♯59 旅立ち
――ふと、日の光を感じた。
閉じていた瞼が開くと、窓らしき枠からは太陽が昇るのが見えた。
どうやらここは村長の家ではなく、村人の家の寝室らしい。
ここで朝まで眠っていたのだろうか、あまり疲れが抜け切っていない感じだ。
「この服……、村の人のかな? ワンピースなんていつぶりかしら」
ベッドから身体を起こし、部屋の中を見渡すと、倭刀が傍に置いてあった。
それを手に取るや、扉を開く。
リビングとすぐ繋がっていたようで、そこには見知った顔ぶれが椅子に座っていた。
「おや、女王陛下の御目覚めでござるな」
「うん? そのようだな。まったくあのまま倒れるから大騒ぎだったぞ?」
フレイムとルインが茶化す中、ミラが無言で立ち上がりイリスに近づく。
顔と雰囲気ですぐに読み取れた。
――――すごく怒ってる……。
「あ、あの……」
イリスがそう言いかけたとき、彼女の右頬にミラのビンタが飛んだ。
避ける間もなく衝撃が走り、痛みに顔を歪める。
「……アナタって娘はッ! どこまで無茶をすれば気が済むんですか!? もっと、……もっと自分の身体を大事になさいッ!!」
ミラの涙混じり怒号が響く。
イリスはなにも言い返せなかった。
否、言い返すことが出来なかった。
――まるで、幼い頃に母に叱られたいつかの思い出のように。
「……もう、起きても大丈夫なんですか?」
「あ、うん。まぁ……」
イリスの様子にミラは安堵する。
彼女はどうやらずっと自分の看病していたらしい。
――――なぜここまで?
自分は人斬りだ。
過去にどういう理由があるにしろ、人として外れた道を歩いている者に変わりはない。
今までに殺してきた神託者の数を見れば、最早情状酌量の余地はないだろう。
まさか、ミラはそんな自分を本当に改心させようとしているのだろうか?
自分の為に、よくわからない"神"に祈ろうと?
他人の気持ちを汲み取るなどという普通なら誰でも出来そうなことが、今のイリスには出来なかった。
「……さてイリス。食事が用意してある。食べるといい」
そう言って外へと出ていったフレイム・ダッチマン。
イリスは空いている椅子に座り、テーブルに出された食事を食べ始める。
この家の人が作ってくれたらしく、野菜にベーコン、コーヒーを手に取って少しずつ食べていった。
正直な話これだけでは足りない。
一応パンも用意してはくれていたが、イリスは白いものは食べられないのだ。
食べようとすると、吐き気と頭痛が止まらなくなる。
「御馳走様……」
「イリス……もう少しゆっくり食べなさいな」
「そうはいかないでしょ? どうせアイツのことだし、アタシが食べたらすぐにこの村を出るつもりなんでしょ?」
まぁどちらにしろ、イリスの早食いは今に始まったことではないのだが。
しかし、ミラがフレイムに口添えをしたらしく、出発は今日の昼過ぎとのことだ。
それまで部屋でゆっくり休むように、とミラに釘を刺されてしまった。
「着替えはまた私が持ってきますわ。それまでもう一眠りなさい」
「寝るのかぁ……まぁいいわ」
肩を竦めながらミラに従う。
ルインは、まるで母親に注意される娘のようだとケラケラ笑っていた。
――彼の腹部に拳をねじ込んでやった。
「おやすみー」
「はい、おやすみなさい」
「……酷いでござる」
イリスが眠りについたくらいか。
フレイムはある人物と出会っていた。
「君には感謝の意を述べる。中々の行動だ」
「ふふふ、私勇敢でしたか?」
少女エヴリンである。
イリスとよく話し、あのコシュマールの所で暮らしていた娘。
魔術に長け、死すら恐れない奇怪な少女に、フレイムは礼を述べる。
「勇敢だったさ。もっとも、君自身に勇敢だの蛮勇だのという言葉はなさそうな気もするが」
「アハハ、そんな風に言われたの初めてよ」
エヴリンの屈託のない笑みは、それだけで場の空気を和ませる。
