第一声 「一言でいいから我の話しを聞け」
注:登場人物の名前は設定されておりませんので、悪しからずでお願いします。
姫は三日前までは某国にて公務漬けの毎日だった。公共事業の進捗状況確認のための視察で埃まみれの高台に上って、幼い頃から仕込まれ続けた姫微笑を浮かべること。文化発展のための美術展覧会で最優秀賞に選ばれた特に興味も抱かない祖国の英雄であるヒゲ将軍の油彩画を、興味津々のフリをして観賞すること。姉妹都市認定を結んでいる国同士の関係強化を目的とした晩餐会にて、当該国の年齢の近い小生意気な第二王女と高飛車な第三王女に姫微笑で自慢話を聴き続け、ドレスの胸元ばかりに視線を向けてくるイヤミでムッツリな大臣に愛想姫微笑で応対すること。その他にも面倒ごとがもろもろ山積み。
公務でなければ日中と言わず年がら年中、陰険かつ粘着質な家庭教師団によって監禁にほど近い軟禁を受けている。睡眠時間わずか三、四時間。政治・経済・軍事・司法・言語・国史・世界史・算術・科学・道徳・宗教・礼節・作法・舞踊・音楽・芸術・神秘・狩り・乗馬……以下省略。学んだ知識・文化に教養、技術は数知れないが、最も苦手な姫学は地獄の責め苦も楽園に感じられる拷問教科だった。
食事は質・量ともに豪華絢爛で申し分ないが、不満がないこともない。食事中に五度は礼儀作法滅ぶべしと内心で絶叫しつつも、慎ましやかに、食事の時間を過ごさなければならない。一般庶民が一生費やしても使い切れないだけのナイフとフォークとスプーンを一食ごとに使わないと許されない食事なんて美味しくもなんともないし、小難しくてややこしい外交問題とか内政問題とか食事中くらいは解放されたい。
最大の懸案事項は縁談。政略結婚。近年落ち目を辿る祖国は隣国の飼い犬で生き残る道は追従以外になく、その証として第一王女たる姫が選出されることになった。お相手は第四王子で幼女趣味の筋肉達磨。姫の容姿が第四王子の趣味に該当していたのは不幸中の大不幸で、政略的目的の有無に関わらず婚礼を白紙撤回することは事実上不可能で、祖国の未来を限りなく暗くすることと同義だった。
某国の姫は八方塞がりなのだ。王族に生まれた、それだけが彼女の人生の総てを奪い去った。王族であれ貴族であれ、国家を支える民衆の血税を以て身と立場を享受できている。統治者の責務として民衆の規範となり、特権階級の義務として民衆の生命・財産・生活を守護せしめる。尊きものが果たすべき最低限の責任を全うすることを放棄したいわけでもない。
だからこそ姫は苦痛に苦悩し苦悶していた。
彼女は囚われの虜囚であり、張り付けの刑に処された咎人でもある。
身は国と民に捧げることに異論はなく、身ひとつで国が救えるのなら喜んで短剣を胸に突き入れるだろう。
国として恭順、政略結婚による人質化、どちらも時間稼ぎでしかない愚策中の大愚策。
歯に衣を着せずに表現するならば「そんな生き残ることだけを手段とした気概のない国などさっさと滅んでしまえ」ということだ。
姫は両の瞳に宿る金剛石にも勝る光を目の当たりにしたのなら、その喩えが嘘でも誇張でもないことが理解できるだろう。国が滅んだとしても姫は希望の灯火となり、最後の最期まで民衆のために命を投げ出して戦い、守り抜くことだろう。
某国の姫は可憐な容姿の内に高潔な心魂を秘めた真の王族たりえる資質を持ち合わせた人物なのだ。決して自分の身の上の不幸ごときに涙を流す軽い人物ではない。
某国の姫が熱い涙を止めどなく溢れさせたのは囚われの身となったことを嘆いてのことではなく、人生で訪れた奇跡的な救いの手への感激と、拷問に等しい十数年間から抜け出すことができた安堵、この先数十年以上は続いていく幼女趣味筋肉達磨に弄ばれる地獄のような日常を見事に粉砕してくれた者に対しての最大級の感謝の涙だった。
姫は高貴な立場を忘れたように跪いて、自らを命懸けで救い出した青年に礼の姿勢をとった。家臣が王に対して行う臣下の礼だ。
「我が命をお救い頂いたこと感謝しております。あなた様こそが大天使の加護を授かった勇者に相違ございません。わたくし某国が王の第一王女として宣誓いたします。生涯を賭してあなた様に従い、お仕えすることを四方の大天使とそれらを守護する聖霊の御名にて……」
『おいおいおいちょっと待て、いいから待つのだ姫よ。そして一言でいいから我の話しを聞け。我は魔王だ』
「…………はい?」
人生最高の姫微笑だった。
読了、ありがとうございます。
最終話までがんばってみます。