♯58 ダ・ウィッチ村の闇、そして光明
ミラは裏口から外へと出る。
表口からは戦闘の爆音が響き、違う家の屋根上ではイリスとフレイムが戦っているのが見えた。
先ほどの村長のこともあり、ミラの心象は極めて困惑の色に包まれる。
なぜ、イリスがフレイム・ダッチマンと戦っているのか?
しかも彼女はとんでもないほどの重症のままフレイムの拳法を受けているのだ。
迅速な回復が必要であることは素人目でも明らかであろう。
「一体どうなっているの……? 表で戦っているのは一体? でも、今はそんなことを言っている場合ではないですわ。早く2人を止めないとッ!」
そう思って屋根上へ飛ぼうとしたとき、どこからともなくエヴリンが現れた。
というよりも、いきなり気配なく背後から現れたというべきか。
ミラは心底腰を抜かした。
「うふふ、大人の人なのにそんなにも驚くんだ。ちょっとかわいい」
「か、からかわないで下さいッ! それよりもアナタどうしてここに? ここは危険ですわ、早く避難をッ!」
「私なら平気よ。それよりも、あの2人を止めに行くんでしょ? 手伝ってあげる」
エヴリンの満面の笑みはどこにでもある幼子のソレだが、彼女の内からはどこか得体の知れないものが感じ取れた。
ただの子供ではない、自分達と同じ異形の力を持つ者の余裕だ。
しかし、例えそうだったとしても彼女になにが出来るというのだろう?
この場を治めるほどの力を有しているとは到底思えない。
「……あ、アナタになにか策が?」
「策ってほどじゃあないわ。……女黒騎士があの男の人が出した分身? みたいなのを次々とやっつけていってる。全て消えちゃうのはもう時間の問題よ。……私が彼女を足止めするから、お姉さんは村長さんの家の地下から"ある物"を持ってきてほしいの」
「ある物? それは、この事態を収束出来るほどのものなのですか?」
「えぇ、――――《女黒騎士の首》よ」
ミラは驚きを隠せない。
エヴリン曰く、以前コシュマール保安官と村長の話を盗み聞きした際に、地下にあることを知ったのだとか。
鍵はかかってはいるらしいが、人外で且つ格闘術を習得しているミラなら蹴破ることは容易いだろう。
鍵の捜索を省略出来るのだから時間はそうかからない。
善は急げだ、ミラはすぐさま村長の家の地下を目指す。
「……さて、私も頑張らなきゃッ!」
エヴリンは小走りで表の方へ。
女黒騎士は最後の幻影を斬った所で、イリス達がいる屋根の上まで行こうとしていた。
だが、次の瞬間、女黒騎士は自身の身体が凄まじく重くなるのを感じ、地面にうつ伏せ状態になる。
まるで見えない大きな手で地面に押し付けられているかのような感覚だ。
エヴリンが魔術で彼女の動きを止めていたのだ。
幼子とは思えない妖艶且つ邪悪な微笑みを見せたまま、エヴリンは掌に魔力を巡らせ続けている。
しかし、それに業を煮やしたのか。
女黒騎士は突如、エヴリンの方へと這いずりながら進む。
標的を彼女に変更したのだ。
「あらあら、次は私なのね。……お姉さん、まだかなぁ」
エヴリンはまるで他人事のようにクツクツと笑んでみせる。
突如感じた魔力の奔流とその光景が目に映り、イリスとフレイムが動きを止めた。
「あの小娘……ッ、魔術で動きを? だが、あれでは近づかれるのは時間の問題だろうな」
「あンのバカ、なにやってんの!?」
これがエヴリンの狙いだ。
女黒騎士が『Missing-F』を切り抜ければ、きっと屋根上へと行こうとするだろう。
だが、こうして足止めをすれば彼女は屋根上までは行けない。
そればかりか邪魔をする自分を殺しに来るだろう。
常に周りの気配に敏感な2人であれば、きっとこの状況が目に映るはずだろうと踏んだ。
――――最早一種のギャンブルである。
あとは、ミラが女黒騎士の首を持ってくるのを待つだけだ。
もっとも、その前に自分が殺されるかもしれないが……。
「も~……遅いなぁ」
エヴリンはなにひとつ物怖じしない。
余裕の笑みを崩さない彼女に舞い降りたのは奇跡かそれとも偶然か。
扉から村長を抱えたルインが。
裏から女性の首が入ったケースを持ってきたミラが。
そして、同時にその場に降りるイリスとフレイム。
ほぼ同時のタイミングで、彼女の周りに役者が揃ったのだ。
「ミラ! アンタなに持ってんの!?」
「おいそれ寄越せ!」
「お待たせしました! これが女黒騎士の首です! あとダッチマン卿は黙ってて!」
「そ、それは……ッ! やめろ! それを彼女に渡してはならん!」
「やりましたなミラ殿! このオジジは小生が抑えているのでご安心をッ!」
ミラは勢いよく女黒騎士にケースごと投げ渡す。
そのタイミングを見計らって、エヴリンは魔術を解除。
身体が軽くなった女黒騎士はスッと立ち上がり、ケースに入った首をキャッチする。
ケースに入った溶液の中で浮遊する生首。
まるで眠っているかのような表情で、持ち主の元へ戻る。
ケースを砕き、生首を取り出すや、ゆっくりと胴体へと繋げた。
次の瞬間、過去のトラウマが鮮明に想起した。
当時、この村に逃げ込んだはいいものの、痺れ薬を食事に混ぜ込まれ捕らえられた記憶。
鎧は剥がされ、半裸の状態で牢に繋がれる。
そのとき、今よりまだ若かった村長に、その身体を辱められた。
