第十六声 「可愛いことをほざきおるな姫魔王よ」
最果ての国。城塞都市としての機能を併せ持つ都市国家。首都は三段構えの堅牢な城壁に囲まれ、壁には堀と跳ね橋も完備されている。街には開拓民がそのまま農民や技術者として住まい、家族を作って人口を増やしてきたが、流れてくるままに居座ってしまう物の数の方が圧倒的に多かった。
腕に自信のある者や、食にあぶれた無頼な輩は引っ切りなしに流入してくる。戦争状態であれば彼らにもお声が掛かり軍事境界区間に配属されるのだが、今の最果て国は戦時でも平時でもない。
王侯貴族は魔物の侵略を危惧し戦力の維持のみに固執している。
金策に明け暮れ、民衆の税金は跳ね上がる。普通に暮らす者は堪ったものではない。
国を離れる者も多い。
代わって得体の知れない難民同然の無頼が職を求めて訪れる。彼らは訓練さえしていれば食うには困らない。緊張感の潰えた訓練で士気は保てない。
かと言って魔物の隣にあって軍を縮小することもできない。
八方塞がりが、この最果て国の有様なのだ。
「ご無礼をいたしました」壮年将軍が王城の一室に魔王国一行を通してから大きく息をついた。
いつ魔法で撃ち抜かれるとか。
部下の神官戦士団の弩弓で射貫かれるとか。
魔物たちの小さな元首の影から首無騎士が戦車ごと飛び出してくるとか。
考えただけでぞっとすることばかりだ。
背後に感じる明確な悪寒は、件の姫魔王に他ならない。
神官戦士団は部屋の四隅で待機している。全員、壮年将軍の息がかかった者ばかり。
息苦しさから僅かに解放されつつ、過去に数回見たことのある幼い顔立ちを記憶の底から引っ張り出して、壮年将軍は微かに残る記憶と照合していた。
幾ばくかの時間を過ぎて、姫魔王と近衛騎士の青年、副官魔女の三人は謁見の間に案内された。国中の王侯貴族と親衛隊が居並んでは少々窮屈な広さは否めないが、現在は国王と一部の側近や貴族、親衛隊が玉座の付近におわして、それ以外の広間は百を超える神官戦士団が対魔銀の武器を手に三人の魔物を警戒していた。
神官戦士団の一角には見慣れ、よく知った風体の女性が嫋やかな笑みを浮かべている。
聖浄協会の虐殺聖女が、身の丈に等しい銀の刃器を腰帯から吊っている。
魔術の素養がある者ならば発せられる理力の桁に驚愕せしめるほどの逸品だ。
姫魔王は目配せだけで聖女と会話し、一旦膝をついてから本丸である玉座の人物を仰ぎ見た。
最果て国が王。
年かさは姫魔王の父王と同じ頃。深く刻まれた眉間のしわ。鉤鼻と眼光は猛禽類さながらでついたあだ名は鷹王。華美な服装を好まず質実剛健。ゆったりとした衣服が着込んでいる鎖帷子や鎧下で膨らんでいるが、鷹王本人はげっそりと痩せ細っていた。肌の血色や目元の隈取りは化粧でも隠しきれていない。
いつ倒れてもおかしくないほどに、鷹王は疲弊し損耗していた。
「久しいの某国が姫君よ。最期に会うた五年前が昨日のことのように感じる。儂も年を食ったものだ。其方は変わらぬな。晩餐会で大暴れしたあの頃と……」
『大変申し訳ありませんが』鷹王の渇いた声音を遮り、小柄な娘子が澄んだ響きを無遠慮に投げ被せた。
『わたくしは現在、大陸東端一帯を国土とする新生魔王国が元首の姫魔王です。どなた様かに似ているのやも知れませんが、全く身に覚えのないこと。わたくし姫魔王が鷹王さまを拝謁するのは初めてにございます』
「そうであったな。貴殿が知己の娘に似ておった故の勘違いだ。かの娘に見えたようで気が緩んでしまった。では本題といこうか魔王国が元首、姫魔王とやら」
『話が早くて助かります。此度わたくしたちが訪れたのは、最果て国とわが新生魔王国との間に永続的不可侵条約を締結するためです。また同時に両国間においての友好を表す共同声明を頂きたく参じた次第です』
「吹きおったな魔物の主よ」
集った者たちにざわめきが起こった。
新生魔王国との不可侵条約。なし崩しでも結果論でもなく明文化された国同士の正式な条約。
それが本当ならば、と誰もが微かな希望に目を輝かせた。
