♯69 イリスへの襲撃
あの惨劇の後、イリスは元来た裏口から出ることにする。
正門から出ようとも考えたが、恐らく面倒事が増えるだろうと思いやめた。
あそこには兵士だけではない。
戦闘とはまるで無縁な信仰者達もいる。
こんな物騒な人間が出向けば、必ず殺傷沙汰になるだろう。
基本自分さえよければいいというスタンスの彼女だが、無闇に平穏の場を血で濡らすのは控えておこうかと考えたのだ。
無論、襲い掛かってくる者がいるなら容赦なく斬るが、自分からわざわざ出向くまでもない。
まぁもしかしたら、あの中に神託能力を持った男がいたかも知れないが、別の機会に回そう。
「大聖堂……、本来はアタシみたいなのが入っちゃいけない神聖な場所。……フレイム・ダッチマンに出会わなかったら、きっとこんな機会もなかったでしょうね」
ふと、内部を見渡した。
そして、本来起こり得ないと思ったことが実際に起こったこの奇妙な縁にため息を漏らしながらも、裏口の扉を開く。
薄暗く荘厳な空気のこもる空間に、新鮮な空気と日の光が差し込んだ。
眩しそうに目を細めながらも外へ出るが、どうやら荒事はさっきので終わりではなさそうだった。
「グランドシスター、バイパス・ロード様からの御告通りだ。……者共、この小娘を始末しろ!」
あの女があらかじめ控えさせておいたのだろう男女10人ほどの兵士達が剣や槍、果ては弓に番えた矢を向けながらイリスにジリジリと詰め寄ってくる。
あのクソシスターめ、とイリスは心内で舌打ちした。
ただで帰す気はない、というよりも更なる血を流させる為に彼等をよこしたと思う他ないこの状況。
彼等を斬れ、というのか……。
まるでバイパス・ロードの掌の上でいいように踊らされている気分だった。
そう考えると、怒りがこみあげてくる。
フレイムといいバイパス・ロードといい、なぜこうも胡散臭い連中はあのような憎たらしい笑みを浮かべるのか。
同時に燃えるような対抗意識を抱く。
――――上等じゃあないか、と。
「……」
沈黙のままイリスは数歩出ながら兵士達を睨みつけている。
彼女から湧き出る殺気と闘気に兵士達は思わず生唾を吞んだ。
今まで感じたことのない重圧が、身体と所持した武器を小刻みに震わせる。
兵士である以上命懸けの仕事はあると常に心掛けている彼等ではあったが、突然現れたこの死の気配に、誰もが二の足を踏んだ。
イリスはすかさず抜刀。
足を前後に、重心は低く。
切っ先は地面に向けるように。
どっしりと構えた下段構えで辺りを一瞥する。
3人……神託者がいるのがわかった。
剣を持った男、リーダー格の兵士。
その左右にいる女兵士。
長年の経験で読み取れる気配で察知出来た。
どんな力を使うかはわからないが、仕損じは絶対しない。
狙ったなら、必ず殺す。
「……来いや」
ドスを効かせた低声を響かせる。
静かで重い雰囲気が周囲を包み、兵士達にも緊張が走った。
人間と相対しているにも関わらず、まるで未知の怪物に出会ったかのように。
イリスは動かない。
じっとこちらを睨みつけたまま下段に構えている。
矢で射ることは出来るだろうが、その後は保証出来ない。
――――そもそも矢を当てた程度で殺せるのか?
