第十八声 「お茶好きの友人として、そして生涯においての宿敵として」
虐殺聖女と相対する副官魔女。遠巻きに両者の成り行きを見守っていた神官戦士団は弩弓を構えたが、鷹王の一声が臨戦態勢を僅かに解かせた。
怨嗟呪法の施された者が殺された公式記録は百年以上前にしかなかった。
呪いは病原体としてばらまかれ世界を覆い尽くすまでに時間は要するも、解呪は困難。
人間の身がこの呪いに曝されたなら、およそ一週間で死に至る。
なにも知らなければ病気としか思わない。死者の軀を苗床にして呪いを生む連鎖死滅の禁術。
副官魔女の死は人類死滅の引き金に格上げされたのだ。
精霊義手の改変魔術でオリハルコンが断裂した箇所を整形し直し、傷の片端から完全治癒で治療していく。
超高難易度術式のオンパレードに副官魔女の魔力容量は一瞬にして危険値を割り込む。魔力と存在証明が直結している魔の眷族には自殺行為と同じでも、親たる存在証明を有する者を見殺しにできないという絶対的価値が魔物社会を支えているのだ。
『もう。副官魔女さんは、しょうがないんですから』
「姫魔王さま」
『でも、ありがとうございます。わたくしのために泣いて下さったこと、怒って下さったこと。決して無駄にはしませんわ』
疲れたでしょう? あとは任せて下さいね。
半身を起こした小柄な姫魔王が、何倍も年上の副官魔女を娘のように撫でつけてやった。安心したのか、疲弊が限界に達したのか、彼女は崩れ落ちるように深い眠りに落ちた。
姫魔王はふらふらと立ち上がった。転びそうになるのを近衛騎士が支える。
傷は完治しても、魔術で体力まで回復するようなことはない。
強制的に修復された傷の分だけ、強制的に体力も消耗される。
瀕死の者に治癒術式を施して死に居たる場合があるのはそのためだ。
大きな効能をもたらす治癒術式も、相手の状態を鑑みず乱用すると傷だけが治って命を失う。
副官魔女であれば、見誤ることはない。
どれだけ動揺し混乱していようと、彼女の術に謝りなどはない。
『少し予定とは違いますが、この状態であればおそらく問題は無いと思います』
「ええ。充分でしょうね。私としてはまだまだ楽しめましたのに。残念ですが」
姫魔王は、術式を解除した聖女と囁きあってから近衛騎士に副官魔女を預けた。
王侯貴族や兵士らを前に、汚れたままの姿で言葉を紡ぎ上げた。
『鷹王さま。それにご列席の皆さま。魔の者とはかくあるのだとご認識頂けましたか? わたくしたちとて構造は違えど一個の命なのです。存在そのものが脅威であることは重々承知しています。ですが傷も負うし、彼女のように主上がために激昂も暴走します。そして忠誠心だけならば、彼らは人間のそれを比べるべくもありません。わたくしを己の命として守っているのです。わたくしは魔の眷族を統べる立場にあります。このような健気な彼らを庇護し、導いていく義務と責任があります。鷹王さま、あなたと同じようにです』
「人間とはな、同じ人間を相手にしても尚、猜疑や偏見を棄てられぬ種である。容姿容貌の異なる魔の者とも成れば言うまでも無きこと。儂らはの、其方らが怖ろしいのだよ姫魔王。たかだか魔物に拐かされた娘子が平然と君主として君臨し、平和を解くために自らの身を公然と切り刻んでみせるなどと、正気でないのは明白だ。其方はもしも、あのまま死しておればどうなったと思う? 魔王という統制を失った魔物たちが大挙して押し寄せ、この国を隅から食らいつくしていたであろうよ」
『恐れながら申し上げます。鷹王さまが懸念されるようなことには断じて成りません。なぜならば、わたくしは未だ生きているからです。聖女さまがわたくしを簡単に滅ぼすことはないし、近衛騎士さまがわたくしの危機を見過ごすはずはありませんし、副官魔女さんもわたくしを助けて下さいました』
ゆえに、わたくしの為すべき為したいことは、民が窮屈でない居場所を用意してあげること。
その為ならば、如何様な苦悶苦痛でさえ喜びにしかならない。
『わたくしに誓約強制の魔術を施して下さい』
凛と、姫魔王は宣言する。
『必要ならば腕でも眼でもお好きなモノを献上致します。毒でも呪いでも飲み干しましょう。魔物らの業は総てわたくしが背負いましょう。魔物らに罪があるのならば、わたくしが咎を負いましょう。幾百幾千の人と魔物のわだかまりは、わたくしが今世において根絶することを誓いましょう』
「僭越ながら、聖浄協会が一員である私がお見届け致します。虐殺聖女の名において姫魔王の凶行は決して赦すこと適いません。お茶好きの友人として、そして生涯においての宿敵として」
◇◆◇◆◇
誓約強制魔術。
何かに対してどうするのかを宣誓することを条件に発動する。この魔術を受けた者は宣誓内容に反する行為や取ることで肉体に痛痒を与える。
強制が他者の意思を介在することに対して、誓約強制は被術者の精神的な引っかかりに反応して効果をもたらす。
