第十五声 「トリミングされたお髭がなんとも凛々しいのですね」
「お勤めご苦労様でした」百合に似た嫋やかなお辞儀で二人を出迎えた虐殺聖女は、主のすぐ後ろを歩いていた近衛騎士の青年に一礼してから、甘えじゃれてくる姫魔王を抱擁で捕まえて、少しだけ伸びた髪の毛に自身の指を通した。白蝋とも賞されたこともある指枝も、流石に白銀に勝る王族の――魔王の――御髪には敵わない。さらさらとした手触りを純粋に愉しむように爪弾くように愛でてから「お帰りなさい」と耳元に囁いた。
ただいまです。虐殺聖女の胸の感触を充分に堪能してから姫魔王は抱擁を脱して、慣れた姫ポーズでスカートをつまみ上げた。
「彼らは予定通りに?」
『ええ。暴行を重ねた娘さん方とそのご家族に謝罪を終えてから、官憲さんに引き渡しました。もう隠し立てることはないでしょう。窃盗・誘拐・暴行・強姦・脅迫・恐喝・虚偽・殺人・遺棄などなど治安騒乱・国土荒廃の罪は自首によって減刑できる限りを越えています。彼らも覚悟の上です。自供によって総てが明らかになるでしょう』
彼らの隊は最たるものだったが、前線の兵達の風紀や規範意識の低下に国も実態調査を進める方向に動くはずだと小柄な村娘は括り酒場の扉をくぐった。
根城にしている酒場から客足を遠退けて半年。すっかり指定席となった中央には魔王国からは特注の円卓と飾り椅子を人数分配してある。
上座に小さなお尻を預けるのを待ち構えていた夢魔次女が主の靴と靴下を恭しくむしり取った。用意した木桶に姫魔王が足を浸けると、香油を垂らしたぬるま湯を掛け流す。早朝に出て、夕刻の今の今まで歩き通しであっただろう子鹿のような御御足をしっかりと揉み込み始めた。
こそばゆさと気持ち良さに顔を蕩けさせる頭目を余所に、近衛騎士の青年と副官長女が姫魔王を挟むように掛けると、虐殺聖女は姫魔王の真向かい側に座った。
『これでようやく本来の目的に移ることがれきます。色々と例外・誤解・紆余曲折は生ずれどわりゃくしたち新生魔王国は以前にょ宣誓通り、武力を用いずに世界を征服致しまひゅっ!?』
くすぐったかった足裏の刺激に上げた声に青年は頬を緩ませて、聖女も笑みをこぼした。
足の手入れを終えた夢魔次女を見送っても副官長女だけは、強く視線を固定したままでいる。緊張でも警戒でもなく、姿勢と心構えを全うする意味で彼女は虐殺聖女に視線を合わせていた。
聖女もささやかに微笑み返してから、真正面で身震いする小さな魔の主に問いを投げて反応を見ることにした。
「全世界の首脳に大して行った例の演説ですね。ええ勿論、拝見いたしました。大仰で、不遜で、大層にご立派でしたわ」それで――――。虐殺聖女が続きを促した。具体的な方法論のことだ。
姫魔王は断言していた。
武力を用いない。
恒久的な平和実現。
世界征服。
「それにこうも謳われておりますね。魔物というだけで命に差異はなく、大陸東端に閉じ込められるのはおかしいと」
姫魔王はキラキラと瞳を煌めきに包んでから鷹揚に頷いた。
『揚げ足を取りますが、武力は可能な限り用いませんと言ったはずです。わたくしは非武装平和主義を唱えるほど優秀でも蒙昧でもありませんよ』
確かに、と。
虐殺聖女は満足げ目を閉じてから、ナニカを差し出すようにに掌を返した。
若しくは、ナニカを受け取らんとして差し出していた。
「我が聖浄協会による件の宣戦布告を解釈するならば、新生魔王国の強大な魔術による完全抑圧・抑止力下による均衡を狙った、背筋も凍るような恐怖統治を画策していると結論付けられました」
『面白いお考えですね。わたくしには百年経っても思いつきもしないし、絶対に取り得ない戦略方法論です』
ちょうど夢魔次女が紅花茶を人数分円卓に並べて、配る。
姫魔王はソーサーごと手に取ったカップの甘酸っぱい芳香で鼻孔を満たし、口をつけた。
『わたくしたちの執るべき手段は唯一、話し合い、交渉、言いくるめによる超平和的かつ損耗率ゼロのエコ戦術の一択です! それ以外に興味はありません!』
