第十声 「やはりお茶好きに悪い方はおりませんね」
白を基調とした聖衣は宵闇においても淡く光を放っているようで神々しく、柔らかく彼女を包み込んでいた。女の起伏部分を削がずに曲線を示威しつつも艶めかしさだけを殺した衣装は、豊満な胸元を聖なる存在の意匠で飾る。
白金にも勝るヴェールが顔を覆い隠すも、月明かりはヴェールからこぼれ落ちる琥珀色の束を照らして黄金の滝に偽造する。ゆったりとした笑みを浮かべる口もとだけが彼女の意思を示し、真赤に塗られた唇だけが彼女の意思を雄弁に語っていた。
百人が見れば、百人全員が彼女を聖女だと答える。聖麗で気高く、浄い波動が岩清水のように湧き出る。
否、抑えようとも溢れ出すのだ。
純粋な聖への渇望と、純情なる聖への願いが、彼女の聖女を一層強く引き上げる。唇の端が引き上げられる。
「聖者の皮を被った殺人者ですか。穏やかではありませんね、ええ恐ろしく怖ろしいです」聖女は平坦な声色のままで手に持っていた大きめのトランクを静かに置いた。姫魔王くらいの背格好なら問題なく詰め込めるほど、大きい。
「私もひとりで出歩く癖を改めなければなりませんね。夜風にあたるのは気持ちが良いので残念ですが、危ないですものね」
『風にあたるだけならば、わざわざ村外れの茂みまで足を運ばずとも良いかと存じますわ。せっかくのお召し物が夜露で汚れてしまいます。枝葉で傷ついてしまいます』
「ご心配下さいますのね、お優しいお嬢さん。しかし私も旅には慣れております。どれほどの汚れにも傷にも慣れておりますのよ」
『なればわたくしが案ずることは何もございませんね。こちらも用を済ませたら直ぐに村に戻るつもりです。おじ様、参りましょう』
油断なく、聖女の動向を見守りつつも姫魔王は骸骨村人の手を引いて茂みの奥に歩みを向けた。
使役魔は姫魔王の薄い胸元に詰め込まれていた。
このまま新任薬師の若者が殺害された場所に行くことはリスクがあった。正体不明の聖女が二十歩ほど間を開けて、二人の後をついて来ていたからだ。
聖女にしてみれば、尾行や追跡をしている感覚はなく、ただ二人の後ろを歩いているだけだ。薄く冷笑したままで何かをするわけでもない聖女は不気味でしかなく、姫魔王でさえ対応に苦慮を強いられていたのだ。
たとえ追い払うことができても、この場を去ることができたとしても手遅れ。出会った時点で終わり、そういう類の人物に出会ってしまったのだ。慎重な副官長女が即座に心身共有の魔術を解除した事実も姫魔王の予感を裏付けている。
骸骨村人ならば魔術戦での分はある。長衣の有無で魔術に差が出るわけではない。幻覚系や精神操作系で撹乱すれば、この場を逃げ切ることは可能だろう。
『それほど甘い御方ではありませんね。おじ様、くれぐれもお静かに』姫魔王は、聖女が自分に近しい気質の持ち主であると決を下した。完全な敵対関係にある相手を完膚なきまでにねじ伏せる自分よりも、容赦がないと。
「なにか、仰いましたか?」聖女冷笑が冷めた空気を揺り起こす。
『どうすれば聖女さまのような、魅力的なお体に発育するのかなとおじ様にお伺いしておりましたの。まぁ、おじ様ったら! お胸は揉まれると大きくなるとか、はしたない行為が美の秘訣だとか、卑猥なことばかり。最低です! 最低最悪です! 罰として独りで帰って下さい! この使役魔を貸してあげますから。今の今までわたくしの貧相な谷間に挟んでいたので体温が残っています。頬擦りをするなり、匂いを嗅ぐなりご自由にして構わないので、先に行っておいて下さいまし! わたくしは聖女さまに女としてためになるお話しを伺ってから参りますので!』
迷い、悦び、戸惑いながら骸骨村人は使役魔を受け取り、怖ず怖ずと独りで茂みの奥に消えていった。
「貧相とは・・・・・・正直なのですね」
『そちらに反応しないで下さいませ』
「正直な方は大好きです。大好きな方とはお茶会を開く。聖女の嗜みですわ」
『初めて聞く嗜みですが、郷に入っては郷に従う。それが村娘としての嗜みです。喜んでお受けします』
トランクをを開いて取り出した大きな敷物を手早く広げる。聖なる意匠を金糸で施した簡易結界を兼ねた純白の敷布に、聖女は優雅に座して見せ「お嬢さんもどうぞ」と姫魔王を招いた。
『失礼致しますね』
ビリリッ! 爪先から脚を通して全身、頭の先までを駆け抜ける微弱雷流に顔をしかめることもなく姫魔王は社交場で散々披露した優雅な様で小さなお尻を下ろした。
「うふふ、お嬢さんがいい人で良かったわ」
『いい人かどうかは見た目ではわかりませんよ、聖女さま』体を流れ続ける雷流に逆立つ髪を一纏めに束ねながら姫魔王は得意の姫微笑で、聖女の悪意を受けて立った。
ティーポットの底には火が当たると熱を増幅できる魔法が付与されているらしく、聖女が持っていた洋灯を近づけるだけで湯が沸いた。茶葉も湿気ないように気を配ってあり、お茶には造詣が人物像が明らかになった。旅の道中に、高価な魔法付与の茶器まで持ち出すのだから、掛け替えが無いのだろう。
「どうぞ」
『頂きます』甘く、嗅ぎなれた上質の茶葉の香りを充分引き立てたお茶の淹れ方に舌を巻くも、姫魔王はお茶自体への警戒はしていない。聖女が何らかの害を為すならば、必ず手ずから行うだろうと踏んでいるからだ。
