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♯6 星々の下で巡る思想たち

 ストラリオ国の領海から離れた海上にて。

 静かな風に揺られながら、夜の海で帆を上げ進んでいく船。

 8月特有の蒸し暑さで船内の湿度が上がる。

 そんな中、フレイムの部屋からは、おびただしい蒸気があがっていた。


「ふ……ッ! ぬぅうん!」


 懸垂にスクワット、套路に座禅。

 上半身裸で、トレーニングの限りを尽くしていたフレイム・ダッチマン。


 部屋に入ってから、どれだけ時間がたったか分からない。

 むしろ、時間すら忘れるほどに熱中していた。

 彼の熱気で、更に湿度が上がるほどに。


「あの女の剣を見てから……、私の興奮が治まることをしらん。……運命とはこのことか。この世のあらゆる因果が、私達を巡りあわせたに違いない」

 

 筋肉に活力がみなぎる。

 これほどまでに肉体が歓喜しているのは、久しぶりだ。

 今宵の出会いと流れる血が、そうさせた。


「ダンナ! なにごとです!?」


 部屋からあふれでる蒸気に驚いた船員が入ってきた。


「今、トレーニングの最中なのだが……?」


「す、すみません」


「……覚えておけ、出来る男は、体を鍛えることを怠らない。是非見習いたまえ」


「へ、へい……」


「……ところで、イリスはどこにいる?」


「あ、お嬢さんなら、甲板にいらっしゃいます」


「なに……?」


 部屋あった酒瓶を片手に、甲板まで行く。



 場面は変わり、船内から外へ。

 甲板では、イリスもまた自分なりの鍛錬をしていた。


 抜刀からの一文字、納刀までの動作を、緩慢な速さで繰り返す。

 一分の乱れなく、100回やって100回同じ動作になるように、精密に行っていった。


 抜刀術は、速く斬ろうとすればするほど、その太刀筋は大きく乱れる。

 彼女が素早い抜刀を行えるのは、こうした鍛錬のくり返しの、おかげでもあるのだ。

 笑われてもいい、変な目で見られてもいい。

 すべては、自分の勝利のための鍛錬だ。


「……ふう、そろそろいかしら」


 鍛錬を終え、近くにあった樽の上に座る。

 自分のことを怪訝な表情で見ていた船員の何人かは、1人また1人と持ち場へ戻った。


 「もっと派手かと思っていたよ」


 振り向けば、そこにフレイムがいた。

 上半身からは、未だに湯気が出ている。

 不思議と汗臭さは感じない。

 代わりに、酒臭さに顔をしかめた。


「なんで大人ってお酒飲むの……」


「君もどうだね? 大人への第1歩に」


「遠慮しとく……、オレンジジュースはないの?」


「生憎、客船じゃあない。基本的に乗るのは酒飲み船員と、気持ちよくなるお薬さ」


「……なんですって?」


 イリスは目の色を変え、フレイムを睨みつける。

 ハッとしたフレイムは、顔をそむけながら瓶に口をつけた。


「呆れた……密輸船なのねこれ」


「脱出にはうってつけだろう?」


 水平線を眺めながら、2人は、潮風にしばらく吹かれていた。

 空には輝かんばかりの星々の海。

 今にも落ちてきて、この世界を光で包み込みそうな情景だ。

 そんなとき、ふと、イリスの目にフレイムの体が映る。

 鍛え上げられた肉体には、おびただしいほどの傷跡が残っていた。

 刀傷に火傷、縫合跡も見受けられる。


「それは、戦いの傷なの?」


「……拳法をやっていると、とんでもない修行を課してくる師範に出会うことがある。それこそ実戦より、修行で死にかけるくらいにな」


「ふーん……」


「昔はそんな師範ばかりだった。套路よりまず心と肉体を。……まぁ、今じゃやらないだろうがな。昔のやり方じゃ、若者が寄り付かん」

 

 酒を一口ひとくち

 一拳法家として、なにか思うところがあるのだろうか。

 イリスにそんな思いなど汲み取る術はない。

 なので気にしないことにした。

 

