第十二声 「わたくしの色は血濡れの赤です」
「申し訳ありません。誘眠に手間取りました」
「いいや、助かった。この男の精神力は並ではない。強固にして稀有。お前の助成がなければ倒れ伏していたのは俺かもしれない。礼を言う」
副官長女が倒れた部下達にも拡大した誘眠をかけて、夢魔次女は眠りについた者から荒縄で縛って、頭部を除いて麻袋に詰めた。
「標的の監視が疎かになりました」
「仕方ない。こいつらがこの酒場を襲撃してくれたことを善しとしておこう。犠牲者が増えずに済んだ、姫も安堵するはずだ」
それよりと、元魔王の青年は姫魔王の動向を確認する。心身共有を遮断した副官長女には知るよしもない。さも当然のように居合わせた浄い波動の聖女に気取られないように、独断で魔術を解いてしまった。
「怖ろしかったのです。あれは間違いなく聖浄協会の虐殺聖女。軍事境界区画を守る神官戦士団などよりも遥かに凶悪で残忍な殺戮者です。わたしの里は、あれ単独に滅ぼされました。長老も母も、妹も」
「賢人の末裔が隠れ住まう里、西の山間の国だと以前聞いたな」
「魔術の付与を求めて長老を訪ねてきた者がおりました。わたしはまだ幼子だったので詳しくは憶えておりませんが、旅の冒険者のような出で立ちの屈強な男でした。男は幾日か逗留して長老の洞に出入りしていましたが、結局は里から姿を消して……そしてあの女が現れました。」
あとは先程聞いた事実が総て。副官長女の故郷は虐殺聖女によって滅ぼされて、幼い副官長女だけが逃げ延びた。
「お前には悪いが仇を討ってやるとは言えない」
「当然です。強者が総て、この原則が魔の眷族の秩序です」
「それもあるが、単純に実力としてだ」
そうですね、副官長女は自身と青年との間に齟齬があったことに自嘲して苦笑した。
彼は並の人間などでは及ばないくらい強い魔剣士であり、現存統治者の近衛騎士。現状の立場こそ同じ位置にはあるが、元君主の青年に対しての感情はすんなり整理することはできない。
「この聖なる波動は村を丸ごと包むように放たれている。罠か、遅効性の術式か」
「まだ判別はできません」一旦感傷を押し殺して、副官長女は姫魔王の側近としての表情になった。
「魔術の類ではなく、聖なる眷族の特性ではないかと。範囲こそ広く感じられますが込められた理力の質は薄弱そのもの。水面に水滴を一定の間隔で落とすような印象を受けます」
「魔力探知か、魔力逆探知の線が濃厚か?」
「おそらくとしか」敵の狙いを推測してみるものの、相手は虐殺聖女。目的も手段も殺戮しかない。
「この聖なる波紋が探索しているのは人でも魔力でもなく、魔の眷族なのでしょう。この地に在る我らの位置を暴き出し皆殺し、滅ぼすための準備と推測できます」
「魔種探知、聖なる眷族の専売特許か」
「あれは加虐と暴虐の化身で、罠を用いることも多勢で待ち受けることもしない。単体単独で破滅の舞台演劇を主演として主賓として楽しめるだけ楽しみ尽くす。そういった厄災」
「ならば堂々と迎えに行けるのだな。心身共有をが解かれて半時間、嫌な予感しかしない。あの姫がこんなに大人しいのが気にかかる」
存在証明を経て現存統治者からの魔力は供給されている。
まだ大事には至っていないことを表すが、まだ起こっていないことしか判りようがない。
何故ならば、あの姫魔王の性格だ。
「まばたきして、次には例の大暴発だって起こり得る。俺達の主はそういう爆弾姫魔王だからな」
穏やかに笑う青年の表情に魅入る。
この青年を唯一主君として仕えてきた。信頼して敬愛して、慕いさえした。
こんな表情が見たかったと想い募らせていた。
だから、悔しいけど認める。
副官魔女ではできなかった。
副官魔女がずっと脳裏に描いていた愚かしい幻想を、無茶苦茶な姫魔王はいとも簡単に叶えてしまっていた。
「迎えに行くか、共にな」
差し出された手を、副官長女は力強く握り、姫魔王奪還作戦を脳内で始動させた。
必ず成功するのだと、言い聞かせて。
◇◆◇◆◇
「あらあら、まあまあ大変ですわ。あれほど気を付けて下さいと申し上げましたのに、こんなに血が溢れて。それに具合も悪そうね」
うふふふと、聖女は加虐的な悦を剥き出しに昏く嗤う。
「お気に、なさいますな聖女さま。札同士の帯雷で少々手元が狂っただけのことです。指も落ちてはおりませんよ、ほら」
右手の指は健在だが、滝のような血が質素な服を真紅のドレスに染め上げる。姫魔王の童顔は平時となんら変わらない。怒りも痛みも感じさせない極上の姫微笑で応じ、深々と割れた人差し指をペロリと舐めた。
