第十一声 「そういうのを全部ひっくるめて、現実って言うんだぜ?」
姫魔王に託された使役魔を愛でることは憚り、骸骨村人は指示された通りに、静かにただの一度も振り返らずに茂みの奥の目的地へとたどり着いた。最初から明確な座標があったわけではない。
その位置を割り出すために召喚されたのが骸骨村人なのだ。
魔と闇の眷属となった某国の幼い姫君は魔王の存在証明を継承するなり、世界征服を公言したのだ。骸骨村人を含めて幾ばくかの魔の者は気がついたであろう。あのとき、魔王となった姫君は自身の魔力を介して大規模拡大した現像投影と音声設置を発現させた。
世界に対して、宣戦布告を果たしたのだ。
姫君の宣言にも世界に大した動きはない。拐かされた姫君が思考を操られたのだと同情を集めたのか、ただの冗談だと楽観しているのか、なにかの間違いだと静観を決め込んでいるのか、姫君の国元か婚姻関係にあるその隣国が世界連合本部に対して圧力を掛けているのか。
優秀な魔術師なれど、骸骨村人に政治の意図は無縁であり、姫魔王の考えもまた然りだ。
骸骨村人にとっての利は、二百年ぶりに特異な自身の趣向を理解し、満たしてくれる幼女体型の絶対君主がことあるごとに構ってくれるだけで充分仕える価値があった。
詰って罵ってもらえるのなら、喜んで些末雑務もこなすことができる。空だって飛べるし、隕石だって降らせてみせるのだ。
故に、身内も同然の死者を呼び起こすことなど造作もない。
骸骨村人の声なき呼びかけに応じて、亡霊が浮かび上がる。総ての亡霊や幼霊が緊張の面持ちのまま骸骨村人の前に現れた。
骸骨村人は失態に奥歯をギリギリと鳴らす。ここに姫魔王が居たならば即座に心地よい罵声を浴びせてくれたであろうに。姫魔王はいない。豊満な体躯の聖なる波動を宿した女とともにいるのだろう。追いかけてくる気配も、召喚される前兆もない。
さてと、呼び出したはいいが、この幽霊共をどうしたものかと骸骨村人はしばらく悩んでから、新任で最果ての国に来た薬師の若者以外を解放してやることにした。聖なる存在に属さない身であっても、元は世界で屈指の魔術師であった。不老は失敗したが不死は絶賛継続中で、まだまだ腕は鈍っていない。
ここは姫魔王に倣って、穏便に逝かせてやるのも一興だと、骸骨村人は赤い眼を爛々と輝かせた。手管ならいくらでもある。骸骨村人に見えても、不死魔術師なのだから。
◇◆◇◆◇
「悪いが今宵はもう店終いとのことだ。飲み足りないことは残念だが、明日まで待つことを推奨する。無理を通して巧くいく者などそうはいないものだ」
駐屯兵に扮する必要はなく、今は質素な村人の作業着を着崩しているが眼光は人間の雑兵程度を竦ませるには充分な迫力を備えていた。大きく開いたシャツから浅黒く焼けた肌が鎖骨まで露出させた青年は、夜を束ねた黒い髪と、闇を埋めた暗紫の瞳。胸元を揺れる黄金の指環は、主たる娘子がお守りに持たせてくれた王族の証だ。元はと言えど王族は王族。
自分はただの近衛騎士だ。主と、主が望む総てを害悪から守るだけの、楽な役割だ。
「そうもいかねぇんだよ、流れの駐屯兵さんよ! それとも他国の密偵か間諜かい? いけねぇな、いけ好かねぇよ、あんたは」
僅かに残る暗視特性で相手の顔を見るまでもない。元魔王の青年にしても、よく知っている人間だ。
「その声は第二分砦の遊撃隊長。こんな夜更けに散歩とは良い趣味だな。それとも村の夜間警護の任務かな? この辺も随分と物騒になったらしいしな」
彼自身が数ヶ月駐屯兵として過ごした間に得た情報と、副官長女が使役魔と心身共有で集めた裏付けで犯人一党は、遊撃隊長とその子飼いの部下七人だと結論に至った。
その犯人一党が、青年を円周に囲い薄汚くにやついていた。
「ああ? ああ、全くな、クソったれの魔物畜生が幼気な村人たちを恐怖のドン底に蹴り落としたんだ! 対魔物の前線基地の兵としては胸くそ悪いったらねぇな。世話んなってる近隣住民の皆々さんに恩返しができるってんなら、夜回りくらいは当然の義務だ。……だろうお前らっ!?」
部下達は油断なく得物の切っ先、穂先を構えて、半歩ずつ輪を詰める。
「確かに。どれほど冷静に鑑みても、俺は普遍的な駐屯兵とは見なされないだろうな」
「よくわかってるじゃねぇか色男さんよ! どの道、あんたはここまでだけどな」
「保証はできかねるな。俺はどうやら、しぶといようだからな」
「得物もねぇクセにほざくなよ色男っ!」
じりじりと部下が威圧を与え始めた。遊撃隊長も、手品じみた素早い動作で取り出したナイフ五本をジャグリングさせている。投擲用に特化して刃止めもない。ろくな光源もない闇夜においても、手元を誤るリスクを感じさせない堂に入った挙動。何千、何万回とこなしてきた誇りと自身が技術と比例しているのだ。
「意外だろう? 確かにオレはクズだ、薄汚い屍喰らいと似たような人間以下の生ゴミさ。正義も大義も夢も希望も持たない。ただ欲するままに欲して、奪いたいように奪う。喰らい、犯し、壊し、眠り、吐き、嗤い、そして殺して棄てる。単なる工程として繰り返している機能体だ。まぁ楽しいからヤってられるんだがな」
