第十四声 「激辛激マズのお料理に悶絶すること請け合いです!」
高位魔術師の強制を施された者は、術を掛けた者からの命令を遵守しなければ全身を苦痛が襲う。解呪魔術により、施術者の精度を上回らない限りは永久に苦痛は継続される恐るべき隷従の法だ。一部の地域では犯罪者に掛ける場合が見られるが、まっとうな思考の持ち主であれば非人道的な方法を行使しようとは思わない。
この強制を発展させた術こそが制約強化という外法。
世界七大禁忌にも指定されている有用的な呪いの一種。術を施された者は肉体の能力に加え、体内で生成できる魔力や理力を大幅に増大させる外法中の外法。
強制同様に術を施される際には抗魔力抵抗により施術を免れることができるが、大抵の場合は抗う術を奪った上での行使に至る。若しくは自ら進んで術にかかる。
抵抗しない、それだけで一生を費やしても届かないくらいの才と能力が手に入るのだ。
ただし強制の内容には施術者への服従が絶対条件に含まれており、制約強化を破った場合の苦痛は死に直結する。
万が一免れることができても、廃人同然になるほどに強烈な魔術だ。
術の効果は、魔に属する総ての存在を完全に滅ぼすこと。
聖浄協会が生み出した初期の対魔術で、現在に至っては施された者は独りとしていないとされていた。
この魔術の解くには強烈な解呪魔術や除去魔術をぶつけて相殺するだけでは済まない。複雑に織り込まれたガウンの糸が傷つかないように解していくのは並大抵の集中力ではなしえない苦行だ。術を受ける者も、術技に燃え尽きない精神力が要求される。
制約強化自体にも解呪対策として幾つもの複雑な仕掛けが施されている。
並の魔術師では解呪に挑む気すら起こらない。解呪失敗の余波は施術者・被術者の両方に及ぶ。
存在証明の剥離・修復術の難易度とは比べるべくもないが、容易でもない。
それとて並の魔術師では、と冠がつく。
副官長女にとってならば難しいことではないのだ。
魔王総体に意識を奪われた折に構築された改変魔術を再現する。解呪、除去、拡大、鋭利化。さらに五つ目の抵抗魔術を組紐のように編んで、編み上げて形成する新たなる魔女の術技。
十三の爪を持つ獣の凶腕ではない。
銘打つならば、虹の色彩を備えた呪いを断ち切る精霊の御手。
高位の改変魔術で、心魂に深く根ざした制約強化を引き剥がされたことで、虐殺聖女の発作症状は収まり、強力な理力の波動は失われた。
視覚はまともに機能せず、ぼやけた先で何者かが高度な解呪を試みている。それは成功したらしいと肉体と精神が軛から解き放たれたことを知る。
咳き込むだけで声にならない声を無理に押し出して発せられた音は「なぜ、私を殺しませんの?」純粋な疑問だった。
「魔の眷族においても、そうするのが正しいし効率的なのでしょうね」
女の無感情な声が端的にだけ返される。
改変魔術が収束したようで熱が消え失せた。
喉や胃を引き裂くような制約強化の苦しみも途中から和らいでいた。
はあはあと豊かな双丘を上下させ、頬も赤く上気する様。
「我々の新しい統治者は些か以上に変わり者。戦いを良しとしながら争いを好まない。それが現在の我々の君主であるならば従う他はないでしょう」
魔力調整で癒着痕をならし治癒への道筋を立てていく。元通りとはいかずとも簡易的に魔力を巡らせる程度の処置ならば不可能ではない。
僅かに呻きをもらす虐殺聖女を一瞥して、副官魔女は立ち上がり膝の砂を払った。
「ただの三ヶ月余りだが、あの御方と寝食を共にすれば自分が如何に愚かしいかが判る。我らの意地も定理も笑いながら踏み越えていくあの姫魔王は、誰にとっても災厄」
なればこそ、と。
術技の終了を示すように立ち上がった副官長女は膝の土を払った。
「魔の眷族の統治者に相応しいのかもしれない」
虐殺聖女の呼吸が徐々に和らぐ、副官長女は続けた。
「我らの意地も定理も笑いながら踏み越えていくあの姫魔王は、誰にとっても災厄です。なればこそ魔の眷族の統治者に相応しい」
乾いた言霊に満足したように虐殺聖女は意識を深い闇に横たえ、穏やかな眠りに着いた。
◇◆◇◆◇
『謝って下さい。全身全霊、全力全開、心魂込めて、これ以上ないくらいに、もう伏礼で床の建材を突き破る気迫で、瀕死になるまでです。治癒魔術はいくらでもできます! 準備万端です! さあ思う存分に謝って謝って謝り果てて下さいな』
仮住まいになっている酒場の椅子に立ち上がった姫魔王が高らかに宣言したのは、血塗れで意識喪失で連れ帰られてから十日が過ぎてからのこと。