「清々しく言い切りましたね。では改めてお聞き致しますわ、魔王な姫様。この最果ての国をどう墜とすお積もりですか? 貴女方には恐怖をもたらさぬ代わりの隷属または追従・支配以外に与えるべき物はなく、この国が欲する物はそれ以外ないのですよ」
『だったら一緒にいらっしゃいますか聖女さま? この最果ての国の王様のところに。こう見えても、わたくしは顔も器も広いんですよ』
◇◆◇◆◇
大陸東端の新生魔王国領との境目は元々、最果ての国の国土だった。それを世界連合が軍事境界区域として接収した為に、最果ての国は縦長い部分だけが残された。摂取されたのは国土の三分の一。
世界連合が完全に撤退してからも、各国からの借金や援助によりかろうじて維持されている。形だけが残っているだけだ。実態は、無頼漢を国費で養っていただけの遊興施設にすぎない。自国を貶めて陥れる原因を、血税で作っていたのだ。突き詰めるならば、国民は自分たちを侵し脅かすための納税をしたことになる。
誰に確かめるまでもなく間違いなのだ。
間違いは正すべきだとは潔癖的だとしても、正した方が善いことは往々にして少なくない。
ならば善は急ぐべきだ。
多少の無理ならば効くし、多少に収まりきらない弊害や障害があったとしても、踏み越える手立ては両手足の指の数よりも多いのだ。
王宮までの道程。前線基地のある村から馬を走らせても二日は要するが不死魔術師の転移魔術にかかれば瞬間き五回半で辿り着ける。
街はずれの荒れた路を首無き不吉な馬を二頭立てにした戦車が走り、首無騎士が御者する。
姫魔王と近衛騎士の青年と副官魔女の三者が正装に身を包んでいた。
時刻はおよそ真昼過ぎ。
太陽光燦々に燃え尽きそうな首無騎士は弱点耐性の魔術効果で一命を取り留めているが、陽光下の出動に些か緊張気味だ。
副官魔女にしても、堂々と人間社会へ赴いたのは前例がなく手に汗を握り動揺を押し隠す。人里に入ると、徐々に首無戦車の存在を目撃する機会は増える。横切っても呆気に取られているだけで、後方から悲鳴が上がる。行き違う対向馬車は驚天動地の状況に馬を暴れさせてしまうが、副官魔女の樹縛が馬車ごと安定させるので大きな事故には至らない。
しかし、大きな事件にはなっていた。
真昼の主街道を首無し馬の戦車が遊走している事態は正気の沙汰ではなく、狂気の沙汰でしかない。王城のある首都の外壁門を前に入都手続きを行う兵士や人々は大混乱に陥る。戦車から飛び降りた小柄な娘子が自らの存在を主張し、国王への謁見を願い出ても尚、混乱は収まることはなかった。
首都にある防衛戦力が残さず外壁門に投入され、三人と首無騎士を遠巻きに囲む。
国民が狂気に落ちて避難暴動や略奪に走らなかったのは、優秀な副官が大規模拡大した鎮静を施した効能による。
兵士たちの檻に囲まれて待つこと一時間。彼らを率いる壮年将軍が数歩だけ前に歩みでて、再度の目的を尋ねた。
『わたくしは元某国が第一王女にして、現在は大陸東端を治める新生魔王国が元首であります。此度は隣国のよしみにて、最果て国の賢王に御挨拶を兼ねた和平の提案を以て参いりました』
姫微笑からの姫姿勢を披露してから、白髪混じりの将軍ににこりと笑いかけた。
『トリミングされたお髭がなんとも凛々しいのですね』
彼は答えずに対魔装備の神官戦士団に周囲を取り囲むように指示をする。
もしもの場合は自身もろともに弩弓の雨を浴びせることも範囲内とも言い含めてある。銀の鏃に魔滅の刻印が施された対魔武器の先端は五十。高位の魔物でも当たれば無事では済まない。
「聖浄協会の使者より話は聞いている。ついてこい」ぶっきらぼうな口調は壮年将軍の好むべきではないが、彼は無感情に徹して役割を果たすことだけに従事していた。
『それではお二人とも、参りましょうか? これから先が勝負です』
首無騎士と付属品を影の中に墜として、姫魔王は歩を進めた。
名の通りに悪魔的な表情を貼り付けて、先を行く壮年将軍の背に照準を合わせた。
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