まるで物語に出てくる不思議な魔法のように。
「おじさん達、もう行っちゃうのよね?」
「おじさんではない。……今日の昼過ぎだ。我々に行く所があるのでね」
「ねぇ、私もついていっちゃダメ?」
エヴリンは彼等が行ってしまうのが寂しいのか、はたまた彼等の行く末にただ純粋に興味があるのか。
どちらともとれない微笑みを見せながらフレイムを見上げる。
どうせ、自分には身寄りなんてものはない。
ならば、見知った顔でなにより一緒にいた方が面白そうな人達についていった方が面白そうだ。
そう考えていたが……。
「……もう少し君が大人になったらな」
フレイム・ダッチマンは軽く笑いながら制止した。
彼女がもし大人の女性であれば、否応なしに連れていこうとするだろう。
きっとそれほどまでに美しくなるとかいう確信があった。
だが、それは過程の話。
子供は許容範囲外だ。
「……そ。じゃあ、あのお姉さんによろしくね? もっとお話したかったわ」
「変わった少女だな君は」
フレイムは踵を返し、その場を後にする。
そろそろ準備が整う頃だ。
ここから修道都市『サフレン』までは3日かかる。
よもや、ここで懸賞金の金が役立つとは。
「金は持っておくべきだなホント。残金を見てもまだ釣りが出る……」
昼頃には全てが整うだろう。
ならば、あとは待つだけだ。
フレイムも一休みしようとしたが、その途中で何者かが、自身の前に立ちふさがる。
――――村長の孫だ。
「お前等のせいだ……お前等のせいだぞッ! お前等のせいで僕の人生は滅茶苦茶だッ!」
「……は?」
「は? じゃねぇよ! お前等のせいで爺ちゃん死んじゃったじゃないかッ!」
「……ご愁傷様だな。だが、元はと言えば彼に原因があったのだ。その結果、女黒騎士に殺された」
村長の孫は納得せぬまま癇癪を続ける。
どんな理由があろうと尚、死んだ原因はお前等のせいだ、と。
「やれやれ、容易に自分の考えは曲げないくせに容易に臍を曲げる奴は話が通じんから嫌いだ。もう村人全員が村長の過去を知ってしまった今、同情の余地はないだろう。……これからは自分の力で生きていけ。さもなくば死だ」
そう言って通り過ぎる。
村長の孫は何度も銃に手を伸ばしかけたが、結局は出来なかった。
そんな度胸など、彼にありはしない。
フレイムの背後で彼の泣き喚く声が聞こえたが、気にすら留めない。
同時に、この村の行く末もまた眼中になかった。
「あぁ、ようやくこの陰鬱な村から旅立てる。素晴らしい日になりそうだぞ今日は」
ひとり決意を固め、イリス達がいる家へと戻る。
そして、約束の時間。
イリスはこの村の鍛冶職人の手で治してもらった蒼鎧をまとい、馬にまたがる。
馬から見る景色や風の肌触りが改めて新鮮に思えた。
「では行こう。先は長い」
「修道都市、か。強そうなのいそうじゃない」
次なる戦いに笑みを零すイリス。
前と同じく二人乗りでルインの後ろに座るミラは。
そのときのイリスの笑みに、ミラは悲し気な視線を送る。
彼女と目があったイリスは別が悪そうにそっぽを向いた。
「修道都市……宗教に関してはやたらうるさい所のようですが、ダッチマン卿こそ大丈夫ですかな? アナタは人一倍嫌悪感の激しい方ですので」
「フン、ヘマはしないさ」
そう言って村の出口までゆっくり馬を歩かせる。
村の人間が何人か見送ってはくれたが、彼等のことを怖がり。家の中からこっそりと見る者もいた。
まぁあんな大立ち回りをする人間がいたら、誰だって恐ろしい。
ただひとり、エヴリンは大きく手を振って彼等を見送った。
満面の笑みで、また来てね、と。
出口に出るや、鞭を打ち、馬を疾走させる。
修道都市『サフレン』
神の加護と恐ろしい陰謀が隠された、聖域を名乗る地獄。
そこに『叡智の果実』の手掛かり、若しくはその存在があると信じて――。