聖なる結界を織り込んだ敷布も、魔を祓う聖水を用いた紅茶も本命ではなく嫌がらせでしかない。
もしくは、用心深い聖女の執拗な確認工程なのか。
姫魔王は聖女の態度ではなく、聖水が口内を傷つけて、せっかくのお茶が血の味で塗りつぶされるのが気に入らなかった。
『美味しい。鼻孔に抜ける甘くて仄かな酸味のある華やかな芳香。西の山間の国の特産茶葉とお見受けします。このような最果てで、よもやこの黒蜜花茶を口にできるとは僥倖です。聖女さま、わたくし至上の喜びに値しますわ』
「あらあら、まあまあ。嬉しいです。やはりお茶好きに悪い方はおりませんね。しかし、どうして黒蜜花茶だと? それこそ黄蜜花茶や赤蜜花茶だとて一級品に相違ありませんことよ?」
『聖女さまはお茶に造詣深くいらっしゃるので、鮮度管理が困難な黄蜜花茶や、陽光のないこの場所では色彩を損なう赤蜜花茶ではないと思っただけですわ。三者は味も香りも近しいですが、旅の友とするのならわたくしも黒蜜花茶を選びますね』
「すごい、感服致しましたわ。ただの村娘さんとは思えない教養と素晴らしい舌をお持ちなのね」
わざとらしく手を打って聖女はトランクの奥から巾着を掴んで、中身を敷布上に広げて、たった今思いついたかのように言葉をなぞり始めた。
「お茶請け代わりにひとつお遊びをしませんか? 私が国元で覚えた簡単な札遊戯です。この七枚の札を使って点数を競うだけの、ただのお遊びです」
◇◆◇◆◇
赤、橙、黄、緑、青の五枚の「色彩札」。
白、黒の二枚の「明暗札」。
これら七枚を一揃えで使う札遊戯だと聖女は淡々と語った。
「国元は過去に鉱山で栄えておりました。選別の際に漏れた粒を以て鉱夫が戯れに賭けを始めたことが発祥と伝わっております。それぞれ、赤光石、橙竜岩、基黄石、緑柱岩、蒼条鉱、白蛇輝石に真黒皇鉱。どれも聞いたことがないのではないかしら? あらあら、そのお顔はご存じのようね」
『魔術道具の核部位に使用される魔力蓄積回路の原料ですね。では御身は鉱国の・・・・・・』
「脱線しましたね」聖女は規則説明を続けた。
「まず五枚の色彩札の特性ですが、赤・橙・黄・緑・青そして赤の順番に巡る流れが存在します。川上・川下と表現しますね。川上の色は川下の色に勝利し、ふたつの加点を得ます。赤は橙に、緑は青に勝るのです」
『巡りとするならば、赤は黄に勝るのでしょうか?』
「いいえ。色彩札の内で赤が勝るのは橙のみ、黄が敗れるのは橙のみとなります。この巡りに依らない札同士が相まみえても一切の加点も減点もあり得ません」
「宜しいでしょうか?」聖女の見下したような物言いに、姫魔王はただ頷いた。全身を襲い続けて久しい微弱雷流は、じわりじわりとその威力を上昇させていく。
『相手の手を予測して、川上の札を出せば良いわけですね。その予測の材料となるのが二枚の明暗札』
「ご明察です。この二枚の特性は色彩札と似て非なるもの。ここでは新たな巡りが生まれるのです」
白磁の匙と見紛う聖女の指が艶めかしく蠢いた。巡りに従い並べていた五枚の札を重ねて、白と黒の札で挟むように配置し直す。
「白は色彩に勝り、色彩は黒に勝り、黒は白を閉ざす」
『なるほど、そういう規則ですか。わたくし好みではありますが……』
「どこか不審な点でも?」
『つまり、白は色彩札の総てに勝り、五枚の色彩札は黒に勝る。そして黒が白と相対した場合、黒の保有者が遊戯に勝利する。勝ると閉ざす、の言い回しが違っていたのは札遊戯の規則を示唆していたのですね』
「うふふふ、あははははは!」狂乱の高笑いを上げて偽造された黄金の髪を振り乱す。聖女は歓喜に打ち震え心の奥底から嗤っていた。
「本当に頭が良いのね。素敵ですよ! 規則はお察しの通りです。白が色彩札を下した場合はひとつ加点、色彩札が黒を下した場合もひとつ加点。黒と白は特殊な勝利条件であって、基礎は得点の多い方が勝者ですよ。そうそう、札は特殊な製錬技術で裏面にミスリル鋼を凝着させてあります。毛髪よりも薄く鋭利な万能の刃は人の肉も、不死者の怨念も区別なく裁断し、斬裂します。札をめくる際には、くれぐれもお気をつけ下さいね」
ミスリル銀を焼き付けて厚みを要さない技術。
ご丁寧に札裏面にも聖なる意匠が刻まれていて、敷布からの雷流を拡大化させる仕掛けまで施されている。
「それでは村娘のお嬢さん。余興と参りましょうか」
『聖女さま、最後にもう一度だけ。札は赤・橙・黄・緑・青・赤の巡りで、川上は川下のみを制して二点得点。白は五枚の色彩札に対して川上として扱い一点得点。色彩札は黒に対して川上となり一点得点。合計点が高く札を出し切った方が勝者。若しくは黒で白を制した場合も勝者となる。用いる札は七枚七色。互いに札を出し合って同時にめくって確認する』
「その認識で間違いありません。もう宜しいかしらね? 私はもう待ちきれません。胸が張り裂けそうに熱く感じて、シテ、しまいます!」
『お待たせ致しました。では、お茶請けの遊戯を始めましょうか』
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