国の罠にかかり、身も心も疲弊し傷付いた中でのこの仕打ち。
彼女は、咽び泣き許しを請う。
しかし、それを愉しむかのように、毎晩毎晩彼女の身体を求め続ける村長。
――――それはギロチンにて首を跳ねられるその前夜まで続いたのだ。
『魔女』という侮蔑を添えて……。
その怒りと悲しみは、死して尚続き、魔物として彷徨い行くこととなった。
何度も村を襲おうとは思ったが、あの凌辱の日々がそれを思いとどまらせる。
ゆえに、村の近くを通り者達を襲い、鬱憤を晴らすほかなかった。
――――だがそんなとき、彼等が現れた。
生前の戦場の臭いと近しい気配を漂わせる彼等の存在を感知した直後、彼女の中にあるかつての戦闘本能が目覚めたのだ。
戦いの愉悦と快楽が、ダ・ウィッチ村へ入る勇気を呼び覚ました。
全てを克服し、首を取り戻した女黒騎士は繋がった首を上下左右に動かしながら調整を行う。
瞼が開き、碧眼の瞳が周りを見渡した。
ウェーブがかった金色の髪が風に揺れると、改めて感じる心地よさに彼女は小さく笑みを浮かべる。
――――美しい、まさに聖母だ。
ステンドグラスや絵画に描かれる美しさと神々しさを兼ね備えたような。
あのフレイム・ダッチマンでさえ息をのむほどの逸材だ。
あれが、戦場を駆け巡り死体の山を築いていったとは到底思えない。
『血塗られた舌』、それが彼女の異名らしいが……。
「……」
女黒騎士は視線をルインに捕らえられている村長へと映す。
村長の顔は蒼ざめ、パクパクと口を動かしていた。
「……あとは、ごゆっくり?」
ルインは唐突に村長を離し、ミラを連れてイリス達の元へと駆けていく。
女黒騎士は彼には目もくれず、村長の方へと歩み寄った。
聖母のような美しい微笑みを向けながら、彼女は足元で跪く村長を見下ろす。
それが村長にとって、どれほど恐ろしいことであるか……。
「あ……ぁあ……ぁッ!」
「……」
刑に怯える罪人の顔をした村長は、ただただ彼女を見上げることしか出来ない。
だが、ようやく口を開いたかと思えば、とんでもないことを言い出した。
「あ、あれは仕方なかったんじゃ……ッ。お前さんの国の命令だった……、そうッ! ワシとて不本意だったんじゃッ! 捕らえた者を女とはいえ犯すなど……ワシも反対だった! だが、そうしなければ村に対してなにをされるかわからんッ! ワシは……悪くないッ! 全て当時仕えていたお前さんの国が悪いんじゃあッ!」
無論、これらは嘘である。
女黒騎士を辱めたのは自分自身の判断と欲望であり、彼女をギロチンにかけた後、その国から多額の報酬を受け取ったのは言うまでも無い。
それがあの村長の家の豪華さである。
「……頼む、許してくれッ! 老い先短いこの哀れなジジイを許しておくれ」
村長がこう言った直後、女黒騎士は片膝をつき、彼と視線を合わせる。
聖母のような微笑みを絶やさず、そっと彼の頬に手を添え撫でてやった。
それに安心した村長の顔に、唇を近づけるやその場でなんと深い接吻を行う。
――――許したのか?
誰もがそう思った直後。
「ん゛ん゛ッ!? ん゛ん゛ん゛ん゛ッ!!」
村長がバタバタと暴れ始める。
触れ合う口からは、おびただしい血が噴き出て流れ落ちる。
村長の口腔内で肉の千切れる音がした。
そして、女黒騎士が一気に口元を彼から離すと口になにか加えているのが見える。
――――村長の舌だ。
そして、彼女はそれをチュルンと吸いこみ、咀嚼を始める。
この光景を見たミラは両手で口を覆い震え上がった。
今にも吐きそうな感じだ。
イリスもルインもその光景に眉を顰める。
「あが……ッ、ゴポ……、ゴボォ……ッ!」
口からの血を吐き散らしながら白目を向く村長を荷物のように抱えると、器用に指笛を鳴らす女黒騎士。
すると、大きな音を立てながらあのチャリオットが彼女の元へ向かってくる。
かなり丈夫に作ってあるのか、車輪に特に問題は見られない。
意気揚々と乗り込み、落ちないように村長を縛り付けると、女黒騎士はイリス達のほうを向く。
軽い敬礼をして微笑んだ。
首を取り戻せたのも、皮肉にも彼等のお陰でもある。
「ヤァアアッ!!」
雄叫びと共に手綱を打つ。
怪物が嘶くや、チャリオットは森の方へと駆け抜けていった。
「フフフ、フフフハハハ、アーッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
女黒騎士の笑い声が夜の村に不気味に響いた。
それを見送るほかなかったイリス達。
これまでの騒ぎが嘘のように、辺りは静寂に包まれた。
「……どうやら、終わったようだな」
「そうね……、結局アイツを倒せなかったわ。ついでにアンタも」
悪態をつきながら納刀するイリス。
同時にこれまでのダメージが一気に押し寄せた。
意識が遠のき、そのまま地面に倒れてしまう。
「イリス……ッ! イリス……ッ!!」
ミラの声が聞こえた。
だが、今はとんでもなく眠い。
身体の力が抜けていき、イリス・バージニアの意識はそのまま暗転した。
「……今は休むといい、イリス。君はまだまだ強くなる。それは私にとっては脅威だが、同時に喜びでもある。一武人としてね」
フレイムの呟きはイリスを介抱しようと詰め掛けた村人達の喧騒によって掻き消えた。