「自身の価値を貶めてそれを認めるのか」
「ああ認めるね。そういうのを全部ひっくるめて、現実って言うんだぜ?」
かもしれない。魔王だった青年は言葉を模索するのを止めて、全身の力を抜いた。
遊撃隊長を生かしておく価値はないし、遊撃隊長もそれを望んでいる。人間ではなくなっている青年に、人の道を問い、正すだけの意味も持ち合わせない。青年も自ら進んで魔に堕ちた、弱い人間のひとりだった。
同情の余地も、弁解の機会も必要ない。この遊撃隊長と部下達は残らず滅ぼす対象だ。滅ぼしても構わないと魔に属する青年は、眼の奥に焔を揺らめかせるが、
「止めておこう」
必要はなくても、滅ぼさないだけの理由はあった。
「彼女が殺さないと決めた。お前たちは人間の法で裁かれる末路がお似合いだ」
「カッコいいね色男っ! じゃあオレ達の幸福の礎になって、さっさと死んでくれやっ! こちとら久々にまともな殺劇相手に漏らしそうなんだ。満足できなきゃ、この村全部を巻き込んだ乱殺乱交パーティーの開催だぁぁぁっ!」
狂気の、そして狂喜の絶叫が合図となり遊撃隊長がナイフを精密に駿速で投じた。腕の振り一度で二刃、遊撃隊長は一呼吸する間に五度の投射を行った。下手な矢よりも早くて威力も高い。
三刃は避けるが、胸に三刃、右肩に二刃、両大腿に一刃ずつが深々と突き刺さる。
そして猛攻が開始された。小剣と短槍の牽制の隙間を縫って手斧が振り下ろされ、棍棒が振り抜かれた。連射機弓の陽動。蛮刀の一太刀。戦槌の一撃。それらが数多の組み合わせで、永劫に近い刹那を、際限なく繰り返す完璧な連携攻撃。
僅かな間隙があれば、ナイフ二刃が眼球を横切る。首の皮を裂く。
百の腕を持った達人が絶え間なく攻めたてる。遊撃隊長の形なき指示が、無粋なオーケストラを指揮する。一人と七人が一個の生物か魔物のように襲う。
攻撃を、敵意を、殺意を見切り、上体を反らし、バックステップの後に跳躍し、脚で得物を蹴り、中空で姿勢制御して、矢を指で掴んでへし折った。魔の眷族の鋭敏な感覚でも持て余す技量に、青年は舌を巻いた。
強い! 一切の魔術も魔技も使っていない。現在の肉体が許し、耐えうる動作での応戦は熾烈にして明らかに手数の点で不利を強いられていた。
いくら元魔王だとて、非殺の制約を抱えて群体を相手取るには敵が強すぎた。
単体で相手取る、ならばだ。
防護力場に倍速化、身体強化、高度治癒。四術詠唱による効果が発現してからは違った。凶刃は残像を断ち、鋭槍が穿つのは刹那より前の影だ。力場に妨げられて敵意は弾かれ、殺意の猛攻はことごとく払われ無効化していく。浅黒い肌が露出する腕部に刻まれた浅くない傷口は塞がる。
さらに武器作成が青年好みの長さの両用剣として掌に構築される。自在にイメージを武装にできる創顕系魔術ならば、刃だけを潰して具象化できるのも規則の範疇だ。
頼りがいのある元部下の魔女の援護に、一瞬の躊躇いも生じずに疑似両用剣を手加減気味に閃かせた。生半な量産品らしい敵の得物はことごとく破砕されるか、叩き落とされる。近接射程にいた遊撃隊長の部下達六人も急所に剣打を浴びて地に伏した。連射機弓使いは装填を終えて射撃体勢に入っていたが、身体強化と倍速化の効果対象下にある超人の動作を上回ることはなく、あえなく昏倒させられる。
「ったく、だらしがねぇな!」
遊撃隊長はナイフではなく、護拳短剣を両手に装備し、全力疾走から青年に突進を敢行した。互いに回避できる間合いでも速度でもない。遊撃隊長のブーツに付与された倍速化の特性を殺すことなく発揮し、護拳短剣の針のような刃を青年の喉に突き出した。
護拳短剣は守護力場を貫通して、頚を振った青年の頬を容易に切り裂く。
身の守りを有する護拳短剣が完全に一辺倒な攻めに転じていた。攻めに徹するを得策とする判断のためか、青年の消極的な戦闘スタイルを見極めた所為か、所有者の自壊本能がもたらす衝動故か。
青年の傷口は高速治癒の効果を失い、その数を増やす。重量なき疑似両用剣を振るうも、護拳短剣がゼロ距離で押さえ込み、遊撃隊長が巧みな体重移動で腕そのものの動きを封じ込んでいたのだ。質の悪いことに、護拳短剣に付与されていた解呪魔術が疑似両用剣をじわじわと削り取る。
「どうだ色男? クズはクズでも能力と武器は一級品だぜ。まあ、こんな武器なくたって、どうってことないがね、なぁ!?」
「認めよう。お前も、お前の部下達も能力は本物だ。お前達は強い」
「へへ。ならさっさと殺す気になれっての!」
「お前達は殺さない。生きたままで同族の裁きを受けろ」
疑似両用剣を手放して、肘打ち、頭突き、膝でみぞおちを蹴り、護拳短剣を手首から封じての背負い投げ、それで遊撃隊長は嗤いながら眠りについた。
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