♯70 ルイン・フィーガの過去と今
渡世人姿の男。
もっとも、これは仮の姿。
といよりもただの変装。
ルイン・フィーガ、吟遊詩人。
イリス達と同行していたが、所定の場所にはいかず、ある場所に赴いていた。
修道都市の西側にある聖堂。
歴代の聖人達の魂が祀られ、その彫像が連ねられている。
その中の1つにルインは足を止め、目を細めていた。
「……ライアー・メンティロソ。600年前、人々を惑わす悪魔を封じ込めた偉大なる聖人……か」
普段の飄々とした態度は消え失せ、悲しみにも怒りにも似た視線を彫像に送り続ける。
既に物言わぬ存在であるこの人物に、やるせない思いを抱いていた。
「あんなに肥え太っていたアナタが、随分と身体つきの良い姿になったものだ。……聖人だと? 忌々しいまでの出世ですな……。教会に媚びを売って金儲けをし続けたアナタが……」
ルインは知っていた。
聖人ライアーは悪魔……否、かつては子孫繁栄を司る美と情愛の女神として崇められていたヴィリアリトニスを、その性質を曲解させて『サキュバスの親玉』だと嘯き、権力欲しさに貶めた張本人であるのだ。
かつてライアーと知り合いであり、彼女と恋仲でもあったルインを利用した。
ルインが彼女を貶めたように仕向け、自らの欲望の為に彼を切り捨てたのだ。
忌まわしい記憶が蘇る。
ライアーの謀略と教会の力により、女神は強大な魔術にて捕縛された。
ルインは彼女の解放を強く望んだが、力及ばず……。
最後に彼女を見たのは、封印される直前だった。
女神の姿には相応しくない、卑猥な衣装を着せられ、封印術式を観衆の目の前でされている。
彼女の名を必死で叫び、手を伸ばそうとするが……。
彼女から向けられたのは、悲しみと憎しみを宿した鋭利な眼差し。
――――信じてたのに……。
――――愛していたのに……。
ルインは固まる。
そして、封印されて消えていく彼女を絶望と共に見ているしかなかった。
その傍らで、ライアーがほくそ笑んでいるのには気づかず……。
「あの封印の直前に彼女が最後の力を振り絞り、私に呪いをかけたのに気づいたのは……、私が当時の教会の連中に殺されそうになったときでしたかな」
ふと現実に意識を戻し、隠し持っていたマスケット銃の銃握の部分をそっと撫でる。
この武器が、彼の呪いの証だ。
当時最新式の武器であったこのマスケット銃に弾が10発。
『装填して撃つ』という弾丸消費が終わるまで、不老不死身は続く。
幾度となく弾丸や銃をどこかに捨てても、なぜか手元に戻ってくるのだ。
妙な呪いではあるが、これが意外に効いた。
最初は死のうと思い、無駄弾を撃ったものだ。
だが、途中で死ぬのが怖くなった。
手が震え、彼女を守れなかった罪悪感と死にきれない情けなさで身も心も圧し潰されそうになる。
そして残りの弾を保ったまま、今日まで生きながらえてきたのだ。
「……残りは、3発か」
そう言えばこの時代になってから初めて銃を使った。
サキュバス・ミラを助けるときだ。
あのときは、銃を使うことに迷いはなかった。
「……そっくり過ぎでござるわ、あのヒト。性格も、顔も……」
まるでそれは生まれ変わり。
彼女の生き写しが目の前で様々な表情を見せている。
運命を感じずにはいられなかった。
「……これは、彼女が託した試練か。それともただの偶然か」
ある種の虚しさを抱えたまま外へ出ると、なにやら騒がしい。
都市の人間の話によれば、どうやら大聖堂の裏口付近で"殺し"があったらしいのだ。
殺しと聞いてある人物を想起した。
「ハハハ、もしかしてイリス殿が? いや、まさかね……」
だが、この騒動は彼にとって好機だった。
彼はどうしても、この修道都市の深部に忍び込みたかったのだ。
その為に大聖堂の方へと足を運ぶ。
裏口付近に人目が集中しているせいか、警備が少し手薄になっていた。
しかし、これほどまでの騒ぎになるレベルの殺しとは一体……?
「まぁいい、ここはひとつ」
菅笠と道中合羽を脱ぎ捨て、中へと入り込む。
外気とは違う雰囲気に吞まれそうになりながらも、渡りゆく修道女や神父、兵士に見られぬようにスパイさながらの動きで陰へ陰へと足を運んだ。
「……神父服かなにか欲しいでござる……どこかにないものか」
右手に銃を持ち、兎に角身を欺けるものはないかと探し彷徨う。
この因縁深い迷宮のような場所の更に奥地へ。