弓を構え矢を番えている兵士はふとそんなことがよぎった。
しかし、この沈黙は長くは続かない。
業を煮やしたリーダー格の男が一斉攻撃の命令を下した。
統率を取り戻した兵士達が一気に攻め寄る。
槍が先陣を切り、剣が後に続く。
彼等を援護するように弓矢を持った兵士達が射撃を行った。
「うぉおおおッ!」
雄叫びと共にイリスに向かって多数の穂先が伸びる。
最初に飛び出てきた槍を斬り上げて大きな隙を作るや、瞬時にその持ち主の懐に潜り込んだ。
零縮地ではないが、他者からみればまさに瞬間移動と言っても過言ではない速さだ。
「なッ!?」
槍を振り下ろそうとするが、完全な至近距離では刀に分があった。
イリスの平刺突がその兵士の喉仏を抉り、横一閃にて血飛沫を巻き散らす。
返り血が付かぬよう瞬時に身を返し、2.3人の背に斬撃を叩きこんだ。
「こ、このぉお!」
後陣の剣持ちの兵士達が斬りかかる。
それをイリスは独楽のように右へ左へと素早く蠢きながら、右袈裟、横薙と繰り出していった。
イリスの剣捌きに兵士達は反応できず、槍を持つ者も剣を持つ者も瞬く間に斬り裂かれていく。
「まだまだ……ッ!」
死んだ兵士から剣を取り上げ二刀流。
肋間を上手く通すように刺突しては心臓を抉り、二刀の剣捌きを以て腹や首、胸を裂いていく。
こちらに再度弓を射ろうとする兵士達には先ほど奪った剣を投擲。
他の弓兵は投擲によって死んだ弓兵を見て、恐怖に染まり後は斬撃による虐殺を受けるのみであった。
まだ1分の半分も経たぬ内に、大聖堂の裏口前は血の海地獄へと変わり果てた。
驚愕に満ちた表情を浮かべる死体と、痛みと苦しみに悶え呻いてまだ死ねない者の放つ異臭で周囲はむせかえり始める。
「ば、馬鹿な……ありえん……ッ!」
リーダー格の男が思わず後退りする。
そんな彼を守るように女兵士が前に出た。
「女の神託者、か。……斬られたいの?」
血振りをし、今度はやや下段気味に構える。
そんな彼女を前に、女兵士2人は神託エネルギーを滲ませ始めた。
右の女は剣に泡のようなものをまとわせ、左の女は槍を帯電させている。
「……じゃあ、死ぬしかないわね。邪魔者は残らず斬るのよ、アタシは」
目を見開き、まず右の女に斬りかかる。
瞬間、イリスの足や腕に泡が組みつき、一気に動きが鈍くなった。
むしろ固定されたと言ってもいい。
そこを剣による薙ぎと雷をまとった槍の刺突が飛ぶ。
「ぬおッ!?」
なんとか身を捩り薙ぎを回避。
その勢いで槍の刺突により泡を一部破壊してもらう。
運良く刀を持つ利き手を包む泡に当たった。
イリスは泡を振り払いながら間合いをあける。
(さて……次もまた泡で動きを封じてくるか……。厄介ねぇ)
片膝をつきつつも女兵士2人を睨みつける。
だが、背後にあるものが落ちているのに気づいた。
――――弓と矢、まだ使える。
そう思った直後、周囲が泡の濁流によって包まれ逃げ道はおろか回避すらも出来ない状態に陥る。
先陣を切る女槍兵は穂先に強烈な雷をまとわせ、刺突を放とうとしていた。
距離が少し離れているあたり、穂先から稲妻でも出そうというのか。
どんな技かはまだわからないが、この状況下ではかなりの効果だろう。
だが、イリスは至って冷静だった。
勝つ為の算段はつけた。
後は、如何に迅速な行動が出来るかだ。
イリスは片膝をついたまま構える。
そして思った通りに稲妻は飛んできた。
刹那にも等しい時間。
稲妻が放たれたと同時か、もしくはそれを更に遡るほどだろうか。
イリスはその技の軌道を読み、刀を振り下ろしていた。
――――怪異殺しの極意。
それが異能の技なら、如何なるものも斬ってご覧にいれる。
イリスの辿り着いた極地が見せた神業とでも言うべきか。
だが、イリスは止まらない。
女槍兵が数秒遅れて目の前の現実に驚愕する間に、イリスは後ろの弓と矢を拾い素早く番えた。
強く弦を弾き絞り、一気に放つ。
女槍兵の顔を掠め、今ようやくイリスを神託能力での泡で圧死させんとエネルギーを練ろうとしていた後ろの女剣兵の喉を的確に射抜いた。
「なッ!?」
「ガフッ!?」
女槍兵が思わず振り向き、仲間が無惨に死ぬ姿を目の当たりにした。
だが、人斬りである自分にそんな隙を見せるのは大きな間違いである。
イリスは弓を捨て、隙だらけの女槍兵の身体にすれ違いざまで痛烈な袈裟斬りを放った。
刃が食い込み、一気に肉を裂いて中に詰められた臓腑と血を宙にぶちまける。
「ひ、ひぃい! た、助けて……ッ!」
僅かな時間で一気に部下を失ったリーダー格の男は蒼ざめ、そのまま一目散に逃げだそうとした。
――――部下や女2人がこうして勇敢に戦ったにも関わらず、自分だけ逃げようというのか?
イリスの表情が一気に険しくなるや、刀を逆手に持って逃げた男の背に投擲。
グサリと勢いよく刺さった男は声すら上げずにその場に倒れ伏した。
「……アンタがリーダーじゃなきゃ、もっといい結果出せたかもね」
男に刺さった刀を引っこ抜くや、後頭部目掛けて思いっきり踏んずけてやった。
その男の衣類で刀にこびりついた血を拭き取り納刀。
ここまで大体規模な組織的な戦いは仕事では幾度か経験はある。
だが、今回に至ってはなにか変だ。
イリスは直感する。
まるで、この都市の裏で何者かの意志が蠢き、自分達を使ってこの都市を破壊させようとしているような。
――――なんの為に?
バイパス・ロードの言葉をふと思い出す。
血で血を洗う祭りが始まるのだ、と。
その真意は、未だ読み取れず……。