「ねぇ、この船はどこまで向かっているの?」


「次の目的地は、アンジェスタリカ公国というワインの名産地で有名な国だ。ここで賞金稼ぎとしての仕事をしながら、叡智の果実を探す」


「へぇ、どれくらいでつくの?」


「そうさな、あと3日ほどつく。それまで、ゆっくり船旅を満喫するといい。……これを機会に酒に挑戦してみては?」


「ご遠慮いたします」


 やんわりとあしらうと、イリスは部屋へと戻ってしまう。

 見送った後、フレイムはしばらく甲板で酒を飲みながら海を見ていた。

 宝を目の前にした海賊のような顔で、潮風に酔いしれながら。


「……邪魔する者は、皆殺しだ。そのために、一役買ってもらうぞ? イリス・バージニア」


 星下の海で、彼は1人ほくそ笑んだ。





「アタシの部屋は、ここね」


 自室を確認し、ドアノブを開ける。

 簡素な造りで、男ばかりが乗っていたためか、やや汗臭い。

 ベッドもやや湿っている。


「ま、贅沢は言えないか」


 ほんの一瞬。

 自分でも、これは大丈夫だろうと許容できる一瞬の気のゆるみ。

 腰に差していた刀を下ろしたとき、目を見開くほどの衝撃が走った。

 大きく湾曲した短剣、ハルパー。

 その刃が包み込むように喉元に突きつけられている。


「動かないで」


 背後から女性の声が聞こえた。

 水のように透き通った優しい声だ。

 だがそれとは裏腹に、刃は喉元スレスレまでおよんでいる。


「……やってくれるじゃない、一瞬の隙をつくなんて。……アナタにとってはしてやったりだろうけど、この状態でもそのそっ首叩き落とすなんて、アタシには簡単よ?」


 抑えきれない殺気を、背後の女性に向ける。

 この娘は本気だ。

 たとえ差し違える形になっても、自分の首を斬りおとすだろうと、女性は直感した。


「……で、なんのよう? 船員やフレイム、アタシに気配を察知させずに船に乗り込むなんて」


「生憎、諜報や潜入はお手の物なの。……驚かせてしまってごめんなさい。こうでもしないと、アナタは話を聞かなさそうだから」


 そう言ってハルパーを除ける。

 首への圧力がなくなったところで、イリスはゆっくりと振り向き、女性と向かい合った。


「私はアフサーナ。アナタに警告しなければならないことがあって、この船に忍び込んだの」


 アフサーナと名乗る女性は、黒いフェイスベールから自らの目的を語る。

 肩までかかった燃えるような赤い髪と黄金の瞳。

 ひと際目を引くのが、踊り子のように大きく露出させた褐色の肌。

 見ているだけでも心を奪われそうな美しさを兼ね備えた女性だった。

 

「警告……ですって?」


「えぇ、これは私にとっても重要なことよ。そしてアナタにとっても、ね」


 黄金の瞳がイリスを捉える。

 強い眼光が一瞬、イリスを怯ませた。

 同じだ。

 初めてフレイム・ダッチマンと出会ったときのような、この威圧感。


「アンジェスタリカに着いたら、あの男から逃げなさい」


「なんですって?」


「アナタは、これ以上あの男に関わってはいけない。フレイム・ダッチマンは、私が始末する」


 その言葉を聞いた瞬間、イリスは不機嫌な顔をする。


「関わるな? 始末するですって?」


 素早く刀を手にとり、鞘から抜き放つ。


「今はあの男の条件に従ってる。だけど、それが終われば殺す。アタシは、狙った獲物は逃がさない性格なの」


「愚かな……そのためなら、自分自身も利用されてもいいと?」


「互いに利用しあう関係よ。アタシはアイツの言いなりにはならない!」


 両者微動だにせず、睨み合う。

 しばらくしてアフサーナが溜息をもらし、そっと背を向けた。


「警告はしたわ。あの男に関わったことを、地獄の底まで後悔なさい」


 そう告げるや否や、壁に向かって歩き出す。

 アフサーナの身体がヌラリと壁をすり抜け消えていった。


「なっ!?」


 不可解な現象に目を見張るイリス。

 どうやら、彼女もまた神託者だったらしい。

 アフサーナは、フレイム・ダッチマンを知っている。

 そして、彼女は奴を殺そうともしていた。


(気になる……なぜフレイムはあの女に狙われてるの? 叡智の果実が絡んでくるのかしら)


 考えを巡らせては見るが情報が足りない。

 一気に緊張が和らいだことから、眠気が押し寄せてきた。

 

「……今夜はもう休まないと。先のことは後から考えればいいわ」


 刀を置き、鎧を脱ぎ、身軽になってベッドに寝転ぶ。

 眠りについたのは、それから30分経ってからのことだった。

 

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