「残念ながら適わぬな魔王国が元首よ。そもそも新生魔王国を国家と認識しておるのは当の本人たちばかり。儂も世界連合も貴殿らを国家とは見做しておらんよ。当然であろう。考えてもみよ。無頼な集団が突如国家を銘打って無辜な旅人を襲って回った。理由を尋ねると国家の領土を無断で侵犯した侵略者を誅したと宣う。歴史も伝統も信用も利益も、法すら持たぬならず者どもを、何故に国などと見なせる?」
『わが国は過去に交流が少なく世間の衆目にも曝される機会も持ちませんでした。信用は兎も角、歴史と伝統と法と、そして利益は持ち合わせておりますわ』
ほう。鷹王と称される人物は大いに愉快な表情を浮かべた。
それどころか、声に出して笑ったのだ。
「面白いことをほざいたな魔物の主よ。よりにもよって、この最果ての国の王である儂の前でそれを言うか? 永年に渡って魔物の侵略に恐れおののき、国家を危機に瀕しせしめた愚王であるこの儂にか!?」
『ご無礼ながら申し上げます。鷹王さまが真に愚王であったならば、このような回りくどいことは致しません。これは集合体の長同士が語らい、歩調や行く末を確かめ合うためのもの。……とは言えど俄には信じられないであろう事も理解しております。不可侵条約に調印して頂けるならば、新生魔王国が軍事境界区画を買い取らせて頂きます』
副官魔女が懐から布地に包んだ短剣を取り出し、王たちに献上するように掲げて見せた。純金にしては輝きが鈍く、しかし陽光を受けると青紫色に照り返る。
戸惑い、警戒を緩めないように壮年将軍が受け取り改める。
そして目を見開き、嘆息をもらした。
「オリハルコンです。純度もかなり高いと思われます」
広間のざわめきにも鷹王は動じない。相対する小娘魔王の出方を窺い、確かめる。
人間では加工も精製できない魔法金属。
「魔の眷族を傷つけるに至るオリハルコンを代価とするか。自らの首を絞めることすら厭わぬのは蛮勇もしくは蒙昧とも言えるの」
続きを、と鷹王が促した。
『我が国が買い取った上でどの国にも属さない互いの中立地帯と成し、新たな共同体を創設します。人間も魔物も、貴族も奴隷も、国王であっても平民であっても聖女であっても魔王であっても平等です。ともに一個の生命としての自由と尊厳を認知できる楽園街とするのです』
「可愛いことをほざきおるな姫魔王よ。そのような提案に誰が乗ると思うのかね? 儂が条件を飲むと思われていたのであれば心外の極みだ。不敬に値する」
『履行する証拠は他にご用意できませんでした。証明するにも時間が掛かりますし、了承を得ることが難しいとも知っております』
「当然であろうよ。人間と魔物はどこまで行っても相容れぬ。無論例外はいつ如何なる時もある。件の楽園街に活路を見出せる者も、魔の眷族と共生できる者もおるだろうよ。だが儂はその範疇にはない。儂は一個の人間である前に王である。愚かなれども、臣下や民に危を招くような愚をこれ以上行うわけにはいかぬな」
『為政者としてはご立派なお考えです。わたくしとて為政者です。鷹王の治世に比べるべきもない。若輩者の甘い戯れ言でしかないのでしょう。なればこそです。わたくしの意思や想いは、わたくしであるから抱ける理想の断片であって、他の誰にも描けぬ夢だと自負しております』
「済まないがな姫魔王よ。理想で国が立ちゆくのは最初だけで、そうでなければ人間などとうの昔に滅んでおるわ。よもや自分だけには可能などとは言うまいな? それこそ狂気に犯された輩の言に他ならん」
『わたくしには提案すること、証明することしか適いません』
「証とはそのオリハルコンであろう。いくら積まれようとも魔王に国を売ることはできんな」
『いいえ。わたくしが持ちうるものは元より唯一。では聖女さま』
しゃらん。腰帯に吊られた退魔の銀鈴が啼いた。
たかが鈴のひと鳴りなれど、この場に下級の魔物がいたのなら両耳を塞ぎ悶え苦しんでいただろう。
姫魔王、近衛騎士の青年はおくびにも出さない。副官魔女だけが、銀鈴の嘲笑に脂汗を浮かべている。
短剣を。虐殺聖女が蠱惑的に壮年将軍の手からオリハルコンの短剣を借り受け進み行く。
鈴の音が止んだときには、彼女は姫魔王の数歩前に佇んで、昏い笑みを浮かべていた。
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