎を纏う不死鳥と化し、魔物でさえも近づくことを躊躇う毒沼竜は青天にも勝る煌めきを秘めた蒼穹竜に変質し、領内の瘴気を浄化し続けていた。
転生魔術級の奇跡で生まれた聖獣数体の駆除ともなれば近衛兵が束になっても厳しいとの判断が下され、敵対行動をとらない間は放置せよと副官魔女の指示が徹底されていた。
比較的負傷が少なかった魔王軍の精鋭部隊が人間社会との境界を昼夜の別なく警備している。各国の魔術師は瘴気の喪失にすぐ気付く。王を焚きつけ、軍を差し向けてくるのも時間の問題だ。
平時の魔王軍ならば人間の軍隊など相手にならない。各国精鋭の混成部隊であろうと退けるだけの軍事力は楽に有していた。
『脆いな。勇者の力と比べれば闇の力など、この程度でしかないのか』
玉座から立ち上がった魔王は大傘が生む日陰を出て、破壊の爪痕から領内を我が物顔で闊歩する二頭の聖獣を睨み付け、虚空から黒剣を引き出した。ミスリル鋼に真の夜を編み込み、赤く燃える彗星を喰らわせた大振りの両手剣を片手の膂力のみで取り回し、輝く不死鳥に切っ先を合わせた。
『失せろ』感情なき声音と、黒剣から放たれた真紅の稲妻が不死鳥を捉えて、一撃で爆散させた。不死者をも統べる魔王に、不死の概念など意味はなかった。
読了ありがとうございます。
ちょっと想定になかった姫と副官魔女の真面目っぽいやりとりなどを挟みつつ。
魔王領内の復興。
魔王様の戦闘などが挟まりましたが順調です。
アクセスありがとうございます!
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