改めて姫魔王は七枚一山の札束を慎重に手に取り、掌の上で滑らせるように色彩を確かめる。
札に込められた鋭い雷撃が指に繋がる筋肉を振るわせる。最初に姫魔王が指を切り裂かれた原因の仕掛けを手首や腕の動きで緩和させなければならない。
それに加え、お茶に含まれた聖水が内側から胃を溶かすようにキリキリと痛みだしてきた。喉も鼻孔も焼けるように熱い。
一瞬の気の緩みで五指が骨ごと地に落ちることも、ミスリル鋼なら充分起こり得るのだ。
「お嬢さん。虚偽だと捉えられても仕方がないけれど、私は今とても嬉しいの。とてもとても幸せよ。貴女はどうしようもなく、私が欲しい言葉で、私の欲しい行動で、私の欲しい幸福をもたらしてくれているわ。出会ってまだ一時間も過ぎていないのに、私の心奥を射貫くように見透かして、欠けた器を埋め合わせて、空っぽの瓶に甘くて綺麗な水を満たしてくれる」
「存外に馬が合うのでしょう。お茶も札遊戯もそれ以外の趣向も、もし機会が訪れることがあるのなら良き友人となり得たのでしょうね」
「親しき友。心を許せる友。どちらも等しく崇高なあり方だと思いますわ」
「もうひとつ、真の友をお忘れですよ聖女さま」
聖女は裏向きの札を一枚を姫魔王の前に置く。応じるように姫魔王も血塗れの札を向かうように置いた。
両者とも残りの札は相手に見えないように重ねて山札としている。
片や精緻な意匠を施されたミスリル鋼の銀色。
片や血の海に溺れた金臭い薄刃の凶器。
双方の初手はまみえて、雌雄を決する刻を待ちわびる。
「理解っていますでしょう? 気付いているでしょう? この札遊戯の規則の落とし穴と歪さに」
殊の外、饒舌な聖女は我慢しきれないと舌舐めずりをして、豊満な自身の胸に手を差し込んで首飾りのチェーンを引きちぎり取り出したミスリル鋼の十字架に口づける。
理力を最大限込められた十字架を剣の柄のように握る。
それぞれの端から聖なる力場を放出し、人ひとり分の光刃を迸らせていた。
聖女の波動に感化された結界が、雷流の出力を限界まで引き上げる。
魔に属する姫魔王を焼き尽くさんがために、最大の雷撃となる。
「もちろんですとも。明暗札二枚を交えた、白と色彩と黒の巡りに必勝法が存在すること。その条件さえ満たせば初手だけで勝利できる仕組みのことも」
姫魔王は冷たく微笑んで、口角を引き上げた。
束ね髪を結ったリボンは密度の濃い聖女の波動のに耐えきれずに塵へと変換され、自由を取り戻した上質の髪は宙へ上らんとする白銀の滝の如く煌めく。白光している。美しさは既にミスリル鋼では及ばない。
暗紫の瞳は澱みを深めて、終には黒紫へ濁る。
極めつけに前髪がもそもそと盛り上がり、奥から控えめな双突起が顔をだしたのだ。
「お可愛いこと。ツノが生えておいでですわよ、お嬢さん。それとも獣人さんなのかしら」
十字聖剣は穢れたモノの血を求めて猛り狂う。
姫魔王の背負い纏う魔力も同様だ。抑制を逸した休火山が噴火活動に移項する半歩手前。
一触即発。
「聖女さま、これは土筆というものですよ。では勝負です」
姫魔王の合図で、聖女は待ちきれずに札をめくる。
ミスリル鋼の意匠裏面は、真黒皇鉱の鈍い黒面札が聖女の波動に照らされて現出した。
「……くろ、ですか」
「私が白い札を出すと思っていたのでしょう? 読みが外れたようですね。お嬢さんの札も黒なのですから、まだ五分五分ですわ」
冷笑のまま固まった聖女の表情が総てを表していた。聖女が持ちかけた札遊戯の性質を彼女は誰よりも知っている。必勝法だろうが、必敗法だろうが、必分け法であろうがだ。
「なるほど。お茶請けと札遊戯はそういう意味なのですね。聖女さまは初めから札を用いて遊ぶのではなく、札を使って加虐せしめることを指して札遊戯と呼称していた。お茶の聖水にしても、結界の雷撃にしても陰険な仕掛けがお得意とお見受けします」
「新生魔王国が元首、姫魔王様にお褒め頂けるなんて天にも昇る心地ですわ。すぐにでも果ててしまいそうなほどよ。でもまだ駄目。まだ札遊戯は始まったばかりですもの。さあ姫魔王のお嬢さん、札をめくって見せて下さい。初手はお互いに黒だと確認できたら第二の手番と参りましょう。次はお互いに白を出すのですけどね!」
「ようやく地金が露出してきましたね淫らな聖女さま。わたくしもみだりに心根を露わにしたいところですが、見ず知らずの方の前では羞恥の思いが勝ります」
姫魔王は血溜まりに伏せられた札を強く握り、反転させた。
「残念でしたね淫らな聖女さま。わたくしの色は血濡れの赤です」
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