♯60 富士見新陰流『石見銀三』とかつての勇者『レイド・ザイルテンツァー』
――――修道都市『サフレン』
唯一にして絶対の神を崇拝し、その戒律と特別な加護により自国及び他国の追随を許さぬほどに権力を持ち、独立都市として栄えた一大宗教の大都市。
石造りの街並みには信仰を示すように屋根の所々に神の彫像があり、天使と聖人達の彫刻やステンドガラスが壁高くに飾られ、最早都市一帯が"教会"といっても過言ではない。
緑豊かで、そこに住まう人々は皆信仰深く。
まさに神によって与えられた楽園とも言えるだろう。
『隔離世界』とでも言うべきか……。
ある昼下がり、そのサフレンに流れる穏やかな小川にて、釣りをする者がいた。
――――富士見新陰流、石見銀三である。
「……右か、はたまた左か……迷うねぇ」
たっつけ袴を穿き黒羽織を羽織った老侍。
菅笠から鋭い眼光を覗かせ、釣り竿のその先をじっと見つめていた。
「……ここにいたのか爺さん」
「おう、小僧。お前も釣りやるか?」
後ろからのレイド・ザイルテンツァーの声に振り向きもせず、ただひたすら遠くを見つめ続けている。
「やらねぇ……アンタ、ここ来てから釣りばっかだけどよ。備えなくていいのか?」
「俺はここで獲物に狙い定めてんだよ、ホラ」
レイドが指さす方向を見ると、人通りの中に修道女達がいるのがわかる。
あれがなんだというのか?
獲物とはどういうことだろう。
「見てみぃあのエロい恰好? ピチピチの服着やがって……、あれで修道服だぞ? ありえんわ。んでよ、あそこで話し合ってる可愛い子ちゃん2人、右か左か……オメェはどっちがいい?」
「アホかアンタ! なんでこんなときに女見てんだよ!? しかも修道女に……」
「いいじゃねぇか別に……どうせ奴等が来るまで時間があるんだ。どうだ? ちょっくらナンパしに行かねぇか?」
するかッ! とレイドは耳元で怒鳴ってやった。
苦い顔をしながら銀三は飛びのく。
余程うるさかったのか、耳をグリグリと暫く弄った。
「あーあー、最近のガキはいやだねぇ……、付き合い悪すぎ」
「アンタの態度が悪すぎなんだ、察しろ」
「だってよう、暇じゃねぇか。えぇ? アイツ等を殺すってんなら、ここで待ち構えてるより兵隊送りこみゃすぐじゃあねぇか」
「……その方が効率がいいんだろうが、これは俺の問題だ。それに対して聖女様は力を貸してくれた。あまり贅沢は言えないさ。」
レイドは真っ直ぐ空を見つめる。
悔恨と哀愁に満ちたその姿を見ながら、岩見銀三は軽く忠告した。
「クソ甘ぇな。そんなんじゃまた、同じこと繰り返すぞ?」
「もう繰り返さないさ!」
「どうだかな……。テメェの剣の腕は見てる限りクソ以下だ。気合や正義感だので乗り切れるほど富士見新陰流の系譜は甘くはねぇ……――――こんな風に」
レイドが怪訝な表情をした直後、自分の顎下スレスレに脇差を突き付けられていたのに気づく。
目を凝らさずに見ていたというのにだ。
これが目にも映らぬ速さ、というのだろうか?
鍛錬に鍛錬を重ね積み上げてきた剣士の域。
速度、精密性、加えて瞬時の判断力が"神速"までその剣を昇華させている。
レイドはそう推測した。
「……ガキに見切られちまうほど、俺はまだ耄碌してねぇぜ。イリスってガキは……これよか速ぇんだろ?」
「……見る限り、では」
「フン、気に入らねぇな。……アレクサンド新陰流だぁ? 異国のモンに新陰流を教えた開祖様を俺ァ恨むぜまったく。……あんな"パチモン剣術"流行らせやがって」
神託斬りと恐れられているイリスの流派を"偽物"と吐き捨てた。
その言葉と態度に、レイドは得体の知れないものを感じたと同時に確信を得る。
――――この男と組めば、イリスを倒せるかもしれないッ!
思わず生唾を飲む。
「おうガキンチョ、……イリスって小娘が来たら、まず俺にやらせろ。そして、テメェにもたっぷりとその目に刻み付けてやる。俺の故郷の、《剣》ってぇヤツをな」
そういうと彼は釣り道具をせっせと片付けて歩き去ってしまう。
それを呆然と見ることしか出来なかったレイドは、悔しそうに歯を食いしばりながらも、気を持ち直した。
確かに、今のままではイリスに勝てないかもしれない。
だが弱気ではいられない、立ち止まるわけにはいかないのだ。
でないと、道半ばで散った4人の仲間に顔向けが出来ない。
今はあの老剣士の背中を追おう。
きっと自分にとって大事なことを教えてくれるかもしれない。
そう信じて……。
「よう、そこの修道女のねーちゃん。今から俺と茶ァしばきにいかね?」
「なにやってんだクソジジィイイイッ!!?」
レイドの受難が続く中、刻一刻と迫る対決のとき。
イリス・バージニア達がこの修道都市『サフレン』につくまで、もう僅かであった。