何かをする。若しくは何かをしない。との宣誓に当人が違反してしまったと意識が生じた時点で苦痛が起こる。基本的に解呪には術者の同意と目的の達成が不可欠。
また術を掛けるにも、強大過ぎる姫魔王の力を削ぐ必要があった。
そんなことをできる者は限られている。従順な魔物たちでも主を傷つける行為はできない。
ならば適任がいるではないかと白羽の矢が立ったのは、魔物を滅ぼすことを手段と目的にする。
虐殺聖女。
存在証明が崩れ、理力を用いることが適わずとも、魔物を虐げることにかけて追従者はいない。
二人が示し合わせもせずに目論んだ通り、最果て国の鷹王は一応の理解を示してくれた。
姫魔王の遠い縁者という理由も加味される。某国の姫の亡き祖母君に彼女はよく似ていたのだ。
「放っておくとどんな事でも平然とやってのける。身が保たんよ」
客人として執務室に通された姫魔王が鷹王との密談で言われた言葉だった。
「儂の一存を以て区画の件はなんとかできよう。が協調はまだ難しい。其方や聖女殿ほどに人間は寛容にはなりきれぬのだ。儂とて其方でなければこのような申し出に応じる是非もない」
鷹王は新生魔王国との軍事境界区画の売却と限定付きの共同宣言に同意した。
『お礼に鷹王さまの名前をつけましょうか?』
「意地悪い娘子だ。儂を共犯に仕立て上げるのか?」
『鷹王さま。これは世界にとって善き行いなのですよ』
「遂げられるならば、そうであろう。運の悪いことに采配を握るのが某国が生んだ制約殺しの第一王女ときたものだ」
堪らぬよと、鷹王は溜息を漏らした後「棘の道では済まぬぞ。火の海に身を投げ、剣の床に横たわる覚悟はできておるのか?」
『王族として生まれて物心ついてより、わたくしの関心事は民の安寧だけです。たとえ姿が異なろうとも』
鷹王は嘆息をついて後、共同宣言の内容を精査するために文官を呼び寄せ、姫魔王は執務室の扉を閉じた。
「無事に目的を達せられましたね。これで私もお役御免となれました」
『無事にとは言い難いです。混乱を避けるために副官魔女さんには事情を語ることをしなかったのに、裏目に出てしまいました』
「往々にして世の中は巧くは参りませんわ」虐殺聖女が励ますような言葉を選んだのは、姫魔王を気遣ったわけではない。因果の巡り合わせによって、聖なる存在の代行者が、魔の眷族の首魁と肩を寄せておしゃべりに興じているのは悪夢に等しい。
それを楽しいとまで思い至っているのだから、彼女はもう仕えるべき存在から見限られたとしても言い訳はできない。
ここまで来ればと、聖女は開き直った。
毒を喰らわば皿まで。件の格言は間違いではないが、毒も皿も規格外なれば話は違ってくる。
「怨嗟呪法の脅威は効果による被害の甚大化に加えて、解呪不可能の特性が大きいです。もしも解けるとすれば相当に魔術に長けた者でないと、術式に弾かれて呪いを被ってしまうでしょう」
『救う手立ては?』
「絶望的ですね。少なくとも私にどうこうはできません。神ならぬ身で起こせる奇跡も見劣りしますわ」
『神さま、、、ですか』
「魔王とは対極にある聖なる存在なれば、見えることすら適わないでしょう。いずれにしても、副官魔女さんを早急に封印することをご助言致します。万が一彼女が命つきることあれば世界から生命に属する者は滅びます」
姫魔王は熟考を重ねた。
副官魔女を救うことが大前提だ。
彼女が自信に科した禁断の魔術を解呪するには不死魔術師の力を借りようとも不可能であるらしい。これが別の誰かであったなら、副官魔女に任せれば良かった。彼女ならば禁断魔術のひとつやふたつ解呪して然るべきだろう。
副官魔女が、姫魔王のために身を投げ出した自爆魔術を行使することを読み切ることができなかった。悔やんでも悔やみきれないし、意味も無い。
ならば、動く他にできることはない。
王とは、常に行動を以て意思を示すもの。
それが姫魔王の理想とする道だ。
『聖女さま。再三に渡ってのお願いをもうひとつだけ追加して頂けますか?』
「札遊戯の負け分と、借りの分は返したと存じます。これ以上を望むのならば、対価を頂きますわ」
『お好きなものを差し上げます。ですからわたくしを聖浄協会までご案内下さい』
姫魔王に躊躇いはなく、虐殺聖女は興奮気味に笑みをこぼす。
「全く、あなたは私を飽きさせてはくれませんね」
肯定の意に安堵する間もなく、姫魔王は新たな決意を薄い胸に宿していた。
『次のお相手は神さまです』
読了ありがとうございました!
今話で第二章も終了とさせて頂きます。
次回からは「姫魔王が神さまを相手に色々する」的な章になります。
徐々に執筆ペースの減退には心を砕きながらも、なんとか描き上げたいと思います。
すでに、想定プロットがほぼ機能していませんが頑張ります!
ご感想やアクセスでの応援を、これからもお願いします!