ざんばらに斬られた白銀の髪は世話好きな夢魔次女が丁寧に揃えた。
ベリーショートの髪は項を涼やかにさらけ出すのに慣れないのか、しきりに後頭から頸への曲線を触っている。
顔の傷は生々しく刻まれたままだが、夢魔次女が無添加の白粉を塗りたくって大半は見えない。額の斜線が最も深く白粉では隠せない為の処置なのか、端切れを繕い合わせたバンダナが巻かれている。
血塗れた村娘服の代わりに、小柄な農夫のつなぎに身を包み、煮鍋とお玉をカンカンと打ち鳴らす。
新米の海賊給仕然と金属音を鳴り聞かせるのは夜明けを報せるためではない。
姫魔王なりに知恵を絞った末の、反省を促す不協和音だ。
「あーはいはい、オレたちが悪かった反省してるぜ」
『ぶぶー、不合格! やり直し』
「うるっせえんだよクソガキが、最初っから謝るくらいなら悪事はやんねぇよバカが!」
『ぶふぶーー! 大不合格です! 品がない上にわたくしへの侮辱も加味するなんて以ての外です! 本日のお食事当番はわたくしに決まりです。たった今決定しました! 激辛激マズのお料理に悶絶すること請け合いです!』
ぷうーと頬を膨らませて煮鍋をカンカン鳴らしながら『はい、もう一度!』と縛られた八人の男共に檄を飛ばしていた。
誰と問うことない。前線基地の第二分砦の遊撃隊長と子飼いの部下七人だ。
姫魔王の当初からの案は単純明快。
加害者が被害者に謝罪させることだった。
◇◆◇◆◇
生前最期の記憶と激情が綯い交ぜになり、その深さが新任薬師を地縛していた。
不死魔術師の抗えない命令にその身を保護された薬師の青年は言葉を話すこともできずに、主命に背くことも許されず、本能のままに敵意を顕すこともままならない状態で緩やかな拘束を受けていた。
亡霊を没地から切離し、縛り付け直すことなど不死魔術師には容易なことだが、現在は姫魔王の体の一部を間借りしている状態だ。ことの一部始終を見聞きしながら怒りとやるせなさに心を砕いている。
逝くことも、返ることもできない。
あと少し遅ければ、彼は亡霊の域を逸脱し、妖霊・邪霊の類に格を堕としていた。
残留した激情のままに滅ぼされるまで命を奪い尽くしていたはずだった。
新任薬師に落ち度はなかった。
運悪く赴任してきて、数ヶ月もたたないうちに悪党の憂さ晴らしで命を奪われた。
事故に遭ったようなものだとか、運が悪かったで済ませられることではない。
新任薬師の亡霊の心魂が穢れ堕ちることがなかったのは、仮宿主の想いの賜物だ。
強く、響くよう。
重く、打ちつけるように。
大きく、迸るように。
姫魔王。
さらわれた某国の姫の心は、憤りの焔が栄えて、悲哀の雨が濡らす。
嵐も斯くやの小さな胸の内に確信として確定的なことはひとつ。
『前途ある若者の希望と未来を踏みにじった罪は大きく、絶対に贖わなければならない』
『どんな手段を用いても償わなければならない』
『その上で共同体としての罰を下す』
『人間の法で裁く』
姫魔王の考えは最初から一片も変わらず、一貫していた。
新任薬師の亡霊は、仮宿主の感情に抱かれ、守られ、癒され、勇気付けられた。
八人の悪漢に命の尊さを説き、法の必要性教え、罪の愚かさを諭す。
幼子が親兄弟、親類縁者、地域住民、教会や学舎で学ぶごく当たり前の徳。
日毎。朝から夜まで。
休憩や食事を共にし、次第に拘束を解き、逃げ出せば追いかけて連れ戻し、また同じ毎日を繰り返す。
半年ほどが過ぎた。
悪漢の誰かが、泣き崩れた。
堰を切ったように何人もが涙ながらに謝意を口にし出す。
新任薬師の亡霊が視えるようになったわけでもない。
悪漢たちが、自責に押し潰されたのだ。
極悪非道が総てだった遊撃隊長でさえ、新任薬師を殺めた場所に赴き、最大限の謝意を見せた。
誰がどう見ても否定の余地のない謝罪意。
亡霊は無いはずの胸の内の熱さに心魂を震わせて、静かに仮宿の肉体を離れた。
姫魔王と彼女を取り巻く者たちに礼の姿勢をとるが、果たして想い通じたかは判らないままだ。
温もりの方向へ進路をとり、訪れる浮遊感に身を任せた。
『あなたのことは救えませんでした』
少しだけ伸びた白銀の髪の、小柄な少女が深く頭を下げ見送りの言葉を告げる。
だから亡霊だった新任薬師も声なき想いを伝えてから逝くことにしたのだ。
――――ありがとう――――たすかりました――――おげんきで――――
薄い胸の奥を貸し与えていた場所が空になり、存在だけを残して、痕跡ひとつ残さず失われていた。
読了ありがとうございました。
二日に一度更新予定が体調不良・精神不調にて更新遅れました。
申し訳なく思います。